ヒノキ科のネズコ(鼠子)は別名クロベ(黒檜)といい、針葉樹の常緑高木で、本州中部以北に自生する日本固有種とのこと。

 

 

新・日本名木百選であることを示す立札碑。表記には何故か「新」が省略されている。

 

 

「ネズコの大木」を撮影。現地の表示によると、高さ25m、根周り7.65m、推定樹齢600年とのこと。

 

 

近づいてよく見ると、樹木を支えるために針金で補強されていた。

 

現地の石碑表示によると、この「新・日本名木百選」は平成15年に読売新聞社と「国際花と緑の博覧会」で選定されたとのこと。その石碑には選ばれた他の地域の木々の名称も刻まれており、その中で自分が見たことがあるのは20年ほど前に訪れた、東京の奥多摩の「倉沢のヒノキ」のみであった。

 

倉沢のヒノキといえば、すぐ近くに「倉沢集落」があり、かつては廃墟マニア垂涎の地でもあったのだが、当時の自分はその知識がなくて、ヒノキまでは観に行ったのだが、集落までは行けず。今はたぶん、同じく奥多摩の峰集落同様、かつての住民の木造家屋は撤去されたものと思われる。

 

 

足元を見ると、もはや見慣れたフキノトウの他にも、黄色いフクジュソウの花が咲いていた。

 

ホテルに向かって歩く。さすがに疲れた。足が痛くなってきた。序盤は少しバスに乗ったけど、広い温泉郷の西端と東端を「行って来い」したわけだし。14時前にホテルに到着し、帰りのバスを待つ。

 

 

14:10、南越ヶ谷駅行きのバスが来て、14:25、出発。

 

帰りのバスはホテル湯西川から乗ったのは俺を含めて4組6人。その後、鬼怒川温泉等で乗って来た乗客を含めると、最終的に45席中16人であった。帰りのバスの車窓からもやはり、鬼怒川温泉の廃墟は侘しく感じられた。

 

 

バスの車窓から度々見かける「日光たまり漬け」の店。バスが走る同じ道沿いに複数の系列店(事後調べで4店)があったが、同時に道沿いには廃墟らしき土産物店や飲食店、パチ屋、ガソリンスタンドなどが多数見られた。観光客も減った鬼怒川辺りは、やはり廃れた状態にあるようだ。

 

 

 

途中、休憩で「名水の郷 おかき工房」に寄る。バスの運転手のアナウンスでは「買い物もできる」とのことだが、自分は興味ないので、トイレ休憩だけするつもりでいた。ところが…

 

 

 

館内に入ると、「ご自由にお試しください」と、試食いっぱい。約8種類。食べてみたところ…これが美味い! 特に塩バター風味の「和楽せん」が気に入った。

 

自分は、スーパーの押し売り試食は「予想ほど美味くないのに、安くもないし、食ったら買わなきゃいけないプレッシャー」があって嫌いなのだが、こういうのは有り難い。館内の動画展示によると、おかきとせんべいの違いは原材料がもち米とうるち米の違いらしい。


ただ…高い! アウトレット商品もあったようだが、それでも高い。多量入りのお得詰めではあるものの、米菓子に700円以上は払えん。いや、試食美味かったけど。作り立てだったし。

 

 

 

試食のお供に、ドリンクマシンでブラックコーヒーもなんと無料で飲み放題! ここでの試食の飲食を昼食替りとした。

 

俺はこの工房のことは知らなかった。バスの運転手にここで休憩と言われた時は、バスツアーにありがちな、いわゆる「マージン有りの買い物」だと思っていた。それは実際、そうだったのかもしれないが、この無料試食サービスは凄い。事後調べによると、ドリンクの種類や手焼き体験等、コロナ禍以降、今も休止が続いているサービスもあるようだが、それでこれは凄い。

 

バスの他の乗客にはおかきを買ってる人が結構いた様子だが、試食は食べても買うつもりがなかった俺はそのままバスへと戻る。その後の車内ではさすがに腹が減って来た。しかしながら、途中のトイレ休憩のサービスエリアでは売ってる飲食物はすべて高い! よって飲食せず。この物価高、もうしょうがないのはわかってはいるが。

 

18:30頃、バスは南越ヶ谷駅に到着。JR武蔵野線に乗り、北府中駅で下車。駅近くの「カロリーハウス」は混んでいて入れず、自宅まで徒歩1時間かけて戻り、近くのスーパーで半額惣菜を買い込んで自宅で夕食。空腹を埋め、温泉、茅葺家屋、廃墟を十分に堪能できた1泊2日の旅を終えた。

 

以上です。

「水の郷」に到着。施設としては「道の駅」みたいな感じ。平日とあって人は少ない。

 

 

この「水の郷観光センター」がメイン施設で、中に飲食店、土産物屋、共同浴場などが入っている。

 

 

 

記念撮影用の木彫り碑や水車などもあった。


 

敷地内にある「湯西川くらし館」。現在は「蝶の美術館」として土日のみ開いているらしいが、今はそれも「しばらくの間休館中」とのこと。いずれにせよ今日は平日なので閉まってるわけだが。そして、蝶の美術館と言っても「ガチャメラエー!」は無関係であろう(蝶野美術館…)。

 

 

敷地内にある無料足湯。共同浴場はおそらく法律や入湯税の都合で無料にはできないが、無料足湯なら設置できるのであろう。温泉郷そのものは湯量が豊富なはずだし。

 

 

さらに進むと吊り橋が架けられていた。「水の郷大つり橋」なる名称で、この場の標高は707mとの表示があった。

 

 

せっかくなので吊り橋を渡ると、渡った先に「展望広場」への道標があった。これもせっかくなので行ってみることにする。

 

 

木製階段の山道を杖無しで登って行く。道は途中から普通の山道へと変わり、プチ・ハイキングとなった。

 

 

展望広場に到着。あずま屋がある。表示によると、ここまでの山道は「平家臼の平コース」というらしい。

 

 

あずま屋の側には「長寿の鐘」なる鐘が設置されていた。こういうのは「来た回数」を鳴らすものなので、1回鳴らした。

 

 

で、展望広場の肝心の展望はというと…木立に阻まれて見晴らしは悪く、葉の落ちた細い木々の間から温泉郷の景色が垣間見られるだけであった。

 

その先のコースは進むにしてもバリエーションルートになるようなので、ここで引き返すことにした。

 

水の郷に戻って来て、共同浴場に入ろうかとも思ったのだが、入湯料700円は高い。それに温泉には朝、出発前にホテルで入って来たし。なので、無料足湯に足を浸け、給湯口で手を洗うだけにした。これで十分。その後、「水の郷観光センター」の中を見ることにする。

 

 

「水の郷観光センター」の売店。ここに興味深い「狩人の集落」ならではの土産物が複数売っていた。

 

 

鹿の角、熊の毛皮、山椒魚の酒漬け、山蜜蜂の天然蜂蜜、オオスズメバチの酒漬け等、ちょっと他では見られない土産物が多数種、揃っていた。…どれも高いので買わなかったけど。特に天然蜂蜜は超高級品だ。

 

 

 

 

 

ガチな山ヤにはお馴染み感もある鹿の骨や頭蓋骨の民芸品。民芸品というか、多くは「そのまま」だ。中にはイヤリングやペンダントの加工用や、キーホルダーになっていたり、「犬のおしゃぶり」として売られている鹿角もあった。

 

 

熊の手のオブジェに熊の油。これは他では見たことがない。今年は熊害が多かったというが…。

 

 

湯西川温泉の伝統的地場産物である柄杓も売られていた。ただ、天然木材製とはいえ、650~850円は高い。柄杓なんて100均で買えば用には足りるわけだし…と言ってしまっては野暮か。

 

 

イナゴの佃煮も売られていた。長野県のスーパーでは普通に売られているものだ(しかも産地は東京の下町)。なお、この売店の人気オススメ売り上げベスト3は「ばんだい餅」「山椒魚」「豆腐の燻製」らしい。いずれも高いので買わなかったが、「ああ、ここは山深い地域、狩人の棲む地域なのだなあ」と改めて実感した。

 

 

水の郷観光センターの中に張り出されていた「ダックツアー」のポスター。ダック(アヒル)とは水陸両用の車両で、確か元々はベトナム戦争で使われたものだったはず。現在は世界各地の観光地でこのダックを使ったツアーがあることは知っていたが、日本で見るのはこれが初めてだったか。

 

朝食にバイキングでたくさん食べていたため、まだ腹も空かないので、食事処には入らず。近くの湯西川ダムと三河沢ダムのダムカードが置いてあったのでそれだけ貰い、外に出た。

 

 

外の駐車場にそのダックが停まっていた。これでダム湖を周遊したりするようだが、平日は休業の様子?

 

水の郷観光センターの敷地と道を挟んだ向かいに「新日本名木百選」の「ネズコ大木」があるので観て行くことにする。続く。

来る時も渡った橋を渡る。

 

 

橋の上から魚の通り道「魚道」が見えた。

 

 

橋を渡った後、魚道を横側から撮影。後方には往路で撮影した「茅葺の上にスレート(薄いコンクリ板)瓦を被せた屋根」の古民家が見える。

 

 

温泉郷の中央辺りまで来ると「平家集落」の看板があった。この看板にあるように階段を下りて、川沿いを少し歩くと、かつては橋の両袂にそれぞれ無料の共同浴場があった。

 

 

見えて来た赤い橋。20年前には橋の袂に、向かって川の右側に野天共同浴場「薬研の湯」、左側に室内共同浴場「薬師の湯」があったのだが…。

 

 

 

「薬研の湯」に着いてみると、果たして、枯れた湯舟には落葉と土砂が堆積していた。

 

 

ちなみにこれは約20年前(2005年9月)に撮影した「薬研の湯」。

 

 

「薬研の湯」跡地から見える、現在の3軒の古民家。いずれも旅館だったり土産物屋、食堂だったりする様子? ただ、いずれも20年前は茅葺屋根だったのが、現在は「茅葺の上にスレート瓦を被せた屋根」になっている。

 

 

ちなみにこれが同じ場所から約20年前(2005年9月)に撮影した画像。いずれも茅葺屋根である。

 

茅葺家屋の並ぶ姿が特徴的ゆえに、この場には看板にあるように「平家集落」なる名称が付いたのだと思うが…茅葺でなくなった今、個人的に茅葺マニアであることを差し引いたとしても、正直、魅力の減少は否めない。

 

 

 

薬研の湯の近くにあった、左が現在残されている札。右が20年前に撮影した札。

 

 

橋を渡り、橋の上からもう一方の共同浴場「薬師の湯」跡地を撮影。湯小屋は取っぱらわれ、湯舟の枠だけが残されている。

 

 

ちなみにこれが同じ場所から20年前、「薬師の湯」の湯小屋の中から湯舟を撮影した画像。

 

 

これも20年前の画像。橋から向かって右側にある小屋が「薬師の湯」の湯小屋。向かって左にある小屋は、かつて「薬師の湯」「薬研の湯」を管理していた「金井旅館」の露天風呂の様子。上の方に載せた橋の画像にも写っている通り、「金井旅館」の露天風呂は現在も残っている。

 

正直、2つの共同浴場が今は閉鎖されているということは、事前にネット情報で知っていた。また、前日に「平家の庄」バス停で下りて、徒歩で「平家の里」へと向かっている途中で橋を遠景的に見た際、情報通り、今は共同浴場は閉鎖されていることも察していた。実際の散策は翌日であるこの日にしたわけだが、完全に枯れていたり、埋められている湯舟を見た時は、予想以上の寂寞感があった。

 

ただ、これはしょうがないことなのかもしれない。まず、21年前に我々がこの地に来た時は、温泉郷に寄って、この2つの無料共同浴場に入っただけで立ち去るという、まったく金を落とさない入湯者だった。この共同浴場が湯西川温泉郷に来た人へのサービスだとしても、来る客の多くがそんな金を落とさない客ばかりだとしたら、管理をしている金井旅館も経営が成り立たない。

 

また、法律の改正により無料の共同浴場が設置しづらくなったということもあろう。法律により、共同浴場の管理者は入湯無料であっても税を収めなければならなくなったから、入湯客からは少なくとも入湯税分の料金を徴収しなければ、それだけで管理者は赤字となる。草津温泉のような巨大な温泉街であれば、豊富な量の湯が沸いていて観光客も多数来るから、地元の組合か何かの負担で無料共同浴場の入湯税を賄えるのかもしれないが、湯西川温泉郷のような小さなところではそうは行かない。

 

そこに加えてコロナの影響による観光客の減少もあった。「平家集落」の旅館や土産物屋が茅葺屋根からスレート屋根に替わったのも、行政からの文化財指定の補助金や、白川郷のような多大な観光収益でも無い限り、茅葺屋根の維持は経済的に困難であるということなのであろう。まあ、それはそれで「侘び寂び」であると言えなくもないのだが。

 

 

橋の上から窺い知れた、川岸の氷柱群。橋を下りて、川岸の縁まで移動して望遠で撮影。この氷柱群を正面から観てみたいと思い、近づける道を探したが見つからず、どうやら氷柱の正面に位置する宿泊施設に泊まらないと正面からは観ることはできない様子。ここだけ氷柱が残っているということは、おそらく人工のものであり、近隣の宿泊施設が宿泊者へのサービスとして作ったものであることが察せられる。

 

 

かつて2つの共同浴場を管理していた「金井旅館」の玄関を撮影。玄関先に5組の宿泊者の名前が張り出されていたので、ビジネスはそれなりに順調なのかもしれないが…。

 

 

温泉郷の中央辺りにある「平家落人民俗資料館」。「平家の里」と並ぶ、数少ない温泉郷の「見所」。閉鎖し廃墟化した「平家狩人村」も含めて、この湯西川温泉郷の観光資源はほぼ100%「平家」頼りという感じ。なお、ここは入場料500円にも関わらず、内部の撮影が禁止なので、入場はせず外観のみ撮影した。

 

平日とあってか、前日に引き続き、外を歩いている人はほとんど誰もいない。ごく少ない観光客と思われる人もいるが、それも何となく「俺同様、ホテル湯西川から14:10発の首都圏行バスの待機で、それまでの時間潰しか?」という感じだ。飲食店も開いているのかどうか、よくわからない。ただ、天気は良く、散策日和ではある。

 

 

さらに歩くと「平家最中」の店があった。google mapにはこの店は「ふるさと本舗」とあるが、店頭にはその名称は一切張り出されていない。ただ、最中を購入の際、レシートには「ふるさと本舗」とあったから、それは旧店舗名か、もしくは通称の「平家最中」が事実上その店の名称そのものになったということかもしれない。店舗の近くに、小さな民家的な製造工場があった。

 

 

内部の売り場を撮影。定休日は(水)。営業時間は「最中ができたら(10時頃)~最中が無くなったら(16:30頃)」とのこと。名物の栗が入った最中「くりやかた」は要予約の受注生産らしい。そういえばこの湯西川温泉郷は今は日光市だが、市町村合併前は栗山村であった。

 

 

 

スタンダードな「平家最中」を3つ購入。1つ税込130円で、計390円。早速1つ、食べてみた。なるほど、美味い。最中ってあまり食べることがないのだが、ここのは程良い甘さで気に入った。店舗の前にある自販機で買った麦茶(160円)を一緒に飲むと、最中によく合う。

 

ただ、最中の味よりも驚いたことが1つ。それは最中購入の対応をしてくれた女性スタッフの方。白髪でおかっぱのようなショートカットで、ぱっと見たところお婆ちゃんではあるが、白髪なだけで意外に年齢は若いかもしれず、俺と同年齢くらい(50代半ば)の可能性もある。とても丁寧な対応をしていただいたのだが、短めの長袖の先から垣間見えたびっしりの「もんもん」に驚いた。

 

いや、別に個人の自由だから良いんだけど。でも、ワンポイントのタトゥーならまだしも、さすがに広範囲の「和模様」は「ホンマ者」を連想させる。こと「刺青」に関しては、海外旅行中は「無い人の方が少数派?」くらいに感じるのに、日本ではまだまだ極少数派で、「シンボル・オブ・ヤクザ」の域にある。誰しも皆、人生いろいろあったということなのだろう。

 

ホテル湯西川に到着。チェックアウトは済んでおり、帰りの南越ヶ谷行きの送迎バス時刻の14:10までにはまだ数時間ある。いずれにせよ、荷物を持ったまま、この「他に観るものも無い温泉街」をウロウロと散策するより他にやることはない。よって、このままさらに東に進み、温泉郷の最東端にある「水の郷」へと向かうことにした。

 

 

道中、道端には結構な数のフキノトウが生えているのを見かけた。続く。

「雪隠」と表示のある建物があるので、中を覗く。雪隠(せっちん)とはトイレのことのはず。

 

 

確かに、男性用小便器らしき樽が置いてあった。手前の地面に大便器らしき遺構も確認できる。

 

 

雪隠に隣接して風呂場もあった。五右衛門風呂というやつだろうか。

 

 

厩(うまや)には馬のオブジェがあった。これも不気味…。梁柱に鞍が吊らされている。

 

 

 

「解体小屋」の中。屋内には胡坐をかく狩人のマネキン、そして、動物の骨が吊るされている。壁際に吊るされているのはイノシシの頭蓋骨。俺は猪年という縁もあって、以前に山梨県大月市の猟師の家から猪の頭蓋骨を貰ったことがあり、今も居室に飾ってあるので「うちと同じだ」と思ったり。

 

 

これはまた別の建物の内部。こっちの狩人のマネキンには髭が生えている。案内看板によれば解体小屋の他にも「行屋」「道具作りの小屋」「祭場」などの建物があるのだが、表示の札の文字が劣化しており、正直、どの小屋がどれだかわからない。ただ、内部にはマネキンがあって、囲炉裏があって、動物の骨や毛皮が置いてあって、暗い雰囲気があるのは共通している。

 

続いて「集古館」に入る。こちらも中が暗く、撮影にはフラッシュを要した。

 

 

柱に吊り下げられたニホンカモシカの毛皮。特別天然記念物のカモシカも、明治時代までは狩猟が許されていた。その後、許可制となったらしく、ここで吊り下げられている毛皮のカモシカも猟の許可を取った上で捕らえたものであろう。さすがに明治時代のものと感じられるほどの古臭さはなかった。

 

 

様々な山の動物の頭蓋骨等の骨も展示されていた。

 

 

ここにもツキノワグマの剥製。


さらに他の建物にも入ってみる。

 

 

「皮の店」なる建物の中に、イワナ等の渓流魚の剥製、タヌキやテン等の小動物の毛皮(襟巻にする?)、熊の毛皮が展示されていた。「皮の店」なる名称と、そのディスプレイ状況を見るに、開業当時は売り物だったのであろう。

 

 

 

 

枯れ木で組んだジオラマの中に多種の山の動物の剥製が展示されている。カオス…。

 

 

鹿の頭の剥製に毛皮、猛禽類らしき鳥の剥製もあった。こららも売り物だったのであろうか。

 

 

そして、「伝統工芸の小屋」の中にあった謎の裸体女性の木像。後方にはモナリザの絵? もうここまで来ると「山や狩人の暮らしに何の関係があるのだ?」という感じだ。2025年にこの民俗資料館が閉鎖して以降、展示物を寄せ集めて保管している倉庫状態の建物もあるようで、混沌状態である。

 

 

敷地内、門から向かって左側の一帯は、案内看板には「自然植物園」とあるが、園と呼べるような植物群は当然に見当たらず、荒野でしかない。その中には、完全に潰れてもはや何の用途だったのかわからない小屋の瓦礫があった。

 

 

敷地内左側のさらに奥には、複数の動物の檻があった。案内看板によると「ミニ動物園」で、クマ、イノシシ、キツネ、タヌキ、ヤマドリ等、山の動物を飼育・展示していたようだ。山の中で敷地が広い割には、各々が随分と狭い檻である。

 

山の中の動物園というと「東筑波ユートピア」を思い出す。あそこも相当のB級・珍スポットだが、TV番組「志村どうぶつ園」で取り上げられて、一時期は客足が増えたこともあった。後にクラファンで資金を集め、園内に「いのしし牧場」みたいなのを整備して、経営者もTV放送当時とは変わったようだが、その後はどうなったのであろうか?

 

 

入口近くの建物に「未成年者はご遠慮ください」の注意書きが立てかけられていた。正直、何が展示されているのか、言われなくても何となくわかるが…。

 

 

 

予想通り、秘宝館的なオブジェであった。「オシラソ様」等の呼称がある男性器の木像は子孫繁栄のご利益があるということだが…。そして、事後調べによると、開業当時のこの民俗資料館の「一押し」がこのオシラソ様だったようで、「管理人の爺さんに観て行くよう、直接口頭で勧められた」というレビューが複数散見された。

 

 

また、入口近くの別の建物には、軒下にけっこうな量の残雪が積もっていた。日当たりが悪い場所なのであろうか。残雪を乗り越えて、中を覗くことにする。

 

 

 

中を見ると、どうやらかつては食事処であった様子が伺える。かつ、現在は展示物の倉庫状態でもあった。土間には木のテーブルがあり、座敷は一応、畳敷きの様子。

 

 

食事処に収められていた、大きな柄杓や杓文字のオブジェ。湯西川温泉辺りでは柄杓や杓文字が名産であったことは、前日の「平家の里」の展示で知ったが、こんなに大きなものを作って飾っているというのは、どうしても先に見た「巨大男性器の木造」との関連性を穿ってしまう。

 

 

 

食事処の座敷には囲炉裏が2つ。女性ものの着物も飾られていたが、室内とはいえ長年に亘って晒されていたようで、ボロボロの状態であった。

 

結局、この平家狩人村には2時間ほど滞在した。ホテルに帰るための「湯西川温泉」バス停発の地域バスは10:50発。今から徒歩で「湯西川温泉」バス停に戻ったのでは、バスの時刻には間に合わないことが確定した。それほど長い時間、この廃墟地に滞在したということ。まあ、良い。ならば、徒歩でホテルまで戻るだけだ。

 

自分が廃墟マニアであるのと、正直、2日めは他に観るところもないということで、俺はこの「平家狩人村」跡地に来たわけだが、現地の現状というのは、やはり実際に行ってみないとわからないものだ。実際、マニアの血が騒ぐというか、テンションが上がるほどに、侘び寂びに溢れた、程良い廃れ具合の「ガチ廃墟」であった。

 

同時にここは「今だけの廃墟」であるとも思った。平家狩人村は2025年に閉業して廃墟になったばかりなので、ネット上にも現状についての情報が少ない。なので、「侵入者による悪質な荒らされ方」の形跡は「まだ」なかった。今後は展示物の盗難の被害が生じる可能性も考えられるし、火でも放たれては尚更にヤバイ。


そして、ここはある意味、徒歩であるから来ることが許される場所であるとも感じた。民俗資料館の展示物の多くは相当の大きさがあり、徒歩では持ち出し困難なのだが、もし車で来ていた場合、停めた車を地元の人に見られたら、展示物の盗難に来たと疑われても不自然な状況ではないと言える。尤も、小動物の毛皮など、徒歩でも盗難できる展示物もあったが…。

 

また、この観光施設の敷地内を散策していて「どこかに似てるな。今までに実際に行って、観た場所。どこだっけな…?」と思っていたのだが、途中で「あっ、カナディアンロッキーのバンフのロウワーバンクヘッドだ。あそこに似ている」と思い出した。要は「廃墟を史跡に指定して、資料を展示して観光資源にしたのだが、その史跡が荒れて寂れて『史跡の廃墟』になってしまった」という状態。ロウワーバンクヘッドは炭鉱の集落。湯西川温泉郷の西端には平家落人伝説の末裔の集落。どちらも「山の中で時代に取り残された」という共通点がある。

 

さらに、事後調べによると、ここは心霊スポットで少女の霊が出るとの説があるようだ。俺には霊感はまったく無く、「そういうの」は感じなかったし、ある意味「知らぬが仏」でもあったわけだが、霊が出ようが出まいが、夜は恐くて絶対に来れないし、敷地内に入るべきではないだろう。

 

ともあれ、十分に楽しめた。わざわざ湯西川温泉まで来て良かったというか、来た甲斐があった、と満足しつつ、徒歩で湯西川温泉の中心部方面へと戻って移動した。続く。

 

「平家狩人村」跡地の入口を引きで撮影。左が門で、右が入場券売り場。果たして、ここは廃虚マニア垂涎のリアルな廃墟であった。

 

なお、この場所はGoogle Mapには「旧:平家狩人村」と表示されている。観光資料館としては閉業しているのだから表示を外せば良いと思うのだが、いまだ現地の案内看板が撤去されていない上、廃墟としては残っているのでこの表示になったという感じか。

 

  

 

門の上部と横に「平家狩人村」の看板が残っている。

 

 

入場券売り場。降雨時に入場客が使えたのであろう多数の黄色い傘が軒下に放置されている。

 

 

入場料は600円…だったらしい。今もまだ600円払って入場できるなら、そうしたいところなのだが。

 

 

門に向かって左側の建物。思いっきり崩れていた。敷地内の案内看板によると「郷土物産『店』」とのこと。実際、商品棚のようなものは見えるが…?

 

門の脇には隙間があり、そこから中に入れる。隙間部分の土壌が踏み固められているので、ここを通って中に入った人が存在するようだ。俺もせっかくここまで来たのだから、敷地内にも入りたい。ましてや俺は廃虚マニアだ。ただ、勝手に中に入るのは私有地への不法侵入ということにもなりかねない。周囲には入場して良いのかどうかを聞ける人もいない。さて、どうするか。

 

即決。入るしかない。で、もし管理人や管財人の類が現れたら「正規の入場料600円を払おうとしたら、係員がいないので払えなかった。今、いらっしゃったから払う」という態を取る。それでもなお、管理人から「閉業してるのは見ればわかるだろう。不法侵入だ」と問い詰められるのであれば、「だったら道中にあんなにたくさんある案内看板を撤去しとけよ! こっちは初めて来た観光客。案内看板があるにもかかわらず閉業してるなんて、わかるわけないだろう! しかも来てみたら、門の脇は通路みたいになってて入れるじゃないか。看板を放置している、そっちの怠惰の責もあるだろうが!」の態を「穏やかに」取る、と。

 

かくして、門の脇の隙間を通って「平家狩人村」跡地に入場した。

 

 

入場券売り場の中には、展示案内リーフレットが普通に放置されていた。この「平家狩人村」はコロナ禍で休業し、2023年に営業再開した後、2025年に閉業したようだから、重ねられた下の方のリーフレットにはカラー印刷がまだ劣化していないものもあった。

 

 

敷地入口の近く、「鳥獣資料館」の外壁に張り出されていた案内看板。そもそもここは元々、「狩人の暮らし」「山の暮らし」を紹介する民俗資料館=観光施設である。平家一門の生き残りである武者達が追っ手を逃れてこの地に身を隠し、山で生きるために山小屋を建て、山を耕して蕎麦などの山で育つ穀物を育て、狩人になって魚や獣を狩って生活をした。その生活様式は子孫に伝わり、昭和の頃まで続いていた。

 

今は廃虚マニア向けの状態にあるが、ここには元々、獣の剥製、山の民のマネキン人形、そして子孫繁栄を祈願すると言われる「男根オブジェ」等が多数展示されており、以前から「B級スポット・珍スポットマニア向けの場所として知られていた。かつ、「ボロボロでいつ閉鎖になるかわからない。開いているうちに観に行っておいた方が良い」と言われていた。

 

見ると、「鳥獣資料館」「竪穴住居」「村長の家」「解体小屋」「集古館」等の建物があるようだ。それらの展示物が「廃墟となった今でもまだ残っているか」はわからないが、とりあえず端から観て回ることにする。

 

 

 

敷地内は枯れ木の藪だらけ。地面に積もった枯れ枝をベキベキと踏みながら、先へと進んで行く。

 

 

 

 

敷地内の建物はどれも完全な廃墟。「木枯し紋次郎」や「座頭市物語」など、雰囲気暗めの時代劇に出て来る、貧しさ、戦乱、流行病などにより人が消えた「廃村」そのものである。これらの建物はいずれも茅葺屋根ではないが、トタン屋根の上に落葉や枯れ枝が積もり、一見茅葺屋根のように見えたりする。しかもその上に草が生しており、展示古民家にはないリアルな侘び寂びを醸し出している。

 
 
 
敷地の中央辺りにある「竪穴住居」。入場券売り場の中に放置されていた展示案内リーフレットには、表紙に立派な茅葺姿のこの建物の写真が使われている。一応、この民俗資料館の「シンボルマーク」的な存在の建物であったようだ。この建物、元々は茅葺姿の態であったようだが、ボロボロの廃屋となった現在では、茅葺の下が剥き出しになっており、屋根の土台がトタン造りであることが明白に見て取れる。
 
なお、その展示案内リーフレットによると、この中には「古代の遺品が展示されてあります」とのことであったが、現在は入口が潰れていて中に入ることはできなかった。それに「古代の遺品」って、湯西川温泉は別段、古代遺跡の発掘で知られる地でもないような気がするのだが、要は「山の暮らしは古代のように原始的であった」という発想でここに復元したのであろうか?
 
 
敷地の奥に建つ、神社の御堂。案内看板によると、左が小天狗・大天狗神社、右が皇太神社。手前の鳥居は赤色がくすみ、倒れている。内部には特に何もなかったので、さすがに「魂抜き」の類は済ませてあるのだろうか。
 
建物の外観をひと通りチェックしたので、まずは入口門の近くにある「鳥獣資料館」に入ってみる。暗い館内には多数の動物の剥製と狩人のマネキンの展示があり、フラッシュを焚いて撮影した。

 

 

カモシカの剥製。

 

 

イノシシの剥製。

 

 

キツネの剥製。白く見えるがアルビノ個体ではあるまい。おそらくフラッシュで白く写ったか、それとも剥製が経年劣化して色が薄くなったものか。

 

 

転んだ?状態で放置されている狩人のマネキン。

 

 

鉄砲を構える狩人のマネキン。

 

 

ニホンジカの剥製。

 

 

獲物のクマを捕らえた後、おそらくは持ち運びのためにその場で解体している狩人のマネキン。

 

 

ツキノワグマの剥製。

 

 

鳥を捕らえた狩人のマネキン…と思ったが、よく見ると鳥の種類は鷹のようなので、鷹匠的な狩人もいたということか? 左右にあるのはタヌキの剥製。

 

 

イタチの剥製とともに「イタチやテンを獲る罠」の実物が展示されていた。仕掛けの一部である赤色のものは、筒状の「チップスター」の空箱。この空箱が罠の仕掛けの中でどういう役割を持っているのか、この展示だけでは窺い知れないが、おそらく実際の罠猟でも使っていたのであろう。リアルというか、その昔、キリバス共和国タラワ環礁ベシオ島の砂浜にて、巨大シャコ(トラフシャコ)を獲っている少年がビールの空缶をウキに使っていたことを思い出した。

 

確かにボロボロの展示物もあるが、閉業してさほどの月日が経っていないからか、保存状態が良いものも少なくない。そして何気に、剥製の動物はすべて日本在有種(≠外来種)であった。

 

続いて「村長の家」の中を覗いてみる。

 

 

 

囲炉裏端に座る村長夫婦と孫…であろう。マネキン展示があった。これも雰囲気暗めの時代劇で観た憶えがある様相だが…いや、恐い。間違っても夜はここに来たくない。

 

さらに他の建物の中も入って巡ることにする。続く。