自転車でプランバナン寺院遺跡公園方面へと戻る。途中、インドマレットで水とポカリスエット(が売ってた!)を購入。Rp23,900(294円)。…ポカリは高い。公園の南側正面入口に面するラヤソロジョグジャカルタ通りへと進む。このラヤソロジョグジャカルタ通りはプランバナンとジョグジャカルタを繋ぐ大通りである。
明日、ジョグジャカルタに向かう際は、ラヤソロジョグジャカルタ通り沿いのバスターミナルからバスに乗る。自転車で、まずはその場所を確認。その後、ラヤソロジョグジャカルタ通りを西に向かい、南西方面の遺跡群を目指したのだが…。
目的地のサリ寺院遺跡までは2~3kmといったところ。ところが、このラヤソロジョグジャカルタ通り、自転車ではとにかく走りにくい。地域の大動脈的な大道路ということもあり、スピードを出した通行車両が非常に多い。車線数も多く、道を渡って向い側に渡れる横断歩道等のポイントが非常に少ない。
何より遠いし、疲れてて、暑い…。結果、「撤退」を余儀なくされる。せめて今より10年若ければ、「これからが本番」とばかり、ペダルを漕げたであろうが…仕方ない。南西方面の遺跡観光を諦め、数少ない横断歩道にて道の向こう側に渡り、公園方面へと引き返す。時刻は14時過ぎ。宿のチェックイン時刻であるため、自転車でダマンティリへと出向き、まずはチェックイン手続きをすることにした。
宿に到着。ご主人から宿泊棟と部屋の鍵を受け取り、シャワー等の簡単な説明を受けて、チェックイン手続きはそれで終了。特に宿帳等に記名することもなし。
宿の玄関前に置かれていた、淡水魚の小魚の水槽。コイやフナの仲間の若魚or小型種と思われ、ドジョウもいる。ご主人に聞くと「食用だよ」と。こんな小さい魚、本当に食えるのか?と思ったが。(この後、屋台にて夕食で食べることに…。)
この後の予定は公園の北東方面まで自転車で戻って、レンタル自転車を返したら、徒歩でこの宿に戻って来るだけ。それだけでも体力的にしんどいが、まあ、しょうがない。自転車の返却時刻は15時まで。早々に出発。
15時ちょっと前、レンタル自転車屋の「アルガ・ロヴァ・ツアー」に到着。留守番の寝たきり(?)の婆さんに「ブラパ?(いくら?)」と聞くと「リマ」と。リマとは「5」の意味である。
インドネシアの通貨はRp(ルピー)だが、インフレが進み、現在では通常で使われるのはRp1000単位以上が多い。Rp100単位も使われているが、印象としては「日本の消費税導入前の時代の10円未満」的な扱いで、コンビニ以外では四捨五入されていることが多い感じ。Rp10単位は、現在は存在しない。つまり、インドネシアにおける通常仕様の通貨は、0の数が莫大なのである。
なので、0をすべて省略したり、1000単位を「K(キロ)」として、Rp10,000を「10K」と表すことがある。今回は「5」。自転車を3時間レンタルしてRp5,000(61.5円)ということは無いだろう。Rp500,000(6150円)ということも無いはず。てことは、この場面では「リマ」と言われるだけで、Rp50,000(615円)てことはお互いわかるでしょ?というのがインドネシア社会の「貨幣通念上の認識」なのである。
言われた通り、Rp50,000を支払う。遺跡公園内のレンタル自転車が少し前の情報で30分Rp10,000であることを鑑みると、3時間でRp50,000は妥当な額であったと言えよう。
ところで、このアルガ・ロヴァ・ツアーの店舗は、元々は農村の一般的な民家で、玄関前には多量のサラック(別名スネークフルーツ or サラクヤシ)の実が積まれていた。どうやら近くで採れて、店を利用する観光客相手に売られているようだ。試食があったので、婆さんに一声かけて、実を2ついただいた。
これがサラック。皮が蛇の鱗に見えるので「スネークフルーツ」の別名がある。この蛇の皮は簡単に剥ける。
中身はこんな感じ。水気のない梨のような味と食感がある。
サラックはジョグジャカルタの名産フルーツで、俺は31年前にもジョグジャカルタの市場にて、紙袋一杯のサラックを買って食べた。その時の記憶は、値段は安いがとにかく「渋い」。当時は「渋いのに当たることがある」ので、柿のようなフルーツとの印象を持った。何しろ、紙袋一杯のうち過半数が渋かったのだ。
当時、インドネシア辺りの市場ではフルーツの当たり外れの差が大きかった。ただ、ジョグジャカルタの物価は非常に安いのだから、1口かじって、渋ければ捨てて、別のをかじって、甘ければ食べれば良かったのだ。当時の俺はそれを知らず、「こういうもんだ」と思って、律儀に渋いのもすべて食べていたので、結構な苦行だった。
果たして、サラックの試食2つはとても甘くて美味であった。食べながら、徒歩で公園方面へと戻る。この後は徒歩で宿へ戻るだけ、しょうがないか、そう思いながら歩いていると…。公園入口の近くでモーターベチャの運転手に「乗らないか?」と声をかけられた。
ベチャは人力でペダルを漕ぐ自転車タクシーで、俺も31年前に短距離だが乗った憶えがある。それを人力ではなく、エンジンの力で前に進むのが「モーターベチャ」。いわば、原動機付自転車タクシーという感じか。それとは別に、オートバイタクシーもある。
ベチャは、昔はインドネシアの市街各地を流していたが、市街地の都会化が進んだことにより、多くの場所で姿を消した。だが、ここ中部ジャワのジョグジャカルタやプランバナンでは観光地ということもあり、まだ存在する。日本の浅草や京都で観光客を対象に人力車が走っているのに近いが、インドネシアではまだ「一般的な交通手段」として使われる傾向が日本よりも強いようだ。
「そうか、モーターベチャか…」。俺は今まで、ボロブドゥルでもプランバナンでも、観光の移動には自転車を使っていたため、その存在が眼中に入っていなかった。時刻は15時台。観たい南西方面の寺院遺跡は2ヶ所で、距離は数km。いずれも17時まで開いているはず。しかも、雨季なのに珍しく、15時を過ぎても雨が降りそうな兆しはない。
これは、モーターベチャを使えば今日中に南西方面の遺跡に行けるのでは? それなりの料金はかかるであろうが、疲れてる今の俺の移動手段としては最適のはず。なので、運転手相手に地図を指さして、ジェスチャーも交え、「チャンディ(寺院)サリ、next、チャンディ(寺院)カラサン、next、back(戻る)、ブラパ?(いくら?)」と、聞いたところ「Rp100,000(1,230円)」と。
発展途上国の観光地では、こういう時、必ず値段交渉をするのが常識であるとされている。それは事実だろう。かつて、「こういう時に言い値で支払うから、日本人はナメられる」という意見が存在したことも知っている。ただ同時に、土産物屋での買い物なら値切るのも良いが、今から送迎してもらうようなサービスを受ける場合は、値切ることが良いとは限らない、ということも俺は知っている。
なぜなら、値切って、値切って、交渉が成立したとしても、その分、サービスの質が低下する可能性があるからだ。それはつまり、逆に言い値で支払って、相手に「上玉の客だ」と思わせた方が、質の高いサービスを受けられる、ということでもある。今の俺の体力、疲れ、暑さであれば、1,230円なら御の字。なので、言い値で了承した。
そもそも、ベチャの運転手は地方から出稼ぎ的に出てきている男性で、基本的には「善良な人が多い」と聞く。勿論、中には悪質な暴利をふっかけてくる運転手もいるだろうし、善良な運転手であっても最初はとりあえず高めの値段設定を提示する人もいるだろう(むしろそれが常識)。
それでも、コロナ禍以降、滅多に来ない日本人観光客(=俺)を捕まえたということは、この運転手にとっては宝くじに当たったようなものであろう。ならば、俺が乗るこの1回くらいは良い金を稼がせてやっても良いんじゃないか、という、余裕というか、寛大な気持ちを持って乗ることにした。…ある意味、上から目線とも言えるが。
モーターベチャと運転手のおじさんを撮影。インドネシア人は撮影されるのが好きなようで、皆、快く応じてくれる。まあ、向こうの言い値での交渉が成立した後だからかもしれないが。
ベチャは前2輪、後1輪の三輪車で、客は前2輪の間(=通常の自転車なら買い物かごの位置)の椅子に座る。自転車ベチャもモーターベチャも、この形状は同様。椅子には日差し除け、雨除けの幌がついている。
南西方面に向けて出発。目的地はサリ寺院遺跡とカラサン寺院遺跡の2つ。どちらも世界遺産ではない。先ほどレンタル自転車で漕いだラヤソロジョグジャカルタ通りを進む。速度はずいぶんとゆっくりだが、乗り心地は良好だ。
サリ寺院遺跡に到着。ところが…閉まってる。入口に係員もいない。17時まで開いてるはずだが、まだ16時だぞ? 発展途上国の観光地あるある…。それでも、遺跡内部には入れないが、敷地の柵の外から遺跡の外観は望めるので撮影する。
サリ寺院正面。逆光…。8世紀建造の仏教寺院。横幅があってどっしりした形状で、四角い窓があり、プラオサン寺院に似ているが、窓の数がプラオサン寺院よりも多い。ここは、次に巡るカラサン寺院に仕えた僧が暮らすための僧院であったらしい。
サリ寺院の横に回ると順光で、良い画像が撮れる。外壁には精巧な彫刻が施されている。
サリ寺院の裏側。順光だが木の枝の陰がかかる。この遺跡は奇跡的にほとんど崩壊がない状態で発見されたとのこと。
続いて、カラサン寺院遺跡へと向かう。カラサン寺院遺跡はさらに南西方面へと進み、ラヤソロジョグジャカルタ通りを挟んで、サリ寺院のある側とは反対側にある。
ラヤソロジョグジャカルタ通りは車の通りが激しく、横断歩道が滅多にないため、レンタル自転車では反対側に渡るのが非常に難儀だった。しかし、モーターベチャは一応モーター車両だけあり、車線の多い大通りを普通に転回し、反対側へと移動した。
しかも、サリ寺院からカラサン寺院までは1km弱の距離があり、遺跡公園からカラサン寺院までだとかなりの距離である。そして、暑い。やはり、公園の北東方面の遺跡を巡った後、自転車で南西方面に行くのは無理があった。モーターベチャに乗って正解である。
カラサン寺院遺跡に到着。こちらは開いていて、入口には係員のおじさんがいた。やはり、16時台なら開いていて然るべき時間のようで、閉まっていたサリ寺院遺跡の方がイレギュラーだったのだろう。係員のおじさんに入場料の額を聞くと「Rp50,000(615円)」と。遺跡の規模の割には高いな?と思いつつ、現金で支払ったのだが、レシートをくれない。
係員のおじさんに「レシートくれ」と言って請求すると「無いよ」「替わりにここに書いてくれ」と。記帳? いや、レシートと記帳とでは用途が違う(=替わりにならない)んですけど。 …ん? 記帳、ってことは、これは入場料ではなく「寄進」ってことか? 本来、寄進はこちらで額を決めるものだが、入場料だと思って金額を聞いて、係員の言い値を支払ったから高いのか?
中部ジャワはインドネシア国内でも屈指の観光地だけに、他のヒストリカルサイト(歴史的見所)ではどこでも、チケットの半券が手元に残ったり、少なくとも感熱紙レシートがもらえたものだが…。まあ、別に入場料でも寄進でも良いので、記帳して入場する。事後調べによると、このカラサン寺院は2020年頃まで大規模な修復工事が為されていたらしく、細かい部分の修復はまだ継続中のようで、その修復費用の寄進という意味合いだったのかもしれない。
カラサン寺院正面。逆光…。8世紀建造の、プランバナン周辺では最も古い仏教寺院で、後にヒンドゥー教との融合が進んだらしい。遺跡発見当初は、損壊が酷かったという。
カラサン寺院の横に回ると順光で、良い画像が撮れた。
カラサン寺院の裏側。こちらも順光で、良い画像が撮れた。外壁の縦に長い独特の空間は、何であろうか? 単に未修復なのか、何か大きな像が祀られていたとか?
カラサン寺院正面の上方に建物内部への入口がある。その手前には階段が…無い。ただ、替わりに瓦礫が積まれていて、入口まで上れそうだったので、三点確保で上ってみた。すると、先ほどの係員のおじさんが受付から飛び出して来て「止めろ!」と。
遺跡の手前にインドネシア語で何やら書かれた看板があったので、もしかしたらそれが「修復中のため中には入れない=瓦礫を上るな」との旨を示していたのかもしれんが、インドネシアが語わからん人には知らんて。英語で書いといてくれりゃ良いのに。
なお、建物の内部は空洞になっており、かつては大きな仏像が鎮座していたと推測されているが、現在は台座しか残っていないとのこと。
待たせていたモーターベチャに乗り、カラサン寺院遺跡を辞去する。これにて本日の遺跡巡りは終了。レンタル自転車やモーターベチャを使ったことで、当初の予定で観たいと思っていた遺跡をフルに観ることができた。モーターベチャで遺跡公園入口までは戻らず、手前の民宿村ダマンティリにより近い、ラヤソロジョグジャカルタ通り沿いの場所で下ろしてもらう。事前の取り決め額であるRp100,000(1,230円)にチップとしてRp10,000(123円)を加え、「ユーアーグッドライダー」と言ってRp110,000(1,353円)を支払ったところ、運転手のおじさんは喜んでいた。
徒歩で宿へと戻る。先ほどレンタル自転車で通っているため、さすがに道に迷うことはないが、消耗した体力と暑さは変わらない。途中で水分を補給し、痙攣止めの薬3錠を服用した。
ダマンティリの民宿村に入り、東側の景色を観ると、緑色の水田の向こう側にプランバナン寺院遺跡の頂部が見えた。長閑で良い雰囲気だ。
民宿村の途中で見つけた屋台村。朝、宿を探して車で移動している時点でこの屋台村のことは認識していた。まだ開いている店が少ないが、開いている屋台で何が食べられるのか聞いたところ、屋台の兄ちゃんが「イワッ・カリ」と。
店頭に積まれた食材を見ると、すべて小魚や小エビなど、淡水魚介類の唐揚げである。屋台の兄ちゃんいわく「イワッ・カリ。全部、この辺の小川や田んぼで獲れる魚だよ」と。事後調べによると、イワッ・カリのイワッとはジャワ語(≠インドネシア語)で魚、カリとはインドネシア語で川のこと。川魚、つまり、淡水魚だ。
食材を見ると、それらは唐揚げの状態で作り置きされている。これナマズだ、これドジョウでは?と魚種がわかるので、指さしで注文した。すると、屋台の兄ちゃんはそれらを二度揚げし、定食にして提供してくれた。
「ナシ・イワッ・カリ」。淡水魚の唐揚げにナシ(白飯)、サユール(野菜)、エステー(アイスティー)をつけた定食である。これでRp50,000(615円)。
この魚はナマズ。現地名「レレッ」。
これは見るからにわかる。現地名は知らないが、ドジョウだ。
そして、コイだかフナだかの若魚or小型種。そういや、宿の水槽で小魚を多数飼っていたのは、こういう食用のための「泥抜き」をしていたのか、ということに気付いた。
食べようとすると、屋台の兄ちゃんが「こっちに移ると、プランバナン寺院を観ながら食べることができるよ」と言ってくれて、その席に案内してくれた。
その席に移ると、確かに、3つのプランバナン寺院遺跡の頂部が見える。
望遠で撮影。これは、わざわざリゾート的にプランバナン寺院が見える場所に屋台村を作ったわけではないだろう。ただ、近くにあるから自然に見えるという、ローカルの醍醐味と言える。こういうのは素晴らしい。
プランバナン寺院と水田の景色を観ながら、ナシ・イワッ・カリを食す。素朴で懐かしい味だ。俺が子どもの頃に川で釣って来た雑魚(ウグイやオイカワ)を、母が唐揚げにしてくれたことを思い出す。川魚は唐揚げにすると香ばしさが増し、臭みがなくなる。さらに臭みを消して味を付けるには、カレー粉をまぶして揚げても良い。
また、淡水魚には寄生虫が付きがちなのだが、揚げ物にすると強く熱を入れることになるので、殺菌効果が高く、食中毒になりにくい。淡水魚の調理法としては、最も好ましいと言える。また、父に「海の魚は淡水で洗うと寄生虫が死ぬ。川の魚は塩もみして洗うと寄生虫が死ぬ。塩もみはそのまま味付けにもなる」と教わったことも思い出した。
ナマズはインドネシアでは一般的な食材で、頭部だけ硬いので残すが、美味。ドジョウは体幹が細いため、強い熱を通す唐揚げにすると「焦げ風味」が付くが、それが香ばしくて良い。昔、母に魚の骨を揚げてもらって、カルシウム豊富なおやつとして食べていたことを思い出す。
そして、日本ではこういう川魚は逆に流通に乗らない。日本のスーパー等で一般的に売られている淡水魚といえば、ウナギの他はせいぜいアユやニジマスくらい。こういった雑魚的な川魚が食べられる機会というのは、逆にレアである。実際、ナシ・イワッ・カリについての情報はガイドブックでもネット上にも載っていない。旅行者向けというよりは、ローカルならではのメニューであり、今回の旅の食事で最も印象深い料理となった。
満腹になり、宿へと戻る。
宿は、一般家庭の母屋とは別に宿泊棟がある。宿泊棟には2部屋あり、それぞれダブルベッドが入っている。日本でExpediaで予約し、クレカ払いで1泊1,856円。農村部の民宿なので、都市部の安宿よりも宿泊料が高いが、清潔で良い。部屋にエアコンは無いが、パワフルな高性能の扇風機があるため、暑さは問題無し。
思うに、この地に民宿村ができたのは、プランバナン寺院は観光客を集めて儲かっているけど、そのすぐ近くの農村エリアであるダマンティリに住んでいる人達は、ほとんどその恩恵を受けることはなかったから、集落で民宿群を形成して営むことで少しでも観光客からの収入を得よう、ということではなかろうか? インドネシア人の観光客なら何ら不便はないだろうし、外国人だってバックパッカーならこのレベルの設備の宿なら御の字だ。
ただ、一般の日本人旅行者にはこの宿はちょっとツライかも?とも思う。蚊が多かったのは仕方ないとして、シャワーが常温水のみ(お湯が出ず水シャワーのみ)だったり、宿泊棟の応接スペースにテレビはあるけど映らなかったり、何より場所がわかりづらくて、自力ではここに来れなかったし。
スマホのWi-fiを繋げるため、宿の女将さんらしきおばちゃんがいたのでパスワードを聞いたところ、その際に女将さんが「食べる?」と言って、持っていた菓子パンをくれた。「keju(クジュ)」とのシールが貼ってある。食べるとチーズクリームの入った菓子パンで、事後に調べたらインドネシア語のクジュ=チーズとのこと。この農村地域のどこにこういう自家製的な調理パンを売ってる店があるのかわからんが、まあ、普通のスイーツであった。
今日は疲れた。日に焼けて、くたくたになった。歩き過ぎで身体が攣りそうになり、尻に股ズレの傷ができてヒリヒリと痛んだ。そういや今は雨季なのに、雨に降られなかった。だから16時過ぎまで、モータベチャで動き回ることができた。疲れたが、ある意味ラッキーだった。
宿の周囲には店もないが、明日の朝になれば何か朝食向けの屋台が出るだろうか?と思いつつ、就寝。夜の間には雨が降ったようであった。
続く。