(追記)ソチ銀の絶望から救ったのもまた、ユヅルだったと・・・ | 見上げれば、青空 ~羽生結弦選手に夢を託して~

見上げれば、青空 ~羽生結弦選手に夢を託して~

励まされ、受けとめられて、初めて人は、生きていけるのかな?

コメント、嬉しいです。
励まされないと、何もできない性質なので・・・・。
って、いきなり弱気?

フィギュアスケートの羽生結弦選手を応援しています。

苦しい程に結弦くんが好きな方、ようこそ!

(追記)
Number977号』のパトリック記事は素晴らしいのですが、Web版(NumberWeb)パトリックのインタは全く別物で、髙橋選手がメインの記事です。)
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

夜中にUPした『女性自身捏造記事解説~「新時代の主役は宇野昌磨」→スケ連表彰の前振り?!』では消耗ショック!しちゃったので、
Numberのパトリックの言葉を読み返して、心を立て直してます・・・。

まだお読みでない方は、
書店での立ち読みでも良いので、ぜひぜひぜひ!!


結弦くんの成し遂げた五輪二連覇がなぜ、
ここまで世界のスポーツジャーナリストたちを唸らせるのか、
なぜ、皆が羽生結弦について語りたがるのか、


そして、

なぜ五輪は、これほどに特別なのか、

改めて突き付けられ、

最後には、思いもよらなかった感動的な結末が訪れ、涙が止まらなくなるインタ
です。


ソチ五輪の前のパトリックは世界選手権を3連覇していて、
ジャンプを1個や2個落としても余裕で勝てるほどの絶対王者だった。

なのに・・・ソチ直前のGPFで勝者の座を結弦くんに明け渡すと、

スポナビ3

そのまま「カナダの呪い」を地でいくかのように、
ソチ入りしてからも調子を落とす一方で、

19歳の羽生結弦選手に完敗してしまったのだ。
AFP通信 銀メダルのパトリック・チャン、「カナダの呪い」を否定



(↑この左側の写真も、胸熱・・・えーん リンクサイドで讃え合ってハグした時、見えなかった片手は、実は固く握られていたんだね・・・えーんえーん


結弦くんのコーチ、ブライアンも「カナダの呪い」に取り込まれた選手の一人。1984年、88年と二度も五輪で金メダルを逃し、立ち直るのに何年もかかったと著書で語っている。

ソチ五輪後のパトリックは、もう二度とスケートには戻ってこないんじゃないかと思われるほどに傷ついていた。

このインタの中でも、
「(ソチの)フリー演技が終わった時は、人生最大の失望を感じました。」と語り、

5年経った今、遂に、あの場面でプレッシャーに負けてしまったのが何故だったのかを、語ってくれました。

この辺りも、ただただ、頷きながら読むばかりです。
そうか、そんな言葉を、キャシーが・・。そうだったのか・・・ぐすん

そして・・・
パトリックが1年間休養をとって、競技に戻ってきた時に
何が起こっていたかは、皆が知っている通り。

結弦くんよりも一世代前の選手としてパトリックは語られるようになったけど、

でも!!!!
ソチ後、世界選手権とGPFの優勝を独占した”ゆづハビ”のハビは、実はパトリックと1歳しか年齢は違わなくて、むしろ、
ハビはパトリックの年代の選手。

なのにハビは平昌まで世界トップで戦い続け、
実際に平昌でメダルを掴んだ。

その違いは、何によるものなのか!?

ハビもパトリックと同じように、ソチ五輪では金メダル候補であり
(ソチの前年は、ブライアンも本命はハビだと語っていた)
メダルを逃して激しく落胆したというところも、同じだった。

ハビがどれだけソチの4位という結果に傷つき、だからこそ、どんな色のメダルでも良いから、平昌ではメダルが欲しいと強い願いを抱いていたことは、結弦くんの口からも語られている。

年も近く、ソチ五輪で大きく落胆したということも、同じ。

でも、なぜ、ハビは次の五輪までトップで居続けることができて、かつメダルを取れたのか。

その理由を考えることから、パトリックが逃げていなかったことを、初めて私たちは教えてもらったのではないでしょうか?

パトリックは、初めて、ソチでの敗退(といっても、銀メダルなのだけどね!!)の本当の理由を語り、

そして、そこから得たものを語ってくれました。


休養後に、パトリックは2種目のクワドにも挑戦し、
実際に、試合で成功させ、スケオタたちを沸かせてくれました。

リベンジとなった平昌では、団体に集中し、
もう一人の男子シングル代表のキーガンには滑らせず、
SPもFSもパトリックが一人で滑り切り、そして、念願の五輪金!!!

あの時のパトリックは、本当に嬉しそうだった。
それを見ていた私らも、嬉しかった。

わざわざブログには書かなかったけど、
でも、私はずーっとパトリックを気にかけていたし、
実際、ことあるごとにパトリックを思い出していた。

例えば、美味しいラーメン店を見つける度に、
このラーメンをパトリックに食べさせてあげたいな、また日本に滑りに来てくれないかな?」って心ののパトリックに語り掛けてきた。

パトリックがいなかったら、
ソチで結弦くんが金メダルを取れたかどうかは、
わからない
と思っている。

輝く太陽として、結弦くんの成長を牽引したパトリック。

彼の放つ光が群を抜いて強烈に輝いていたからこそ、
結弦くんは自分の背後にできる影の大きさと形とを、はっきりと掴むことができ、
その影を乗り越えるための努力に繋げることができた。

方向性を示し続けてくれたのは、パトリックだったのだ。


ソチシーズン、
結弦くんがどれだけパトリックの凄さを語っていたか、
パトリックに追いつくために自分がしなければならないことが何なのかを考えつづけていたかを思い出す度に、

どれだけパトリックに感謝したら良いのだろうと、頭が下がる。



そんな戦いを経て、パトリックは、負けた。

激しく落胆し、立ち直れないのではないかとまで、思われた。


だけれども、
それでも競技生活を続け、五輪の出場権を掴んだからこそ、

パトリックの物語は、有終の美を迎えたのだ。


それは、五輪団体金であったかもしれない。

でも、それ以上に、大きなものをパトリックは、掴んだのだ。

というよりも、

平昌五輪を一緒に戦い抜いた時に、

ライバルだった羽生結弦選手から、与えられたのだ。


大きな、大きな救いという形で。


このくだりを読んだ時、ついに、私の涙腺は崩壊し、

しばらく、目を開けることもできなかった。


平昌五輪で、他でもないパトリックに、結弦くんが与えたものは何だったのか。

この部分は、結弦くんにもどうか、読んで欲しい。


結弦くんにとって、パトリックをこのような形で救ったということは、大きな自信となり、誇りとなるに違いないから。



ブライアンにも、伝えたい。
あなたのように、
奪われて与えられた銀メダルで苦しんだパトリックは、
あなたの教え子によって、今度は救われたのだと。

ああ、それが五輪なのだ。



『五輪の借りは五輪でしか返せない』

方々で語られるこの言葉を、
今、改めて噛み締めている。

パトリックがこんなにも美しい形で、彼のスケート人生のフィナーレを語るとは思わなかった。


パトリックに、もう一度お礼を言わせて下さい。

結弦くんの進む道を、照らしてくれて、ありがとう。

最後まで、太陽で居続けてくれて、ありがとう、と。



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