義兄の庭のもみじ
妻の実家である義兄夫妻の家は、鏡ヶ浦を見下ろす高台にあり、和室からは館山城を真近に見上げる
ことが出来る。
義兄は、職を辞してから植木や庭、垣根の手入れに余念が無い。
また、私共がお姉さんと呼ぶ妻は、盆栽の達人である。
即ち、義兄夫妻は絶好なロケイションに住み、ガーデニングを愛し、時折海外旅行に出掛けるという、
何とも羨ましい日々を過ごされているのである。
曇り空の昨日の午後、お姉さんからもみじが身頃になったので見に来ない、との電話が入った。
自転車を走らせて5~6分、庭に入るや大木のもみじがでんと待ち構えていた。
昔からちょくちょくお邪魔しているのだが、紅葉を見たのは初めてで、これはすげ~や!!と思わず口走った。
お茶に呼ばれたリビングでは、その紅葉を目のあたりにする。何とも贅沢である。
芝生にはカインズから買ってきて組み立てたと言う、大きな温室が置かれていた。
秋も終わりである。
南房総の紅葉を訪ねて
11月30日(月)、Uさんが主宰する「遊子の会」のバスツアーに参加する。
南房総の紅葉を訪ねて、と題して志駒川もみじロード~鹿野山神野寺~亀山湖・黒滝を訪れる。
行程はは次の通りであった。
志駒川もみじロード→不動の滝にて天然水を採取→鹿野山神野寺→亀山湖・黒滝→三石山参拝→
「うな陣」で遅めの昼食・懇談→小松寺紅葉のライトアップ→館山カラオケシダックスにて砂払い
今回は館山へUターンした私の為の企画だと言い、Uさんは何度も下見を重ね最高の紅葉スポットを案内し、
車中では訪問先にまつわる事柄を分かり易く話してくれた。
お陰さまで、私は南房総にも素晴らしい紅葉スポットがあることを知り、充実した一日を過ごす事が出来たので
ある。
志駒川もみじロード (富津市)
バスを降りて、皆で志駒川沿いのもみじロードを歩く。
この日は雨の予報の為か、行き交う人に出会うことなし。
時折霧が流れ、”静か~な静かな里の秋”である。
紅葉は実に見事で、南房総にもこんなに綺麗な紅葉スポットがあったのかと、ただただ感心するばかりで
あった。
鹿野山神野寺 (君津市)
神野寺は聖徳太子によって開かれ、徳川家康の庇護を受けて大いに栄えた古刹だという。
葵の紋の入った燈籠を横目に仁王門をくぐると、霧の中に「猩々紅葉」と本堂が現れた。
しばし、境内を巡り、帰りの道で今度は本堂から「猩々紅葉」を眺めたら、その色は鮮やかな真紅で、
その周辺は京都に居るかのようであった。
亀山湖・黒滝 (君津市)
亀山湖の紅葉は車窓からとなったが、その後林道を歩き黒滝へ向かった。
トンネルを抜けると、まもなく黒滝が目に飛び込んできた。
今までとは違った野趣あふれる紅葉がそこにはあったのである。
ブログ再開と同窓会
長らくの休止は、ハードディスクを破損してしまいパソコンが使えなくなってしまった為です。
そこで、Windows7 搭載パソコンの販売開始と私の住む館山市沼地区への光通信の開通を待っていましたが、
それらが揃いましたのでブログを再開します。
ご迷惑をお掛けしましたこと、お詫び致します。
過日、私がUターンしたのがきっかけで、館山小学校6年1組の同窓会を開こうということになった。
卒業してから約54年が過ぎ、かつて20歳の頃一度開催されているので約45年ぶりの再会ということになる。
幹事は館山在住の者4名があたり、打ち合わせの結果私の役目は、案内はがきの発送(男性分)、
集合写真の撮影と幹事代表の挨拶となった。
11月21日(土)、その日はやって来た。暖かくて晴れの申し分のない日和である。
私は会場の部屋の前に立ち、握手で皆さんを迎えた。
あらかじめ幹事同士で、名簿と卒業記念写真の摺り合せをしておいたのだが、誰だか分からない人が
4人もいた。(出席者は恩師を含めて18名)
私は、前もって撮っておいた現在の館山小学校とかつての卒業記念と20歳の頃の同窓会の写真を持参した。
そして、皆さんにいかに大きく変わったかを見て貰った。
大変身の校舎とグランド
挨拶の中で、私はUターンして、数年前に妻を亡くして無気力状態となった人や先日妻を亡くしたばかりの人、
長患いの妻の世話をしている人が居ることを知った。
また、皆さんは色々な事があったりあるかもしれないが、こうして出席出来たということは幸せなのです、と
話した。
そして、そんな幸せな皆さんと波奈寿司のお膳を食べながら懇談し、カラオケに興じて一時を過ごせるのを
嬉しく思います、と結んだ。
一方、恩師のM先生は私の授業に食らいついて来る印象深いクラスだった、と述べられた。
また、皆さんには近況報告をして貰った。
男性は定年前後の仕事の話、女性は介護の苦労話が多かった。
介護が終わり「今は我が世の春」との言葉には身につまされる。
既に4名の方が死亡されており、冒頭黙祷をささげたが、皆さんの話に不健康自慢が少なかったのは、
まだまだ若い証拠だろう。
二次会は目の前にあるカラオケ・シダックス。ここで皆さんが持ち歌を披露、上手なのに驚く。
中でもM先生は三曲も披露。84歳とは思えない堂々とした歌いっぷりは、素晴らしいの一言に尽きる。
かくして同窓会はお開きとなり、私は帰り際に皆さんから良かった、また会いましょう、と言われ幹事の一人と
して満足感に浸ったのである。
沼の里山~2009梅雨明け
関東地方の梅雨明けは、7月14日(火)だった。
翌日の早朝、リビングから館山城を望むと、梅雨明けらしい夏空が広がっていた。
館山城 撮影7月15日早朝
19日(日)、私の住む岡沼地区では「夏なぎ」が実施され、私はそれに初めて参加した。
岡沼地区には30の班があるが、各班毎に共有する場所を清掃するのである。
私の所属する班では、各家庭から一人が6時に集合して、ゴミの収集場所周辺を清掃した。
ドブ掃除と生い茂った草木を取り除く作業が主であった。
その結果、ゴミの収集場所はすっきりし、その後排水路ではさらさらと水が流れている。
どの家庭でも「夏なぎ」の日の前後に、自宅前の道路の草を取ったり、垣根を綺麗に刈り上げたりしている光景が見られた。8月1~2日の館山の祭礼での御神輿渡御に合わせた準備の意味も含んでいるように思える。
梅雨が明けたと言っても、館山では逆戻りしたような雨の日が続いたり、強風が吹きまくる日が多い。
家庭菜園と庭づくり入門者の私は、早く穏やかな夏日になってくれるのを願うばかりである。
今、沼の里山は、稲がすくすくと育ち、緑の絨毯が敷き詰められたようである。
ここでは、つかの間の晴れ間に撮った写真を紹介しよう。(撮影日 7月23日)
お隣さんの庭に咲く花
家庭菜園の師匠である隣組のYさんとSさん宅の庭には、いつも綺麗な花々が咲いている。
今は両家共、ノーゼンガズラの花が幅を利かせている。
私は自由に往来することを許され、勝手に写真を撮らせてもらっているが、今日は何でもありが特徴の
Sさん宅の庭で、最近撮った写真をお見せしよう。
さて、我家の庭と言えば、6月はアジサイに続いてギボウシ・アガパンサス・キキョウが涼しげに咲き、
これらが私のお気に入りであった。
現在のお気に入りは、ハクチョウソウ・ウキツリボク・オミナエシ・モントブレチアで、それらが風に
揺れている様は中々の風情がある。
私はリビングからそれらを飽きることなく眺め、上手くいったな、と一人納得している。
クジャクサボテン 6月1日撮影
ハンゲショウ 6月27日撮影
オニユリ 7月11日撮影
ハイビスカス 7月11日撮影
茂原あじさい屋敷と波の伊八(2)
館山を出発してから一行はバス車中で、主宰者のYUさんから彫物大工波の伊八に係わるレクチャーを
受ける。そこで私は、これから訪れるいすみ市の行元寺と鴨川市の鏡忍寺のことを知る。
YUさんは、準備した資料をもとに、かつてのトップセールスマンの面目躍如たる語りで皆を飽きさせない。
私はと言えば、YUさんの傍らで資料の模造紙を掲げる役、誰にでも出来る。
しかし、レクチャーは大いに勉強になった。ここではYUさんの資料をもとに書き留める。
行元寺(いすみ市)
きらびやかな山門をくぐり本堂に上がり、欄間彫刻「牡丹に錦鶏」を鑑賞する。
それは豪華絢爛で、御用彫師高松又八の遺作で桃山文化を継承したものだという。
続いてガイドの和尚さんより別室に通され、波の伊八の欄間彫刻「波に宝珠」を鑑賞する。
その波は下から見上げた横波で、まさに崩れんとするその一瞬を表現している。
九十九里太東岬付近の波だと言い、実に見事である。
これに葛飾北斎は影響され、世界に誇る名画「神奈川沖浪裏図」が生まれたという。
他に伊八の欄間彫刻「波に鶴」や御用絵師等随作杉戸絵「土岐の鷹」を鑑賞。
行元寺は江戸時代学頭寺に次ぐ学問寺とのことで、このような美術品が残っているようである。
行元寺は必見の寺である。
山門 向拝 獏と唐獅子
鏡忍寺(鴨川市)
鏡忍寺は日蓮聖人の小松原の法難の地に創建された名刹で、若き伊八の作品が見られる寺である。
日蓮聖人の一行が東条景信の一団に襲われた際に
路傍の樹の上に鬼子母神が現れ、危うく難を逃れた
と伝えられる。
仏殿 祖師堂
仁王門をくぐると降神の槙が大きく枝を広げていた。
仏殿とアジサイはよくある光景だが、それ故安らかな気分になる。
4億円かけて再建なったという祖師堂では、若き伊八の「蛙股彫刻」と欄間彫刻「七福神」を鑑賞する。
「七福神」は酒宴を催している。若き住職が言う。「日蓮聖人の法難の地に何故酒宴か??」
確かに不思議である。
最後に波の伊八についてメモしておこう。
伊八は5代(200年)続き、ここに言う波の伊八は初代で、本名は武志伊八郎信由(1751~1824)といい
鴨川に生まれる。
19才 鏡忍寺祖師堂 「蛙股彫刻」でデビュー
28才 鏡忍寺祖師堂 欄間彫刻「七福神」
58才 行元寺 欄間彫刻「波の宝珠」
なお、鏡忍寺仏殿「龍と波」は2代目、柴又帝釈天の彫物は4代目・5代目の作品とのこと。 おわり
沼の里山~アジサイと熊野神社
6月に入り、我家の庭でも隣組のSさんに貰ったアジサイの苗が恰好良く花開いた。
それならばと、沼の里山のアジサイロード(勝手に命名した)へカメラを持って出掛けてみた。
9日(火)のことである。
予想通り農道脇の土手にずらっと青色のアジサイが見事に咲いていた。
土手の上は畑なので、おそらく畑の持主が植えたものであろう。まだ小型の白やピンクのアジサイも
植えられており、それらが育てば素晴らしいアジサイロードになるであろう。
アジサイロード
アジサイロードの少し手前のちょっと奥まった所に紅白のアジサイが見えた。
アジサイに誘われて坂を登ったところ、そこは熊野神社の参道であることに気付く。
鳥居をくぐると洞穴に出くわし、その中には祠があった。祠をのぞくと木製の仏像の座像があった。
腰からぶらさがっている名札(?)には「熊野那智大神」とある。
和歌山県の熊野那智大社と関係がありそうである。となると神仏習合の熊野権現ということだろうか?
石碑を見ると、ここは地元では「おくまんさま」と言うようである。
静寂な参道は神道の雰囲気が一杯である。振り返ったら里山の光景がぱっと目に飛び込んで来た。
私にとっては想定外の嬉しい発見であった。
沼の里山 : 熊野神社参道からの眺め
紅白のアジサイ : 熊野神社参道
ジャガイモの収穫
6月1日(月)、東京からやって来た娘夫婦に持たせる為、ジャガイモを掘ってみた。
中々の出来栄えである。そこで、翌日師匠役の隣組のYさんとSさんに献上する為に再び掘った。
1株当り5~6個のイモが付いている。師匠からは大きさ、味ともに合格点を貰う。
収穫の適期は茎葉が黄色になってきたら、とのことなので梅雨入り前の8日(月)曇り空の朝、
妻との共同作業で4棹(列)全てを掘り起こした。
株元にスコップを入れてから、茎を持って掘り上げると5~6個の良型のジャガイモが現れる。
これがしばらく続くので魚を釣上げた時に似た嬉しい気分になる。豊作である!!
掘り上げたジャガイモは午前中日陰に放置して表面を乾かした後、カゴに収納。
それから1週間、日陰の風通しの良い場所で乾かし、収穫作業は終了した。
栽培記録によれば、3月18日の種イモの植え付けから、およそ1ヶ月後の芽かき・追肥・土寄せ、
およそ50日後花芽の確認と2回目の追肥、続いて花が咲き出してから1ヶ月後即ち植え付けから82日後の
6月8日に収穫に至ったということである。
収穫したイモの中には、孫のような小さな物もある。それらはふかして塩を付けて食べたら中々美味しい。
これと素揚げ(フライドポテト)が一番新ジャガの味が濃く感じる。
その後、様々な形で採れ立てのジャガイモが食卓に上がる。ポテトサラダ・肉ジャガ・カレー・味噌汁・天ぷら
等である。魚と同様、自分で作った物は2倍美味しい!!
我々夫婦は上機嫌で娘夫婦と師匠の他に親戚や友人に差し上げた。指折りしたら9人にもなった。
かくして、初めてのジャガイモづくりは成功したのである。
平砂浦海岸
5月31日(日)の夜遅く、娘夫婦が東京からサーフィンボードを持ってやって来た。
翌朝早く、私と娘婿はそれぞれ釣りとサーフィンをやろうと平砂浦海岸へ向った。
5時半頃、館山ファミリーパーク前の平砂浦海岸の浜辺に立つ。
サーファーはまだ見えず、ルアーの釣り人が点々と立ち盛んに竿を振っている。
何をねらっているのだろうか? 釣れている様子はない。
私は遠投してシロギスをねらうつもりだったが、私の出で立ちでは濡れてしまうので釣りは諦めて
写真と自然観察に切り替えた。
砂浜ではシロチドリが足早に歩き廻る姿が可愛らしい。
私は砂浜から土手に上がってみた。土手の内側は松の防砂林が広がっている。
砂地の土手際ではハマヒルガオ・コマツヨイグサ・コウボウムギの群生が見られる。
巴川に向って進むと変わった植物に出合う。後でハマボウフウだと分かった。
この花が目立ち始めると浜辺にも夏到来ということらしい。
ハマヒルガオ ハマボウフウ
一方、娘婿は同じく波を求めて南房パラダイス下の巴川まで海上を移動する。
しかし、この日は波の立ち方が弱く、2~3回位しか波の上に立てなかったと言う。
私はコンパクトデジカメを持参した為、サーファーの雄姿を捉えることが出来ず残念な思いをした。
でも、平砂浦海岸は釣りと写真と自然観察に絶好な場所であることが分かったので、再度挑戦したい。






































