恐竜ティラノサウルス「スー(Sue)」に家族がいた?
先年はありがとうございました。
また、エジプト旅行の紀行冊子もいただき、感謝しております。きょうは、しばらくぶりに、あなた宛の手紙を書きます。
――生命の誕生というロマンティックな物語を考えることは、楽しいことです。若い人たちとおしゃべりするとき、こういうロマンティックな話をします。もとより、アメーバーの話なんかしても、おもしろくありませんから、ぼくは恐竜の話をします。
人間がもし、恐竜と出会っていたら、果たしてどうなっていただろうかというような話です。考えるだけでもわくわくしませんか。
現代科学の多様な部門のひとつに、地球上の過去の生物を研究する古生物学という分野の学問があります。なかでも、最も興味をそそられるのは、恐竜の研究ではないでしょうか。
きょうは、その話をしたいと思います。
「スー」と人間の比較。
スーsueを横から見たところ
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東京藝大の若い男たちを相手に、恐竜の話と、縄文人の話をしました。若いふたりは、ともに大学院に合格し、より専門的な油彩画の実技に研きをかけているそうですね。話題は生物学の話になり、生命科学の話におよび、生物・植物の分類法の話になりました。
その話をします。
生物の命名の体系としてひろく受け入れられているものに、スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネが考案した分類法というのがあります。彼の「植物の種」という本に由来して、その後、古生物学の分類法が確立されました。
リンネの説は、自然界を階層的に分類した頂上近くに「界」を置き、そこからの階層ピラミッドがより具体的なタイプへとひろがっていくのが特徴で、その界の下に、門、綱、目(もく)、科、属、種とつらなっていきます。われわれ人間は、生物というエンパイア(帝国)の真核生物のドメイン(領域)の、動物界の脊索動物門、脊椎動物亜門、四肢上綱、哺乳綱、真獣亜綱、霊長類、真猿亜目、狭鼻下目、ヒト上科、ヒト科のヒト属(ホモ)、ヒト(サピエンス)という種に分類されています。
初期のヒト科のヒト属が誕生したのは、新生代の鮮新世と呼ばれる時代で、いまから500万年前です。
恐竜が出現したのは、中生代の三畳紀で、いまから2億5000万年前。恐竜がつぎつぎにあらわれ、1億6000万年ものあいだ、地球上をわがもの顔でのし歩いていたのは白亜紀で、恐竜が絶滅したのは白亜紀の末期、いまから6000万年前といわれています。
ところが、170年前、ふたたびこの世に恐竜たちが甦りました。
つぎつぎに発見された化石から骨格が組み立てられ、科学者によって筋肉がつけられ、内臓が組み込まれて生き返りました。何を食べていたのか、どうやって子供を育てていたのか、どのような生活をしていたのか、謎にみちた恐竜探検物語がはじまったのです。
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ヒトが誕生するはるかむかしに恐竜時代を迎えていたわけです。
恐竜とヒトが出会わなかったのは、果たして幸運なことなのか、そうでないのかは分かりません。ヒトは、たった500万年むかしに地球上に誕生したことになっています。
恐竜は、古生物学の代表的な動物です。
古生物学という学問が生まれるまえは、恐竜とはいわずに「爬虫類」の一種でした。この学問はたった170年の歴史しかありません。
当時の恐竜は、爬虫類の骨格に、トカゲの化け物のような顔を乗せた生き物と思われていました。現代の恐竜にかんする最高権威は、イギリスの科学者デビッド・ランバートという人です。
1993年にイギリスで出版された「ビジュアル・ディクショナリー・恐竜」(全10巻)は、恐竜にかんする集大成といっていいシリーズ本です。
一般にイメージされる恐竜像は、現生の爬虫類のうち、もっとも巨大で、頭がわるく、のろまなものの代表で、「先史タイプ」と呼ばれるものだったでしょう。たしかにあるものは巨大なクジラのようにからだが長くて、重い。
けれども、ニワトリより小さな恐竜もダチョウより機敏で、ウマのように速く走る恐竜もいました。
2足歩行や4足歩行をしたり、カギ爪、ひづめ、牙をもっていたり、歯がなかったりといろいろです。あるものはクチバシをもっています。
彼らはじっさい、哺乳類とおなじくらい多様性のあるグループをつくり、哺乳類よりもはるかに繁栄して、約1億6500万年間も生きつづけました。
人間がこの恐竜と最初に出会ったのは、1787年のことです。
ニュージャージー州グロスター郡の山中で、大腿骨(サイボーン)が発見されています。巨大な骨です。
この発見は、フィラデルフィアのアメリカ哲学会に提出されました。
しかし、いったい何の骨なのか、見当もつきませんでした。
あいにく、この発見は公表されなかったので、化石標本はその後行方不明になりました。おそらく、カモのようなくちばしを持った恐竜の骨だったろうと考える根拠が、その論文には残されているそうです。発見した場所が、これまでにさまざまなハドロサウルス類の骨が出たニュージャージー州沿岸の平野部は、白亜紀後期の堆積物のなかだったからです。
田中幸光 2018年の市展会場にて
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古生物学の恐竜研究がはじまったのは、このときからです。
――恐竜の話など、興味のない人にはまったくどうでもいい話です。
人類よりも、ずっと長く、1億6500万年間も地球上に繁栄したという歴史的事実は動かしがたく、とても驚くべきことです。
彼らはわれわれに、きっと何かを語っているに違いありません。これから余生を送ろうというわれわれに、果たしてどういうものを伝えようとしているのか、ぼくにはたいへん興味があります。
知られるように、古生物学を専攻する学者の多くは、もともとは地質学者です。地球の古い地質を研究する科学者たちです。
どういうわけか、地質研究とあいまって、恐竜の発見・研究をおこなうようになりました。
ロンドンでは、炭鉱の坑内の発掘作業中に化石化された恐竜の骨が発見されたり、山中の地層の割れ目から、恐竜の化石が発見されたりしています。
モンタナ州ビリングスというところで、ヘル・クリーク層の露頭部があり、おびただしい恐竜の骨が採集されました。
白亜紀後期の層準を示すところです。
また、コネチカット渓谷の赤色砂岩中にも骨が発見され、これが三畳紀の恐竜のアンキサウルスの骨と鑑定されました。発見されたときは、その化石の重大性は認められなくても、現在では恐竜発見の最初のものと目される化石群のなかへ記録されるようになっています。
化石の記録で示される歴史の中期。――つまり中生代は、3つに区分されています。古いほうから三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の3つです。
河川、湖沼、海岸に蓄積した恐竜の化石が埋められた堆積物は、現在では、砂岩、頁岩(けつがん)、石灰岩などの岩石となって残っています。恐竜の化石の骨は、これらの三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の岩から発見されています。
この当時、世界のほかの場所で発見はされたものの、記録されなかったために、後世には知るよしもない恐竜の骨もたくさんあったに違いありません。しかし、恐竜の最初の発見と記載ということになると、イギリス人、――とくにウィリアム・バックランド司祭と、ギデオン・マンテル博士があげられます。聖職者でオクスフォード大学教授のバックランドと、イングランド南部の開業医マンテルのふたりは、恐竜について最初の発見と記載を成し遂げた人たちです。
ふたりは、もともと科学の新分野における先駆者でした。
ふたりは、科学がまだ形式的なものにすぎなかった時代に生きました。先駆者であったために、すべてが未知でした。すべてが未知であったけれど、はかりしれない広がりをもつ過去の世界を、現代人に開いて見せてくれたわけです。
その後、この分野はかぞえきれないほどの科学者の興味を惹き、全世界の数100万の人びとの好奇心を呼び起こしました。
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ウィリアム・バックランドは、聖職者であり、地質学者であり、宗教家と科学者というふたつの職をかねていて、その興味の対象はめざましいほど多岐にわたっています。このような兼業者は、19世紀では格別めずらしくないようです。床屋と外科医をかねているようなものです。腕を折ったり、瀉血をするために訪れるところは、床屋でした。床屋が外科医を兼業していたからです。
その意味で、床屋のサインポールは、白、赤、青の帯となっています。
白は包帯、赤は動脈、青は静脈をあらわします。もともとは外科医の看板でした。それが現在、世界中の床屋さんで見られるサインポールとなっています。
ウィリアム・バックランドは、まだ幼い年齢で、オクスフォード大学専門部に入学し、文学士の学位を取ります。化学、鉱物学、とくにイギリスの先史地質を研究し、とりわけ海に囲まれた島の堆積岩の発達と順序、これらの岩に含まれる化石の研究に没頭します。
29歳で、オクスフォード大学の鉱物学教授になります。やがて彼は大英博物館の評議員に任命され、イギリス地質学会の会長になります。
ウィリアム・バックランドのすばらしい経歴を、ただ読むだけでは、彼がどんな人物だったのかよく分かりません。
さぞかし堂々として押し出しがよく、かっぷくもよくて、上品で正直そうな人柄、身分にふさわしい振る舞いをする紳士であったと想像されるに違いありません。
ところが、彼はそういう平凡な人物ではありませんでした。
バックランドは、亡くなるまで司祭でもありましたが、とても愛嬌のある、変わった人物のひとりでした。バックランドの伝記を読むと、みずから並外れたことをやってのけようと志し、司祭は、どこへ行こうと、行くさきざきで奇妙な出来事が起こりました。
その話をすると、テーマから脱線しますので止めますが、バックランドが最初に書いた論文は、「洪積世化石、すなわち世界的な氾濫現象を立証する洞穴、裂け目および洪積世砂礫中に存在する生物遺骸の考察」というものです。
ずいぶん長ったらしい表題です。
そしてつぎに、「地質学と鉱物学」という本を書き、「天地創造で明らかにされている神の力と叡智と善意」を示すために書かれた他の本とともに、多くの読者に読まれ、バックランドの名を一躍有名にします。
彼は一般人にもひろく読まれることを想定し、分かりやすい文章で書いています。イングランドで発見された更新紀、――つまり、氷河時代の化石哺乳類、石英、イギリス諸地方の地質学、イングランド南部の中生代岩石中にあった爬虫類の化石などについて詳細な論文を展開しています。
とくに化石爬虫類の中心的な研究である《恐竜》については、バックランドの数々ある業績のなかで、もっとも輝かしい業績です。メガロサウルスについての記載は、とても重要です。
この発見と記載は、ロンドン地質学会の会報に、「メガロサウルス、すなわちストーンズ・フィールドにおける巨大な化石トカゲに関する報告」と題されて発表されました。
バックランドは、メガロサウルスを、「トカゲ目(もく)」に分類してから、この絶滅したトカゲの巨大さを計算して、とうぜんのことながら驚きます。
この巨大なトカゲの寸法をふつうのトカゲ科の標準に比較して、その大腿骨をくっつけた持主は、40フィートを超える全長で、背丈は7フィートの象に匹敵する図体を持っているだろうと分析したのは、比較解剖学者のジョルジュ・キュヴィエという人でした。
メガロサウルスが、古生物学界に誕生するために一役買って出たのは、この比較解剖学者でした。彼は、この恐竜が生きていたときは、全長40フィートぐらいあり、中程度の象とおなじぐらいの体重があったと結論づけました。
当時、別の場所で、ギデオン・マンテルがイースト・サセックス州の森林のなかで発見したという、恐竜の大腿骨らしきものを1本持っていることを思い出し、もしも完全なものならば、それは現存する最大の象の大腿骨の大きさに匹敵するだろうと考えました。
メガロサウルスの刃(やいば)のような歯は、トカゲのように顎の骨についているのではなく、ヒトの歯のように、歯槽から飛び出していました。
バックランドは、この歯の特長が大いに気に入りました。
ワニのような歯槽から出た歯をもつ巨大な爬虫類でしたが、ワニでもなかった。――つまり、メガロサウルスは、それまでに考えてもみなかった、なにか新しい爬虫類でした。
この事実は、バックランドがだいぶ年をとってから、科学の世界のみならず、全世界中の注目の的となり、巨大な生き物が、かつて地球上に生きていたという衝撃をもたらしました。
メガロサウルスはたしかに恐竜の1属です。
科学的に記述すれば、動物でも植物でも、また化石でも現生でも、すべて属と種をいっしょに併記されます。たとえば、メガロサウルス・キュヴィエリ、メガロサウルス・インシグニスというふうに。――種は属に、属は科に、科は目に、目は綱に、綱は門に包含されます。大きさの順にふえていく分類法です。
そういうことで、開業医のギデオン・マンテルとともに、古生物学のスタートを切ったバックランドは、この分野を切り開いた先駆者といわれています。いまでは、かなりすすみ、恐竜の年代を特定するまでになりました。
さて、どこまですすんでいるかといいますと、……。
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科学者は、想像力との戦いができる人、というイメージがあります。
未知の世界をひとつひとつ確証して歩く孤独な作業です。ところが、《恐竜》という謎めいた古生物学となりますと、ひとり地質学者だけでは手に負えない代物です。文化人類学者まで動員して、恐竜の家族社会を展開する奇妙な学者があらわれました。
なぜなら、恐竜の脚の骨が骨折し、自然治癒していることが発見されたからです。
肉食恐竜にとって、大腿部の骨が骨折することは、死を意味します。
食料を手に入れることができないからです。
それでも、生きていたということは、恐竜には家族がいたという証拠です。家族社会を形成していたという新しい説が、さいきん浮上してきました。
その代表的な化石は、白亜紀中期に生きたティラノサウルスです。
恐竜のなかでもっとも巨大なもので、化石ハンターで発見者のスーザン・ヘンドリック女史の名にちなんで「スー(sue)」と名づけられました。15年ほど前、NHKでもヘンドリック女史のドキュメンタリー番組が放送されました。――彼女には、家族がいたという説です。
食料を運んできてくれる家族がいた。ティラノサウルスは、その後何年も生き抜き、最後は、顎の骨を噛み砕かれて死にました。
ところで、この「~サウルス」ということばは、「爬虫類」という意味です。
ここまで分かると、なんだか彼らの世界の物語が見えてきそうです。
そのころ、地球上には恐竜たちがうようよいたことが想像されます。その恐竜が世代交代を遂げながら、1億6500万年間も地球上に繁栄の時代を築いたというのは、じつに驚くべきことです。