ガリレオの宇宙観。第二の聖書の話。

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リレオの宙観。


 ガリレオ・ガリレイ。

  先日、ぼくは柄にもなく宇宙物理学の話をするものですから、毎週対談している青年は、「おもしろいです!」というのです。ビデオ撮影がおわってから、ぼくはガリレオの話をしました。そして、W・チャーチルの話をしました。すると彼は、

「ちょっと待ってください。……さっきのガリレオの話のつづきを、……」というので、ふたたびガリレオの「指」の話をしてから、彼の宇宙観というのをおしゃべりしました。ぼくは、チャーチルとEUの話をしたかったのです。

「欧州の国々と民族が団結すれば、歴史と文化を共にする4億の民が、繁栄と名声、幸福を手にすることができる」と、ウィンストン・チャーチルはいったのです。大戦後、欧州統合の夢を最初に語ったのは1946年9月で、彼はチューリッヒで語ったわけです。そのころ、《英語支配》を嫌ったフランスは、のちの欧州連合(EU)では英語を公用語にすることにずーっと反対しました。英語が公用語になったのは1995年のことでした。その話をぼくはしたかったわけです。

さて、ガリレオ・ガリレイといえば、近代科学の父とも呼ばれ、文字どおり、近代科学を生み出すうえで最大の貢献をしたひとりです。彼は16世紀から17世紀にかけてイタリアで活躍しました。彼が書いたもののなかでは「天文対話」という著書がいちばん知られています。

当時は、コペルニクスの地動説が出てから80年以上もたってはいましたが、地動説は、まだ一般的には受け入れられず、大学でも教えられていませんでした。というよりも、地動説は、キリスト教の信仰の上から、むしろ邪悪な思想とさえ見られていました。

が、今日みる《聖書》の解釈では、けっして矛盾するものでないことがすでに証明されており、その手がかりのひとつを、ガリレオ自身の書いた文章のなかに求めることができます。その部分を引用してみます。

 

哲学は、宇宙というこの壮大な書物のなかに書かれている。この書物は、いつもわれわれの目のまえに開かれている。しかし、まずそのことばを学び、それが書かれている文字が読めるようになるのでなければ、この書物を理解することができない。それは数学のことばで書かれているのであって、その文字は、三角形、円、その他の幾何学的図形である。これらなしには、人間はその一語たりとも理解することができない。これらなしには、人は暗い迷宮のなかをさまようばかりである。

ガリレオ・ガリレイ「天文対話」より

 

つまり、宇宙というものは、ひとつの書物であって、ぼくらはその知識を読み取ることができるというわけです。しかも、それは数学のことばで書かれた書物であるといっているわけです。まず数学を学んで、数学のことばで読み取るのでなければ、この宇宙という書物を理解することができないと書かれています。ガリレオは、そういうことをここでいおうとしているわけです。

「哲学は宇宙という壮大な書物のなかに書かれている」と書きはじめていますが、ここでいう「哲学」ということばは、「知識一般」をさしているでしょうし、この場合は特に「自然科学」、――つまり、今日のことばでいえば宇宙をふくむ「自然科学」にあたるものを意味しているとおもわれます。

その宇宙は書物であり、その自然科学的な知識を、人間は読み取ることができるのだといっているわけです。まず、宇宙をこのように書物になぞらえていることは、いいかえれば、宇宙は、研究すればするほど、そこに確かな意味を読み取ることができるというわけです。

ガリレオは、そのように宇宙を見ていました。

宇宙についてまだわかっていなかった時代に、あらかじめ宇宙を、または自然を読み取る書物であるというものの見方、そういうベクトルを持ったことは大きな前進であったとおもいます。それはガリレオにとって明らかだったからこそ、そういい得たわけです。この見方なしには近代科学は決して生まれてこなかったといわなければならないでしょう。

もっとも、このような知的活動は、近代になってはじめて開始されたのではなく、中世以来ずっと、ヨーロッパの学者たちは、この謎めいた宇宙という書物、また自然という書物を読み取ろうと努めてきたわけです。

中世の学者たちは、アリストテレスの哲学にしたがって読み取ろうとしてきたわけです。つまり、アリストテレスのいう「形相因」とか「目的因」とか、そういう考えにしたがってさまざまな諸現象を理解しようとしてきたわけですが、そこには間違いがあることをだんだんと知るようになります。

ここでちょっと実例をあげてみます。

物体の落下という現象では、重い物体が次第にスピードを増しながら下に落ちていきますが、アリストテレスの哲学にしたがうと、重い物体の本来の場所は地球の中心部にあるので、そこに向かって物体が落下していく、そう考えました。つまり、本来の場所にもどっていくという考え方です。ちょうど、旅人が故郷に帰っていくように急ぎ足で目的地に向かって落下していく、そう考えたようです。

これにたいしてガリレオは、おもしろいことに、まさに数学のことばで物体の落下を読み取ろうとしています。彼は、落ちはじめてから単位時間ごとに通過する距離を1、3、5、7、という比を用いて計算しました。いずれも1にはじまる奇数の比になることを発見しています。

物体の落下する距離は、「落下時間の2乗に比例する」という有名な法則を発見したわけです。

物を投げたとき、その物体がえがく曲線が数学的な放物線(パラボラ)になるということもわかったわけです。おなじ宇宙、あるいは自然という書物を読み取る場合、アリストテレス的な読み取り方と、ガリレオ的な数学のことばで読み取ろうとする方法とのあいだには、たいへん大きな違いがあり、それが近代科学を生み出すうえで決定的な違いとなっていきます。

宇宙を数学的に読み取るという考えは、じつはギリシャ時代のピュタゴラスやプラトンの思想に由来しています。そしてそれは、中世初期のキリスト教とが結びついて生まれたものです。

それまでは、アリストテレス的な考え方が支配的でしたが、そんななかにあって、近代のはじめごろから、このピュタゴラスやプラトンの思想とキリスト教の思想が結びついて「新プラトン主義」という名前で呼ばれる考え方の人びとがあらわれ、コペルニクス、ケプラー、ニュートンという、あたらしい宇宙論を展開する人たちが出現しました。

その根底には、この世界は神によって「数学的なものとして造られた」という考えがつよく働いていました。この新プラトン主義を標榜する人たちによって、従来のアリストテレス的な自然哲学を超えて、近代科学が生まれていったことは、たいへん意味ぶかいことです。 ぼくが、まず最初に考えたいのは、このガリレオです。

ガリレオのことば――宇宙は書物であって、それには数学のことばで書かれているという考えは、当時の人びとはもちろん、現代の人びともびっくりするくらい強いインパクトを持っています。

 さて、ガリレオがここでいっている「書物」とは、いったい何だろうかといいますと、ぼくには、おそらく「聖書」であったろうとおもわれます。

この時代に書物のことを英語でいえば「book」といい、「聖書」を英語でいえば大文字で書いた「Book」といっていました。「ザ・ブック」といえば、いまでも「聖書」を意味します。ですから、ガリレオは「この書物はいつもわれわれの目のまえに開かれている」と書いたわけです。

教会に行くと、いまもむかしもぼくらの目のまえに大判の「聖書」が開かれているからです。宇宙という書物もわれわれの目のまえに大きく開かれており、ガリレオは、聖書を見るとき、まさにそこには宇宙が広がっているように見えたのではないでしょうか。

しかも、教会にある「聖書」はラテン語で書かれ、まずラテン語を勉強してラテン語がわかるようにしなければ、宇宙を読み取ることができない、そういっているように見えます。

したがって、宇宙という書物もわれわれの目のまえに開かれてはいるけれど、数学のことばで書かれているために、数学のことばを勉強しなければならない、彼は、そういっているのだとおもいます。

ガリレオは、宇宙を「聖書」とのアナロジーで、いわば《第二の聖書》のように見えていただろうおもいます。「聖書」が神のことばでできているように、この宇宙は、神の創造の業(ごう)をあらわしていて、そこにはわれわれは神の知恵を読み取ることができ、それを読み取って人びとに神の偉大さを示すことができる、そういうふうに考えたわけです。

こういう考えは、当時のキリスト者にさえも、なかなか理解されず、ガリレオを異端視する傾向がありました。神に背く行為であると彼を弾圧したわけです。

ところが彼の書いた文章を仔細に読んでいくと、右のようにちゃんと神の存在を大きくとらえ、神のことばを知るために宇宙を考えていたことがわかります。これは、すばらしい発見です。ガリレオにかぎらず、ケプラーやニュートン、パスカルにもしばしば認められます。アインシュタインやボーアにすら見られます。

科学とキリスト教について書かれた書物も、じつにたくさんありますが、数学や物理学――さいきんの学問でいえば、量子力学においてもアインシュタイン、ボーア、ゲーデルなどによって、神への信仰の証のひとつとして、神のことばを使っていろいろ発見していったことがわかっています。のちに機会がありましたら詳しく述べることにしますが、特に「超数学」と呼ばれる最先端の数学においてさえも、キリスト教の神に触れられています。

ガリレオの「天文対話」は、めずらしくラテン語では書かれていません。イタリア語の方言で書かれています。それは、多くの人びとに読んでほしいと考えたからでしょう。教会ではラテン語が使われていましたが、信仰を持たない人びとにも知ってほしいとおもったに違いありません。したがって彼は、イタリア語で書いたために、この「天文対話」は、今日、イタリア文学の古典の一冊として、高い地位を得ています。

彼にとって、「聖書」は文字どおり《第一の聖書》であり、彼の「天文対話」は、目のまえに開かれている《第二の聖書》を忠実に再現した書物、そういえるかもしれません。

その後ラテン語の「聖書」は、イギリスではジェームズ一世によって、ドイツではルターによって、それぞれ英語とドイツ語に翻訳されました。これもガリレオの《第二の聖書》をつくっていったこととどこかで関連しているのかもしれません。