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恵翠(けいすい)書道教室

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早起きして、自分への一日の指示書を書く。後は指示書通りに頑張るだけ。

 

やってみると、時間効率がとても良くなるので、時間が増えた感じさえする。

 

時間が余ったら瞑想を楽しみたい。朝に瞑想を持ってくると、イマジネーションに振り回されて大きく時間を失ってしまうので注意が必要である。

 

 

 

 

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呆れる程に美しい人がいる。でも、その人がどんなにマメにお手入れに励んでいたとしても、その美しさは、その人のものではない。その人の美しさは、ただくじに当たったようなもの。そう考えると、美しい人は私でもあり、醜い人も私なのである。最も重要なことは、神からの賜物として与えられた魂をいかに自分のものとして育てられるかなのである。肉体と違い、魂は、その人のものとみなされる。肉体は死ぬと朽ちるだけのものだが、魂の修業は死んでからも続くからだ。肉体は悪魔の誘惑を受けやすいが、魂は心が神に向いていないとレベルアップしていかない。あまりに多くの人がそのことに気付かずに、肉体にばかり心が向いている。死後、魂の修業の旅を続けられる人は少なく。多くの人は地獄の火の中に投げ入れられると聖書には記されている(同じく魂の進化について追及する輪廻転生説を信じている人と意見の分かれるところである)。キリストの贖いとは、単に救いを意味するのではない。何度でも良くなるためのチャレンジの出来ることを示している。神は、良くなろうと努力する者を愛しておられるのだ。そして、良くなるとは、神の愛を身に付ける者になるという意味なのである。

 

と、書いたものの、キリストの教えも一つの哲学と考えるべきであると思う。あらゆる宗教を哲学の一つと考えるのなら、私たちは豊かに学ぶことができるからだ。宗教と考えると、宗教に縛られて他の価値観を学ぶことができなくなる。自分たちだけが正しいと錯覚をしてしまう。今生きている者たちは、平和の世紀を創り出す者とならなければならない。そのためには、宗教を哲学と捉えていかなくてはならないのだ。でないと、戦争の時代は終わらないことだろう。このことで子供たちへの教育は大きく進化していくことだろう。いずれ、長い時代を経て、良い価値観は残り、間違った価値観は廃れていくことだろう。上記に書いた私の捉え方も、正しいかどうかはわからない。ただ、私にとってモチベーションになっている哲学なのである。魂の旅を続けていくために…

 

 

 

 

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人間は、光の天使を目指して進化(転生)している存在である。自然は、人間を守っている(転生している)存在である。人間は知性を持っているが、犬や猫は知性を持っていない。犬や猫は、そして昆虫に至る生物は、植物同様に人間を守っている側なのである。

人間が犬や猫と触れ合って癒されるのは自然に触れ合っているからなのだ。

人間は、光の天使に近い存在の人と、光の天使に遠い存在の人がいる。光の天使に近い人は善に生きる傾向が強く、光の天使に遠い人は悪に生きる傾向が強い。

もし、宇宙人が存在すると仮定する。彼らは、知性を持っていない自然の側の存在ではなく、光の天使を目指して進化すべき存在と言える。しかし、何らかの不幸な状況により、自然を失った状態で生き続けている存在ともいえる。彼らは、光の天使に近い存在なのか、遠い存在なのか?

自然を失った彼らは、光の天使に遠い存在と言えるように思うのだ。つまり悪の傾向が強くなっている。彼らが、光の天使に近い存在になるためには、自然と共存した生き方をしなくてはならない。

人間の歴史の中に、イエス・キリストを通して愛という概念が入ってきた。フリーメイソンを通して、自由という概念が入ってきた。しかし、自由とは、愛と強く関わらなければ、自然を破壊する方向性をもたらすのだ。人は自由を用いて、自然を破壊し開発を進めてきた。テクノロジーを発達させて、人間本来の能力を超える可能性を追求するようになった。

これは、私たちが宇宙人と同様の歩みをするようになったことを意味する。つまり、自然を失った存在になろうとしているのだ。

人間が、光の天使に近づくためには、自然を大切にしなくてはならない。仮に将来、人類が火星に住むとするなら、火星に地球に近い自然環境を作り出す必要があるだろう。もし、そういった自然環境が得られないところで生き続けるとするのなら、人間は宇宙人と化し、光の天使と遠い存在になってしまうだろう。自然と切り離されては、人はより良い進化が得られないのだ。

さて、もし宇宙人が存在するとするならば、地球の自然と共存できる存在なのだろうか。もし地球の自然と共存できる存在ならば、彼らは光の天使に近い存在になれるのだ。知能の発達した彼らのことだから、そういった方法を見出すことは可能なことだろう。彼らにとって一番必要なのは自然なのだ。

彼らは、人間を滅ぼして、地球の自然を獲得するのか、人間と共存して地球の自然を獲得するのか、そこが問題になって来るのだろう。

さて、そんな宇宙人を軽蔑してはいけない。人間の中にも、光の天使に遠い存在の人がいるからだ。テクノロジーを発達させても、自然を忘れてはいけない。そうなると、私たちは宇宙人と対話し、お互いに学び合う場を設けなくてはならないのだろう。

人間の歴史の中に、愛と自由が大きな影響を与えて来たことを前に話したが、3番目の大きな流れとは平和である。人類は、未だ平和が得られていない。日本では、敗戦後70年間、奇跡的な平和を体験してきた。ある意味、鎖国を敷いていた江戸時代も平和な時代だったのかもしれない。ただ、差別社会であった故、70年間の平和とは大きく異なる。

その平和を保つことも難しくなってきた。中国の台頭し世界第二位の経済大国となったことで、その平和が危機的状況となってきているのだ。宗教なき中国は、お金と物質主義が正義となっており、平和という概念を見失ってしまっているのである。日本は、憲法を改正し、自国を守るため核配備する必要があり、危険極まりない原発を再稼働させなくてはならないのだ(中国が、日本の石油の輸送ルートを封じようとする動きがあることと、中国には国連での拒否権があること、極端な節電が失業者を増やすこと)。それは悲しい現実ではあるが、それだけに私たちは今、次の世代に向けて、具体的な平和目標を描き取り組まなくてはならないのである。

国同士で争う概念を無くさなくては、この地球の自然は守られない。人類は国という概念を捨て、平和に生きる政治システムを構築する必要がある。そのためには、教育が重要で、紛争の元となりやすい民族主義を無くするには、情報システムとしてのインターネットも重要なのかもしれない。IT技術は、犯罪を徹底的に排除させるシステムを生み出し、人間を良心に向ける可能性も持っている。逆に、自然を破壊する方向性には厳しくなる必要があるのだと思う。

人類は、ようやくここに来て、平和を創り出せる時代に到達しつつあるように感じられる。テロに悩まされてはいるが、これも世界中の人の心を平和に向けるために重要なのかもしれない。そこで、重要になってくるのが全世界共通の教育である。人類を光の天使へと導く教育が必要なのである。そいう教育がなされてようになるには、数百年、いや千年も時間を要するのかもしれない。

数十年で到達させようとすると宗教対立とかが起こり多くの犠牲者を出すが、数百年や千年掛けるならば、出来るところから少しずつ改善されていくので一人の犠牲者も出さないからだ。宗教という概念も無くなっていくと考えられるが、それはずっと先のこと。つまり、知性に乏しく悪の傾向の強い人間が多いゆえ、まだまだ宗教の役割は大きいと言える。つまり、千年後の平和な世界に向かっての第一歩を踏み出す時が来ているのである。

宇宙の法則は、私たちの魂の進化を望んでいる。巨大隕石が地球に衝突するのなら人類は瞬く間に根絶やしになってしまう可能性はあるのだが、宇宙の法則は、私たちの魂の進化のために強力に守ってくれることだろう。私たちが、宇宙をさまよう難民(宇宙人)にならないためにも、地球の自然を守り、光の天使に近づく人生を送っていきたいものである。

宇宙の法則は、私たちの魂の進化をのぞんでいる。もし、ユダヤ人達だけが生き残り、他の人間たちは何らかの形で殺されたとする。ユダヤ人の次の子孫に生まれ変わるのは、ユダヤ人の魂だけなのだろうか?

宇宙の法則は、すべての魂に進化のチャンスを与えることだろう。優生学は、ほとんど意味をなさないことになる。本来、必要の無い人間などいないのだ。

いつの日か、宇宙人も含むすべての人間たちが進化の過程を終えて光の天使となり、神の世界(高次元の世界)へと導かれていくことを信じたい。

自然を愛し、自然を守ること。そこに基づく良心を育てること。これこそが、宇宙の法則が私たちに強く望んでいるメッセージなのだと思うのだ。

「平和」を得られていない人類は、まだスタート地点にさえ到達していない存在なのである。




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輪廻転生の目的はそこにある。人は転生を繰り返しながら、個人と全体の距離を縮めていかなくてはならない。

個人と全体の距離を縮めるためのキーワードは「愛」。それは、イエス・キリストが唱えた愛でもある。愛が地球全体を満たし、地球上の全てのものと私たちが一体感を得られるとき、私たちの魂は一つの完成を迎えるのだ。

心の底から憎いと思っている人も、遠い未来には愛で満たされる。そのために、私が先に愛に生きる人になる努力をしよう。

個人と全体の距離を縮めるために…

私たちが(全体が)、いつか愛そのものとなる(一体感を得る)ために、私たちは転生するのである。

私たちは生まれ変わる存在であるが、後悔と憎しみが渦巻く過去に捉われてはいけない。自己中心で不安に満ちた未来にも捉われてはいけない。ひたすら今に集中し、自分の壁を乗り越えることに取り組むべきなのである。

過去とは、不完全な状態への方向性であり、未来とは、完全な状態への方向性である。そして現在とは、「できない」を「できる」に変えるための課題に必死に取り組む重要な時なのである。そして、困難の壁を乗り越えるためのキーワードが「愛」なのである。その愛とは崇高な導きを意味し、その導きを見出すために人は祈り瞑想するのである。



実は、昨夜、ジェームス・キャメロン監督の「アバター」という映画を見た。ツタヤの更新をしたことでDVDを1本無料で見られるというサービスで借りたものだった。ジェームス・キャメロンは、あの「タイタニック」の監督でもあった。その映画を見ながら、自然と一体感を得て生きているパンドラという、とある衛星に住むナヴィという先住民族がとても愛おしくなっていき、彼らの大切にする自然を破壊する人間たちがとても憎らしく思えたのである。





この映画を見て、ふと感じたこととして、アメリカの先住民だったインディアンたちの悔しさ無念さを見事に晴らす内容だったようにも思えた。

私たちの進化の方向性は今のままでいいのだろうか?

人類の向かうべき方向性を示してくれている素晴らしい映画であると、私には感じられた。





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母はほとんど歩けず、家のことは何もしない。しかもわがまま放題で、頭を痛めている。妻も、介護士の仕事が大変なようで、休日にしか家のことをしてくれない。最近、仕事帰りに激しく荒れることが無くなってきたが、そういうことがあると精神的ダメージが限界まで試される。そうういうことで、私が何から何までしなければならない。

それでも、結構チャレンジしていて、いくつかの資格を取ろうと頑張っている。ほぼ毎日、スポーツジムに通っている。今年1月に亡くなった父の介護からのストレスだと思うのだが、激太りしてしまい、命の危険を感じるようになってきた。ひざを痛めやすいのは、太り過ぎのせいなのだろう。苦しい時は、さらに苦しいことばかり起こる。

ただ、疲れが取れないのが悩みで、毎日、意味なく物を落とし食器も頻繁に壊している。忘れ物の多くなり、何度も家に戻るので、ますます時間を失い焦りばかり募る。母は全ての書類を紛失したが、ここまでかなり取り戻してはいるのだが、最近、取り戻さなくてはならない重要な書類のことで悩んでいる。お金も掛かりそうである。

私は、父、母、親族のことで恨み事が多い。ある意味、かなり恨んできたような気がする。しかし、ここのところ全く恨むようなことはない。ネガティブなことに心が支配されると、何もできなくなってしまう。最近、教育論について考えてきたが、これもポジティブな状態でないと取り組めない課題なのである。

つまり、忙しすぎるゆえに、ネガティブにならないで済んでいる。いろいろな人から付き合いが悪いと言われているようである。特に、ネガティブな話題には関わりたくないと思って付き合いに消極的になっている。まあ、しっかりとカウンセリング料を払ってくれるのなら相談に乗っても良いのだが、ただ時間を奪うだけならゴメンである。人と向き合うと言うことは、もの凄いエネルギーが要るからだ。ただ、私的には嫌いなことではないが、今の自分は、とにかく時間が無いのである。

先週、酷い風で一週間近く寝込んだことも痛手であった。風邪は治ったものの、溜まりに溜まった仕事のことで、返って苦しみが増えてしまった。

優先順位を決めて、どうにか責任は果たしている。優先順位の低い仕事は、溜まっていく。誰も手伝ってはくれない…

ブログの記事を書く時間を作れず、他の人のブログを見ることも困難になってきた。残念なことだが、落ち着いてきてからブログは再開しようと思う。多くの友人を失うと思うが、再開後に、きっと多くの新しい出会いがあるように思う。

疲れに繋がることは、少しでも減らしていきたいと思うのだ。





日曜劇場『仰げば尊し』 日曜よる9時(TBS系) ※第5話 8月14日




神奈川県立野庭高等学校吹奏楽部 中澤忠雄先生 ※私が最も尊敬する教師像がここに…





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