音楽の可能性・まだまだいける! | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は8017文字です。(読破予想時間:約19分5秒)

 

■はじめに

今日は、音楽の可能性について話したいと思います。

 

音楽と言っても、ブルースを元祖として広がったロックやポップス、更にそこから派生した現代のポピュラーミュージック限定の話になります。

 

音楽の可能性の話と言うのはあくまで僕の主観であり、これが答えだと言う訳でもなければ正解だと言う訳でもありません。

 

僕もいまだに実践していくその中でそれを証明するかの如くもがく、一介の音楽家に過ぎず、この考え方を押し付けようと言うものではありません。

 

寧ろ、他の意見を聞くと楽しかったり、影響されたり、時には、「それはないな」とスルーしたりと、答え探しの旅の中、一つの有力な仮説に行き着いただけのそんな人間です。

 

その一部は理想論の様なものでもあります。

 

■曲のアイデアやフレーズは既に出尽くしている?

音楽、特にロックに関してよく語られる説の1つが、美味しいフレーズは1970年代までに全て出尽くしたって説。

 

音楽に深く、ある程度の期間以上携った者は皆、この結論には納得せざるを得ない程、説得力がある言葉だ。

 

そしてその後に続く音楽は、あちこちで今までの曲の焼き直しだと言われているが、それにも凄く納得がいく。

 

バンドなど音楽活動をするうちに、これと同じ結論に行き着いて、絶望して音楽でプロを目指す事をやめた人間も現実にいる。

 

出尽くしたと言う捉え方も、ある一方の角度からだけ見れば確かにそうかもしれない

 

これは、芸術とは何かだとか、以前書いた、パクリと影響の境界線の話だとか、ちょっと複雑にいろいろ関係してくる話なのだが、まず、僕の考えでは、芸術とは何もない所から生まれ出る訳ではないって言うのがある。

 

 

 

芸術とは過去の功績から影響を受け、それを発展させ、またそこから影響されて発展をすると言う事を繰り返して、現在に至っている

 

だから何かに似ているなんて事は当たり前と言えば当たり前なのだ。

 

それを焼き直しと受け取るのか、それを継承して新たに発展させたと受け取るのかは、作り手次第であり聴き手次第、つまりは自分次第だと思う。

 

僕も焼き直し説に、一度は絶望しかけはしたが、いろんな曲に触れるうちに、焼き直しただけのものと、継承・発展させたものがあると言う事を感じられる様になってきた。

 

それにもう一つ加えるならば、パクリの域だと思えるものも物凄く多いが、今回はその話は広げないでおく。

 

 

■定番のフレーズを使うという事

ロックにおけるギターやベースのリフなんて、大抵出尽くしているのは間違いない事実と言っていいだろう。

 

今、新たにリフを考えたつもりでも、探せばそれとよく似たものが、必ずといっていい程既に存在している。

 

確かに、過去に出来たもののパクリだとしか思えない様な使い方をしてるものもあるが、リフが似ている程度では、パクリとは思えないし、また、曲そのものまでそっくりにはならない。

 

曲ごと、そっくりになるなんて場合、ほとんどは、作者自身が元の楽曲を意識して作っているか、知らない間に元の曲を再現してたかのどっちかだろう。

 

 

 

要は、一つの同じリフから出来上がった曲だとしても、それをどう使いたいと言うイメージは作った人の数だけあって、どこかに必ずオリジナリティは出てくる

 

■皆見つかさオリジナル『よく似たフレーズ・魔球理論』

この話をしていて1つ思い出す事がある。

 

野球やバレーボールなど、スポ根もののアニメや漫画に出てくる魔球や必殺技を思い出すのである。

 

その魔球を生み出すまで主人公は、死に物狂いの凄まじい努力をして魔球を生み出す。

 

そして、例えばそれが野球の投手の場合だとすると、この魔球とは、従来のカーブ・シュート・フォークなどの変化球なんて比べ物にならない程の、常識を逸脱した程の凄い球なのだ。

 

でも、たった一度打たれたら、二度と投げない。

 

そして、また、新たな魔球を求めて死に物狂いの特訓を始める。

 

ここで疑問なのだが、新しいものを生み出す度にこんな事をしていては、カーブもシュートも変化球として定着しなかったのではないだろうかって事だ。

 

そして、他の変化球の様に、一度打たれた魔球も投球の組み立ての中で使えば、まだまだ使えるだろうと言う思いが沸き上がる。

 

それどころか、魔球と呼ばれる程の球なのだから、ちょっと使い方を工夫しただけで、その球は他の変化球を凌駕し続ける事なるだろう。

 

そして、永遠に使える必殺の魔球として、その地位は不動のものとして引き継がれていく筈である。

 

しかし、他の変化球と違って、その魔球を他の誰かが身につけようとする事はない。

 

スポーツの技に著作権が存在するかの様に、開発者一代で終わる。

 

現実は、使える新しい技は、皆が身につけて定番化するのが普通であるが、魔球の場合は違う。

 

皆が開発者を尊重するかの如く手をつけないのである。

 

過去に生み出されたリフも同じで、まるで、魔球の様な扱われ方をしている様な気がする。

 

堂々と、影響だと言いながら、パクリ丸出しの曲を平気で発表する人間が後を絶たない中、真面目で純粋なアーティスト達は、過去の偉大なアーティスト達が残したフレーズと似ていると言うだけで、自分の中だけに封印してしまったりするのだ。

 

しかし、それこそ勿体ない話だ。

 

その純粋なアーティスト達の頭に浮かんだフレーズは、何かに似ててもおそらくはそれをどう活かすかのイメージは、その人固有のものだったのだろう。

 

魔球の話と同じで、そのフレーズをどこでどう活かすかで、また違うものを生み出す筈なのに、勿体なくもそれを捨ててしまう。

 

それはきっと、オリジナリティーへのこだわりだとか、無から有を生み出そうとする意識など、その人がアーティストが本来持つべき要素をふんだんに持ち合わせているが故の事だろう。

 

要はアーティストに向いてる人間程、そうなってしまうのだ。

 

このままでは、まがい物が幅を利かすばかりで、本物がどんどん埋もれていってしまう、そんな世の中になりそうで怖い。

 

詳しくは後述するつもりだが、同じ様なフレーズも使い方によって全く別ものとして活きる事は珍しくはない。

 

楽器の構成を変えたり、リズムやタイミングが違ったり、違う音作りの中で使うだけで、そのフレーズの存在意義も聴こえるイメージも何もかもが違ってくるものだ。

 

その話とは別に、3コードのロックンロールなど、定番リフとして活かされたフレーズもたくさん存在する訳だし、似ているからといって、だからダメと考えるのは早過ぎる様な気がする。

 

似ているからダメなのであれば、3コードのロックンロールは全て盗作と言う事になってしまうし、そもそも、そんなジャンル自体存在しなかっただろう。

 

そして、最終的にはドラムの8ビートのリズムも他人が考えたものだとか、バカな論理に発展しかねない。

 

と言うか、現実にそんな屁理屈を聞いた事があるのだが。┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 

■Stray Catsに学ぶ

確かに、ブルースを祖先として生まれてきたたくさんのジャンルの中には、その中で出来る目新しい事は出尽くして、一定の役割を終えるものもある

 

例えばさっき話に出た、ロカビリーなどの3コードのロックンロールなんかは、例としては分かりやすいと思う。

 

但し、一定の広がりと役割を終えたと言っても必要とされなくなる訳ではない。

 

新たに曲を作っても新しくない状況の中で、新たにそのジャンルで曲を作る意味が薄れただけで、どんなジャンルであっても、音楽には永遠にニーズとその存在意義がある

 

ここで1950年代に一世を風靡したロカビリーを取り上げたのには、もう一つ意味がある。

 

もうとっくに新たな可能性などないと思われてたのは、今に始まった事ではなく、僕が幼い頃には既に、随分レトロな響きのする当時の大人達にとっては懐かしいだけの音楽だったと記憶している。

 

ロカビリーが世の中を席巻してから30年程経過した1980年代に、すっかり過去の音楽になってしまったそんなレトロな音楽のレトロな空気を大事にしつつ、斬新な形で作り直して、世の中に送り込んで、世の中を熱狂させたグループがいる

 

それが、Stray Cats(ストレイ・キャッツ)

 

最初に聴いた瞬間、パンチが聴いてて何やら新しい曲が流れ始めたと感じたと言う者と、聴いた瞬間、古臭いロカビリーだと思ったが、聴き入る内に、凄く斬新な曲だと思ったと言う人とに分かれるが、僕もStray Catsには随分衝撃を受けた

 

当時、本人達が認識・認定してるのかどうか分からないが、ラジオや音楽雑誌などでは、新ジャンル『サイコビリー』と呼ばれる事が多かった。

 

ロカビリーとパンクの融合で、サイコビリーと言う事らしいのだが、確かに、古いロカビリーファンからも愛される、ロカビリーの良い所をしっかり残した上で、新しい息吹を吹き込んだそんなバンドだった。

 

他にもいくつか呼び方があったが、これが一番多かった様に思う。

 

もうロカビリーは出尽くしたと思われていた世の中の固定観念をぶち破る様な、衝撃のデビューからその後、世の中はまた、今度こそ出尽くしたと云わんばかりのそんな空気が流れている。

 

その固定観念に流される様な人や思い込みの激しい人は、何かを生み出す側の人間には向いてないのかもしれないと、残念ながら思ってしまう。

 

 

しかしながら、Stray Catsの出現は、世の中のアーティスト達に、大きな希望の明かりを灯した事は間違いない。

 

きっと彼らは新しい物を生み出そうとか狙ってやったのではないと個人的には思う。

 

曲を聴いてても、Gene Vincent(ジーン・ビンセント)Eddie Cochran(エディ・コクラン)など、先人達へのリスペクトの念を強く感じるし、きっと、何かを狙って曲を弄くり回したのではなく、自分達が演奏したいがまま、そして、好きなアーティストから受けた影響をそのままに、自分達の思うがまま好きに曲を作って演じた結果なのではないかとそんな風に思える。

 

実際の所は、何も全く分からないが。

 

自分の作ったリフが何かに似ていると嘆くより、それを最初に思いついた先人達へのリスペクトを忘れずに、そのフレーズを活かす事が出来れば、それでいいと僕は思う。

 

■音符の組み合わせは天文学的な数

次によく言われるのが、音楽はたった12個の音符の組み合わせなので、もうその組み合わせに限界が来ていると言う説

 

これには、僕は賛同しかねる。

 

これは数学者の人ならば、音楽の事は分からないまでも、おそらく口を揃えて「有り得ない」と言いそうな気がする。

 

僕は、完全な文系人間なので数学が得意な方ではないが、数学的観点から解説してみようと思う。

 

ここは、陳腐な説明になりそうなので、ちょっとしばらく辛抱して欲しい。ヽ(;´Д`)ノ

 

詳しく覚えてないが、新聞紙だったか折り紙だったか、とにかくよくある何らかの紙を確か43回折ると月に届くって話がある。

 

 

この計算と音楽とは何の関係もないが(  ゚ ▽ ゚ ;)エッ!?、数字に無知な者が驚くには十分な話だった。

 

同じく、12種類の音符に何通りの組み合わせがあるかって話にも驚く様な数字が出てくるのだ。

 

詳しくは忘れたけど。( ̄_ ̄ i)

 

とにかく12種類の音符のうち、好きな音から始めて、次の音へ行くまでのたった二つの音階の組み合わせの話だ。

 

そこへメロディーが延々と続くのだから、3つ目4つ目と進む毎に音符の組み合わせの裾野はどんどん広がっていき、いくつも音符が並ぶ、一つのフレーズの組み合わせは天文学的な数字になってくる

 

ただ、その組み合わせの中に、どれだけいいものがあるかって話なのだが、とにかくそれだけの組み合わせを試さない事には分からない訳だ。

 

音楽理論的に有り得ないとされてる部分を飛ばすと言う考え方をしたとしても、物凄い数の組み合わせになる。

 

しかも、同じ2つの音符の組み合わせでも2つの音符の長さがどんな長さなのかで、全く違う物に聴こえる

 

更にリズムが変わるとまた違って聴こえる

 

曲を構成する要素は音符の組み合わせだけではない

 

そこへ、楽器の構成や和音や音作りや入ってくる要素はいくらでもある。

 

苦手分野から入ったので、いまいち説得力のない話になったが、自分自身の中ではこの数字の根拠が、まだまだいけると手応えを感じた重要な要素になっている事は確かだ。

 

ここで数学絡みの話は終わる事にする。(*´Д`)=з

 

■曲作りにおける音符の種類は12種類ではない

それから、まず、曲を作る場合において、音が12種類と言う前提自体、既に問題がある

 

音階のドレミの『ド』の音が4つ並んでるとする。

 

平坦ではあるが、これも一つのメロディーだ。

 

音は12個と言う前提で、限界説は語られているのだが、この平坦な4つの『ド』だけで構成されたメロディーにオクターブ違いの音を加えたらどうだろう。

 

『ド・ド・ド・ド』にオクターブを混ぜても音名で表記すれば同じ『ド・ド・ド・ド』である。

 

しかし、このメロディーが『ド(ルート)・ド(1オクターブ上)・ド(ルート)・ド(1オクターブ上)』になるだけで、同じ『ド・ド・ド・ド』の筈なのに、人の耳には違うメロディーとして聴こえる。

 

なので、曲作りにおいては、音が12種類しかないと言う前提がそもそもおかしいのである。

 

■同じメロディーでも違う曲の様に聴かせる事が出来る

それから、カバー楽曲を紐解いてみようと思う。

 

全く同じ曲を、アレンジを変える事で別の曲の様に聴かせる事が出来るのが、曲のカバーだ。

 

勿論、元の曲を知ってればその曲が何の曲をカバーしたかは誰でも分かる。

 

別の曲の様に聴かせると言うのはそういう意味ではないと念の為に断っておく。

 

例えば、クラシックの名曲をハードロックバンドがハードロックアレンジで演奏するなんて事は珍しくはない。

 

メロディーは同じままなのに、元来静かな曲が、アレンジを変えると急激に別の激しい曲へと変貌する。

 

さっきも少し触れたが、楽器の組み合わせや音作りでもまた別次元の曲を生み出せるのだ。

 

これはカバーだから、新しい曲を生み出してる訳ではないと言う意見が聞こえてきそうだが、それはその通りだ。

 

だが、僕が言わんとしてるのは、斬新なメロディーばかりを追いかけるのが、曲作りではないって事だ。

 

どこかで聴いた様な、ありふれたメロディーが出てきたとしても、アレンジや音作り一つで、目新しいものになる事も十分にあるって事だ。

 

■演奏者や歌い手による違い

アレンジや音作りもそうだが、音楽には楽譜に表記出来ない要素もたくさんある。

 

カバーどころか、コピー曲であっても、演奏者や歌い手が変われば、全然別ものになるのが音楽だ。

 

全く同じ楽譜を狂い無く演奏しても、人の好き嫌いが分かれる程、各演奏者の個性と言うものは出る。

 

最初のオリジナルアーティストが逝ってしまった後でも、同じ曲を違う人間が表現する事で、また、その曲は蘇るである。

 

つまり、既に出尽くしたと言われる音楽は、なかなかしぶとく、この程度で終わったりはしないと言う事だ。

 

■音楽を構成しているのはメロディーだけではない

結局、音楽限界説を唱える人達は、音楽を創作していく事をメロディーベースで考えすぎているのだ。

 

メロディーなんて、音楽を構成する一つの要素にすぎないというのに。

 

組み合わせが減って来たらもうダメなんだったら、ドラムなんて楽器的にとっくに終わってる事になる。

 

リズムの基本的な組み合わせなんて、メロディーに比べると数える程しかなくて、あとはその亜流の様なものばかりだ。

 

でも、8ビートは前に散々聴いたからもう飽きたとか、そんな事にはならない。

 

確かに、一つのライブの中やアルバムの中で、あんまり同じ様なリズムばかりが続くと勘弁してくれって気分にはなるが、そのリズムそのものが2度といらないと言う訳ではない。

 

■リスナーはそこまで新しいものを求めてはいない

もう一つは、作り手側が、斬新なものばかりを求める傾向にあると言うのもある。

 

これはダメな事だとは思わないが、ハッキリ分かる斬新さだけが新しい訳ではないと分かれば、少しは気持ちが楽になる人も多いのではないかと思うのだ。

 

確かに、先天的に物凄く斬新指向で進む人間もいるんだろうけど、それに引っ張られてるだけで、実は、本来の姿は斬新指向ではない、また違うタイプのアーティストだって人の方が圧倒的に多い様な気がしている。

 

実際、聴き手側も斬新指向の人間なんて、ごく少数だ。

 

でなければ、詳しい人間から見ればヤバいくらいパクリに近い曲が、世の中にこんなにも氾濫する筈がない

 

もっと、肩の力を抜いてもいいと思う。

 

自分に合わない物を目指していると、精神的にもしんどいし、いいものも生まれないし、自分の心や魂は何を欲してるのか、もう一度、問いかけてみてもいいのではないかと、僕は思う。

 

■最後にちょっと自分語りを

実は、僕が、その境地で今の自分に脱皮したのは、そんなに昔の話ではない。

 

なんて書くと、まるで偉大な成功者の言葉の様な、大物にでも生まれ変わった様な言い方に聞こえるかもしれないが、そうではなく、いろいろ気付いてちょっと気が楽になったと言うその程度の境地への脱皮の意味だ。(^_^;)

 

他人の価値観と気付かずにそれに流されて搦め捕られて、がんじがらめでキツかった日常からやっとの思いで脱して、今はソロ活動をしている。

 

僕のソロ・ファーストアルバムのタイトルには、その意味が込められている

 

他にも、自分の今まで蓄積してきたものを一気に解放するとか色々な意味が込められてはいるが、取り敢えず1つは、そういう意味での1stアルバム『解放』なのだ。←ステマのつもりはないですが、よろしくです。(≧▽≦)

 

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そして、ソロでいこうと決めた理由はいろいろあるが、そのうちの一つが他人の価値観に振り回されるのが面倒だから、人から少し距離をおきたかったと言うのが、間違いなくある。

 

 

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