前回から日がだいぶ空きましたが、何もなかったかのように、再開しましょう。

ある意味今回のメインでもある試飲。

お土産売り場が併設された試飲会場に案内されるも、まだ、ここは試飲会場ではないという。

間仕切りの向こう側。
そこに目指す試飲会場はあるという。

思わず身を乗り出して、向こう側を覗こうとするも、案内のお姉さんが、これから試飲についての説明をするから着席しろという。

その時思い浮かんだ言葉は、
「生殺し」

多分、この時の私はアル中だったのだろう。
お姉さんの話を楽しく聞きながらも、
気持ちはうわの空。
早く終われとは思わないが、
はやく飲ませろ!とは思う。

そして、注意事項は終わり、
「…これで、説明を終わります。
それでは、お待たせいたしました。
隣が試飲会場となりますので、ご堪能ください!」

自分では歩いていたつもりだったが、
もしかしたら小走りだったかもしれない。

が、気持ちは抑えつつ、
まずは口慣らしにアップルワインを。
ソーダ割で。

これは美味しい。
アップルワインと聞いて想像していた味、そのまんまだった。
家には未開封のアップルワインがあるので、ここは、二口程度で終わらせ、
次は、

「鶴17年」

香りはツンとする感じで、
木の持つ酸味。
甘酸っぱい。

口に含めば、グレーンの柔らかさは感じず、かと言って、シングルモルトとは違う。
洗練された味ではあるけれど、田舎臭さがなく、キャリアウーマンのような印象を受けた。

後味は甘く、バニラのよう。

余市、竹鶴、宮城峡、フロムザバレル、北原酒、どのニッカウイスキーとも違う、珍しく女性的なウイスキー。


さて、お次は…、

「宮城峡12年」

香りは、これまたツン。

バナナのような、うすーいバニラのような甘く柔らかい風味。

全体的に華やかさがあり、柔らかい。
マッカランとは違う華の開き方をするウイスキー。


そして、お土産売り場へ。

その前に、有料試飲へ。

ここでは正直BARで飲めば3000円はくだらないであろうウイスキーばかりを飲んだ。

が、しかし、メモをする間なく、どこからか湧いたおじさんが、ウイスキーの話をし始め、その時は味わっていたが、感想も種類も忘れた。

けれど、別に全ての味を記録しておきたいわけでもなく、
ああいう時間のああいうウイスキーはそれはそれで格別で、味は忘れてもその時の時間を覚えてる。

詰まる所、
お酒を飲んで、楽しかった、と言う一言が思わず口から漏れれば、それで良い気がする。






iPhoneからの投稿
杜の都仙台から小一時間で、宮城峡蒸留所への送迎を行っている作並駅へと到着。

降りた人が皆待っていたバスに乗り込んだところをみると他に何かあるわけではないらしい。

満席とは言わないまでも、半分以上の座席が埋まり、あと、数分で蒸留所に着くことを考えると、自然、期待が高まる。

天気は早朝からどんどん悪くなり、蒸留所についたころには土砂降り。

池


偶然リュックに入っていた折り畳み傘に自身の幸運をかみ締めながら、いざ、入場。

見学申し込みのカウンターには三人の女性。

朝一ということもあり、なんとなくスイッチが入りきれてない感じ。

10分少々待つと言うことで、小さなホールを見渡す。



正直なところ、この地図を見ても、『なるほど~』としか思えず、掻痒感が高まるだけで、まったく記憶に残らなかった。

そうして、落ち着きのなくホールの展示物を観て回っていると、集合の合図がかかり、
蒸留所の案内が始まった。

かわいらしい女性の小野田さんか小田原さんが今回のガイドになる。

毎日説明しているとはいえ、こうもすらすらと説明ができるのは正直うらやましい。

仮にウイスキーのことを聞きたい人に対して自分がこうも立て板に水のごとく説明できるかといわれれば、できないと断言できる。

最終的には
『飲み続ければわかるよ』と深いのか浅いのかわからない言葉で逃げている自分が思い浮かぶ。

そんなことを考えていると、
最初の見所。
キルン塔に到着。




残念ながらこの中は見れないとのこと。
改まって言われると見たくなるも、術はなく、ガイドさんは先に進んでしまうので、
後ろ髪を引かれつつ、後をついていく。

まぁ、このくらい淡々と進めてもらわないと、時間がいくらあっても足りないだろう。

目に見える範囲だけでもあっちはどうなってる?そっちは何だ?と気になって仕方ない。

が、説明もちゃんと聞きたいし、写真も撮りたい。

あー傘が邪魔と思っているとどんどん先へ進まれてしまう。

集中しよう。


ちなみに先ほどのキルン塔。
あそこは大麦麦芽を乾燥させるための施設になる。
このときにウイスキーのひとつの特徴となる、燻製っぽい匂いをつけるために
ピートと呼ばれる燃料に火をつけ乾燥作業をおこなう。

あまり煙っぽさのないウイスキーはこのとき、ピートを使わないで乾燥させるので、
比較的飲みやすいウイスキーになります。

ちなみに宮城峡(ウイスキー)はあまりピーティな感じがしないので、
かの余市蒸留所とは違うピートを用いているのでしょう。


さて、乾燥が終わった麦芽をどうするのかといえば、今度はぬるま湯につけます。
そうして、糖化させます。糖化させたものを『麦汁』といって、次の段階でこれを
発酵させます。


(・・・・あれ?なんかウイスキーの作り方の説明になってる・・・・)





このマッシュタンの隣の部屋がコンピューター制御室になっており、そこは撮影禁止でした。
ただ、実際に機器が動いている様子をみると、ここでウイスキーが作られているんだという実感がわきます。





発酵が終わると『麦汁』が『もろみ』となり、『もろみ』を蒸留します。

そのとき蒸留するのが、ポットスチルといわれる銅製のポット。

ドラクエのスライムみたいな形をしているといえばしています。


ポットスチル


注連縄はニッカの創業者竹鶴正孝氏の実家が日本酒の造り酒屋であったからと言われています。

このポットの下を加熱し蒸留を行うので、縄が焦げやしないのかとか、焦げないにせよ、劣化が早そうだと思ったりしてしまいます。

ただ、注連縄があるだけで荘厳な雰囲気を感じてしまうから不思議です。

ポットスチル解説図

これで一通り製造過程は終了になります。

いや、終了ではないのですが、あとは熟成となります。

モルトの匂い

この樽では匂いをかげるように上部に穴が開いています。

1月目ではまだ、ウイスキーとは思えないかなり生々しい匂いがします。

5年も経つと、香りがぐっと豊かになり、12年ともなると、香りに重厚感が出てきます。

色もまったく違うのが見て取れるでしょう。

エイジング

ウイスキーは樽に入っている間、年間1~3%気化します。
なので、薄暗くぼけている写真なのでほとんどわからないと思いますが、
25年熟成したものは約半分にまで減ってしまいます。

25年もののウイスキーともなると思考回路が正常に働かず、
『ばーか』としか言えないような値段をしていますが、絶対量が少ない、希少性があるということを考えれば納得せざる終えません。

竣工時のたる

操業当初の樽。
思いのほかここの樽置き場は滞在時間が短く、感傷に浸っていられませんでしたが、
改めて写真で見ることで、しみじみと胸にこみ上げるものがあります。


そういえば、この樽置き場に来るまでに、ちょっとした広場がありました。

そこにポットスチルの頭の部分だけをオブジェとして飾っていたらしいのですが、
現在はもうすぐ始まる『マッサン』のドラマの中で使うため貸し出しているとのことでした。

当然、すべて見るつもりなのでそれがどこで出てくるのか楽しみです。




小一時間のガイドが終わり、試飲です。


そういえば、ガイドさんが言ってました。

朝ドラのおかげで余市蒸留所は観光客がだいぶ増えたとのこと。

『うちはそうでもないですけどね』と、若干の自虐も入れて。

ただ、両方行った事がある身としては、宮城峡の方が見学とお土産という点では良い様なきがする。

まぁ、それも地理的な問題が大きな要因だろうが。


では、次でラストといたしましょう。

試飲からの続きはまた後日、宮城峡 探訪3で。

ここのところ、いまいちうだつが上がらず、もやもやが晴れず、気分転換がうまく行ってないな…。

と、言うことで、無理やり蒸留場へ行くことへ。

ならば、プランはどうしようか。

金曜夜に深夜バスで出発、それとも、バイクで深夜走り続けるか、いやいや、高速代が高い、なら土曜早朝に新幹線で出るか?疲れは少ないかもしれないけれど、
そうだ、土曜の宿はどうしようか。
まてまて、土曜泊まっても日曜帰るだけなら、土曜に帰るか、
土曜に帰るなら、何時にしようか?
などなど考えて、

結局、
深夜バスで早朝着いて、朝ごはん食べて、蒸留場へ行き、仙台に戻り、昼食、お茶、高速バスで帰宅。
そんな感じの弾丸ツアープランにした。

そうと決めてからは、
お土産の原酒の事を考えては、頬が緩み、
試飲の事を考えては、涎が溢れ、
まだ見ぬ山の緑の事を考えては、田舎を思い、

土日に持ち込まぬよう、仕事に集中しようとしたが、楽しみが先立ち、なかなか進まなかったが諦める他ない。

何時もなら22時はあっという間なのに、今日はそわそわして落ち着かない。エクセルで少し表を作っては時間をみて、Googleマップで集合場所の確認をする。

あ、こんなことしてる場合では!
仕事しなきゃ!
と、戻るものの、集合場所が駅からどのくらい離れてるか確認するのを忘れていた。
迷子にならぬよう、再度、Googleマップで確認する。これで、時間の配分は大分掴めた。

さぁ、残り時間は集中!!

あ、仙台は駅のどの辺に着くんだろう……。

エクセルの表に数字は埋まらぬまま、出発時間が近くなる。

何度計算しても、夕飯を食べて、集合場所へ行くには30分ほど余ってしまうが、こんなことしてる場合じゃない!
と、パソコンを閉じた。

目立たないところにあったカレー屋によるもの満員。
仕方なくココイチへ。

時間はまだ早い。

バスで寝つきを良くするために寝酒をと、HUBへ。

ここはグレンリベットが380?円で飲める。
勧められるがまま、ダブルにし、スタンド席に通された。

会社の飲み会だろうか。
同じ席の人々は楽しそうに談笑している。
そういう楽しげな雰囲気を感じながらちびりちびりと舐めて行く。

しばらくするとその中の1人が話しかけてきた。

ウイスキーですかー?
私もよく飲むんですー。
今日はビールですけど。うふふ。

そんな入りだったと思う。
愉快な感じの人だったし、ウイスキー好きとあっては話に花が咲かないはずがない。

出会って、数分で私はこの足で蒸留場へ行くことを告げた。

すると…。

彼女はハテナな、表情をした。

この飲み屋はうるさい。皆が大声で話している。

聞こえなかったのだろう。もう一度。

今日はこれから宮城峡の蒸留場に行くんですよ!

嬉しさのあまり自慢げにならぬよう細心の注意を怠らず、なお、声は通るよう腹から出し、ただし、うるさくならぬよう気を付けた。

多少のドヤ顔は表情からもれていたかもしれない。
それは私の至らぬ部分だろう。

さぞ、羨ましそうな表情で、驚いた反応がくるのを待っていた。

…。

ん?こないな?ちらっ。

女の人『ハテナ?』

えええええええー!
うそーん。
ウイスキー好きって言ったじゃん!
宮城峡知らないのーーーーー?
まじでーーーーー?

と言う反応は最小限に収め、
あ、ニッカの工場です。

そう言った私の言葉は周囲の雑音にかき消されるほど小さいものだったような気がする。

明らかに気落ちしたのがばれたのだろう。
彼女は話もそこそこに切り上げ、仲間の元へと戻って行った。
さらに、ちょうど、椅子の席が空いたらしく、彼女らは移動して行き、ホッとしたところで、グラスを開ける。

さぁ、東京駅へ。

以前、この時間に東京駅へ行ったのは一昨年だった気がする。

その時はフルーツを売りつけられそうになり、道端で1000円札をみつけた。

今回は特に何もなくバスに乗り込んだ。

車中は寝酒が効いたのか、すぐに眠りに落ちた。
が、ここが深夜バスの難しいところ。
どんなに熟睡しようが、休憩がある。

バスにトイレはついているものの、大体2時間おきにパーキングエリアに停車する。

その度に目が覚め、そして、気づけば杜の都仙台。

早朝の5時についてもやることはない。

事前に調べておいた、温泉施設へ。
歩いて20分くらい。

大通りに沿って、アーケードを抜け、見渡せば歓楽街。

朝帰りをする人がちらほらと。
その人らを横目にお目当ての施設へ。

ロケーションとしては最高だなと思いながら、下駄箱の空きを探すと殆ど埋まっていた。やはり、酔い覚ましに風呂でもと考える人は多いのだろう。

フロントへいき、1時間の入浴券を購入。

着替えはフロント横のロッカールームで行い、温泉のある場所へ。

エレベーターの施設案内が目に入る。
ダラダラっと読んで行くと、女性禁止との文字が。

これは珍しい。
確かにこの施設に女性がいたら管理が大変だろう。

変に感心しながら温泉に浸かる。

ふうううう。

結構ねれたし、そこまで疲れていなかったが、やはり気持ちいい。

室内、露天、サウナ、水風呂と体を引き締め、次は朝ごはん。

着替え終えて外に出ると、夜の雰囲気が薄れ、早朝の街が動き出す雰囲気に変わっていた。

街ゆく人も種類が変わり、さっぱりとして、気持ちいい朝の空気を味わいながら駅まで戻る。

喉がカラカラに乾いていたので、まずはスタバでコーヒー。

そのあと、ご飯をと思うも、ここは旅行らしく駅弁を買うことに。

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電車の中で食べようと早々にホームへ向かい、停車してる電車に乗り込む。

出発してから食べよう。

そう心に決めたものの、様子がおかしい。

意外と地元の人が乗ってくる。

これは、1人で旅行気分晒してる場合じゃないぞ!
なにせ、この弁当、温かくなる。
つまり匂いが発生しやすい。
人が少ないうちに平らげねば。

弁当下の紐を引き、膝の上が温かくなる。そこそこ熱い。
これは…。
蓋を開けるときホカホカじゃないのか!
と嬉しい反面、匂いがさらに気になる。

時間が経ち、蓋を開ける頃には何人かの人がこの席をチラ見し、他の席に座った。

うまい!とはやく!を交互に思い浮かべ、ようやく完食。

そして、ゴミをしまい、なにもなかったかのように振る舞う頃には立ってる人もいるほど混んでいた。

そぁ、いよいよ出発だ。

宮城峡は遠いようで近く、近いようで遠い。

一先ず、続きはまた今度。





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やっと読めた。

ニッカウイスキー創業者である竹鶴政孝の半生を描いた小説。

9月からの朝ドラのモデルとなったからか、いつの間にか復刊していた。

森瑶子の望郷では、リタの視点から。
この小説では、政孝の視点から。

が、これは正直、望郷には及ばなかった。

そこはやはり、竹鶴政孝という人物を語る上で、愛抜きには語ることができないからだろう。

日本人男性は愛を語るのが下手だと聞く。
まさに、そういう感じではないだろうか。

読み物として、面白いかどうかで言えば面白い。
しかし、ウイスキーに対する愛、夫婦間の愛を感じられるのは望郷のような気がする。

が、それは望郷を先に読んだからかもしれないし、久々に本を読み、読み方を忘れてしまっただけかもしれない。

さてはて、朝ドラはどんな話になるのか。






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待ちにまった『竹鶴セミナー』に参加してきました。

17時からの二時間。至福の時間を過ごすが出来ました。


狙いは試飲で提供される『北原酒』

余市でウイスキーを好きになり、初めて行ったバーで北原酒に出会い、その値段の高さに腰が引けて、いつか飲もうと決めていました。

終売されたウイスキーは色々あるけれど、なぜかこの北原酒にはとても惹かれるものがあり、
暇さえあればオークションに出品されていないか調べていたりもしました。

それがやっと飲めると言うだけで正直セミナーの内容にはあまり関心がありませんでした。


ウエルカムドリンクの竹鶴のハイボールからスタートし、
一部では竹鶴12年(発売当初の角瓶)、竹鶴17年、竹鶴21年が振舞われました。
といっても、一部の講義が終わるまでお預け状態。

お話してくれたのは、実際に竹鶴氏に会ったこともあるというアサヒの方でした。

1、2部は竹鶴政孝その人の歴史。1部では、サントリーを辞めるまで、2部では余市蒸溜所をつくり、宮城峡蒸溜所をつくり、それぞれの蒸留所の特徴まで。


その中で、驚いたのは竹鶴氏がいつ本物のウイスキーを飲んだのか、そのエピソードは残っていないということでした。

当時の日本では偽物のウイスキーが出回っており、竹鶴氏は本物を味わってもらいたい一心で留学し、本物を持ち帰ってきました。

そして、そこまで思うには本物のウイスキーを飲んだことがあるはずだと考えるのは当然でしょう。

でも、知られていない。
誰も聞かなかったのか?誰にも話さなかったのか?

いきなりのミステリーでした。

さて、竹鶴氏はグラスゴー大学に学びます。
しかし、座学の毎日。
現場を知りたかった竹鶴氏は蒸留場に飛び込んで行ったらしいです。

そこでは常に白衣を着ていたと。

なぜか?

科学者としての意識があったから。

その話には痺れました。

主観ですが、酒造りというのは科学よりも勘によるものが大きい、重視されていると思っていました。
勿論、そういう部分もあるでしょうが、竹鶴氏はウイスキー造りを精確に持ち帰る事の真摯さに心打たれました。

当たり前ですが、本気で日本に本物のウイスキーを持ち込もう、日本で本物のウイスキーを作ろうという気持ちが伝わってきます。


リタと出会い、鳥井氏と出会い、そして、北海道の余市に蒸留所を作ります。

その前に候補地としてあげていたのは同じ北海道の江別でした。しかし、石狩川では氾濫がよく起こるということで、断念し、余市に落ち着きました。

そして我々が訪れる余市蒸溜所はそういった過去を全て飲み込んで今があります。
我々が見ている現実というのは常に結果でしかありません。
歴史をしらなければ、ただの古い建物ですし、知っていれば感慨深い建物です。

今年の九月からNHKの朝のドラマで竹鶴氏をモデルとしたドラマが放送されます。
これきっかけで恐らく余市に詰め掛ける人、ウイスキーの熱が盛り上がってくるような気がします。

最近申し込んだ限定のウイスキーとアップルブランデーはどちらも当たらず、ウイスキー作りも外れてしまいました。

今年のウイスキー作りは残すところあと2,3回の募集がありますので、なんとかそれに当たるよう
願うばかりです。

では、以下、簡単にセミナーで頂いたウイスキーの感想を。



【竹鶴12年】

こちらは2000年に発売されたもの。
貴重な代物でした。
アルコール臭が強く、また、エステリー感もあり、甘く、丸い印象。ただ、口の中に残る香りに飼葉の青臭さを感じる。それに通じるところで、苦味、えぐみも感じる。
これが瓶熟成の古さなのか、もともとの竹鶴12年のもつ特徴の一つなのかは判然としない。


【竹鶴17年】

12年に較べると、あっさり感が増し、華やかになる。熟成感は味わいの重さとチョコのような甘み風味に出ていた。


【竹鶴21年】

匂いがまろやかになり、味わいの全てがまろやかになる。
甘み、ウッディー感、カラメル臭、これらが混ざり合い、見事に調和しエレガントさが強調される。バナナのような甘さ。
飲み干せばすばらしいなとつぶやきたくなる一品。


【余市シングルカスク】

91年~03年までプロモーション的な意味合いで発売された一品。
愚直にウイスキーしてる。
塩っけ、濃さ、ピーティー、スモーキー、ウッディー、個性が凄くぶつかり合って、噛み砕くように飲むのにうってつけなウイスキー。

【宮城峡シングルカスク】

これも余市のシングルカスクと同じような役割で発売された一品。
宮城峡は余市とは反対にとても女性的なウイスキー。
華やかで甘く、なめらかなチョコ感、香ばしい焦げた味わい。


【余市ニュースピリッツ】

これは未貯蔵酒。色は無色透明。
シャンパンや白ワインのような風味。しかしすっぱく、生っぽい。
まずいと言うよりもなんとなく受け付けない味をしていた。

【北原酒15年】

今回の大本命。北原酒。
竹鶴(ウイスキー)の原点ともいえるウイスキー。
89~95年にかけて製造されました。今回試飲したのは平成元年のもの。つまり23年も前のウイスキーとなり、その15年前に貯蔵されたとなれば40年近く生きてきたウイスキーということになります。
余市のなかでも強いピート感のあるものを使用しており、化粧っぽさ、ファンデーションの匂いのような華やかさがあり、粉っぽい印象もあった。舌にのこる苦味もあり、全体的には平べったい抑揚の少ないウイスキーだと思った。
さらに、私のイメージしていた北原酒は『北の厳しい大地で鍛えられた原酒』という印象だったので、余計にそう感じたのかもしれないが、味わいはとても薄く、しゃばしゃばしているように感じた。

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思った以上に内容の濃いセミナーでとても楽しませてもらいました。

いや~~ウイスキーって本当にいいものですねぇ。笑

禁煙90日祝い!

吸いたくて吸いたいと思うのではなく、今なら吸ってもやめられるんじゃないか?とふと脳裏をよぎる事はありますが、別に吸ったところでどうなるわけでもなく、早くやめていることが普通にならないかなと思う今日この頃。

東京マラソンという一大イベントが終了し、ボロボロになっても、これだけは忘れられません。

余市15年のテイスティング!

余談ですが、このテイスティング、日本語に訳すと物々しくなりそうですね。
味見でいいじゃん。笑
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まずは、

色が濃い!!!
これだけでどんな味に変化しているのか楽しみで仕方ありません。


匂い
エステリー。薬っぽさが強い。
かの一升瓶シングルカスクに近いものがあります。
湿って時間の経った樹木の匂い。
甘い。黒糖の甘い感じの匂い。


固い。もっとまろやかな女性的なものかと思っていましたが、いやいや、男性的。いままで、飲んできた限りだと年数が経つに連れてまろやかで優しい味わいになっていくのに、これは違う。孫が生まれて急にデレるお爺さんではなく、孫が産まれて、息子が道場を継がなかった代わりに今から英才教育だ!とよだれかけを道着で作ってしまう位、厳しいお爺さんという感じです。
糊っぽさ。これは、薬品くささ、エステリーと言ってもいいかもしれません。
苦味。樽のアクがどんどん染み出てきています。
原始的な味わい。美味しいとは決して思えませんが、遠い昔にタイムスリップしたような気分になれます。
こういう味を竹鶴さんは作りたかった、日本に伝えたかったのかな?と。

鋭さ。まろやかさはある。けれど、老いてますます気力がみなぎっているのを感じます。
主観ですが、
こういう美味いとか不味いとかではなく、俺は俺だと主張してはばからないウイスキーは本当に命を飲んでいる気になります。
まぁ、こうして、書き出すと言いたくなるのであって、普段飲んでいるものからも生命力をわけてもらっていますけど。

さて、次に余市のシングルカスクを開けるのは更に3ヶ月後の禁煙半年記念です。

ただ、シグルカスク以外の余市もありますので、それらは、120、150日くらいで開けて行こうかなと思っています。

全種類を並べた上で全てのテイスティングをする。一周年記念は有給でも取ろうかと思うほど楽しみであります。


ウイスキーの方も書きたい事が沢山あるのになかなか筆が進みません。

次はターコネルかマッカラン✖️2で。



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2年連続でまさかの当選。

仕事柄、家に帰るのは深夜。
土日は仕事でなければ、昼頃まで寝てしまう。

去年もそれほど練習しないで乾燥できたので、走り切れるかわからない不安がなくなり、その代わり心のどこかで油断をしていた。

『要領』が去年よりは分かっているから結果タイムは上がる『はず』だと。

けれど、結果は嘘をつかないものである。


年末から取り掛かっている仕事が片付かなくて出れないかもなと思っていたけれど、なんとか出れることに。仕事は保留状態でいまいちすっきりしない状態だったが、それはこれはこれと割り切る。

いつもと同じ時間に帰宅し、準備に取り掛かる。着替えとおやつとお金と…、ゼッケンをウィンドブレーカーにつけようか、それとも脱ぐからTシャツにつけておくべきかなど悩みながら最後はタイムを計測するチップを靴に括り付け、取り敢えず忘れ物はない状態に。
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去年は早く行き過ぎたせいで、寒かったので、ちょっとゆっくり目で行くことに。
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が、荷物チェックで2,30分待たされ、さらにはトイレも去年使えていた公園に設置された仮説トイレが使えなかった。

公園に設置されてはいたもののなぜか警察がガードして入れないようになっていた。

まぁ、スタートしてから行けばいいやと余裕をかますも、このトイレにかなり時間を取られる事になった。

先頭集団がスタートし、ぞろぞろとスタートラインまで歩いていく。

角を曲がるとすぐそこがスタートライン。
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スタート直後は去年よりも楽しめたのかいろんな人に手を振ったりもした。

とりあえずトイレを探す。

とは、思いながらもあまり考えすぎると漏らしてしまう可能性もある。

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あっ、ゴキブリだ!
とか無理矢理意識をトイレから引き離し、ひた走る。


あった!
でも、混んでる!

ボランティアの人がこっから600m先にありますよと教えてくれる。

600mかよ!
と軽くツッコミ、並ぶよりは進んでおくかと先に進む。

が、所詮その程度しか離れていないから、結構な数の待ち人がいた。

そろそろ限界が近かったので、待つことにする。

この日のiPhoneはご機嫌が斜めでこの時点で電源が落ちる。

持参した充電器で充電してもすぐに落ちる。

だから、折角アプリで距離と時間を測るもこの時点でちゃんとは測れないことになってしまった。

2月は雪だ!寒い!!と殆ど走ることもなく、更には一週間勘違いしていたこともあり、準備で言えば去年の3分の2くらいだったかもしれない。

それを痛感したのは10キロくらい過ぎた頃だろうか?

思った以上に時間が経っていた。

え?なんでこんなに遅いの?

結構、ぞっとした。

自分の想定していたペースならこんなに時間が建ってるはずはないのに。
しかも、そこそこ疲れてるし!!

もう、こんな時間ならゴール出来ないかもしれない…。

と、思ってしまったことには我ながら驚いた。


足切りの時間も最初の5キロ地点では15分後位に迫っていたし、10キロの地点でも少し改善されたものの大して変わらなかった。

何でもかんでも去年と比べてしまい、

去年はもっと周りに人がいたような?
去年はまだここまで疲れていなかったような…
去年は早歩きなんてしなかったからきっといいタイムが出てるだろう!

この早歩きに気が付いたのは20キロを過ぎた頃だろう。

ふと、前傾になりながら倒れこむように進んで行くと走る筋肉を使わないでそこそこのスピードを出せることが分かった。

ここからの数キロは走って、早歩き、走って、早歩きの繰り返し。

ようやく後半に差し掛かる。
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けれど、やはり30キロ手前あたりキツイ。
いろんなところの痛みが治まらなくなってくる。
さらには痛みを庇うように走り、他の筋肉を使うことでそこがいたんで来る。
もう、他に使える筋肉がなくなるのがちょうどこのくらいの距離だった。

沿道から仄かに漂うエアーサロンパスの匂い。
見上げれば向こう側にスカイツリー。


持ってくれば良かったと思い、薬局ないかなと探したりもした。

けれど、沿道で応援してくれてる人達のなかにはエアーサロンパスを用意してくれている方達もいて、そのご好意に二度三度とお世話になり、なんとか誤魔化し誤魔化し、走る。

去年に比べて意識がはっきりしてるのは、精神的にまだ余裕があったからだろう。

けれど、この余裕と肉体的限界はまるで裏腹。

体が言うことを聞かなくなってくる。

脚が上がらないとかならまだ分かるが、着地の瞬間、変な着地の仕方をすると攣りそうになる。

こういったことが終盤たまにあり、その度に肝が冷えた。

ここまで来て棄権するなんてありえない。

いつも以上に神経を使って走る。

さて、そろそろ、最終のストレート。

去年はここで猛ダッシュをした。

今年も最後の数百メートルは猛ダッシュした。

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が、遅い!!

去年は遅いとか早いとかあまり気にする余裕もなく、精神的に猛ダッシュしていた。

今年ももちろん、精神的には猛ダッシュしていた。

しかし、意識がはっきりしているからか、遅さに気が付く。

どんなに歩幅を広げても、どんなに腕を振っても、スピードが上がらない上がらない。

それでもゴールは近づいて、あと、3歩

2歩

1歩

ゴール地点にあるセンサーを勢いよく踏みつけます。

ゴッ・・・脚、攣る!!!、・・・あぶね~、よし、ゴール!!!

振り返ればやはり去年よりも遅く、
体は去年以上にがたが来てて、
それでも、意識ははっきりしてて、それほど疲弊はしていませんでした。

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配っていたエアーサロンパスをその場で1本まるまる使い、着替えを済ませ、
どうしてタイトなズボンをはいてきたのかと後悔し、
設置しあった足湯にしばらく浸かり、
・・・会社へと向かって今年の東京マラソンは終わりました。

今年の目標は5時間をきることだったのですが、大幅に上回る6時間以上。

後で調べてみたら、たんぽぽの白鳥さんにも負けていました。

もしも次の機会があるとしたら、

ちゃんと目標を決めて、それに見合うトレーニングをして、
疲れを残さないようちゃんとケアしてあげる。

そしてなにより、もっと楽しく走りたいなと思いました。


この日、禁煙90日の為、余市のシングルカスク15年をたしなみました。

それはまた別の機会に。



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ここ最近、メディアを賑わせている、現代のベートーヴェンこと、佐村河内氏の事件を見て思った。

美しさとはなんだろうか?

Hiroshimaと言う交響曲はクラシック界では異例の16万枚を売り上げるくらいだ、彼の全ろうと言うハンデから産み出された曲だから美しさを感じたということだけではないだろう。

曲そのものに美しさ、素晴らしさを感じたことだろう。

それは個々人の心のままに、だ。

彼を叩いているのはそのまま、彼の作ったドラマに感動した事に他ならないのではないだろうか。

騙された事が許せないと。

ゴーストライターの新垣氏が産み出した曲は単に素晴らしいものなのではないだろうか。

小林秀雄の言葉に、
『美しい「花」がある。「花」の美しさという様なものはない』と言うものがある。

ずっと意味がよくわからなかったが、ある時、
『花そのものが持っている美しさというものは無く、花を見る人に、その花が美しいと思う心がある。』
と言うものなのだと行き当たった。

今回の事件で廃盤にされてしまう曲たちにも同じ事が言えるだろう。

事実が明らかにされた今、その曲は再評価すべきなのではないだろうか。

もし仮に、再評価の結果、駄作というのであれば、評価していた人達の殆どが音楽そのものの美しさをわかっていないことになり、
背景のドラマにこそ価値を見出していた、見出していたいだけなのだろう。

そもそもゴーストライターなど実際、どの業界にもゴロゴロいるのに、真面目に告白したら鬼の首を取ったように非難するのはどうかと思う。

事実を明らかにするのはいい。
義憤にかられるのはわかる。
けれど、追い詰めてはいけない。
罪があるのならそれを償わせるのは人ではなく法なのだ。

騙されたことで怒って良いのは曲の良し悪しなど関係なく、ただ彼の人生に同情し、協力してきた人々だけではないだろうか。

片腕のバイオリニストの女の子はその1人だろう。

彼のために折った千羽鶴を見ると彼女にはこの事件は伝わらないで欲しいと切に願う。








iPhoneからの投稿
ここ60日、禁煙している。

吸いたいかと言われば、Yesですし、
はてまた、
吸わなくても気にならないかと言われてもYesです。

備忘録的にきっかけと自分なりに気が付いたことを書き留めておきます。


まず、きっかけはというと、
・・・・一つには絞れません。

私はタバコが大好きで、数年前の値上がりでやめるやめないと周りが盛り上がる中、全くやめる気も起きませんでした。
多少の値上がりごときでタバコを切り離した生活というものを考えることができなかったし、考えられなくても良いとすら思っていました。

そんな自分が煙草を吸わなくなるようになったことは正直今でも自分が一番驚いていると思います。


何故やめるまでに意志が固まったのかといえば、
小さなひっかかりが積み重なって、うっかりトリガーを引いてしまった。そんな感じで禁煙するようになりました。

その小さな引っ掛かりはというと、

一つに、超ヘビースモーカーだった知り合いが、いつの間にか禁煙してその結果、
タバコを持っていなければならないストレスからの解放は凄いぞ!と言っていたこと。

一つに、ウイスキーを飲む際に最初はつまみとしてのタバコというポジションがありましが、ハイランドやスペイサイドと言った華やかな香りのウイスキーを飲む時にタバコの匂いが邪魔して味わえなかったこと。

一つに一度一年くらい禁煙していた事もあり、いつでもやめられると思っていたところ、やめた人と話している時に一番やめられない人は、いつでもやめられると思っている人と言っていたこと。

一つにタバコをやめると冷え性が治ると聞いたこと。

一つにタバコとコーヒーの組み合わせは最高!と思っていたが、コーヒー単品でも美味しいよと言われたこと。

一つに会社で自殺者が出て以来、10年以上タバコをやめていた社長が吸うようになったこと。
要はストレスで吸ってしまうのは当然だ。でも、自分に少しでも非を感じるなら吸わないことの方が辛いのではないだろうか?と疑問に思ったこと。

そして、トリガーは、
ブックオフでなんとはなしに手に取った、
「禁煙セラピー イラスト版」に軽く、恐らく1、2分でしょう、パラパラと目を通したことです。


当たり前のことすぎて、改めて書くと恥ずかしいのですが、

タバコでストレス解消してるというけれど、吸ってない人は吸わないでもストレス解消できている。

そんな内容がしばらく頭から離れませんでした。

次の日何と無く本数を減らして見ました。

いつもは1時間に一本程度。
それを徐々に吸わない時間を伸ばしていって、吸ったいつかの一本に衝撃を受けました。

初めてタバコを吸った時の様な感覚です。
が、その時よりも血管にハリはなくなり、細胞自体の活動も衰えているからでしょうか、
初めて吸ったときよりも一層、朦朧とし、頭に行くはずの血液が途中で留まり、循環してるように感じられず、ギューっと孫悟空の頭の輪がしまってくるような感じを受けました。

そこで、こんなにも血液の循環を妨げていた、これほど体にストレスを与える行為を習慣的に行っていた自分自身の無茶ぶりに恐ろしくなりました。

とは言うものの、これだけ世間から忌み嫌われているタバコです。
その悪影響が耳に入っていなかったとは言いません。
好きで吸っているから肺がんになるのは自己責任だし、寿命が縮まるという考え方も、人間の死ぬときは決まっている。だから、吸おうが吸うまいが、死ぬ日は同じであると運命論に寄っていました。

だから、いまさらタバコがもたらす悪影響を実感したところで、
吸った時のふわーっとする感覚をやめたいと思うまでには行きません。
こんな体験はタバコでしか得られない感覚です。

けれど、ふと、
『好きだ好きだというけれど、この感覚のどこがどのくらい好きなんだろう』と思うようになりました。
冷静に考えると美味しさもあるし、くつろいだ感じもするし、コーヒーと一緒だと美味しいけれど、焼いた葉っぱを吸って体を汚して、無ければイライラしてしまうタバコから得られるものってたいしたことないんじゃないだろうか?と思うようにもなりました。

とはいっても、何かあるごとに吸いたくはなります。
そして、吸います。
そして、上記の質問、『タバコを吸っている理由はなんだろう?』と吸う度に自問するようになりました。

減煙し始めてから、最初の休みにブックオフで禁煙セラピーを購入しました。
本当はイラスト版が欲しかったのですが、どこにも置いてませんでした。仕方なく買ったのは、通常版のものです。

読んでみると、
いきなり、本を読みながら吸って良い。と書いてありました。

(この時、フライングして減煙していた事をほんの少しだけ後悔しました。笑。)

そして、
読み終わった後に吸いたくなくなってるはず。
と書いてありました。

また、吸いたい気持ちはそれ程長続きしない。少し我慢してみるみたいなことも書いてありました。

いやいや、こんな風に何となく抜き出すと分かりにくいので要約してしまえば、

喫煙者のタバコを吸う理由は幻影だ。突き詰めて考えて行くと、いかに考えなしに吸っているかがわかる。
わざわざ中毒になって、お金を消費して、体を悪くして、ストレスも解消できていないものを吸うとは如何に?

著者は超が何個も付くほどのヘビースモーカーだったそうです。
そんな彼がやめたし、誰にでも出来る方法だと豪語する。

ならば、私は本を読み、読み終えたころ、吸いたくなくなっているからきっと禁煙はつらくないだろう。と思ってましたし、
そんなにやめたい!何が何でもやめよう!とは思っていませんでした。

ただ、タバコを吸わない日が長くなるという感じに近いです。その感覚は今でも同じです。
まぁ、この体でタバコの煙を吸いこみ、ニコチンにどっぷりつかり、いつの日か吸ってしまうかもしれないことを考えるとこれから先、一生禁煙しているとしか言えないのかもしれません。


やめるに当たり、懸念があります。

タバコをやめるとイライラします。

落ち着かず、些細な事に反応してしまう。

結果周りに予期せずあたってしまうような事があるのではないかと心配になってしまいます。

以前勤めていた会社の上司も突然禁煙し、毎日イライラしていました。
たちが悪いことに、イライラしていることを認めないので、回りとしても対処のしようがありませんでした。

禁煙している時ほど、タバコについて考えているときは無いように思えます。

吸いたくなったから考える、考えるから吸いたくなる。でも吸えない。そしてストレスになる。

結果、根性で1週間。その後は自分との戦い。そして、一本くらいならいいかと周りの人間から貰って、貰う本数が増え、貰いっぱなしじゃ悪いからと一箱だけ購入し、結果もとに戻ってしまいました。

そんな姿を見ていたものですから、周りにあたるようになるのは避けたいな。避けたいがために吸ってしまうことはやめよう。と思っていました。

それにはタバコのことを考えないかタバコのことを真正面から考えるのがいいと思いました。

タバコのことを考えないようにするといつの間にか吸いたかった気持ちを忘れてしまうこともありましたし、タバコのこと、悪影響だとか、ここで吸わなきゃ二日やめているとか、美味しいけれどそうでもないよなとか等を考えているといつの間にか波が去っていきました。

それでもダメな時は吸い。

次はもう少しだけ間隔を空けようとか、

今でも、タバコの匂いを嗅ぐと吸いたくなることもありますが、でも、吸ったところで何も変わらないし、また頭が締め付けられるだけだと思うと吸いたくなくなります。


さて、
本格的にタバコをやめてから、自分が吸っているタバコの新作が出ました。
うわっ!これは吸いたい!!
なんか、かっこいいし、どんな味がするんだろう!!気になるなぁ。

…まぁ、吸いたくて吸いたくて死んじゃう!って思ったら吸えばいいか。

そんな感じにタバコを吸いたくなった時には吸ったらどうなるか?なんで吸いたいのか?どのくらい吸いたいのか?を考えるようになりました。

私はこれまでタバコが大好きで大好きで吸っていた。
そう思っていましたが、実はそうではなく、暇つぶしに吸っていた感が強いことに気がつきました。

だから、ふとバルコニーを見たときに柔らかな日が差し込んでいたりすると、タバコを吸ってみたくなります。

待ち合わせに早めに着いて、ふと持て余した時間にタバコを吸いたくなることがあります。

寒い日は煙と吐く息の白さが混ざり合い真っ白くてやわらかい煙が吐き出せます。

吸ってない人にはぴんと来ないかもしれませんが、こんなどうしようもない造形がほんの少し楽しかったりします。こうして書いてしまうとなんともくだらないと思います。笑。

そんな時は毎回、
おおー!こういう時に吸いたいんだ!!と気がついていなかった自分の時間の過ごし方に驚いたりします。

タバコをやめて良かったかというと際立ってよかったことはあまり無いような気がします。
まあ、悪くない程度。

でも、確かにたばこを持っていなくても気にならなくなったことと喫煙席を探し周らなくてもよくなったので、どんな喫茶店でも気兼ねなく入れるようになりました。

体感的に、月二万位は浮くし、使える時間も長くなった気がします。

単純計算すると大体月に一日分の時間は浮いた計算になります。

これも趣味として考えれば一日くらいの時間はとって当たり前でしょうし、無駄なものと見てしまえば貴重な一日を浪費していたと考えられるでしょう。


私自身、まだまだ、いつ吸ってしまうかはわかりませんが、今のところ吸わなければならないような事は起こっていませんし、きっとそうそう吸わなければ乗り越えられないようなことは起こらないと思っています。

長かったタバコ人生を振り返ると、周りには意外とタバコをやめたいけれどやめられないという人は多い気がします。

それはきっと自分に合ったやめ方に出会っていないからだと思います。

正しい知識をもって正しく対処すれば、それほどの苦も無くやめられます。

外来に行ってやめられる人もいれば、こうして本を読んでやめられることもある。

何もなしに自分の意志だけでやめてしまう意志の強い人間もいることでしょう。

私などは意志も弱く頭も悪いしだらしない。一貫しない論理などざらだし、根性も努力も嫌い…というか、持ち合わせていない。

一般的に本当に駄目な大人だと思っています。

けれど、だからこそ、私がやめられるのならきっと誰でもやめられると思っている。

もしも禁煙しようという人がここにたどり着いたら、一言言いたい。

絶対にやめられます!と。




後ほど参考にしたサイトと本を上げることにします。



【追記】

まずは禁煙セラピー

読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)/ロングセラーズ

¥945
Amazon.co.jp

そしてイラスト版

禁煙セラピー イラスト版 [セラピーシリーズ] (ムックの本 820)/ロングセラーズ

¥950
Amazon.co.jp


そして、仕事の合間(!?)に見ていたのが

禁煙先生のブログ。


http://blogs.yahoo.co.jp/kusamac99

書いてある事はほぼ禁煙セラピーと同じです。

吸いたくなったり、吸っちゃおっかなと思ったり、タバコを吸う言い訳を
し始めた時に開いてました。

あと、禁煙セラピーでは減煙も代替品のガムなども進めていません。

減煙は根本的な解決ではないし、代替品も口が寂しいというのをごまかしているだけなので、
口が寂しいという感覚はそのまま残ってまうからです。

しかし、自分は読む前から減煙し、ガムやら強烈ミントのタブレットやらを買い込んで口寂しさに備えてました。
けれど、減煙は減煙でニコチンの悪影響を実感できましたし、ガムも思ったほど食べませんでした。けれど、濃い目のコーヒーは良く飲むようになりましたが、それも今では普通のコーヒーに戻りました。

タバコを吸わなくなって、何かなくしたものがあるのか?
何もありません。

今年は色々と整理していきたいと思っているので、
灰皿もライターもいらない生活は少し自由になれた気がします。


あ、それから、アプリで評判の良さそうなものが一つ。

禁煙ヨーガ呼吸というアプリです。まぁ、本ですね。

外来にかかるよりもずっと安いし、普段ヨーガをしていることからも興味があって購入してみました。

で、実際やってみたらいい感じでした。

ただ、自分がやったのは一日だけ。

こういう呼吸って結構真剣にやらないといけない気がして、
そうすると落ち着いて出来る場所というのがほとんどないんです。

だから、そのままこのアプリは使わなくなりました。

タバコを吸いたくなったら、数分呼吸をする為に場所を移動し、何しているのか訝しがられないところで静かに呼吸できる人、もしくは上手に立ち回れる人にはいいかも知れません。


今年は初日の出を見ようと大晦日は何時もより早めに床につきました。

と言っても、そうぐっすり眠れもしないので、3時位には目が覚めてしまい、
そのまま、読了したのが、この蛍の森です。

結果、布団の中で号泣する事に。

それが一年のスタートとして、良いのか悪いのかは置いといて、かなり衝撃的な変化がありました。

私には生理的に苦手なものというのがあり、何か、虫とか穴とかが密集しているものがどうしても克服出来ないものの一つです。
調子の悪い時ではトウモロコシでさえ凝視出来なくなります。

一時期話題になったツリーマンも苦手です。
そして、ハンセン病もその一つです。

知識として伝染しないと分かっていてもいざ目の前にしたら、言い知れぬ嫌悪感を抱くだろうと想像し、また、それを隠すことも出来ない自分を許容していました。

しかし、読み終えてからは殆どハンセン病の症状に対して嫌悪感を抱かなくなりました。
そもそも自分の考えていたハンセン病は実際も病状とは違っていたし、自分の生理的な拒絶感などその病気というだけで強いられた過酷な運命を前にしてしまえばなんとも矮小なものでしかありませんでした。

もちろん、実際私はハンセン病の方々と直にお会いした事がないので実際その場でどんな表情をするのかは想像できませんが・・・。

さて、
物語は現代の殺人事件とその発端となった過去の出来事と交互に語られます。その過去の出来事はハンセン病患者の歴史でもあります。病気である事で苛烈な運命を強いられた人々の物語です。

冒頭から人間の目を逸らしたくなるような残虐性を目の当たりにします。

ここで興味深かったのは読み手である自分自身の心持ちで、
こんな暴力的で差別的な発想は正しい知識を持ち得なかった遥か遠い昔だろうと、
時代が語られるまでは江戸時代などの文明開化以前だと思っていました。

もしかしたら、章の題命に書かれていたかもしれませんが・・・。


程なくして、それが数十年前の話だとわかります。

そこで、思い直します。

いつの時代も人は残酷だ、と。


極端な話、差別とは、
数十年後、ゴキブリが実は第3の性別だったとした時、過去を振り返る様なものではないかと思います。
今、ほとんどの人間がゴキブリは昆虫であると信じている。
そして、その挙動が恐怖を与え、人は罠を仕掛け、薬を散布し、そして、逃がさぬよう叩き潰す。
しかし、ゴキブリが人間と同種であり、男でも女でもないもう一つの性のあり方と再定義されたとき、上記のようなゴキブリへの対処法は差別であり、リンチであり、当然ながら人としてみていなかったということになります。

ほとんどの人が反省することでしょう。
知らなかった、仕方なかった。そう皆が皆慰めあうことでしょう。
そうして、より一層人間は残酷な存在になるのだと思います。


今でこそ、ハンセン病者に対する苛烈な差別はなくなったのかもしれません。
しかし、当時は国が隔離政策を立ち上げ、国民はそれに従い、拒絶反応を示すようになり、恐れは広く伝播して行く。

そして、恐れは人を残酷にします。

これは勝手な私の考えですが、
こういった状況の事、恐れに取り付かれてしまった状況を考える時、ポルポトを思い描きます。

彼がどうしてあれ程まで無茶苦茶な虐殺を行ったのか?

やり始めたら止まらなくなった。
止まらなくなったら止めてくれる人がいなくなった。
だから、やり続けた。

自分より優れている人間が怖い。
今後自分より優れてくるであろう子供が怖い。

だから、殺さなきゃ。

想像でしか有りませんが、
背筋が冷たくなるような思考です。

ただ、多かれ少なかれ大きかれ小さかれ誰にでもある思考だと思います。

恐怖に取り付かれ、それ以外見えなくなって、その恐怖の対象を忌み嫌い、排除しようとしてしまう。

実際に数十年前の日本のある地域では起こっていた事なのだと思うといたたまれない気持ちになります。
きっと、その時代に私が生きていたら、きっとハンセン病者を嫌っていたに違いありません。
足蹴にし、この物語で出てくるようにひどいことをしていたかもしれません。

そう思うと一概に差別してきた人間たちを一方的に責める気持ちにもなれず、かといって、ハンセン病者の耐え難い境遇には憤りを感じ、そして、表に出てくる人が本当に苦しめられた人では無いのかも知れない。本当に過酷な運命を強いられた人は表に出てくることなど出来ないのかもしれない。

この物語を読んでいるとあらゆる方向からレンガで頭を殴られたような衝撃を受けます。

人ってなんだろう?
差別ってなんだろう?
蹂躙ってどうしてするんだろう?
どうしてそんな残酷な事するんだろう?
テレビの向こうで被害者面していた人は実はうまく立ち回っていただけなのかも…。
全員が被害者ではないのか…でも、だからって…。


この著者の凄いところは、
文章で人を殴る術を知っているということでしょう。
それも、ノンフィクションで。

殴られた後は放心します。
そして、殴られた意味を考えます。
でも、分からないし解決のしようもなかったりします。

ただ、そういう世界も、事実もあるよね。と割り切る事が出来なくなります。

面倒臭い話ですが、
書き手には書き手の責任があり、
読み手には読み手の責任があります。

読んだからには考えなくてはならない。
と言ってもそんな強制されなくとも、
自分の知らない世界を知れば知ったことに対して思考し、行動するのは人の性でしょう。

新たな問題提起してくれる大変良い本でした。




蛍の森/新潮社

¥1,785
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