すっぴんマスター -20ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第28話/白亜紀の耐久力(タフネス)



ピクルのジャック・ハンマーの超人対決が始まった!

試合開始前にピクルがかみつきにかかり、それをジャックが武器(兼防具)としてタオルをつかい、うけとめて投げるという、反則スタートである。でも、試合開始前なんだかは関係ないんじゃ…


ジャックが打撃の構えをとる。噛みつき以前に彼は一流のストライカーだった。その彼の、ひとを回転させる強烈なアッパーも、以前のたたかいではピクルにまったく通用しなかったが、いまのジャックは噛道を極めてより洗練された技を持っているっぽい。メンタルもちがうかもしれない。じしんを象徴するようなあのアッパー…個人的には刃牙作品屈指の打撃描写だとおもうが、あれが通じなくて、今回も引き続き打撃ベースでいくというのはそういうことだろう。


ジャックの左ジャブっぽいストレートがピクルの顔面にささる。強烈無比であり、ピクルも何呼吸かおいてる感じだが、まあどうということもないらしい。さらに少し不気味ですらある笑みを浮かべるピクルを、ジャックが細かなパンチで叩く。そり返り、噛みつこうとするピクルを、今度は右ストレートで美しいカウンター。よろめくピクルの顔面にシャープな蹴りで追撃。まあ、タフなのはわかっているから、徹底的にやるということだろう。


だがピクルには通用しない。ダウンすら、尻もちすらない。笑ったままだ。でもジャックも少し笑ってる。その様子を、元祖タフガイの花山が客席うしろから見守っているのだった。




つづく



花山はこの件に関与しているのだから観戦は自然なことだが、この感じだとピクルのタフネスになにかしらコメントをしてくれるかもしれない。花山の場合は精神的タフネスもかなり大きいが、ピクルはふつうに首が太いという物理的理由があり、花山にとっても新鮮なタフさのはずだ。



ジャックの打撃が、ピクルとの初戦のときとどれほど違っているかはわからない。大きくなったぶん重さは増しているはずだが、恐竜を相手にしていたピクルからすれば無視できる差だろう。ちがいは、コンビネーションかもしれない。おもえばあの打撃の連打は鎬戦からあったものだが、気づかなかった。

ジャックは打撃のひとだと言っても、その要はパワーにあった。非常識なトレーニングと明日を見ないドーピングの合わせ技が生む一撃必殺の破壊力だった。そこに自負があったからこそ、すでに実力が知られつつあったピクルに対しても、初戦では真っ向勝負を挑んだのだろうと思われる。


それがどうしてこのようになったかというと、強さというのはそれだけではないということを、たとえば本部から学んだとかいうことがあるだろう。原因をひとつにしぼることはできない。さまざまな要素が、彼を噛道に押しやったのだ。その道において、ジャックは「噛みつき」をいかに技のなかに練り込むかということに時間を費やしたにちがいない。噛みつきを極めるということは、たんに咬合力を増すだけでは不可能だった。相手の技に反応し、流れるようなカウンターで、さまざまな強度の噛みつきを、パンチやキックと等価に行う。結果としてジャックはコンビネーション的なものに長けていったのである。









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第107審/生命の値段⑯




パソコンの調子が悪く、しばらくスマホからの投稿になりそうです。

最近はせいぜい4000文字くらいの短い記事ばかりなので、できるとおもうけど、ぼくフリック入力できないから、しんどいかもしれないなあ。あとコピペしたり文字の大きさ編集したりも意外と…。というわけなので、質量ともにハンパなものになること、お詫びします。



射場が有馬に呼び出されてどこか外にいる。待ち合わせの場所に着いたので射場は連絡するが、後ろ盾は誰かとか、病院乗っ取るのに仕込まれたんだろとかいうばかりで来ない。そしてまた移動を命じる。不気味なので、射場はその後ろ盾である壬生に連絡する。だが、この動作もけっこうギリギリだ。射場は見張られていると壬生はいうのだ。だからまずキョロキョロしないようにいう。有馬のことを調べた壬生は予想外に警戒している。じぶんと同レベル以上にまずい相手という認識らしい。ヤクザではないようだが、いちばん大切なのは面子であり、つぶされるようならほんとに殺すと。壬生もサクッと後輩殺してたけど、今回は射場や九条みたいなカタギもからんでるし、正面から相手どる以外ない状況では、警戒するほかないのだろう。


で、壬生のとっておきの九条が出動。これ、弁護士事務所とかではなく病院の院長室かな。

九条は、提示額5000万は必ず払うというふうに多少軟化した態度だ。病院は売却される。そのときに現金で払うと。しかし有馬は、嫌な感じにしぶる。正孝中心に病院を立て直すというニュースだ。そこから、九条や射場の後ろ盾、つまり壬生は、病院を高く売るつもりなんだろうと見抜いているのだ。ただ借金返済で済む話でもなくなっている。あと幹細胞ビジネスやりたい。

幹細胞のことはスルーした感じだが、九条は有馬の顔を立てて7000万ではなしをつけようとする。でなければ法廷で。というわけで、さすがに九条と法律で争うのはめんどくさいので、有馬は承諾。最後に射場の椅子を蹴りつけ、これが最後だと壬生によく言っておくよう告げるのだった。


白栖のようなつぶれかけた病院に取り入るには、理事長ではなく、第一抵当権を持っている銀行を押さえるんだと、いつもの寺みたいなとこで壬生が宇治に語っている。金融庁に指導を入れてもらったと。近くでネコと遊んでいる、例の白州次郎みたいな友人の知り合いに頼んでもらったらしい。これが大手だとまず無理だが、白栖は地銀と長い付き合いがあり、だからうまくいったと。

白州次郎は、壬生がたんに金儲けのためにやっていたら手伝わなかったという。病院の立て直しは世のため人のためになる。壬生の動機はわからないが、まあいい病院になるならそれもいいだろう、くらいの感覚かもしれない。


有馬の件も片付いた。壬生は、あとは正孝の問題を九条に解決してもらうというのだった。




つづく




正孝の問題とはいったい…。正孝はひとの共感能力に欠ける人物ではあるが、知能の高さゆえのようにもおもえる。先に理知による把握がきてしまうために人間関係が感情ベースでなく、またじしんでそのことを自覚してしまっているぶん、いっそうカルテ的把握をしてしまいがちなのだ。


人間的に問題はあるだろうが、医術に支障のあるものでもなく、壬生の知ったことでもないだろう。問題はやはりあの考え方、思想だろう。その思想ゆえ、正孝は次期理事長を断ってもいる。へたすると今回の病院立て直しの件は、正孝はニュースで知ったレベルで、説得されていないかもしれない。ただ、医院長になる、というふうではなく、あくまでスーパードクターとして関与することになるようだから、それならということで受けたのかもしれない。


特に気になるのは、新病院が富裕層向けだということだ。誰のための医療なのかを悩む彼が、患者を指定する病院を認めるとはおもえないのである。

彼は、延命治療に反対するものなので、発言からすると安楽死への傾きもあるかもしれない。そのことの是非はここではあまり重要ではなく、彼がそう考えるのは、患者にとってのベスト、つまりいちばんの幸福を考えるからだ。ここで「幸福をおもう」とは書かなかったのは、彼には「おもう」ことはできないはずだからだ。つまり、この思想は、理知によって生まれてきたはずなのである。


それが、「理屈でいけば真の医療はこうだ」というしかたであらわれたものなのか、それとも、彼自身がいっていたように、パターン分析による擬似的共感の結果そうなっているのか、それは不明だ。彼に共感能力が乏しいのはたぶんほんとうだ。たとえば、第1審に登場した少年、あの交通事故を通じて、正孝は九条に含みがあるわけだが、あれも、少年がかわいそうというより、じぶんなら足を切らずに済んだ、という悔しさが大きかったようにみえる。でも、それが問題でもない。少年が足を失ったことを悔やむことの底にあるものが、「かわいそう」であっても「じぶんなら…」であっても、行為的医師としてのちがいはないからだ。


だから、少年のことを反省する優しげなふるまいは、正孝の本性と矛盾しないし、もっといえば、その内面に起きていることはたんに医療従事者としてはあまり重要ではない。だが、その理知であまねく医療を見渡すありようが、富裕層をターゲットにする、などといった、まさしく「経営」的な目線を許容するのかということなのだ。要するに、正孝はひととして欠陥はあるかもしれないが、医療にかんしては誰よりも真剣で、必要以上に考えぬいている人物なのである。


これまでは、「生命の値段」のキャラクターを「対応」するものか「創出」するものかで分類してきた。「対応」するのが正孝や九条、「創出」するのが白栖や幸孝、それに相楽や射場だ。壬生だけが、両者を止揚するものと考えられたが、ともかく、いつでも「対応」できるようにあるために正孝や九条はプライベートを捨てた生活をしているわけである。それが、利用者をこちらから指定する、創出するありようを認めるはずがないのだ。


これを、ほかならぬ九条が説得するということなのだろうか。じっさいのところ、九条も「対応」ばかりではない。依頼人がすべての彼である、「対応」の結果として望まない仕事を強いられることもある。そのあたりの現実認識は、九条のほうができているだろう。しかし、身内の説得が通用しない頑固な正孝を、よりによって九条が説得できるだろうか…








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第27話/白亜

 

 

 

 

ジャック戦を待って闘技場に居座るピクル。その彼を、バキが訪ねる。するとピクルは、バキの言葉を拾って、「ヤル」という言葉を発したのだった。

 

もはや友人か保護者のようなポジションにあるバキが、赤ちゃんが立って歩いたときの親みたいなリアクションで驚きをあらわす。ピクルは続けて「ピク・・・」とまでいっている。やっぱりいちばん耳にする言葉を覚えるだろうから、当然だろう。「やる」は、いちばん耳にするということはないとおもわれるから、おそらくその以前に、発話の準備のようなことはピクルのなかで完成していて、あらわれた愛しのバキがくちにすることを真似してみた感じかもしれない。「ピクル」もそうかも。

ピクルの言葉を受けて、バキは、ジャックとやるのだ、ということをいう。そうしてピクルは笑顔で「ジャック」という言葉もくちにするのだった。

 

 

試合当日、会場には、バキが訪れたときと同様、ピクルがすでに体育すわりで待っていて、客はそのことにどよめいている。バキは帽子をかぶっているので客席にいるっぽい。

準備万端、薬をバキバキにきめたジャックも登場。ついこのあいだ鎬昂昇戦があったばかりでもあり、ファンが増えている印象がある。

ジャックは2メートル43センチ211キロ、ピクルは2メートルあまりに130キロあまり。ピクルの体重ってそんなもんなんだっけ。でも、都会暮らしでやせたりはしていないし、前から130キロくらいなんだろう。あの筋密度なので、嘘喰いの箕輪みたいに、250キロとかあっても驚かないけど。

 

まだ開始前。ピクルが発射してしまう。嚙みつきの動作だ。ジャックはこれをタオルで受け止める。ピクルがタオルにくらいついたところを釣り、ジャックがこれを投げる。ふつうに身長の高さから投げられたので、距離もなかったはずだが、ピクルは身軽に空中でからだを返して着地、ダメージはない。驚異的な運動神経である。

タオルは武器、そしてピクルは開始前に攻撃。双方反則を行ってから試合はようやく開始するのであった。

 

 

 

つづく

 

 

 

まあ、厳密にいえば、試合は開始していないわけだから、これは反則ではないことになるのだが・・・。でもそうなると試合前の攻撃という反則は存在しないのか?リングにあがったらいちおう最低限のそういうルールにはしたがうということに同意していることになるから、まあこれは屁理屈かもしれない。

 

ピクルがしている体育座りは、日本では軍隊教育的なものの延長にある、規律の象徴のようなものだ。手を封じ、その手で足を封じ、みずからじぶんの動きを制限するような座りかた、それが体育座りなのである。これを白亜のひと・ピクルがしているというのは興味深い・・・といってもけっこうむかしからしていたような気がするので、完全に思いつきだから、適当に読んでもらいたいが、これはピクルなりの制御心のあらわれなのではないか。ピクルには、武蔵以上に、その行動を制限する規範のようなものが存在しない。しかし、現代にやってきて、ある種の我慢をすることでご褒美がもらえるということを学んだのである。そういう心理描写は直近にもあった。こうして待っていれば、ジャックがやってくる。その直感が、彼をおとなしくさせるのであり、そのあらわれが体育座りである、というわけだ。

 

これと、ピクルが言語を習得しつつあることは無関係ではない。前回くわしく書いたが、ピクルが話せるようになることは、ピクルの弱化・強化、どちらにも転びうる。だが、少なくとも彼は以前とはちがうファイターになる。その先にあるのは、ジャック的ありようだろうとおもわれる。そこでは、嚙みつきは特別な技になる。言語以前のピクルは、人間的な意味での世界の分節は行っていなかった。分節を行っていないというのは、物事の区別を、言語的にはしていなかったということである。半分冗談だが、ピクルにとっては、克巳と範海王のあいだにちがいはないのである(克巳とはいちどたたかって、わかりあっているので、厳密にはちがうわけだが)。

それが、言語の習得によって、少しずつ分節がはじまっていく。すでに彼は「ピクル」や「ジャック」という発話を獲得した。それがそのまま意味につながるわけではないが、すでに兆してはいるわけである。そのとき、ジャックはジャック以外と差異化される。そのようにして、わたしたちは、少しずつ世界に線を引いていくことで、複雑な網目で認識を果たしているのだ。

そうした網目によって認識される世界の極限には、社会契約がある。刑罰の存在する法治国家がある。嚙みつきが「オンナコドモ」の技術とされる男根社会がある。もちろん、ピクルにはまだまだ遠い世界のはなしだ。だが、いま彼はそれに抗う究極人類ともいえる非エエカッコしいの具現、ジャックとたたかおうとしている。その影響が、彼に嚙みつきを分離させる。これまでただ食事とファイトが連続しているなかにあいまいにあった、拳と等価の機能としてのそれが、強力かつ政治信条的な意味を含む武器になりかわるのである。嚙みつきじたいのパワーは変わらない。しかしそのあつかわれかたが変わるのだ。げんに彼はいきなり嚙みつきからファイトをスタートさせた。これが強さにつながるものなのかどうかは、ジャックじしんが噛道でどれだけ強くなれたのかということと一体なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第106審/生命の値段⑮

 

 

 

 

秘書の池尾に罪をかぶらせる作戦でいた白栖と相楽弁護士だったが、九条の介入により、池尾はこころがわりをしてしまった。そこで相楽は、九条が反社ばかり相手にする信用ならない弁護士であることを伝え、じぶんは信用できるということを示す。スマホでカウンターを表示し、1秒ごとに支払う金額が減っていくというパフォーマンスをしたのだった。あの行為の要諦は、いま時間と自由を奪われているということを池尾に自覚させるところにあった。いま進行しているこの「時間」には値段がついている。無意味に自由を奪われるのでなく、その不自由に値段をつけたほうがよいのではないかと、こういうはなしだ。

 

あの場で池尾に回答を迫っていた感じだが、けっきょくこたえは出なかったのかもしれない。としたら0円になってしまっているはずだが、そこのところはどうしたのかな。とにかく、白栖に結果を聞かれた相楽は、確実に罪をかぶるだろうと、確信はありつつも池尾からたしかな回答が得られたふうではないこたえをしている。そんなふうにすぐ金で願える弱者が嫌いだと、相楽はひとりごとだ。

 

池尾は、今度は蔵人による取調べだ。カンモクしていれば最大20日までしか勾留できない、という九条の助言通り、池尾はがんばって沈黙を貫いている。蔵人は問い詰めたり人格攻撃をするタイプではないようで、楽しいおしゃべりをしようと持ちかける。ガサ入れした日、池尾の机にはカップラーメンがあったが、それがしょうゆ味だったのはなぜかと、戸惑う問いかけだ。おいしいものはいろいろある、なぜスタンダードなしょうゆ味なのかと。その前に蔵人はカップラーメンなんか食べないだろうと池尾はいうが、九条とよく似ているというか、蔵人は好きらしい。カレー味の残り汁にチャーハンおにぎりいれて粉チーズをかけるそうだ。なにそれ超おいしそう。

 

池尾は、じぶんはアンパイを選ぶ人生だった、だからスタンダードなものを選んでしまうのだという。その日のランチも鮭と梅のおにぎりだったらしい。電子マネーで病院のなかで買ったから、金の流れを調べている蔵人にはわかるのだ。それ以上に、池尾の行動原理を理解するためでもあるという。

蔵人が表情を変えて本題に戻る。白栖は池尾が独自の判断で不正受給をしたといっているが、梅のおにぎりで昼食を済ませる池尾がそんなタマにはおもえないわけである。池尾は、相楽からの1億円の提案に目がくらんだという。これをいうのはわりと大きい気もするが、蔵人はそこには特に言及しない。とにかく、池尾は相楽の申し出を受けないつもりのようだ。その前に九条に諭されていたから。不正が蔓延する会社からいいサービスは出てこない。病院の名前をかえて、役員を全員クビにしないといけないと。烏丸が引き継ぐ。まず法的観点から役員の刷新、新体制を築く。その対応は可能だと烏丸はいう。経営面では正孝の評価と実力を活かす。保険外診療も含めた高度医療サービスも実現させ、富裕層の誘致を行う。グループ展開まで視野にいれているらしい。そのとき、池尾はいまよりもっと重要な人物になる。なんかいつものふたりじゃないみたいだな。だが、それもこれも依頼人のためだ。弁護士は必ず依頼人の代理だと九条はいう。だから、依頼人の不利益はつぶす。転じて利益を求めるということだろう。

 

池尾は、泥舟に執着していたと蔵人に語る。次は新しいカップ麺を試すのだ。蔵人の取調べはある意味成功したのかもしれない。

そしてニュース。病院の態勢が一新する。正孝とはどうやって話し合ったのか、そのあたりはよくわからないが、射場がうまく動いているのかもしれない。病院の価値を上げるというのは、壬生の意志でもあるからだ。

 

だが、ニュースを受けた九条と烏丸の反応はきわめて謎めいたものだ。池尾はカンモクを貫いたという。目の前の金ではなく未来にかけた。そこまではいいが、九条はそこに、あと一手で詰みだという、謎の言葉を付け加えるのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

詰みって、白栖がってことなのかな。今回の病院刷新のはなしは、不正受給とは別ラインのはなしだ。病院がそうなる以上、もう池尾は白栖側のおもうとおりには動かない。とすれば白栖の最終手段もなくなってしまったわけである。白栖が退場し、正孝を中心にして病院が新しくなる状況は、九条、壬生の両者の望むところでもある。だが、壬生の計画は、不正受給等で信頼を失ったダメ病院を最安値で買い叩いて、それを最高の病院に仕上げたところで売る、というものだった。この「買い叩く」が、まだできていないうちに、きわめてポジティブな、イメージ刷新のニュースが流れてしまっている状況である。壬生は渋い顔をしているのではないか。いや、複雑すぎてよくわからないけど・・・。

 

 

一般に、弁護人が経営に口出しをするようなことがあるのかどうかはよくわからないが、今回、池尾が諭されたという九条の「代理」という言葉からは、ふつうに考えられる法律の専門家としての代理人としての意識を超えたものが感じられる。考えてみればそれも一理あるもので、依頼人はいま不自由な状況になるのだから、経営に限らず、依頼人の利益を守ろうと動くのは自然なことかもしれない。ただ、そこには越権行為というものがあるだろうとはおもう。そのたりのことはよくわからない。ここで問題とされるべきなのは九条の意識のほうだろう。

ふつうに考えられる本人‐代理人の関係というのは、時間的制約や専門的知識の多寡の差から、本人が実現し得ないことを代理人が変わって行うという状況だろう。弁護士は、ふつうの市民が身につけることの困難な法的知識と経験でもって、本人だけでは実現し得ないことをなしとげる。だから、まずは法的観点からの助言が最初に行うこととなる。だが九条の意識は、自由を奪われている状況の依頼人(本人)の利益ぜんたいを考慮するものなのだ。だから不似合いにもみえる経営のはなしなどもし始める。なぜかというと、いま生じている依頼人の不自由が、法律に基づいたものだからだろう。依頼人が、法的に不自由を課されている。その状況における法律の専門家としての九条は、ほんらいなら可能だった、もしくはまた別に代理人を立てるなりして実現できたことをぜんたいを、フォローしようとするのである。だからこそ、笠置雫の面倒を最後までみるようなことになるのである。これはそれほど不自然なはなしでもないのだ。依頼人にとって不案内な世界である法的実務をかわりにやるのが弁護士であることはまちがいないだろう。しかし法的事情で拘束されているものにとっては、そのものの行動全般を支援しなければならない。なぜなら、その不自由は法律によって生じているからだ。九条はこういう思考法でいるようにみえる。

といっても、どうもはなしはそれで終わらないっぽいので、九条がどういうつもりで経営のはなしなどはじめたのかは、しばらく見てみないとわからないかもしれない。でもいまは烏丸もついてるし、そんな悪いはなしでもないような気もするけど。

 

 

カンモクパイについては、なんだかよくわからない。事実としては、池尾はカンモクしていない。カンモクしていたらあの病院再編にいたるというようなはなしでもないだろう。ただ、よけいなことをいったわけでもないのかもしれない。この点では、九条と蔵人の意向は一致していたともいえる。つまり、池尾に罪をかぶせることなく、しっかり白栖の責任を追及するということだ。それは兄弟双方の望むところなのだ。つまり、ここでは、相楽の誘いにのって自白してしまわないことがカンモクだったのだろう。

蔵人の取調べがあのようなものになったのも、やはり目的が池尾に罪を認めさせることではなく、白栖の罪を暴くことだったからだろう。蔵人は、九条的にいえば、見えないものは存在しないといったタイプだ。しかし、同時に検事らしい正義感のようなものは強くあるタイプでもある。その視野が九条と比べると狭く、融通がきかないというだけのことなのだ。

蔵人には池尾というものは理解できない。世界は理解できないものであふれている。だが、彼は法律家的に「書かれてあるもの」として世界を認識するものである。だから、行動原理を理解しようとしたのだ。九条は、理解できないものを、ただ受け容れるだろう。理解する必要はない。ただ、存在していることを容れればそれでよい。しかし真実を探究する検事としての蔵人はそれを望まない。他者とは、記述可能なものとして発見しなければならないものなのだ。それが、今回に限ってはということだが、よい方向に働いたということなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第26話/純度勝負

 

 

 

 

噛み合うふたり、ジャックとピクルの対戦が決まった。いちどストリートファイトになりかけたが、花山の仲介で地下闘技場でのファイトに切り替わった感じである。

ジャックはピクルにいちど負けているわけで、このたたかいは、相手が言語での交渉ができないピクルであるぶん、ピクルがその気になってくれなければ成り立たない。そういう意味で、前回のやりとりは様子を確認するという意味があったのだろう。でも花山がきてくれてよかったな。

 

光成がバキにこのたたかいをどう見るか訊ねている。勇次郎と並ぶ強者で、どちらとも対戦経験のあるバキに聴くのは、適切なのだろうが、ちょっと強すぎて、参考にならないようにもおもう。

バキの見立てでは、咬筋力では五分だという。以前までは基礎体力やタフネスなど、要するにフィジカルではピクルが圧倒していたが、それは過去のはなしだとも。ジャックがうえだともいっていないが、以前ほどの差はないというくらいだろう。

バキはその根拠を、甘さが消えたことに求める。光成も同意だ。強さへの純度が増し、くもりなく勝ちたがっている。これは純度勝負、純度に古代も現代もないのだ。

 

 

地下闘技場にはすでにピクルがひざを抱えて待機していた。地下闘技場って、どのくらいの頻度でふつうの試合してるのかな。この様子だとジャックがくるまで動かなそう。

ピクルは言葉を理解できないが、これまでの経験、パターンから、あの大男、ジャックと再びたたかうのだということをわかっていた。あれとたたかい、噛み、咀嚼してひとつになるのだと、だいたいそんなふうに理解していたと。やっぱりいまでも倒したら食べるつもりにちがいはないんだね。

 

と、誰かがくるのをピクルがにおいで感じ取る。バキである。ピクルが露骨に喜ぶ。対戦中は魔術のような技をつかう彼に恐怖し、親子喧嘩のときはでしゃばって歯を折られていたが、苦手意識はもうないらしい。赤ちゃんみたいに声をあげ、手を広げて喜んでいる。いやかわいすぎるだろ。なにこのかわいい最強生物。

バキは暴力的なタイプではないし、いっかいたたかったら友達みたいなところはじっさいある。ピクルもそれを感じ取っているのかもしれない。また、死闘を演じながら互いに五体満足でいられた数少ない例でもある。ほんとうにうれしいのだろう。

 

ピクルはハグを求めていたっぽいが、自然手四つのようなポーズになり、それをバキが別の手で包み、語りかける。ヤルんだねと。すると、なんとピクルは、「ヤ・・・ル・・・」と言葉で応えたのである。

 

 

 

つづく

 

 

 

ピクルは非常に高い知能の持ち主でもあったので、いつかこうなるんではないかとはおもっていたが、マジでしゃべりはじめた。といっても、赤ん坊がお母さんの言葉を復唱するようなもので、まだ意味を理解しているとかそんな次元ではないだろう。しかしそれも時間の問題かもしれない。

 

もといた時代でピクルは、激闘を演じた相手を必ず食べなければならないという宿命にあった。すばらしいたたかいのできるライバルは、それだけで愛しい存在、親友だった。けれど、そういうものとは生存をかけてたたかわなければならない。そして、どちらかしか残らない。だから、彼はいつもバトルが極まると涙を流していたのだ。愛しければ愛しいほど、そのものとの別れが迫ってくるのである。そりゃ悲しいよね。

現代にきてからのファイトでは、幸い死者は出てこなかったが、烈や克巳は身体のいちぶを失うことにはなった。それまで彼の形状とは異なるものに生まれ変わらざるを得なかったのである。その意味で、そこにはたしかに別れがあったろう。ジャックのたたかいは異常すぎたので少し別として、そんななかでバキは、あそこまで徹底的に出しつくすながら、ピクルの戦意喪失という結果にいたり、愛し合いながらも別れが訪れなかった。これはピクルにはこれまでなかった経験なのである。愛したからといって失わなくていいということを初めて学習したといってもいいかもしれない。それが今回のあの反応を呼んでいるのだろう。

 

 

言語をもたないことは、世界の大洋的認識を意味した。ものごとを分節する手段をもたないので、事物と事物のあいだに落差がなく、連続しているのである。もちろん、ではことばをしゃべらない動物はどうしているのかというはなしになるが、彼らはにおいや音などを通じて、つまり独自の体系を経由させて世界を整理整頓しているはずである。ピクルもそうしていたはずだ。そうでなければ、克巳と範海王の区別がつかないことになる。

それが言語をもつようになるのはどういうことかというと、そうした人間の分類体系をもって世界を眺めることが可能になる、もっといえば、それでしか見れないようになる、ということにほかならない。その先には、ルソーのいう「憐れみの情」や法治国家もうっすら見えている。今回もピクルが想像していた勝利の先に訪れる食事はきわめて原始的で、非人類的な行動でもあった。勝利は相手の死を意味し、そもそも闘争は食事のために行われるのだから、食べなくてはならない。こういう原理でピクルは動いているのだが、この原理のどのぶぶんも、現代の人類には通らないものだ。勝ったからといって相手は死んでいるとは限らないし、闘争は食事を意味しない。こうしたことを、ピクルが理解していく可能性が高まるのである。

そのとき、ファイトの面でなにが起こるかというと、今回のテーマに寄せていえば、「嚙む」という行為のもつ意味の変容である。ピクルはたしかに嚙みつきを用いるが、それはジャックのものとは明らかに異なっている。「開いた手を握ると拳になる」くらいの意味しか彼にはない。なんというか、別に特殊ではないし、食べるときにつかう強力な顎が、闘争にも使えるという、それだけのことでしかない。だから、いきなりジャックに噛みついたときも、少し甘嚙みっぽい感じがあった。つまり、いうほどピクルは「嚙む」という攻撃方法にこだわりはないのである。

しかし、言語を通じた世界の分節が可能になれば、嚙みつきはにわかに特殊な技術になる。食事の動作にぼんやり含まれている顎の運動、というものを超えて、ジャックと同じく非常に強力な武器としてこれを用いることができるようになるかもしれないのだ。そう考えると、噛道的にいえば、ピクルは強くなるのかもしれない。「嚙む」ことを武器として意識的に使えるようになるのである。

 

だがそれは同時に、ピクルのファイトスタイルの変更も意味することになる。ピクルはいま、げんに強いわけである。嚙みつきを意識的に武器にしなくても、じゅうぶん強い。だから、そこに嚙みつきがあぶりだされて、ジャックと噛み合うようになることが、そのままピクルの強化を意味するとは限らないのだ。

 

 

このまま赤ん坊程度にでもコミュニケーションがとれるようになったらうれしいな。しばらくは相手の言うことを復唱するだけだろうけど。

 

 

↓今月発売の2巻、表紙がジャックだ!完全版など以外で表紙がバキでないのはすごく珍しい。

 

 

 

 

 

 

 

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