すっぴんマスター -20ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第100審/生命の値段⑨

 

 

 

 

ファクタリング詐欺の件で白栖雅之医員長不在のところ、事件屋の有馬というあやしい男が病院を訪れ、コンサルの射場と長男の正孝を詰めているところだ。

要求は、借金5000万円をいますぐ、今日中に返すか、それが無理なら3億で病院を譲ってくれというものである。

射場は落ち着いた様子で今日中に5000万は無理だという。いちおうこれは、返済を待った結果らしい。だけど、有馬は不良だ。事件屋ということだけど、有馬はファクタリング業者ではあるらしい。ただ手数料が法外で、悪徳業者ということである。しかしそれも違法ではない。ファクタリングという業態自体が、あいだに入るものであるから、事件屋と親和性が高いということかもしれない。それに病院が3億というのも安すぎる。けれど、現在病院が抱えている負債を考えたら妥当だと有馬はいう。雅之でないとはなしにならない、来るまで動かない、呼べと有馬は強気だ。

 

経営についてはまったく関知していないらしい正孝が、別のところで病院の現状を射場にただす。まあ、苦しいわけだけど、正孝のいいかたは経営者の当事者側のものではなく、なにかひとごとだ。

利益の入り方だが、医療機関は、審査支払機関に診療報酬を請求するのだが、請求どおりの金額が支払われないから、不足分を病院が負担することになるのだという。なぜ請求どおりに支払われないのかはわからないが、審査が厳しいというはなしだろう。そしたら、余計な負担はしないように、心理的にはなっていくかもしれない。「対応」「創出」の論点でいうと、出自的には「対応」にほかならない医療という仕事なのに、むずかしいはなしだ。

そんなことも知らなかったらしい正孝はじぶんの無知を謝罪するが、射場は笑顔で握手して、それでいいのだということをいう。

 

で、また別の時間、射場がへんなおどりをおどりながら壬生と話している。射場は経営のことがわからない医者を馬鹿にしているのだった。これは、たんに経営ができないから馬鹿だ、というはなしではない。射場によれば、たいがいの医者は、女の子と遊ぶことしか考えていない。肝心の医療についても、最新技術についてはうとかったりする。それを支えるのがじぶんのような医療コンサルだと。一介の医者が政治家とつながっているようなこともないから、新しい技術や薬についての情報がすぐに入ってくるということもないし、根回しも遅れる。だからすぐ経営難になって詐欺のスキームにはまってしまうのだと。彼のいう「経営センスがない」というのは、診療報酬の入り方すらよくわかっていない、というようなはなしはもちろんだが、こういう意味でもあったわけである。

壬生がからんでいることでもあるし、詐欺的な方法に雅之が流れるようにしたのも射場なのかもしれない。壬生の計画としては、価値を落として最安値で病院を買い取り、医者を優秀なものに入れ替え、病院の価値をあげて最高値で売るというものだ。射場はその、病院の価値を落とし、最安値にする任務を負っているわけだ。雅之のSM画像も壬生が用意したものである。いちど登場した片桐という、SNSにくわしい探偵に拡散してもらったそうだ。

で、壬生と有馬は無関係らしい。ふつうのM&Aは病院なんかにこない。わりにあわないからだ。専門知識がないと経営じたいが難しいのである。つまり、来るのはふつうではない買収ということになる。だから有馬は事件屋だろうというのが壬生の推理だ。有馬に対応するためということか、壬生は、最終兵器の九条に動いてもらうときがきたというのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

前回、今回と情報量が多く、なかなか、読むのがたいへんだ。

 

射場のいう、ドクターに「経営センス」がないというのは、専門家には往々にしてありがちな現象である。専門家は、ある「本人」のいたらぬぶぶんをカバーする「代理人」として活動するものである。患者じしんで手術はできない(し、じぶんで腹をあけるわけにもいかない)から、医者がかわりに行う。膨大な法律の文書を理解することは一般人には難しいから、弁護士が出てくる。こういうものが「専門家」なのだ。

それが専門領域に間接的に役立つのならともかく、専門家は、専門技術を駆使するのが任務なのだから、そうではない領域について知っている必要は(業務上は)ないわけだし、それを馬鹿と呼ぶのは、筋違いのようにもおもえる。じっさい一般的にはそうだろう。けれども、そのぶん、だまされやすくなる。なぜなら、その人物が携わる領域が相対化されるということがないからである。専門家は、専門的なことだけわかっていればじゅうぶんだし、それで事足りる。しかし、その専門領域は、世界から断絶して、単独で自律しているものではない。専門領域じたいも、外からみれば、世界を構成する一般領域の単位でしかないのである。だから、その領域にかんする知識というのは、じつは領域の際(きわ)にあたるぶぶんの知識も、ほんらいは含むのである。そうなっていないから、最新技術にうといというようなことも生じてくるのだろう。

 

この「経営センス」のなさというのは、正孝にかんしていえばより強化されることになるだろう。彼は、父の雅之や弟の幸孝以上に、原理主義的だからだ。雅之や幸孝は、患者を「創出」して利益をあげようとするものである。それもけっきょくは、コンサルからすれば経営ができていないからこそのその場しのぎにすぎないのかもしれないが、それでもそういう目線はある。正孝はそれを否定するものなのだ。患者は、つくりだすものではなく、あらわれるものである。そのために、豊かな医療技術をたくわえておかなければならない、いつでも「対応」できるよう、プライベートも犠牲にしなくてはならない、そういう考えかたでいるのが正孝なのである。ここまで専門技術というものに傾くものが「経営センス」などという外部的な視点を正確に身につけることは難しいだろう。いわゆる「職人気質」というわけである。

では、同様にプライベートを犠牲にして依頼人に「対応」する九条はどうかというと、九条に「経営センス」、つまり外部的目線があるのかどうかというのはよくわからないのだが、おもえば先週のラジオ体操のくだりにいたる、食生活の適当さみたいなのは、専門領域以外についての無関心をあらわすものだったのかもしれない。

 

ただ、その意味でいうと壬生の、なんというか如才のなさは、まさしく「経営センス」的外部の目線を宿したものである。とすると、彼は「対応」するものではあるが、同時に「創出」するものでもあるのかもしれない。よく「絵を描く」と表現されるが、裏側でシナリオを描いてひとをおもいのままに動かし、利益を得る能力が壬生は非常に高い。こういう人物を、「対応」するものか「創出」するものかというレベルで読み解くのは適切ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第99審/生命の値段⑧

 

 

 

 

逮捕された白栖医院長が弁護士の相楽を呼び出したところだ。

相楽はほかにふたり弁護士を連れてきているので、タイムチャージ制で実質3倍お金がかかる。1時間8万だという・・・。

 

ファクタリングは診療報酬を担保にして前払い的にお金をもらう。ファクタリング会社は当然そのことで利益を得るわけだから、利子もあるらしい。ファクタリングじたいは詐欺ではなく、診療を見込んで多めに申請して、架空請求するのが詐欺になるというはなしである。詐欺という認識はない、ちょっと架空請求しただけだと、雅之はこたえをいっている。

相楽についてきた弁護士のなかには女性がいて、朝倉優子という。キツイ感じだがキレモノっぽい。雅之は、例のコロナ給付金の不正受給から淫行、さらに今回の詐欺と、明らかに油断している感じがある。常軌を逸していると朝倉はいう。なぜか朝倉は淫行のことをいう。自粛したほうがいいと。

あんな恥ずかしい写真が出回ったのに、雅之には別になんということもないらしい。SMプレイは中毒だと。詳細について語り始めたので、朝倉がさすがに怒って「もう黙れ」という。しかし雅之は「良い女王様になりそうだ」とまったくこたえない。ただ現在は、写真がばらまかれて家族にも知られたことで、なぜか禁断症状は抑えられているという。

相楽がはなしをもどす。これだけ騒がれたら息子の正孝に病院を継がせるのは厳しいだろうという見解だ。しかし雅之は譲らない。正孝がだめなら(げんに正孝は断ろうとしている)婿養子に出ている幸孝に継がせるつもりである。

 

 

前に出所祝いをしていた屋上で、九条、烏丸、薬師前がくつろいでいる。九条はラジオ体操だ。烏丸に健康についていわれたことを気にして運動しているらしい。

薬師前が面倒を見ている笠置雫について語る。もうすぐ出てくる時期らしいが就職先が見つからないと。九条が最終的には雇うみたいなことをいっていたから心配はないだろうが、じぶんが女だからなめられているのかもと薬師前はいう。

 

 

 

「人を舐める人間は許容範囲が狭いから、

こんなもんかって思ったら、

まあこんなもんかって思えますよ。

 

理解させるのは犬に六法全書教えるくらい難しい」

 

 

 

さっぱりと「他者」をあきらめている九条の態度に薬師前もおもうところがあったらしく、烏丸とともにラジオ体操に参加するのだった。

 

 

雅之は、じぶんの不在中のことにかんしては、射場事務局長というコンサルに任せている。その射場に、相楽が連絡をとる。逮捕されたことも射場は知らないらしい。だが、なにかみょうな感じだ。債権回収会社のものがきているからと射場は電話を切る。射場の横には正孝がいて、部屋には黒服の男がたくさんいる。明らかにカタギのものではないが、ヤクザというふうでもない。正面にいる男は事件屋・有馬剛。雅之の借金5000万円を今日中に返すか、病院の権利を売ってくれと迫るのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

事件屋というのははじめて聞いたことばだったが、もめごとにわりこんで利益を得るものの総称らしい。流れからして、ファクタリング会社に雇われたのかもしれない。だから、カタギではないのはそうなのだが、有馬の表情の描きかたはどちらかといえば会話ができるタイプの人間のものだ。ヤクザや、交渉不可能な人物の顔はもっとこう、爬虫類みたいな顔をしている。それに、「有馬」といえば、烏丸の自殺した親友の名前である。たまたまか関係しているのか?いずれにしても、まだまだはなしは複雑になっていくようである。

 

 

雅之にとって、白栖病院は男根的な価値をもっている。病院が大きく育ち、そして持続することそれじたいに意味があるように考えるのもそのためだ。しかし、現実の病院経営は自転車操業で、うまくいかない。そこに見栄が生じる。それが、幽霊病床や架空請求という、存在しない「大きさ」である。

そうした見栄のはりかたには無理がある。それがおそらくあのSM趣味につながっているものとおもわれる。強く、大きいことのみを志向し、げんにそれを実現し続けるために、雅之は弱く小さいじぶんをどこかで表現しなければならなかったのだ。それを、彼は、虐げられる役割を演じるプレイを通じて達成していたのだ。

病院が男根的価値をもつものであるとして、では、彼が死んだあと、それはどうなるだろう。そこで、じぶんの血を引く男性の子どもにどうしても継がせたいというはなしになるのである。雅之は、白栖医院を一代で築き上げたわりには、妙に「一族」という文脈で語ることを好む。それは、結局のところ「白栖家」というよりはじぶんのものであるということなのだ。死後、もしくはじしんの現役引退後も、男根的価値を保持するために、彼はそれをじしんの分身たる息子に継いでもらわなければならないのである。

 

 

不在時の病院を間かさている射場という男は、案外たよりにならないっぽい。それに、こんな状況で相楽からかかってきた電話をあわてて切るというのもよくわからない。お金がかかるからだろうか。それとも、弁護士が関与する前になんとか解決しようと考えているのだろうか。

この場には正孝もいる。正孝は、父親の経営方針には反対であり、現在の白栖病院の姿を好ましくおもってはいない。かといってこんな病院いらないということにもならないだろう。ともかくそこには医療がある。患者がいて、助けを求めている。しかもそこはじぶんが実力を発揮できる場所だ。経営方針が気に入らなくても、それがなくなっていいはずはない。つまり、正孝は、好むと好まざるとにかかわらず、事件屋・有馬によって、「見栄」を含むマチスモ的なものに巻き込まれることになるのである。

 

今回は久々に笠置雫の話題が出てきた。闇金ウシジマくんでは、エピソードごとに時間の断絶が起こって、前後関係すら不明のものが多かったが、同様に副題をつけてくっきりテーマを呈示するスタイルにしつつも、時間的にはひとつの方向にはなしが進んでいく内容になっているようだ。

薬師前と笠置雫の図像が宿すものは当然女性というありかたの弱さである。どんなに正義を貫こうとしても、薬師前の前にはたんに女性であるという事実に基づいたガラスの壁や天井が出現することになる。これに抗うものとして亀岡という弁護士も登場したが、九条と亀岡は考えかたを異にしており、九条は、今回見えたように、ともかくあきらめるスタンスである。あきらめたところで見えない壁に阻まれて前に進めないという状況にかわりはないわけだが、気休めにはなるかもしれない。というのは、薬師前のように、非常に弱いものたちを救う立場のものには、むしろあきらめない気持ちが重要だからだ。笠置雫をあきらめないために、道を阻むものを納得させたり排除したりすることをあきらめる、それが九条のいっていることである。

そして、薬師前や笠置雫の行く道を阻むものとは、大きいことをよしとするマチスモである。大きいこと、強いことをよしとする男根主義は、相対的に弱い女性、また女性でなくても、ハンデのあるものが前に進もうとすることを拒むのだ。むろん、九条はどちらの味方でもない。性格的にはまちがいなく彼は雫の味方であり、仕事が見つからないときは事務所にこいということをいうくらいであるが、弁護士として手続きを守ろうとする彼は、どちらに与するものでもない、ゆえにどちらの味方でもありうるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第19話/父が子を誘う理由

 

 

 

範馬勇次郎とジャック・ハンマーの親子がホテルで会食中だ。

 

テーブルにはモリモリの骨付きラム肉が置いてある。ひとつひとつは小さいけど、とてもふたりで食べる量には見えない。

ウェイターが説明する前で、ふたりは勝手にはじめる。ふつうは骨を外すものだが、ジャックはポッキーみたいに骨ごと食べる。骨ごと食べるというか、骨も食べられる箇所のように当たり前にかじるのである。勇次郎はふつうに食べてるらしい。勇次郎も人間の骨格をしていないし、やろうとおもえばできそうだけど。

骨をかじり、くだく音がどういうものか知らないが、なかなか騒々しいらしい。個室で幸いだったと勇次郎はいうのだった。

 

食事が終わったところで、ジャックは、何故じぶんを誘ったのかと訊ねる。理由が必要かと勇次郎がいうのに対して、父親が自分について語るすべてを、余すことなく聞きたいとジャックは素直にいう。勇次郎はかなりうれしそうだ。見たことない顔だ。

勇次郎は、父親が息子を飯に誘うことのどこが不自然なのだと、わりと真顔でいう。以前ならこれはもう少し演技くさかった。刃牙との経験を通じて、これを本気でおもうに至ってるっぽい。

ジャックは笑いを隠しながら、それは普通の父と子のはなしでしょという。そりゃあ、そうだなあ・・・。範馬家では、勇次郎がどれだけ「父」になりきれたとしても、うそくささは拭い去れない。

ジャックは勇次郎の目を見ながら、特段敵意がある感じでもなく、素直な質問として、あなたはじぶんを普通の父親だとおもうのかと問う。勇次郎は「フツウ・・・か・・・」といって少し黙っちゃう。そして空を見上げ、考えたことのないと気がつくのだった。

まあ、たいがいのひとは、ふつうとはなにかなんて考えないとおもうので、こたえとしては勇次郎だからどうだというものでもないのだが、ジャックはそれを勇次郎らしい回答だという。まあ、勇次郎が「普通とはなにか、考えたことがない」というふうに読むと、たしかに勇次郎らしいかもしれない。

尊敬と憧れをこめてジャックは、人として、生物として普通ではないと勇次郎を評す。勇次郎はふつうにその言葉を受け取っているが、まともに見たら挑発文句である。ウェイターはたまらず退室だ。だが、じつはドアの外からなかをうかがっている。

勇次郎は、ふざけてるのか本気でへこんでいるのか、それを「人でなし」と言い替える。だいぶちがうとジャックはあわてるが、「尊敬と憧れ」に免じて許してやると。

だが、長いあいだジャックのはなしを聞いていた勇次郎は、いつのまにか闘争心でいっぱいになっていたっぽい。基本的にジャックは勇次郎をほめていたわけだが、そこに含まれる微量の挑発と、ジャックじしんの魅力が、勇次郎をその気にさせてしまったのかもしれない。デザートのタイミングだが、そんな柄でもないだろう、それより、何故イチバン手にしたいもののために踏み出さないのかと、勇次郎が髪を浮かせながら立ち上がる。

ジャックは落ち着いている。以前までには感じられなかった、強烈な自信が見て取れる。それは勇次郎のほうではないのかというはなしだ。あなたこそが俺を欲しいのではないかと。テーブルをまわりこんで立ち上がったジャックはほんとうに巨大だ。それを、勇次郎は泣かすぞという。ゴングも行司もない、襲いかかれば開始だと、ジャックは応じるのだった。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

いまのジャックはほんとうに強い。勇次郎、バキ、ピクルと、若干例外的に武蔵が強さとして並んでいるとして、範馬一族としてようやくそこにジャックが食い込むことができた感じだ。ほんとにたたかうなら接戦だろうし、すごく長くなるだろう。つまり、本気でははじまらないと見た。

だが、本気ではないならないで、勇次郎と接触することで、ジャックの強さがほんとのところどれくらいかわかるだろう。

 

勇次郎が「普通」を考えたことがないというのは少し意外でもあった。なぜなら、食事のマナーやいま見せている「父親らしい」ふるまいは、「普通」の目線を想像的に獲得することでとられているものだからだ。これについては、本人が普通であるかどうかは関係ない。「普通」とは、規範のことである。規範が、動詞になって働き、ダイナミズムを帯びている状態のことである。「エエカッコしい」のはなしにも通じるこの「規範」について、勇次郎は考えたことがないというのである。

ただ、ここでの会話は、「貴方は自身を普通の父親だと」おもうのか、ということで、それを受けて、勇次郎はいちど「普通」という言葉をかみしめて、考えたことないといっている。「普通」を考えたことがないのか「普通の父親」を考えたことがないのかで意味は微妙に異なってはくる。しかしここでは、いずれにしても「どのようにふるまうべきか」という規範について考えるものとして、同一にあつかうこととする。

 

勇次郎が「普通」を考えたことがないという状況については、みっつのものが考えられる。ひとつは、嘘をついているということである。ジャックは父の強さを崇拝している。そんな息子の前で、彼は引き続き「範馬勇次郎」を演じてしまっているのかもしれない。ふたつめは、勇次郎じしんが気づいていないということである。彼は、地上最強という孤独のなか、それでも食事のマナーのような、社会関係の網目のなかでのみ有効な、ローカルな作法を身につけている。そうなっているからにはかつてそこに渇望があったことになる。その場所で求められるしかるべきふるまいを選びたい、ふつうのひとがしていることをしたいという欲望があったのだ。そうして、彼は、地上最強ではない市井のひとびとにとっての世界を想像し、そうしたマナーを身につけたはずなのである。この過程が、すっぽぬけてしまっているのだ。たしかに、範馬勇次郎が「渇望」するなどということは、セルフイメージ的にもあってはならないことだろう。孤独の描写じたいが、バキ戦で初めて見られたものだった。勇次郎は、じしんの孤独を、忘れないまでも、なるべく見ないようにしている。その結果、「ふつうのふるまい」を求めたという事実も、無意識に見落としてしまっているのかもしれない。

そして三つ目は、言葉のまま、「普通」について考えることなく「普通」が実現しているということだ。これは、それこそ「普通」のひとなら、当たり前のことだ。たいがいのものは、ひとのものを奪っていいかどうか検討してから奪うことをやめる、というふうには生きていない。ただ、奪わない。しかし勇次郎はそうではないだろうというのが問題なのである。

普通の父親らしいふるまい、普通の食事のマナー、骨ごと肉を喰らう息子を見て個室でよかったとする普通の感覚、これらを、それがなんであるか理解しないまま、ほんらいそこに属さないものが身につけているという状況、それがこの三つ目の解釈だ。文化資本という考え方があるが、たとえば高い教養を、「教養」というものが存在しないような世界で、特に意識せず身につけるということは不可能である。

 

こうしたわけで、おそらく勇次郎においては、ひとつめとふたつめの解釈が入り混じったような自己確立が行われているのではないかとおもわれる。つまり、「普通」を模倣していることを、彼自身気付いておらず、そしてなぜ気付いていないかというと、そこには「範馬勇次郎」というセルフイメージがあるからなのである。「範馬勇次郎」たるものが、「普通」を意識して、孤独から逃れようと、擬似的な「社会」を体験しようとしていることを、自他にむけて示すことに彼は耐えられないのである。だから、そのような模倣が実行されたことを彼のこころの安全弁のようなものは忘れさせるのだ。

 

そして、おそらくこれが、勇次郎における「エエカッコしい」の本質なのである。孤独を貫徹せず、妙なところで社会性を発揮しようとし、じっさい身につけて行使している、そのことが、範馬勇次郎という存在にわずかなゆがみを呼んでいるのだ。ゆがみといってもそれは、前回見た「強さ」目線でいったときのはなしだ。ジャックが体現する「強さ」は、ある種の子どもっぽさからきている。強さだけ、それだけがあればいいとするものは、社会性なんか必要としない。そういう目線で見たとき、それは「エエカッコしい」になるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第98審/生命の値段⑦

 

 

 

白栖雅之医院長が検察に逮捕されたところだ。取り調べるのは九条の兄、鞍馬蔵人である。

内容としては、ファクタリングということで、またややこしいが、支払われる予定になっている診療報酬を債権にしてファクタリング会社に買い取ってもらい、先にもらうということのようだが、そのことじたいは違法ではないという。ただ、その際に架空の請求書を発行してしまったようなのだ。つまり、債権を発行した時点では存在していなかった売上を捏造したということだろうか。期日までにファクタリング会社に振り込めばよいと考えてついやってしまいがちらしい。ファクタリング会社としても、期日に同じ金額が支払われることになる。だが、その行為じたいは詐欺ということになる。

雅之はすぐに弁護士の相楽を呼ぶようにいう。どういう戦略なのかよくわからないが、蔵人は電話番号を聞いたり、調べてかけろといわれてから黙ったりする。白栖はこういう状況に慣れているということなのか、蔵人の拒否を見越すように、腕に書いておいた電話番号を見せつけて電話するように改めていうのだった。

 

蔵人が書記っぽいことをやっていた部下に白栖病院のこれまでを解説する。80億もの累積赤字を抱える病院を、医院長は徹底的な効率化と人事戦略で復活させた。アメリカで学んだスーパードクター、長男の正孝を中心にして呼吸器、消化器を得意分野として打ち出して医療資源を集中させた。だがじっさいは資金繰りにおわれて今回のような詐欺もやっている。ファクタリングより前に描かれた病床数の詐欺でコロナの補助金をもらうメソッドにかんしては、そのやりかたを他の病院に提供してなんらかの利益を受けていた可能性があるとまで蔵人はいう。蔵人は部下に、相楽に電話するようにいい、外でタバコを吸うのだった。

 

正孝は友人の山根と会っている。ぱっと見さえない感じで、正孝の友人というより金をたかる小学校の同級生みたいな雰囲気だが、医者らしい。

山根は、奥さんへの傷害で捕まり、離婚でもめていると、泣きながらいう。もとは嫁のいいなりで勤務医だったが、給料も悪いしきついから製薬会社の査定をする医者になったのだという。9時5時で帰れるのはよかったが、家事をおしつけられ、自分の時間がなくなっていった。そういうなかで否定的なことを毎日言われ続け、スーパーで軽く小突いたらわざと派手に転んで通報されたと。山根はストレスでハゲてしまっている。奥さんの心配をする正孝に、「山根のことも心配してるだろ?」と、急に山根がギャルみたいなしゃべりかたになる。いや、ギャルは名字で自分を呼ばないか・・・。

用事というのは、離婚の弁護士に払うお金である。気前よく封筒にいれたお金を預かり、山根は、いい弁護士の電話番号は記憶しておけと正孝に忠告する。山根は学生時代から正孝と知り合いらしいが、正孝は医師免許の性格判断試験で2回落ちているらしい。彼は、人の気持ちがわからないという。正孝はそれを、感情を学ぶ時間に勉強していたからだと解釈している。なぜ相手が不愉快になるのかが理解できない。だから、なにがダメかをパターンとして公式にして、生活を送っているらしい。そんな彼を知っているから、山根は弁護士のことをいうのだ。いつか必要になるということである。

 

そして、山根が国選からかえて無事不起訴にしてもらったという「いい弁護士」というのが、九条である。傷害の件を不起訴にしたのだ。離婚も引き続き九条が担当するが、裁判にするより和解して示談がいいのではというはなしである。そばには烏丸がいて、九条の不健康な食生活を指摘したりしているのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

白栖のもとにはさっそく相楽がやってきているが、ほかの弁護士をふたりも連れてきているので、3倍の金がかかることになるようだ。いちいちお金かかる感じにもっていくのだな。

 

ともかく、山根を経由して、正孝と九条とのつながりができつつあるわけである。

だが、もともと正孝と九条はつながりがあった。第1審の交通事故で足を失った少年の裁判を、正孝は追っていたのだ。あちこちの病院をたらいまわしにされ、最終的に弟の幸孝の病院で足を切除することになったことを、正孝は後悔している。これは、弟の拝金主義的なものと対立する考え方として、病院の理想像を述べる過程で出てきたはなしだ。それは、現行の医療システムの瑕疵への怒りと、じぶんなら切除させずに済ませることができたかもしれないという、技術的不足の瀰漫への怒り、それに、その少年の足を奪った犯人側の弁護士・九条への怒りがごちゃごちゃになったものだったのだ。

ふつうに考えると九条と正孝は対立しそうだが、いろいろなぶぶんで似ている。だが、決定的に異なるぶぶんもある。おそらく、九条と正孝は、互いに相対化するしかたで、システムへのアプローチのしかたを浮き彫りにする関係性になるとおもわれる。

似ている部分とは、以前(といっても休載の関係でずいぶん前のはなしになり、ぼくじしんあんまり覚えていないのだが)書いた「創出」と「対応」の、ふたつの取り組み方に関してである。これは、今回のはなしでいうひとの気持ちがわからない正孝のありかたともつながる。「創出」とは、患者や依頼人、つまり、病院や弁護士の客を作りだす、という意味である。「対応」とは、まず患者や依頼人が出現し、しかるのちに、医術や法律が誕生するという順に行われるものである。「創出」サイドは、現実の厳しさもあって病院経営を効率的に行う白栖医院長、次男の幸孝、そして医院長から火種をたやさないよう注意する相楽弁護士がいる。彼らでは、まず医者や弁護士がいる。そのために、患者や依頼人を作りだすのである。「対応」サイドにいるのは正孝と九条、それに壬生である。彼らはどちらかといえば原理主義的で、医術や法律の本質からものごとを見つめなおそうとしている。まず、患者や依頼人が現れる。そこに、技能をもつものとして自分達が駆けつけ、なんとかする。彼らの考える仕事の原像はそういうものだ。「対応」することが仕事である以上、彼らに定時勤務というという概念はない。患者があらわれたときが仕事のはじまるときなのだから、当然そうなる。すると、必然的にプライベートというものが失われることになる。かくして、妻をないがしろにする正孝、職場に住む九条という状況が生じるのである。ここに壬生が入るのは、壬生のような不良も、そういう生きかたを強いられるからだ。いつヤクザにさらわれるかわからない状況に定時などない。17時を過ぎたから今日はもう京極の手下が襲ってくることはないな・・・なんてことはないのである。

そして、原理主義的な彼らが、その手続きにしたがうとき、感情は無用となる。九条がこころのもっともやわらかいところにあるべき両親にかんする記憶をトラウマとして処理し、思考の道程からはずしていることからもわかるように、彼も感情を意図的に排除して仕事をするものだ。正孝は、ある種の症状として、そうした感情が欠けているようである。このぶぶんも、似ているといえば似ているが、いま意図的かどうかを記したことでわかるように、似ていないといえば似ていない。そしてその理由も明らかである。九条は、システムにしたがうために、手続きを守るために感情を捨て去る。たほうで正孝は、システムへの怒りとともに、現行の状況を嘆くとともに仕事をするものなのだ。

 

こういうわずかなちがいが、両者がもし接触することがあれば、浮き彫りになるのではないかと期待できるのである。むしろこの点については、正孝は、悪法を変えようとする烏丸に近いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第18話/初めてのこと

 

 

 

 

今回のチャンピオンは、『刃牙らへん』1巻発売記念でスピンオフ作品の短篇がたくさん載っているぞ!

ほとんどがストーリー的に意味のあるものではなく、単発的に魅力を伝えるものだが、疵面だけはちがう。疵面だけは、ふつうに続く感じのストーリーだ。期待していいんですか?このブログの、しかもこの記事読んでいるようなかたにはあまり意味のないはなしだろうけど、疵面はほんとにおもしろいから、バキ読者で読んだことないひとはぜひ読んでみてください。

 

 

本編では鎬昂昇戦を終えたジャックが、おそらく招待されるかたちで、勇次郎と食事を摂っている。これって、親子喧嘩が開始したときのあのホテルなのかな。だとしたらホテルのスタッフは気が気じゃないだろうな。勇次郎が息子を読んで食事という、同じ状況なわけだから。あのときも近くにウェイターっぽいひとがいたけど、同じひとかな。手元に該当巻がないからわからない。でも、そもそもウェイターでは勇次郎の対応は許されないかもしれない。

先に飲み物を用意するかということで、ジャックはものすごい戸惑いながら水をという。ウェイターはそれを解釈して、ミネラルウォーターを用意するというが、もちろんジャックはそんなつもりでいってない。なにか飲み物を好みで選ぶという状況じたいが、ジャックの人生にはあまりなかったろう。飲み物とは、たんに水分を摂取するための媒介でしかなかったはずだ。察した勇次郎が、水道水は出ないぞという。ジャックはようやく、ではミネラルウォーターを・・・と、息もたえだえになりながらいうのである。まだ状況をつかみとれていないっぽいウェイターは、ガス入りかガスなしか尋ねようとし、勇次郎が「水道水を注文した客にする質問か」と諌めるのだった。要するに、客に恥をかかせるのかということだ。ウェイターは、お客が「水」といえば「水道水」を想定するようなものであるということを見て取って、気をつかうべきだった。聞かずにおすすめのものにしてしまうとか。でも、勇次郎がそんなにおっきい声でいっちゃったらあんまり意味ないけど。

 

勇次郎の指示でドライシェリーが運ばれ、勇次郎は笑顔でグラスをかかげる。ジャックもなれないてつきでグラスを上げ、乾杯とくちにする。ジャックがひとくちで飲んでしまったのを勇次郎は楽しそうに見ている。うますぎて骨折レベルの大怪我をしたときの描写みたいに大量に発汗するのだった。初のシェリー酒、というか、乾杯が初めてだったということである。これは勇次郎にも意外だったようだ。勇次郎が想像している以上に、ジャックの人生は「強さだけ」だったのだ。

豚の丸焼きをぼりぼり食べるようなジャックには信じられないような料理が続く。鮮魚のカルパッチョは薄すぎてくちのなかで溶け、魚にはおもわれない。カナダ生まれということで、ナイフ・フォークの使い方の基本はできているらしい。はるか刃牙の上だなと、やはり楽しそうに勇次郎はいう。その「遥かに刃牙の上」という言葉に、ジャックは強く反応してしまうのだった。

やってきた白ワインのシャブリもジャックはひといきに飲み干す。飲み方は最悪だと、ため息をつきながら勇次郎はいうが、それも、マナーが悪いというより、うまいからなのだ。

つづく海亀のスープにジャックは山盛りの材料を思い浮かべるが、このリアクション、誰かもやってなかったっけ。バキか?

次は「オマールのしシャンパン蒸し アメリケーヌソース」という、どのぶぶんがなにを指すのかよくわからない料理だが、オマールというのは海老らしい。

ジャックの緊張も少しずつとけてきているのかもしれない。そして、料理がうますぎて、食欲が増してきてもいるのかもしれない。手でつかんで食べていいかというので、個室だからということで勇次郎はOKを出す。ホールではやるなよと。そうして、ジャックはまるごとバリバリ喰らうのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

ほんわかこころあたたまる親子エピソードのようでもあるが、最初に書いたように、現場がホテルということもあって、少し不穏でもある。最後に「無事終わるのか?」と心配してるのはウェイターなのだろうか。心配だよな。この前の親子会食はあんなことになったわけだし。

 

今回の会食がどういう方向に転がるのかにもよるのだが、ジャックにかんしていえば、彼がいままでどれだけの強度で「強さだけ」を求めて生きてきたかということがわかるものになっている。が、それと同時に、これは勇次郎の描写にもなっている。ひとつには、前回書いたように、彼がバキとの親子喧嘩の果てに「他者」を獲得したということに確認である。勇次郎は、明らかに「父親」としてふるまっている。それは、バキとの会食時にも見られたふるまいではあるが、前回のラストにあった「たまにはやわらかい物でも食え」というようなセリフからして、より自然なものになっているといえるだろう。バキとの会食は、親子喧嘩の前であり、したがって、勇次郎の父親としてのふるまいは、まだ「ふり」を出なかったものとおもわれる。すべてを腕力で押し通すことのできる彼には、原理的にいって「不如意」がなかった。不如意とは、他者の原風景なのである。だから、勇次郎は、ほんとうの意味では、「他人」というものを理解していなかった。ただ、じぶんの腕力でどのようにでも動かすことのできる人形のようなものでしかなかったのである。とはいえ、長いあいだ生きてくれば、「ふつうはこういうふうに他人というものを受け取るものらしい」ということはわかってくるだろう。それを真似していただけなのだ。

だが、ジャックに対するふるまいは、あくまで感触としてはということを出ないものの、もっと自然体なのだ。「やわらかいもの」のくだりは、要するに、「もっと『強さ』以外も味わってみろ」ということであり、同様に強さに生きるもののセリフとしても、語の余剰ぶぶんの多い、非常に人間らしいセリフといえるのである。ここに、勇次郎の人間としての成長が見て取れたわけだ。

 

そしてもうひとつ、今作ではおそらくこちらのほうが重要になるかとおもわれるが、彼の「エエカッコしい」のぶぶんが表出していると見る考えかただ。

 

はなしをもっともかんたんにしてしまうと、本作のテーマは、「刃牙らへん」のものたちは、刃牙や勇次郎をも含めて、「エエカッコしい」であり、ジャックだけが、人の目を超越して嚙道にたどりついたのだというはなしであった。これを「本部談話」と呼ぼう。この見解については、光成から加藤まで、作中人物はおおむね同意しているようであった。これはむろん闘争にかんするはなしである。実戦派の独歩も、技をきめたあとには習慣のように気合とともに残心の動作をとる。しかし、果たしてそれはほんとうに必要なのか、人の目を気にしてやっていることではないのかと、例外や解釈を排除してはなしをかんたんにしてしまえば、そういうことになる。この疑問が勇次郎にもあてはまるというのは本部談話からいわれていたことであって、たしかに、勇次郎には独自の美学のようなものがあるようではあったわけである。今回はそのことについて、闘争以外の視点で描かれているものと考えられる。まず、ウェイターの炭酸についての発言をとがめるぶぶんである。これは、ジャックがミネラルウォーターといわれて戸惑う人間であることを見て取り、接客業としてそこを汲むべきではないかと、ウェイターをたしなめる描写なのだ。相手がどういう客なのか見て取る、そしてそこで適切な行動を選び取る、さらには、第三者としてそうすべきだと考える、これらすべてが、きわめて社会的な動物としての思考過程であり、社会関係の網目のなかで生きるもののみが身につけている非常に高度な「読解」なのである。

さらに、ひとくちで酒を飲み干してしまうことを笑いながら指摘したり、「ふつうはこうすべきである」という規範がまずあって、それにジャックがしたがっていないことを、楽しそうに眺めるということを、今回の勇次郎はずっとしているのだ。この「楽しそうに眺める」という動作に、勇次郎の大人としての成熟と、「エエカッコしい」のぶぶんが同時にあらわれている。つまり、規範を守るものとして指摘し、教育しつつも、彼は成熟した大人としてジャックを認めているので、否定的にはそれを受け取らないのである。

そして最後の大海老ではついに、「個室」だからよい、というところにまでたどりつく。「ホール」でそれをしてはいけないのは、人目があるからだ。つまり勇次郎は、人目を気にする/気にしないの、絶妙な匙加減を、ジャックを通じて自分自身堪能しているのである。最後に、勇次郎はウェイターにむけて「しっ」としている。ウェイターがなにかいおうとしているようには見えないが、これはおそらく、まさしくそのウェイターが「他者」だからだろう。海老のまるかじりを見られてはならない「ホール」の住人だからだ。これは、見なかったことにしてくれ、そのために、いまはいないことにしてくれ、ということを、勇次郎はいっているのである。

 

問題になるのは、今回勇次郎が「大人」としてみせた「エエカッコ」を、ジャックがどう受け止めるのかということである。親子喧嘩の結果として勇次郎は成熟を果たし、「カッコよくふるまうこと」をたんなる美学としてではなく、一種の包容力をもつものとして実現させている。もっといえば、ジャック的な「ん人目を気にしない」スタイルというのは、成熟した勇次郎の目を改めて通してみれば、それは要するに未成熟の、「子ども」のものなのだ。だが、ジャックが「子ども」であることを貫くことで嚙道を極めたことも事実である。バキ世界の人物たちがジャック的なありようをおおむね肯定的に受け取っていることからしても、こうした「子ども」のふるまいは、「強さ」とは相性がいいということになるのである。このことをジャックはどう受け取るのかということがポイントだろう。勇次郎を通じてジャックはじしんのスタイルが未熟をよしとする「子ども」のものだということを実感しただろう。別に、それでいいといえばそれでいいわけである。強ければいいのだから。そこの葛藤がどうなるのかが、今後の論点である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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