すっぴんマスター -19ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第102審/生命の値段⑪

 

 

 

白栖病院に居座る有馬を追い払うために九条があらわれたところだ。有馬の前には正孝と、相楽の事務所の朝倉弁護士がいる。相楽は九条をしたに見ている感じだったが、朝倉はどうだろう。亀岡とか薬師前とか、敵意むきだしのまま九条がちょっと好きみたいな女性も多いけど、朝倉もほとんど同タイプになるような気がする。ぜんぜん女性あつかいしないのがいいのだろうな。

 

有馬を、九条は秒で追い出すという。建前上、取り立てにきているだけの市民を、いったいどうするのか?

方法は、意外とはっきりしたものだった。裁判所に面会強要禁止の仮処分申し立てをしてきたと。内容的には出禁みたいなものらしい。だが、有馬もよく見ているもので、依頼を受けたその足で来た口調だったのに、そんな時間あるわけないと、もっともなことをいう。だが嘘ではない。薬師前にそうお願いしてきたのである。

だとしても、そうかんたんに引き下がることはできない。警察に通報したらすぐ逮捕だと朝倉が応援に入る。しかし、有馬は逮捕を恐れているわけではないのである。そうして1分がすぎた。秒で追い出せなかったことを有馬はいうが、九条は60万秒も秒は秒だと屁理屈をいう。話しつつ、有馬は「隙がない」という。はなしの筋道に隙がないという意味かとおもったが、動きのはなしだったらしい。空手かなにかやってるのかと訊ねている。

有馬の連れの、ガタイのいいものが、ずっと舐めてるなと、九条に歩み寄り、強く肩を弾く。が、後ろに倒れつつ、相手の手をつかんだ九条は、じぶんの体重を利用してそのまま相手を引っ張り、腕をひねりあげる。ぶつかりおじさんに条件反射してしまったと、ひとを食った態度にかわりはないが、流れるような制圧術である。

男は訴えるぞというが、民事でも刑事でも争うとへらへらしたなかにすごみを含めて九条はいうのだった。

 

呼吸ひとつ乱さず、一貫して冷静な態度で、九条は続ける。院長逮捕、射場らが重要参考人として引っ張られている状況である、このあと病院には大規模な捜索差押が実施されると。そうなると、部外者は強制的にしめだされる。要するに、ここでがんばっても意味がないのだ。合理的な人間のはずだからわかるだろうと、烏丸もまた冷静にいうのだった。

 

そうして、有馬は帰ることに。ついでに、なにもしてないが、朝倉も帰る。有馬は特に悔しいというふうにはおもってないっぽい。それより次の一手だ。九条や烏丸がいうことは、彼も最初からわかっていたのだろう。あそこでがんばっていたのは、一種の取立ての作法みたいなものだろう。お金ないですか、じゃあまたあとで、というふうにしていたのでは、面目がつぶれて、こういう仕事はできない。こちらにはなんとでもなる準備があると、そういうところ見せなければならないのである。

 

 

次に病院にあらわれたのは蔵人なのであった。

 

 

 

つづく

 

 

 

九条は射場の代理人であるので、兄弟対決がようやく実現することになりそうだ。

とはいえ・・・ファクタリング詐欺からぼくには難しいはなしが続いているので、しばらくはただふたりの発言を追うだけの感じになりそう。

 

九条のあのからださばきはなんだろう。ちからはほとんど使っていない。押されて、倒れそうになる勢いのまま相手の手をつかんで引き倒し、途中で少し踏ん張って相手のからだを前方に流して後ろ手にとった感じだ。そもそも、あんな大柄の半グレみたいな男に肩を押されて冷静でいられることがふつうではない。ただ、すべきことは決まってはいるのだろう。これは九条の「対応」するものとしての身振りとみるべきかもしれない。ふつう、あのようなたたかいの現場では、双方からエネルギーが出て、ぶつかりあう。しかし九条は、相手の動作をちょっと編集しただけだ。暴力のエネルギーを、みずから生み出すことはない。だがそれが発生したときに、みずからは少しも暴力的エネルギーを発することなしに対応するすべは心得ているのである。

 

部下によれば有馬はあたまのいい男で、烏丸も、合理的な人間なのだろうとしていた。それが、居座ってもしかたない病院に居座っていた。ここには、反社としての面目を保つための作法や様式のようなものが感じられる。威嚇で飯を食うものには一貫性が求められる。こういう場合は許してくれる、という前例をつくってはならない。これはウシジマくんのギャル汚くんで描かれたことだ。だから、ある意味では、意味のない行為を続ける有馬にも、九条は必要だった。ここには医院長はいない。じきに検察がやってきて追い出される。なんなら逮捕される。そのことは、有馬もわかっていた。しかし反社として引くわけにはいかない。そこに、腹立たしいほどの冷静さで、九条がふらふらやってきたわけである。悔しさよりもどこか晴れやかさが勝るような表情で有馬が退却するのは、こころのどこかで九条を待っていたからなのかもしれない。

 

朝倉は、けっきょくなにもしないで帰ってきたことになるが、九条の判断で問題が解決したことを相楽がどう受け取るか、気になる感じもする。金が入ればなんでもいい相楽なら気にしないようでもあるけど、相手が九条だとどうだろうな・・・。

 

 

↓九条の大罪 12巻 7月30日発売↓

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

 

第22話/都心での生き方



今週、っていうか先週の刃牙らへんです。

更新がぐだぐだになっていてすみません。

最近モンハンライズ/サンブレイクを買ってしまい、そのせいではないのですが、そのせいで書きものに割く時間が…いやモンハンのせいじゃないんだった。


すでに九条掲載のスピリッツが出ているうえに、刃牙らへん掲載チャンピオンが明日発売…ということで、今日も駆け足で。



勇次郎とジャックの戯れが済んだあと、久々にピクルの日常が描かれる。ふつうに、人々の歩く道をボーっと進んでいる。

パンツを履くようになっただけでなく、かなり汚れてはいるが、上着まで着るようになっている。パンツはヒョウ柄で、上着も、汚れているぶん、なにか迷彩色っぽくみえる。人類として衣服を着用するようになったというより、そのほうが楽、安全みたいな動機による着衣かもしれない。


2メートル以上はあるピクル。猫背でも一般人よりはるかに高い位置にあたまがある。服からのぞく筋肉の隆起も到底ホームレス的ではない。つまり、なんなのかさっぱりわからないのだった。


ゴミ捨て場にやってきたピクルは、多くのひとが見守るなかで、たむろしていたカラス3羽を、手と口を使いいちどにつかまえ、そしていちどに羽も残さず食べ始める。

続けてゴミをじっと見てにおいを嗅いだあと、ゴミから流れ出る液体をすすりはじめる。描写的に、ピクルにはいいにおいに感じられたらしい。これは、飲んだら死ぬやつだ。通行人にもそう言っているものがいる。だがピクルはおいしそうにそれをすすりきるのだった。


また歩き始めたピクルの前に、光成とジャック。ピクルは、保存食にしたジャックのことを覚えているだろうか。実力差は歴然としていたが、倒してもまたよみがえるゾンビ的な相手として、ジャックはピクルを恐怖させた男だ。そのへんのことはピクルも覚えているかもしれない。だとしたら、保存食がまたこうして立っていたとしても、ピクル的には整合性があるわけである。


バカでかいピクルを、ジャックはすでに身長で上回っている。ピクルは純粋だから、サイズのちがいに混乱しているのかもしれない。

光成はピクルのにおいのことばかり言ってうるさいが、歩み寄ったジャックは迷いなくピクルを抱きしめる。ずっとずっと君を想い続けていたと。




つづく



ジャックの抱きしめかたはこころからの愛情や敬意が感じられる種類のものだ。


バキ世界では、「想い続ける」ことは珍しくない。たたかいたいという衝動においてである。じっさい、ジャックとピクルもそうなっていくのだろう。しかしここには別のものも感じられる。それが、愛であり、敬意であり、シンパシーなのだ。なにについてのシンパシーか。むろん、「エエカッコしい」ではない、つまり非「刃牙らへん」としての共鳴である。今回、いやというほど克明に、ピクルの日常が描かれたのは、彼が人の目なんかまったく気にしない、非「刃牙らへん」であることを示すためだ。カラスを捕まえて食べる描写に、ある種のカッコよさは見られない。野性という野性も、ピクルほどセンセーショナルな存在なら、もっといい描写はあった。しかし今回はそうならなかった。今回の描写の眼目は、彼にとっての必要のために発生する行動に、他者の目なんか入る余地はないということなのだ。


ピクルは原始のひとで、他者的なものに対する感覚も我々とは異なっているから、ある程度までこれは自然なことといえる。ジャックも、かなりのぶぶん自然に、求道者として噛道を選んできた。だが彼は現代人である。ときには、エエカッコをしたいという欲望が生じることもあるだろう。そういうとき、ジャックのあたまにピクルの姿がよぎるのである。だから、ジャックは、ずっとピクルのことを、敬意をこめて想い続けてきたのだ。



↓刃牙らへん 2巻 8月7日発売予定






管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

第101審/生命の値段⑩

 

 

 

 

壬生からの緊急の依頼で九条と烏丸が車で移動しているところ。渋滞でぜんぜん動かないということで、車をとめてキックボードで移動するのだった。間に合えばなんでもよし。

 

九条が向かっているのはもちろん白栖病院で、医院長の雅之が出てくるまで動かないと、有馬という事件屋が居座っているところである。暇なので有馬はぜんぜん楽しくないクソゲーをやっている。ふだん熱が出るほど詐欺の手口を考えることに集中しているから、なにも考えなくてすむスマホゲームは休憩になるのだという。有馬いわく、詐欺を考え出すには才能がいるという。市場とニーズを読むちからがなければならないので、それもそうかもしれない。そこに混乱と不安を見出して、安心と欲求を与えると。

 

正孝は有馬をおいて院内に出ているが、先月手術した患者をもう忘れている。個人としては認識せず、カルテを通して、症状で認識しているらしい。カルテの作成は患者と症状を分離させる方法なので、これはこれで正しいのかもしれない。

 

ナースによれば、事件以来、白栖総合病院は患者離れが深刻だ。正孝はどこか他人事っぽいが、コンサルの射場と、秘書の池尾、じぶんも検察に呼ばれているから他人事ではないという。じぶんも検察に呼ばれているから他人事ではない、ということだ。つまり、病院に関しては他人事ということになる。彼にとって病院は、じぶんの理想の医療と、身につけた技術を現実のものにする交換可能な場所でしかないのだろう。

ナースは、院内をうろつく有馬の手下のこともいうが、相楽に相談するとたいして気にしていない。でもナースの深刻な表情には気付いていたらしい。これは、前にやっていたナースと同じなのかどうかよくわからないが、手術前のあれの相手をすることのある人物ではあるらしい。だから妊娠でもしたのかとおもったらしいが、とりあえずちがった。もし妊娠していたらどうするのかと聞かれて正孝は、堕胎は専門ではないから他の医者に紹介状を書かせると、人間とはおもえない応答をするのだった。

と、正孝の目に、第1審に登場し、彼が手術をしなかったことで足を切断させることになったする男の子が見える。そのそばには薬師前もいるのだった。

 

相楽と雅之がガラス越しに密談。射場と池尾は逮捕される可能性がある、どちらかに罪をかぶってもらおうというはなしだ。雅之は借金のある池尾を推薦する。金を払って、出てきたら面倒をみるといおうということだ。

病院には相楽といっしょにいた女性の朝倉弁護士がきて、正孝とともに有馬に対峙している。借金返済まで有馬は居座る気だが、飲み屋のほうが居心地がいいという有馬に、では好きなところに行けと朝倉はいう。おもったとおり、有馬は一緒に行くかという反応を示し、前にも見せたことのあるキツイ態度で、調子にのるなと、朝倉はこたえる。

 

そこへ、九条がちゃらちゃらした感じで登場だ。正孝と九条の初遭遇の場面だが、あまり大きくは描かれない。だが、正孝が九条のことを忘れがたく憎んでいることにかわりはない。彼は即座に九条があの九条であることを認識し、用はないとする。だが九条は射場、つまり壬生の依頼で来たものだ。相楽が雅之の代理人であるのとは別に来ているのである。こういうとき、ややこしいな。協力したりすることがあるのか、それとも、通常は同じ事務所からそれぞれ弁護士がつくみたいなことになるのかな。でないとよけいはなしがこじれそう。

九条は軽い調子で立ち退くよう有馬にいうが、彼にその気はない。嫌だといったらどうするか。言うのは自由である。しかし有馬は秒で立ち去ることになると九条は断言するのだった。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

九条にはなにか奥の手があるようだ。法の抜け道的なことか、それとも有馬個人に属する弱みかなにかか?ともかく自信はあるようだ。

 

正孝は今回ちらっと登場した男の子の件で九条を目の敵にしている、というとどこかちがうのだが、なんだろう、彼の考える理想に反する存在のようなものとしてとらえている。正孝はどうやら男の子への感情移入のようなものを経て社会やシステム、それを象徴する存在としての九条に怒りを覚えているわけではないらしい。ではなにかというと、理想の実現を阻む関節のクセみたいなものとしてである。正孝の理解が少し難しいのは、彼が、行為としては慈愛に基づくようなものを採りながら、じっさいには最高の医療の実現を動機としているからである。彼自身、そのことには無自覚だし、行為としてそれが慈愛に近いものならば、どうでもいいともいえる。だが、少し深掘りすると、今回のナースとの会話のような不具合が生じるわけである。

 

しかし、この考えかたは、ひとの気持ちがわからないという、正孝のサイコパス的な要素ばかりによるものでもない。そもそも、カルテというものが、患者と症状を分離させるために成立した方法だからである。そのようにして、患者への、場合によっては感情さえ経由したようなアプローチを排除し、ただ科学的な目線のみで症状を見つめなおすことは、自然主義の文学にも影響を与えており、こうしたカルテ的文体こそ自然のありのままを記述するものであると、ゾラら当時の作家たちは考えたのである。

科学を用いれば、自然のありのままをとりだすことができる。たとえば、ものの移動や、時間のすすみかたは、体感によって差が出ることがある。つまらないことをしているときは長く感じる時間も、楽しいことをしていればあっという間だ。しかし科学はこれを同じ量のものと計測するのである。カルテはそうした哲学の医療面でのあらわれである。だから、正孝の思考法は、もともとの彼の人格によるところも大きいけれども、じっさいには「カルテ的思考」とでもいうべき、ある意味では標準的なものなのだ。つまり、正孝は医師に向いているというはなしになるのかもしれない。

 

ただ、それでいいのか、というのはまた別の問題である。今回のナースはそこに疑問を投げかけるわけだ。今回の「生命の値段」では、医療業界に疑問を投げかけるものとして、まず正孝があらわれた。それは、「対応」「創出」のふたつの態度で、医療者を区別するものであった。医師はほんらい患者の出現に「対応」するものである。だが、現実の厳しい病院経営は患者を「創出」することを要求する。この葛藤がまずあった。だが、「対応」するものとして、誠実に医師としての任務を果たす正孝は、そのぶん「カルテ的思考」に染まっている。それは、カルテを見なければ患者を思い出せないくらい、「患者」と「症状」をくっきり分割したものだ。「対応」「創出」のスキームで見渡すぶんには、だからなんだというはなしでもある。だがこれは病院経営と現実の施術の衝突がおこる現場でのはなしだ。では、ひととして、「カルテ的思考」は正しいのだろうかと、ナースの存在は疑問を投げかけるのである。

 

しかしこのことも、実はすでにこたえが出ている可能性がある。正孝は、理想の実現に邪魔なものとして九条をとらえるが、じっさいにはふたりはよく似ている、というはなしは以前にもした。「対応」するものには、拘束時間というものがない。道で急にひとが倒れたとき、飛行機のなかで「お客様のなかに医療従事者のかたはおられませんか」といわれたときが、仕事のはじまりであり、ということは、そういう偶然のタイミングがいつ訪れるか予測できない以上、彼の抱える全ての時間が勤務時間なのである。これは九条も同様である。こういうものにプライベートはありえない。だから、職場の屋上にテント張って寝るし、奥さんのことはおざなりになるのである。極論をいえば、「対応」者に誠実さを求めることはできても、一般的な人間らしい正しさを求めることは難しいのである。

 

 

↓九条の大罪 12巻 7月30日発売予定

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

 

第21話/ガラス

 

 

 

ジャックの挑発をエフエフ笑いとばし、ケツ叩きでしつける範馬勇次郎。

服のうえから叩いているのだが、その音は破裂音のようで、ホテルの外にまで響いているようである。少なくとも、同じフロアの、ドアの向こうにいる客たちは爆発かとびっくりしている。

続く震動はもっとすごい。地震にもおもわれるほどだが、現場にいる客室係、野中というらしいが、彼にはなにが起こったかわかるようだ。なにしろバキと勇次郎の親子喧嘩開始を見ているひとだからな。

 

ドアを開けて野中が目撃したものは、顔をガラスにめりこませたジャックである。叩かれたのはケツのはずだが、顔だけがめりこんでいる。このような状態になるのは、描かれていない追撃があったときか、ジャックが意図的にそうしたときだけである。無意識に受けてしまったケツ叩きをより堪能しようと、顔面でガラスに激突することをみずから選んだのかもしれない。ジャックならありえる。

戸惑う野中に、どこにでもある家庭問題だと、よく聞くことを勇次郎はいう。それよりも、勇次郎はジャックがガラスを突き抜けなかったことを気にしている。以前のバキ戦でガラスが壊れて交換してからこうなったようだ。強度の高いものにしたとはいってはいないが、この部屋を勇次郎がよく利用するから、死者を出すわけにもいかないホテル側として、そういうガラスを使ったということだろう。

叩き出せたものを・・・とかいっている勇次郎に、だって落っこちるじゃないですかと、すごくふつうのことを野中がいう。それは落っこちる側が考えることだと、わかるようなわからないようなことを勇次郎が重ねる。だいたい、40階程度で死ぬタマかとも、野中は「死ぬじゃないですか」とはいってないわけで、生きていようが死んでいようが、そもそもひとがガラスを突き破って落ちることがだめだといっているのだが、まあ、今夜の勇次郎はなんか興奮してるからな。

ジャックは顔を外に出した状態のまま景色をみている。耳は部屋側にあるので、もちろんはなしも聞いている。顔だけめっちゃ涼しいのかな。

 

顔を引っこ抜いたジャックは勇次郎の「落ちて死ぬタマか」という言葉を喜んでいる。ちょっと微妙に、ジャックがなにをいっているのかよくわからないのだが、ともかく信頼されていることがうれしいことはまちがいない。だが、たたかわない。今日はエレベーターで帰る。最後にお礼と、報われたという感想を述べて、ジャックは勇次郎を背に去っていくのだった。

 

ホテルの外に出たジャックは建物を見上げ、今日という1日を振り返る。そして、あの最上階から落ちていたなら、「トンダ環境破壊ダッタ」という。それはだめだと。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

価値観というか感受性が常人とちがいすぎていてつかみにくいはなしだった。

最後の環境破壊云々は、道路を破壊してしまうことをいっているので、いわゆる意味での環境破壊とは異なるが、これは要するに、じぶんの身体へのダメージより外部の、じぶんではないもの、つまり「環境」の損傷を気にする余裕があるということだろう。だが、その前の、勇次郎の言葉を喜ぶくだりでは、なぜか破壊される道路を先にイメージしている。ここのセリフを厳密に受け取ると、「地面を割り 破壊されることがわかる」というものであるから、ジャック、もしくはジャックをたたき出した勇次郎が「地面を割る」の主語ということになり、そうなると、「破壊される」のはジャックということになるが(道路が破壊される、ということなら、「地面を割り 破壊する(破壊してしまう)ことがわかる」というような表現になるだろう)、そのイメージ図にはジャックの姿はなく、道路が割れているだけで、ますますわからない。まああんまり深く追究しなくていいか・・・。

 

とはいえ、今回のはなしに見えた気になる点と、ジャックのいうあいまいな「環境」という表現が響きあうぶぶんもあるので、あいまいなまま書いておこう。それは勇次郎とジャックの関係には、少なくとも勇次郎とバキの親子喧嘩開始時にはなかった「他者」が介入しているということだ。ホテル側のガラスの付け替えのことである。

ホテルとしては、死者を出すわけにはいかず、というかそもそも40階からひとが落下するような状況がしょっちゅう起こるということは、勇次郎がホテルごと買い取るということでもなければ好ましいわけがなく、こういう対策に出るには自然なことだった。勇次郎はホテルに住んでいるようなので、あそこでの食事も日常なのだろう。そして、たまに今回のようなことが起きる。究極のばあい、ひとが落下する。そうとなれば、それを防ごうとするのは自然なのだ。こういうふうに、勇次郎とその現象を相対化するのが、ホテル、そして野中という客室係の役割なのだ。こうした状況は、バキとの親子喧嘩が終わって、勇次郎が絶対者でなくなるまでは、ありえなかった。絶対的であるということは、相対化できないということだ。大きさをはかれないということだ。そこに、他者からの評価がほどこされるということはありえなかった。けれども、バキ戦を経て、勇次郎の強さは依然として作中最強のものではあるのだが、それがバキを通じて計量可能なものに変容した。ガラスの付け替えはこのことの具体的なあらわれなのである。

 

そしてそれが、ジャックにおいては環境への配慮というしかたであらわれている。「環境」といっても、ここでいわれていることはおそらくenvironmentではなくcircumstanceである。ジャックがどういうニュアンスでいっているのかはよくわからないが、ともかく、じぶんが落下して起こるなにか「環境破壊」を、彼はよくないことだとしている。そのようにして、闘争によって生じる闘争以外のことを考慮する余地が、ジャックにというより、作中に生じつつあるのである。

書いていておもったのは、ジャックにはシコルスキー戦での電話ボックスという「環境破壊」もあった。あれはまさしくここでいわれている「環境破壊」、外部から見た非闘争者による闘争の相対化だったが、これは、連続する目撃者というようなしかたで以後ふつうの方法にもなっていった。「刃牙らへん」という言葉はどうも本部が初出のようだが、直後にはピクルを目撃した一般人の描写でその語が出てきたこともあり、この「一般目線での相対化」ということは「刃牙らへん」という括りの成立に不可欠の要素なのである。「刃牙らへん」は、「エエカッコしい」のものたちの総称である。そして、美学レベルのものではない、通常の意味での「エエカッコしい」は、当然「他者」の目線を想定しているのだ。勇次郎は、絶対者として流動的な最強戦線にある種の秩序をほどこすものだった。昨日勝った相手に今日勝てるとは限らないバキ世界に、唯一確実な「強さ」が、勇次郎のもつものだったのである。それが「絶対」ということだ。しかし、バキという並び立つものがあらわれたことで、それは完全さを失い、相対化可能なものとなった。そうして、そこに「一般目線」が入り込む余地が生まれたのである。ガラスの付け替え、不可解な環境への配慮、そして「刃牙らへん」という括り、これらは一直線につながった同系列の現象なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com

 

 

第20話/親子で涙

 

 

 

毎度更新が遅くなってしまってごめんなさい。

以前より職場環境よくなって時間はあるはずなのに、あいた時間にこれまでできなかったことをいろいろつめこむせいか、前よりぜんぜんブログに割く時間が減ってしまっています。書きものはふつうにライフワークだし、ぼくの根幹にある行為だし、いまでもなんらかのかたちで本を出したりできたらいいなとぼんやりおもう程度には情熱を傾けてはいるので、このような状況は望ましくない。なんとか改善していきたいですが、とりあえず、もうあまりおられるとはおもわれない、更新を待ってくださるかたに、お詫び申し上げます。

 

で、もう明日には新しいチャンピオンが出てしまうから、今回はものすごい駆け足でいきますよ。新鮮な考察とかは後日また。

 

ジャック・ハンマーと範馬勇次郎の会食は終わりつつあったが、ジャックの挑発っぽい言葉に勇次郎がこたえるようにして、たたかいがはじまりそうになっているところである。いちばん欲しいもの、父親を前にしてなぜ踏み出そうとしないのかと、勇次郎が立ち上がるのだ。

ジャックはそれをすこし笑いながら受け止め、余裕さえ見せつつ、じぶんも立ち上がって、欲しがっているのはあなたのほうだというのだった。

 

生物最強の存在である範馬勇次郎がなぜためらうのか? じぶんはそこまでの領域になっているのか? 要するに、勝てるかどうかあやしいレベルの存在にまでなってしまっていて、そのためにためらうのかと、ジャックは挑発する。ここまでのくだりをみると、前回の挑発っぽい言動は、そのまま挑発だったようである。

 

それを受けた勇次郎からは、その場で見ているジャックや、聞き耳を立てているドアの外のウェイターにもなんなのかわからないエフエフという異音を発する。もちろん、むかし、バキがリアルシャドーで巨大カマキリと聞いたときに見せた勇次郎の笑い方である。そして爆笑。いちど息を吐ききってふたたび吸い込み、爆笑。すげえ顔だな。

 

涙が出るほど笑ったあと、勇次郎は「かしこまれ」とジャックに告げる。見たことある流れだ。続けて怒鳴られて、ジャックは思わず気をつけをしてしまう。ジャックの余裕はほんものっぽかった。だが、無意識にそうしてしまった。肉体がそれを選んだのである。

そして、バキのときにも見せた勇次郎のお尻たたきなのであった。

 

 

 

つづく

 

 

 

勇次郎のエフエフ笑いは、「力み」であるとおもわれる。例の、「闘争とは力の解放だ」というやつである。

笑いは、闘争とは関係ないかもしれないが、勇次郎は闘争の際の力みが大きければ大きいほど、それを解放したときのカタルシスが大きいと感じるものなのである。つまり、思い切り笑いたいときは、限界まで笑いを我慢する。我慢して我慢して、ためこんだ笑いを解放したとき、彼はもっとも笑うことができるのである。

 

ジャックは親子喧嘩時のバキと同じ経路をたどっているようだ。

これがバキのときよりあとに起こっているぶん、ジャックは出遅れているように見えるかもしれない。だが、あのとき起こったことをおもえば、そう悪い状況でもない。なぜなら、同じ経路をたどって、バキはあの親子喧嘩で、奇妙な勝利を得ているからだ。今回のこれは、どうもたたかいにはならなそうだが、同じ道をたどるなら、ジャックも奇妙な勝利を手にする可能性は高いということになるのである。ジャックはその領域にまでたしかにたどりついたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com