すっぴんマスター -19ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第97審/生命の値段⑥

 

 

 

 

相楽と九条が駐車場で遭遇したところだ。烏丸との会話で法曹界の恥さらしと謗られ、それを九条が近くで聞いていたという状況である。

九条は、「守銭奴弁護士」という相楽の噂についていう。ものを食べながら不敵な態度である。

相楽としては、まず無礼だということもあるが、利益をあげるののなにが悪いというはなしだ。しかし九条は感想を述べたわけではない。世間の噂を教えてあげただけだ。

相楽は九条が高級車に乗っていることをいう。ヤクザの金でそうして潤って、よくいえたなと。だが、この車は依頼人のものだという。「長い旅」に出ていて、他の人間には気持ち悪くて預けられないと。相楽は「長い旅」を懲役と理解したようだが、たぶん壬生なのだろう。でも、いま九条と壬生は関係を絶っているという設定なので、乗っていて平気なのかなという気もする。

相楽も会長との会食で忙しいが、九条だって窃盗犯や売人の接見で忙しい。九条は、相楽のそういう言動でマウントをとられたというふうには感じないのだ。そんな彼に、相楽が忠告する。弁護士は、他人の人生のために自分の人生を切り売りしている。だから時間はとても貴重だ。単価の高い案件を選べと。会話もタイムチャージなのかと九条はひとを食った態度だ。口は災いのもと、後悔は先に立たぬぞと、相楽はいうが、むしろ九条は、後悔しなように、いまのスタイルを選んでいるのである。

 

 

これは、釈放された九条がブラサンと烏丸を迎えて、薬師前らがビールを持ってくるのを待っていたときの描写だ。週刊連載ではなかったものだが、11巻にはその場面が挿入されている。それが、今回まるまる入っている感じだ。ということは、今回のはなしが単行本に収録されるときにはこの場面がカットされることになるのかな。

九条は父より先に母を亡くした。それまでは父のいうことをきいてストレスをためながら勉強していたが、母の死でなにかがかわり、歯止めがきかなくなった。家出して補導されたり、父を怒鳴り声で罵倒したこともあるらしい。もうあんたからは何も言われたくないと。その後、嚙んでぼろぼろになった鉛筆で「後悔先に立たず」と一筆入れたら、もう何も言わないといわれたという。そして、縁を切られたのだ。相楽に後悔のことをいわれ、そのことを思い出したのである。

 

 

 

白栖家長男・正孝が手術前の、看護師とのおセックスを済ませたところだ。この件は内密にというが、ナースセンターで世間話レベルで話題になっていることである、ナースは、バレバレだというのだった。

手術はうまくいった。そこへ、たぶんさっき相手をしたナースが顔色をかえてやってくる。医院長が検察に逮捕されたというのである。

白栖は取調べ室みたいなところでしきりに椅子を動かして座ろうとしているが、固定されている。担当をするのは鞍馬蔵人なのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

不正受給については起訴を待つところだったので、この件には関係ないらしい。別件だと蔵人はいう。

 

「後悔先に立たず」のくだりは、何度読んでもよくわからない。

たぶん、ぼくの読解力が致命的に役立たずか、考えすぎなんだろうけど、その先に父から縁を切られるという流れも不可思議におもえる。

流れからすると、九条は相楽に「後悔先に立たず」だといわれ、そんなことは百も承知であり、むしろ後悔しないためにじぶんは依頼人と真摯に向き合っていると、こういうはなしだ。

「後悔先に立たず」の辞書的な意味は、あとで悔いてもとりかえしがつきませんよということだ。

これを、荒れていた九条じしんが書いたというのが、謎なのである。なぜならこのことわざは、未来をある程度予測できる年長者やその務めに長じたものが、そうではないものに向けて説教のニュアンスとともに伝えるものだからだ。いま、あることをしないと、あるいはすると、後悔することになる。そのときに悔やんでも遅い。だから慎重にふるまいなさいと、こういうふうに、ふつうはつかわれる。

これを、若輩者である九条じしんが書くのである。

つまり、九条は、父がいうべきこと、これからいうであろうことを、先取りしていっているのである。

九条の将来を、もしくは鞍馬一族の未来を憂えてしたものであっても、父が九条に勉強を強いるのは、未来を勝ち取るためだ。そうするために、後悔のないふるまいをとらなければならない。つまり、父の説教は、大雑把にいってこのひとことに集約されるものだった。

これを、九条じしんが、九条と、父に向けて書く。それは、あとで悔やんでも取り返しがつかないのだという自明のことを、じぶんは理解しているのだということを示すものなのだ。ただ「理解」しているだけではない。そこには、引責の響きも見て取れる。荒れていたことも、父を罵ったことも、すべて起きてしまったことだ。そのことの責任を引き受ける。この語は、おそらくそういう意味なのである。

じっさい、この「一筆」は、「誰」に向けて書かれたものか不明瞭である。もはや、これは誰かに意思を伝えるためのメッセージではない。まるで真理を表現した箴言のように、空中に放たれているのだ。そう、あなたがこれからいおうとしているそのままに、後悔は先に立ちませんよ、そういうものですよねと、北の反対は南ですよねというような調子で、自明のことであるように、ものの道理として打ち立ててしまっているのだ。そのことによって、父は何も言えなくなった。言うことがなくなったのである。父が、息子の理解していないものとして指し示そうとする老獪な智慧を、九条は標語のように取り出して壁に貼ってしまったのだ。

 

そうして、九条は父を遮断した。それを感じ取った父は、縁を切った。と同時に、これは九条じしんの指針にもなった。「後悔先に立たず」ということわざが指針になったということではない。彼は、これをメッセージではなくものの道理をしめした方程式のようなものとして空中に放り出してしまうことで、それがことわざとして出現する以前の地点に立ったのである。それが、責任を引き受けるという態度に繋がるのだ。「後悔先に立たず」は、そこに連続するものとして「だから慎重に行動しよう」という教訓が連想される。そういうふうには九条はこの語をあつかわない。ただ、この世の摂理として受け取るだけだ。慎重さを欠いたり、あるいは真摯さを欠いたりしたときに生じる後悔と、その責任を、彼は引き受けるだろう。それは、そうした後悔が生じることをよしとするということではない。これは父がいうべきことを代理で九条がいったというようなものではないからだ。ただ、時間は過去から未来にすすみます、みたいな当たり前のことを、当たり前のこととして、前景化しているだけなのだ。しかしそうすることで、彼は強い責任感をもつことになったのだろう。生じた後悔はすべてじぶんのもの、それにともなうもろもろの不具合について、じぶんはすべて責任をとらなければならない。その覚悟が、彼に依頼人に対するあのまっすぐな態度をとらせるのである。

 

 

 

相楽がいう人生の切り売りというところは、まさしくこれまで論じてきたことだ。白栖家の雅之、正孝、幸孝、それに弁護士の九条、相楽、それに壬生は、すべて、「仕事」と「プライベート」のかかわりにおいて、ふたつのグループにわけることができた。白栖家については、患者を「創出」するのか、患者に「対応」するのかという点で、二分される。原理的にいって、病院は患者がいなければ誕生していない。だが、病院経営はそれだけでは立ち行かない。それが、彼らの医業観を衝突させる。原理のレベルでの医師は、ただ患者に「対応」するものである。だが、それはいつあらわれるかわからない。だから、正孝のように、プライベートを犠牲にしなければならなくなる。だが、そもそもそれでは病院経営が成り立たないとなったとき、雅之や幸孝は、情報の非対称性を利用して、不必要な治療や入院を「創出」して、儲けを出す。彼らはプライベートを重視する。弁護士サイドでいうと、相楽はかぎかっこつきのものではあるにしても、プライベートでの権力者との関係性も重視している。幸孝と同じく、相楽も婿養子であり、これは、政略的なものとしてのプライベートのありかたを端的にあらわした状況だ。でも、ともあれ彼らはそれをプライベートだと考えている。そして、相楽も、雅之や幸孝と同じく、依頼人を炎上させ続けて、依頼を「創出」するのであり、今回九条に忠告したように、時間を大切にすべきであると、単価の高い案件を選ぶのである。

これらに対するのが正孝の「対応」にあたるスタイルである九条と壬生である。九条は、職場にそのまま住むような人間であり、プライベートを司るところの家族とは別れてしまっている。いつヤクザにさらわれるかわからない壬生の生きかたもまたそうだ。彼らは、安定的な「経営」を求めているのではない。求めても、そういうものは手に入らない。ひたすら目前の困難に対応するのである。

こういう生きかたで、「後悔するような行動は慎もう」というような臆病な慎重さは邪魔なだけだろう。かといって、後悔をしてもよいということでもない。そのあいだに、責任感が宿るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第15話/噛み合い

 

 

 

首筋を噛み切られ、うえから首を踏まれ、さらに腕の太い血管まで切られた鎬昂昇。

血の軌道からして、ジャックは本気で噛み切りにいっているようだ。両目の視力を奪われた直後、まだ脳裏に残像として残っていたであろう腕を嚙んだ感じだったので、じっさい余裕はなかったのだろう。ここでとらなければ終わりだった。

独歩と克巳が腕のダメージの大きさを語る。最初の首筋のやつももちろん大きいが、ナイフ戦闘術では四肢の付け根をねらうのは当たり前のようだ。

 

ジャックが目をおさえて視力がないことを確認している。これで相手が倒れなければまずい状況だ。しかし、特に警戒しているようでもないので、確信もあるようだ。

じっさい、鎬昂昇は倒れてしまう。勝負ありだ。特に意外なこともなく終わってしまったな・・・。

 

すぐに担架が持ち込まれ、鎬昂昇が運ばれる。ジャックのところには光成がきて噛道を讃える。そして、視力がないことも指摘する。が、運ばれつつある鎬が意識を取り戻し、ジャックに声をかける。視力がじきつながると。1週間もあればもどるのだそうだ。そうなの!?初めて聞いたんだけど・・・。

ジャックの手を、鎬昂昇が握る。ジャックは、見えないのもあって当惑しているようだ。握手は、ファイト中にも見られた動作だが、今回のこれは、相手を幻惑するものではなく、こころからの敬意を含んだものだ。鎬は、嚙道を「天下一」の「史上最高の武術」だというのだ。

そして、耳をもう少し寄せるようにいう。見えないのもあって気持ちの面でも無防備なジャックがいわれるがままにするので、鎬はジャックの耳を甘嚙みしてからかうのだった。驚いたジャックはファイト中にも見せたことのない反射的な動きで叫んで離れる。恥ずかしかったようで、ばつの悪い感じのうなり声をあげている。恥ずかしいけど、悪い気持ちはしないジャックなのであった。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

鎬はけっきょくなんの対策もしてこなかったのか。親切にもジャックは「嚙みつきます」ということを示してくれているというのに・・・。これと、例のウォーミングアップとを矛盾なく同居させるのは「準備」以外なかったのだが。それとも、これでもいちおう準備してきたのかな。嚙まれつつも紐を切る動作には、たしかに覚悟が感じられた。そういう意味では、こころの準備はしてきたのかもしれない。

 

「刃牙らへん」の意味するところは、『バキ道』最終部からのつなぎにあった本部らの発言を拾うと、ポジティブな響きのものではない。それは、ジャックと比較したとき、バキたちはけっきょく「エエカッコしい」だ、という文脈で使われていたのである。

 

同時に、バキ作品を『グラップラー刃牙』から続く物語としてとらえたとき、この語は中心の不在もしくは遍在を暗示するものでもあった。バキがいて、勇次郎がいる。絶対者・勇次郎に、それに告ぐバキが追いつこうとする物語。これが『範馬刃牙』で結ばれたとき、中心は失われた。その結果が、『刃牙道』冒頭にみられた作中人物たちのあくびである。物語世界は中心を失った。そこに、宮本武蔵、そして宿禰という、もはや神仏のたぐいであるような中心が仮に据えられもしたが、現在、こうしてどこにも中心はな状態になっているのである。だが、これはあくまで物語目線のはなしだ。この世が野球の漫画なら、この世界の主人公は大谷かもしれない。しかし、ぼくの人生はぼくのものだし、あなたの人生はあなたのものだ。誰にとっても、世界の主人公はじぶんである。そういうことが、中心を欠いた世界ではあぶりだされてくる。しかし、物語は紡がれる。作者を超越しつつ、物理的にはモノローグ的なところに収束していくものとしての物語が、紙のうえを、もしくはスマホやタブレットのうえを、直線的にすべっていく。するとどうなるかというと、中心がどこにでもありうるような世界になっていくのである。それが群像劇というものだ。

そして、バキではたたかいというコミュニケーションが描かれる。バキ世界に魅力的な人物たちがたくさんいることは明らかだったが、その描かれかたが変わってきており、それは、彼らが闘争を通じてコミュニケーションをとるさまが、これまでとはちがった角度で触れられるということなのだ。今回の謎にほのぼのとしたふれあいはそういうことの帰結だろう。「刃牙らへん」が描かれるということは、そういうことなのだ。

 

そして、直観的には、おそらくこのことと、もとの意味、「エエカッコしい」を意味するものとしての「刃牙らへん」は、そう遠い意味ではないのである。もっといえば、これは「刃牙らへん」ではなく、「ジャックらへん」の可能性があるのだ。なぜなら、エエカッコしいばかりのこの世界で人目を気にしない唯一無二の存在がジャックだからだ。と、そのいっぽうで、本部たちの見立てとは別に、ジャックはけっこう観客の反応を堪能しているし、鎬昂昇のからかいにも人間らしい反応を見せている。つまり、なんというか、ジャック的ありようが、ファイターどうしの止揚によって到達すべき「至高」として描かれてはいないのである。本部たちの口調はむろん「ジャックすげー」だったが、それは、それが最善である、というようなはなしではなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第14話/大出血

 

 

 

 

わざわざ裸締めをほどいてまでして、ジャックは鎬昂昇の首筋にかみついたわけだが、試合前の武道家らしからぬウォーミングアップからして、ひょっとしたら鎬はなんらかの準備をしているのではないかとおもわれた。本部がしたように、強化繊維の服を着てくる・・・というようなことはできないが、なにか技術的な備えをしてくるのではないかと。

しかし、なんの準備もないのだった。少なくとも、嚙みつきが完了する時点まで、それは見られないのだった。

 

崩れ落ちた鎬の首から勢いよく血が噴き出る。これは死ぬやつじゃないか・・・。スーパードクターの兄が会場にいるから、ひとつやふたつ噛みつかれて死にかけるのも勘定のうち、ということなのだろうか?まあ、それもまた、試合前に睡眠さえとる「エエカッコしい」のバキを批判するものとしての、新しい武道家の姿として、ありといえばありなのかもしれないが。

このままでは死ぬかよくて敗北だ。鎬は立ち上がらなければならない。そこへ、容赦なくジャックの蹴りが襲いかかる。まだからだが低い位置にあるところへ、顔面へのローキックだ。すさまじい威力だろう。痛いとか意識がとぶとかそんな次元じゃなさそう。一般人ならまちがいなく一撃で死んでいる蹴りだ。

さらにすくいあげるようにアッパーのだめおし。鎬の意識がまだあるのが不思議なくらいの打撃だ。背中を向け、這って距離をとろうとする鎬の真上に、跳躍したジャックが浮かぶ。そして、うしろから首に向けてかかとをふりおろすのだった。

バキも克巳も渋川も、首が折れたと感じたようだ。ということは、折れたのだろう。首が折れても人間は動けるのか? 脊椎をやるのとはちょっとちがう意味なのか、よくわからないが、まだ鎬は動いている。そして、観客や実況が止めるなか、手をついてまだ立ち上がろうとする鎬の前にジャックがしゃがみこむ。実況のいうとおり、ここまでだ、生きてるうちに幕を下ろせと。

 

しかし試合は終わっていない。観客が拍手をはじめ、なんとなく終わりそうな雰囲気になったところで、鎬の左拳が閃く。残ったジャックの右の視力を、紐切りで奪ったのである。ジャックの眼前は完全に暗闇となった。だが、そこからの行動も早かった。まだ近くに残っている鎬の左手をつかみ、二の腕に噛みついたのである。

 

 

 

つづく。

 

 

 

最大トーナメントでバキも腕の血管を切られて死にかけていた。鎬は首筋だけでなく、首の骨折と腕の出血、三つも致命的なダメージを抱えることになるのだった。

 

 

ちょっと前に、ジャックや鎬のありようは、「強さ」を求めるものなのか「勝利」を求めるものなのか、ということを書いた。現実問題、強ければたいがい勝てるし、勝ちの多いものは強いので、両者はあまり区別されずに用いられがちだが、厳密には異なる。たとえば猪狩は、もちろん弱くはないが、「強さ」においてまず名前があがるようなファイターではない。だが、「勝利」ということにかんする執念はすさまじかった。そういうことである。

ジャックも鎬も、まるでじぶんのからだを差し出すようにして相手の必殺技を引き出し、同時にじぶんの技を決めるということをくりかえしている。このやりかたで勝ったとして、ジャックは、また鎬は、「強い」といえるのだろうか。もしこのまま出血多量で鎬が死んでしまったら、あるいはなにかの加減で鎬紅葉でも治せないような紐の切れかたをしていたら、強いもなにもない、鎬は死ぬか再起不能になり、ジャックは両目の見えないファイターになってしまうのである。勝ちはするかもしれないが、そこに持続性や、技術体系の普遍性はないのだ。これを「強い」といえるのかという問題が、このファイトの要諦なのである。

ジャックは、もっとはやくから、そのときその瞬間強ければ、勝てればよいということをいって、そのための行動をとってきた人物だ。明日を見ないドーピング、効率無視のトレーニング、そして規範を逸脱した「オンナコドモ」の技術としての嚙みつき、すべては、いま・この瞬間勝利するためである。じゃあ論点になるようなことでもないのでは、というはなしだが、ぼくが引っかかったのは、彼が嚙道という技術体系を確立したというからなのだ。

 

ふつう、技術体系というと、誰もがコミット可能な普遍的なものを指す。ぼくもその意味で受け取ってきた。「誰もが」の意味が極端にせまいとしても、たとえば、文章や動画に起こしたりすることが可能な技術の束として、嚙みつきのセオリーを確立したと、そういう意味に受け取ったのである。たぶん、ほぼそういう意味なんだろう。だが、そこにはやはりジャックの個性というものが宿っているのである。ジャックの個性、ジャック的なものに突き動かされることで稼動する体系、それが嚙道なのだ。

それはいったいどういうものか。「ジャック的なもの」とはなにか、それが、「強さ」より「勝利」を求める態度なのだ。いわば、明日ありえた「強いじぶん」を捨てて、具体的には視力を捨てて、今日の勝利をとる、それがジャックの道であり、その哲学によってはじめて成立する技術体系が、嚙道なのである。


 

この点で、鎬昂昇もやはり規範から逸脱した人物としてあらわれた。くりかえすが、いくどもバキのあの、試合前のわざとらしいほどの睡眠、つまり「エエカッコしい」が触れられたあとの、鎬のウォーミングアップ、もっといえば本部道場を訪れるなどの準備期間である。武道家は、いつでも臨戦態勢でなければならない。だから、ウォーミングアップをしない。いつでも自然な状態でたたかわなければならないし、それで得た勝利以外に意味はない。バキ的なエエカッコしいの哲学を大雑把にまとめるとそういうことになるだろう。だがそれは、「ウォーミングアップをしてはいけない」ということを導きはしなかったはずだ。してもいい。明日通り魔に襲われることと今日の試合とはなんの関係もないからだ。ここに、体操からも学ぶ鎬の新しさがあったようにおもう。同様の流れで、おそらく鎬のなかには、そうした「エエカッコしい」への拒否反応もあったのである。いつかあらわれる通り魔に対応できることと今日の試合は関係ない、にもかかわらず、今日の試合を、それが行われると知りながら、偶然のトラブルのように受け取る必要はあるのか、それは怠慢ではないかと。それを「怠慢」と認識するところで、彼が「強さ」を求めるものか「勝利」を求めるものか分岐するわけである。

 

こうみると、雑なようでもあるが、要するに今回のはなしは、ジャック的なものの再評価ということになるようである。しかも、それを特殊なものとしないのだ。いったん、武術的な思考法を通過したうえでなお勝利を求めるというのがどういうことか、それが、両者の異なるスタイルによって描かれているのである。


 

 

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第96審/生命の値段⑤

 

 

 

 

伏見組の報復から逃れ、別荘みたいなところに隠れている壬生を、伏見組に属する宇治が訪れているところだ。ふたりは旧知のなかで、9条破棄という信念で一致する盟友だ。

宇治は、こんなところにいないではやく海外に身を隠すよう壬生にいっている。運営している介護施設や飲食店は、伏見組に吸収された久我がうまいことやっているらしい。

だが、壬生はまだやることがあるというのだった。なんか壬生の顔つきが九条に似てきてるな。

 

相楽が義父らとゴルフにきている。相楽も婿養子になったクチらしい。義父がなにものかはわからないが、まあ、大物みたい。あの相楽が、ニヘラニヘラ愛想笑いしながらおだてている。

そこへ白栖医院長から電話がきたので相楽が離れていく。

相楽がいなくなったところで、義父は、相楽を養子にしたのは失敗だったと、友人らしき人物に話し始める。検事長になるからって紹介されたのに出世コースからはずれて弁護士になったと。ヤメ検は重宝されるが、そういう問題じゃないっぽい。よくわからない感覚だが、検事長になっていれば、天下りで企業の顧問になって、ゆくゆくはなにもしないで年5億とかだったらしい。友人は、相楽が優秀だということでフォローしているが、義父にいわせれば、同期への引け目で金の亡者に成り下がったということのようだ。そして、以上の会話は、相楽に丸聞こえなのであった。

 

 

白栖一族の描写だ。えーと、父親が雅之で、父親と考えかたが近いめがねが次男の幸孝、父親とそりがあわない長男が正孝。冷静にみるとすごい名前だな。「孝」という字は、親孝行につかわれているとおり、子どもが老人によく仕えること、すなわち親によく仕えることを示す字である。父の「まさゆき」という名前をふたつにわけ、それぞれに「孝」をくわえたのがふたりの名前なのであった。

 

急患ということで次男の幸孝に呼び出しがかかる。なにか、左腕を切らなければならないかもしれないという事態らしい。しかし、利き腕が右ならとっとと切ってしまえということを幸孝はいう。親の意見など知らない。そういう親はあとでぎゃーぎゃー騒ぐ。後腐れなくささっと切断してささっと対処しろと。自分の人生を犠牲にしたくないということだ。

正孝は妻の早苗と外食中だ。今日も早苗は、幸孝の嫁・恵理子への対抗心を隠さず、彼女より先にインスタにお料理の写真をあげようとしている。鞄も新しいが、恵理子よりレアだということである。

正孝は別にそれを否定していないのだが、早苗は皮肉っぽいニュアンスを感じ取ったか、あなたこそなによみたいなことを言い出す。今日は早苗の誕生日らしいのだが、正孝はずっと手術前の患者の臓器写真ばかりみているのである。手術前はなにがあるかわからないからせっかくのワインも飲まないという。幸孝はしょっちゅうワインの写真をあげているが、あいつといっしょにするなと正孝はいう。ほとんどの医者は医者になってから勉強しないと。つまり、幸孝は勉強していないということだろうか。

そこへ緊急オペの連絡。早苗に運転を頼むという。手術前は絶対に自分で運転しないと。いや、じゃあ、そもそも素人が運転する車乗らないほうがいいのでは・・・。

病院についた正孝は、ナースにいつものを頼むという。病室でおセックスである。正孝は、出来る出来ると、手術の成功をくちにしながらナースの美咲を突くのであった。といっても、他のナースの口調からすると美咲だけがかわいがられているというはなしでなく、今日たまたま彼女だっただけのことらしい。

 

裁判所では烏丸と相楽が遭遇。ふたりはむかしの事務所の先輩後輩である。いまは九条の事務所を間借りしているというはなしをする。相楽は九条のことを知らなかったが、別のものが、九条がなにものかを伝える。相楽は、法曹界の恥さらしがと、これは烏丸にというより、そんなやつとつきあってるのかというようなことで、吐き捨てる。だが、すぐそばの車には九条がおり、にこやかに法曹界の恥さらしとしてあいさつするのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

九条は雰囲気変わったよなあ。逮捕されて気持ちをあらたにしてから、ひとかわむけたっぽい。

 

父・雅之の病院経営の考え方と対立するものとして描かれているぶん、正孝はなにかこう、読者の感情を付託できる親しげなもののようにおもわれたが、今回は饐えたにおいのする生々しさのようなものが描かれることとなった。

正孝の「患者のため」という信念は揺るがない。揺るがないのだが、「揺るがない」の意味が一般人とはぜんぜんちがう。レトリックではないのである。そのためなら、妻のことなんかどうでもいいし、ちょっと効果のほどはわからないが、病室でセックスもするのである。

これは、前回壬生と九条について述べた「仕事とプライベート」にかんする視点があてはまりそうでもある。弟の幸孝が「自分の人生を犠牲にしたくない」と述べたこともこれを補う。彼らには、「仕事をしているとき」と「プライベートをすごすとき」のあいだに差がない。厳密には差はあるのだろうが、時間的に変化を観察しても落差がとらえられないといったところだろうか。だから、仕事をすることによって「自分の人生」を犠牲にするという状況が、ありえない。それらは同一のものだからである。武術家は寝ているときも闘争の準備中である、みたいなはなしだ。行住座臥、弁護士であり、半グレであり、医者なのである。こういうものが、現実目線、つまり感情移入を省いた客観的目線ではどう見えるのかということが、今回の正孝の生々しい描写だったわけだ。

こういうわけで、正孝と九条には近いものがあるわけだが、すでに正孝はあの足を失った少年の件で九条にわだかまりを抱えている状況にあり、そういうほのぼの展開には当然ならないわけである。似たものどうしがうまくくっつけば、壬生と九条のような関係も築けるが、敵対すれば当然めんどうなことになるだろう。

 

相楽も幸孝みたいに婿養子になったクチだった。彼らのばあいには、その動機に政略がある。だから、正孝が「人生を犠牲にしたくない」といっても、それは言葉のままには受け取れない。彼のいう「人生」、要するにプライベートとは、政略のうちにあるからだ。あの生活感のない相楽の、プライベートでのゴルフがわざわざ描かれたことは、そういうことを指示している。ある意味では彼らにもプライベートは存在しないのだ。それは、かぎかっこつきのプライベートなのである。ではいったい、ほんものの彼らはどこへ行ってしまったのか? たとえば相楽では、出世するはずだったじぶんをどこかに置いてきてしまい、金の亡者になってしまったという状況がある。とするなら、父の経営方針とほぼ同じ考えかたをする幸孝も、同じように転向の経験をしているのかもしれない。

 

これらの視点について、例の「創出」と「対応」で整理できるかもしれない。患者を、情報の非対称性などを通して作りだすのか、やってきたものに応じるものが医者であるとするものなのかという、医師の態度として考えられる二通りのものである。父の雅之は、病院を企業のように経営するものとして、顧客を創出するように、欲望をつくりだし、患者を新しく「創出」する。それほど必要ともおもえない入院や診断をくりかえし、滞在時間や診察の回転を上げていく。これにはもちろん次男の幸孝を組み込んでいいだろう。そして、炎上をコントロールし、依頼人をずっと困難な状況に追い込むことで依頼を「創出」する相楽もあてはまる。「対応」するものは、まず正孝である。原理的には、患者より先に病院ができるということはありえない。困っている患者がいるから、医術は誕生した。そうして「対応」するものが、正孝である。そして、「対応」するものは、ちょうど今回、手術を想定して酒を飲まなかった正孝のように、想定していない事態に備えてプライベートがかなり損なわれることになる。かくして、仕事とプライベートの差がないものがここに連結することになる。もちろん、九条や壬生のことだ。九条は家をもたず、職場の屋上に住む文字通りのプライベートなし人間である。壬生も、いつヤクザにさらわれるかわからない状況で、年中半グレをやっている。なにがあるかわからないからつねに本番の気持ちでいる武術家的マインド、それが「対応」するもののありかたなのだ。つまり、患者に限らず、あつかう対象物を「創出」するのか「対応」するのかということは、かなり広い意味で「仕事」についての姿勢を決定する普遍的な論点なのである。今回は意外とお仕事論的なはなしになっていくのかもしれない。

 

 

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第13話/人類史上二人目

 

 

 

紀元前564年、古代ギリシャで行われていた、現代でいう総合格闘技であるパンクラチオンで、嚙みつきが実行された。スパルタ代表のメガクレスという男である。相手のヒゲの男は、左腕のあたりから出血している。とはいえ、食いちぎったとか咀嚼したとかそういう次元ではなく、歯をつかって攻撃したくらいの感じかもしれない。

ヒゲの男は審判に抗議する。これが容れられたのかどうかは不明だが、女のように噛みついたというクレームに対し、メガクレスは不敵に笑いながら、ライオンのように噛みついたのだといいなおすのだった。

 

このメガクレスが、ジャック以前で唯一、公式試合で嚙みつきを用いた選手だという。

それから2600年、すきのない技術として嚙みつきを完成させたのがジャック・ハンマーだ。謎の握手から鎬昂昇の左側僧帽筋のあたりにかみついている。服のうえからなのが心配だ。本部がやったように、ちょっとからだを返されたら歯をもっていかれる状況だけど、嚙道はその対策もしているのかな。

 

そこからジャックは首をつかって噛み切る。鎬の肩口から肉がごっそりもっていかれる。見た目よりまず痛いらしい。刃物で切るような怪我とちがうからな。肉をもぎとってるわけだから、そりゃあ、猛烈に痛いだろう。

 

握手はしたままだ。激痛で体勢を崩しつつある鎬を、腰に手を当てた余裕のジャックが見下ろす。今度は握手を返し、鎬を後ろ向きにして、首をとる。きっちり裸締めが決まってしまった。格闘漫画ではいちどかかると絶対にほどけないで有名な裸締めである。

独歩が、これをジャックらしいというふうにいう。有効の証である握手を利しての位置取りが象徴的だというのだが、正直ぜんぜん意味がわからない。いつかふと理解(わか)るかもしれないので、そのときはみなさんにお知らせします。

 

裸締めじたいは完璧に決まっているところ、ダメおしでジャックは足で胴も締め、全身をロックしてしまう。鎬は微動だにできないだろう。終わったか?というところで、ジャックが腕をほどく。そして、無防備にさらされている鎬の首筋に噛み付くのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

あのまま裸締めをしていればジャックは勝ったわけだが、それでは満足できなかったということだろうか。

完全にきまった裸締めからは逃れられないというのは、バキに限らずよくいわれることだが、脱出した例がないではない。花山薫は握力にものいわせてスペックの腕を破裂させて逃れた。ケンガンオメガでも腕力で突破したやつがいたな。また、なりふりかまわなければ、まったく不可能ということはないだろう。前腕をものすごいつねるとか。独歩が天内にやったみたいに、爪をはぐとかもいいだろう。いずれにせよ、使えるものが限られていることはまちがいない。だが、指は動く。花山も、独歩も、ケンガンオメガの誰かも、握力や指のちからでなんとかしていた。そして鎬昂昇は指技の武道家である。とすれば、もしかするとあのまま密着し続けているのはむしろ危険ということになるかもしれない。ジャックは笑みとともに鎬を解放しているので、危険を感じたということではないだろうけど、結果としては正解だったのかもしれない。

 

今回、うそかほんとか、パンクラチオン時代に嚙みつきを行使した選手が紹介されていた。これの意味するところは、それだけ嚙みつきという技に意外性があるということである。ふつうの闘争、子どもどうしの喧嘩ならともかく、特にある程度技術を修めたものどうしのたたかいでは、嚙みつきが出現することがほぼ予想できないということなのだ。当初ジャックが嚙みつきを使い始めたときも、最大トーナメントの実況や客たちは、まず、なにが起こったのか理解できなかったのだ。この意外性という点に、まずは嚙みつきのアドバンテージがあった。天津飯みたいに背中から手が2本出てくるような人体を、我々は想定して行動していない。だから、そこからにょきっと出てきたら、対応できない。同じように、多くのファイターは嚙みつきの強力さというより意外性によって葬られてきたのである。

嚙みつきを「技」とする噛道の難点は、これを失うところにある。そうでなくてもジャックが嚙みつきを用いることはもはや周知のこととなった。そのうえで「嚙道」なのであるから、意外性もなにもない、ボクサーがパンチをつかうのと事態は変わらなくなったのだ。

だが、逆にいえばそれは、意外性が別のところに移ったということでもある。ボクサーが蹴りを使ってくればそれがどんなに稚拙なものでも、多くの相手選手はそれをもらってしまうだろう。同様にしてジャックが嚙みつき以外の技を決め技にもってくれば、多くの相手はこれを台本があるかのように受けてしまうのだ。今回の裸締めは一瞬そのようにみえた。けれども、ジャックはそれで試合が決まることをよしとしなかった。これは、計画性のある行動ではなかったろう。なぜなら、最初に握手から嚙みつきが決まった直後の鎬は、ほとんどなにをしても決まったであろう状況だったからだ。あのまま前から首に噛み付けばよい。そうしなかったのは、上記のような事情があったからなのかもしれない。それはわからないが、計画性がもしあるとすれば、裸締めまでだったはずだ。そこからの嚙みつきは、衝動的なものである。

 

ジャックのほうはそれでいいとして、鎬昂昇である。あれだけ煽っておいてこれで終わりかよ、という感じがないでもないわけで、もしこれで終わらないのだとしたら、試合直前に見せていたウォームアップが布石になっている可能性がある。

あのとき考えたように、あの柔軟体操に見えたものは、ジャックにもある、鎬昂昇の逸脱性である。武術の極地にいるバキは、ウォーミングアップをしない。わざとらしいほどに、しない。“エエカッコしい”で、しないのだ。武術は、日常に潜む脅威に対抗するものだ。だから、修めた技術はいつどんなときにも使えなくてはならない。風呂に入っていても、寝ていても、酔っ払っていても、使えなくてはならない。こういう哲学だから、その技術を確認する試合にあっても、日常のように臨まなくてはならない。こういう理屈で、バキら“エエカッコしい”は、まるでじぶんが武道のことをよくわかっているということを締めそうとするかのように、わざとらしいほどに準備をしない。からだをあたためないし、それどころか、おそらく眠くもないだろうに、横になって眠るのである。だが、これは、ウォーミングアップを「してはいけない」ということでは、ほんらいなかったはずだ。別にしてもいい。その結果として試合でいい結果を残せたとしても、あるいは意味がなかったとしても、そのものの武術性、日常の脅威にいかに対応するかというリアリティとは、なんの関係もないからだ。鎬は、そういうことを実践するものにおもわれたわけである。

だとしたらなにかというと、彼はジャックの嚙みつき対策をしてくるのではないかということなのだ。武術性をつきつめれば、日常に出現する脅威の質はふつうわからないわけだから、試合でも相手のことはなるべく調べないようにするだろう。だが、くりかえすように、調べてダメということはない。今日調べて試合に勝ったり負けたりすることと、明日通り魔と遭遇することとは、なんの関係もないからだ。そうおもわれたわけだが、何回読み返しても、ジャックの歯は鎬の首筋に食い込んでるんだよなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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