今週の九条の大罪/第96審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第96審/生命の値段⑤

 

 

 

 

伏見組の報復から逃れ、別荘みたいなところに隠れている壬生を、伏見組に属する宇治が訪れているところだ。ふたりは旧知のなかで、9条破棄という信念で一致する盟友だ。

宇治は、こんなところにいないではやく海外に身を隠すよう壬生にいっている。運営している介護施設や飲食店は、伏見組に吸収された久我がうまいことやっているらしい。

だが、壬生はまだやることがあるというのだった。なんか壬生の顔つきが九条に似てきてるな。

 

相楽が義父らとゴルフにきている。相楽も婿養子になったクチらしい。義父がなにものかはわからないが、まあ、大物みたい。あの相楽が、ニヘラニヘラ愛想笑いしながらおだてている。

そこへ白栖医院長から電話がきたので相楽が離れていく。

相楽がいなくなったところで、義父は、相楽を養子にしたのは失敗だったと、友人らしき人物に話し始める。検事長になるからって紹介されたのに出世コースからはずれて弁護士になったと。ヤメ検は重宝されるが、そういう問題じゃないっぽい。よくわからない感覚だが、検事長になっていれば、天下りで企業の顧問になって、ゆくゆくはなにもしないで年5億とかだったらしい。友人は、相楽が優秀だということでフォローしているが、義父にいわせれば、同期への引け目で金の亡者に成り下がったということのようだ。そして、以上の会話は、相楽に丸聞こえなのであった。

 

 

白栖一族の描写だ。えーと、父親が雅之で、父親と考えかたが近いめがねが次男の幸孝、父親とそりがあわない長男が正孝。冷静にみるとすごい名前だな。「孝」という字は、親孝行につかわれているとおり、子どもが老人によく仕えること、すなわち親によく仕えることを示す字である。父の「まさゆき」という名前をふたつにわけ、それぞれに「孝」をくわえたのがふたりの名前なのであった。

 

急患ということで次男の幸孝に呼び出しがかかる。なにか、左腕を切らなければならないかもしれないという事態らしい。しかし、利き腕が右ならとっとと切ってしまえということを幸孝はいう。親の意見など知らない。そういう親はあとでぎゃーぎゃー騒ぐ。後腐れなくささっと切断してささっと対処しろと。自分の人生を犠牲にしたくないということだ。

正孝は妻の早苗と外食中だ。今日も早苗は、幸孝の嫁・恵理子への対抗心を隠さず、彼女より先にインスタにお料理の写真をあげようとしている。鞄も新しいが、恵理子よりレアだということである。

正孝は別にそれを否定していないのだが、早苗は皮肉っぽいニュアンスを感じ取ったか、あなたこそなによみたいなことを言い出す。今日は早苗の誕生日らしいのだが、正孝はずっと手術前の患者の臓器写真ばかりみているのである。手術前はなにがあるかわからないからせっかくのワインも飲まないという。幸孝はしょっちゅうワインの写真をあげているが、あいつといっしょにするなと正孝はいう。ほとんどの医者は医者になってから勉強しないと。つまり、幸孝は勉強していないということだろうか。

そこへ緊急オペの連絡。早苗に運転を頼むという。手術前は絶対に自分で運転しないと。いや、じゃあ、そもそも素人が運転する車乗らないほうがいいのでは・・・。

病院についた正孝は、ナースにいつものを頼むという。病室でおセックスである。正孝は、出来る出来ると、手術の成功をくちにしながらナースの美咲を突くのであった。といっても、他のナースの口調からすると美咲だけがかわいがられているというはなしでなく、今日たまたま彼女だっただけのことらしい。

 

裁判所では烏丸と相楽が遭遇。ふたりはむかしの事務所の先輩後輩である。いまは九条の事務所を間借りしているというはなしをする。相楽は九条のことを知らなかったが、別のものが、九条がなにものかを伝える。相楽は、法曹界の恥さらしがと、これは烏丸にというより、そんなやつとつきあってるのかというようなことで、吐き捨てる。だが、すぐそばの車には九条がおり、にこやかに法曹界の恥さらしとしてあいさつするのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

九条は雰囲気変わったよなあ。逮捕されて気持ちをあらたにしてから、ひとかわむけたっぽい。

 

父・雅之の病院経営の考え方と対立するものとして描かれているぶん、正孝はなにかこう、読者の感情を付託できる親しげなもののようにおもわれたが、今回は饐えたにおいのする生々しさのようなものが描かれることとなった。

正孝の「患者のため」という信念は揺るがない。揺るがないのだが、「揺るがない」の意味が一般人とはぜんぜんちがう。レトリックではないのである。そのためなら、妻のことなんかどうでもいいし、ちょっと効果のほどはわからないが、病室でセックスもするのである。

これは、前回壬生と九条について述べた「仕事とプライベート」にかんする視点があてはまりそうでもある。弟の幸孝が「自分の人生を犠牲にしたくない」と述べたこともこれを補う。彼らには、「仕事をしているとき」と「プライベートをすごすとき」のあいだに差がない。厳密には差はあるのだろうが、時間的に変化を観察しても落差がとらえられないといったところだろうか。だから、仕事をすることによって「自分の人生」を犠牲にするという状況が、ありえない。それらは同一のものだからである。武術家は寝ているときも闘争の準備中である、みたいなはなしだ。行住座臥、弁護士であり、半グレであり、医者なのである。こういうものが、現実目線、つまり感情移入を省いた客観的目線ではどう見えるのかということが、今回の正孝の生々しい描写だったわけだ。

こういうわけで、正孝と九条には近いものがあるわけだが、すでに正孝はあの足を失った少年の件で九条にわだかまりを抱えている状況にあり、そういうほのぼの展開には当然ならないわけである。似たものどうしがうまくくっつけば、壬生と九条のような関係も築けるが、敵対すれば当然めんどうなことになるだろう。

 

相楽も幸孝みたいに婿養子になったクチだった。彼らのばあいには、その動機に政略がある。だから、正孝が「人生を犠牲にしたくない」といっても、それは言葉のままには受け取れない。彼のいう「人生」、要するにプライベートとは、政略のうちにあるからだ。あの生活感のない相楽の、プライベートでのゴルフがわざわざ描かれたことは、そういうことを指示している。ある意味では彼らにもプライベートは存在しないのだ。それは、かぎかっこつきのプライベートなのである。ではいったい、ほんものの彼らはどこへ行ってしまったのか? たとえば相楽では、出世するはずだったじぶんをどこかに置いてきてしまい、金の亡者になってしまったという状況がある。とするなら、父の経営方針とほぼ同じ考えかたをする幸孝も、同じように転向の経験をしているのかもしれない。

 

これらの視点について、例の「創出」と「対応」で整理できるかもしれない。患者を、情報の非対称性などを通して作りだすのか、やってきたものに応じるものが医者であるとするものなのかという、医師の態度として考えられる二通りのものである。父の雅之は、病院を企業のように経営するものとして、顧客を創出するように、欲望をつくりだし、患者を新しく「創出」する。それほど必要ともおもえない入院や診断をくりかえし、滞在時間や診察の回転を上げていく。これにはもちろん次男の幸孝を組み込んでいいだろう。そして、炎上をコントロールし、依頼人をずっと困難な状況に追い込むことで依頼を「創出」する相楽もあてはまる。「対応」するものは、まず正孝である。原理的には、患者より先に病院ができるということはありえない。困っている患者がいるから、医術は誕生した。そうして「対応」するものが、正孝である。そして、「対応」するものは、ちょうど今回、手術を想定して酒を飲まなかった正孝のように、想定していない事態に備えてプライベートがかなり損なわれることになる。かくして、仕事とプライベートの差がないものがここに連結することになる。もちろん、九条や壬生のことだ。九条は家をもたず、職場の屋上に住む文字通りのプライベートなし人間である。壬生も、いつヤクザにさらわれるかわからない状況で、年中半グレをやっている。なにがあるかわからないからつねに本番の気持ちでいる武術家的マインド、それが「対応」するもののありかたなのだ。つまり、患者に限らず、あつかう対象物を「創出」するのか「対応」するのかということは、かなり広い意味で「仕事」についての姿勢を決定する普遍的な論点なのである。今回は意外とお仕事論的なはなしになっていくのかもしれない。

 

 

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