~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -9ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

国士無双
(こくしむそう)



麻雀をされる方は御存じだと思いますが

麻雀の役で、役満なのです

本当の名称は十三么九(しーさんやおちゅー)です

国士無双は雅名であると言います

注;雅名 ⇒優雅な呼び名、風雅な名



国士無双

本来の意味するところは、

国士 ⇒国の中で最も優れている人物を言います

無双 ⇒天下に並ぶ者が無い



国士無双

天下に並ぶものが居ない程、大変優れた者



次の様ない話が有ります



韓信(かんしん)と言う人がいました

楚(そ)の項梁(こうりょう)に使えたり、

楚の項羽(こうう)に使えたりしました

項羽に意見をしましたが取り上げられず、

後の前漢の高祖劉邦(りゅうほう)が、
蜀(しょく)に入るや、
漢軍に加わったのです

しかし、思うようにいきません

そこで、将来は無いと

韓信(かんしん)は、数人の将校と逃亡したのです



それを聞いた、

漢軍の丞相である蕭何(しょうか)

韓信(かんしん)の後を追いかけます



周りから報告を受けた、後の前漢の高祖劉邦

悔しがります、手足と思っていた蕭何

逃亡したと思ったのです


この蕭何は、
後の前漢の高祖劉邦の片腕なのです
高祖劉邦が秦の都咸陽を占領した時
他の者が宝物殿などに殺到する中、
ただ一人、秦の歴史書や法律、
人口記録が保管されている文書殿に走り、
項羽(こうう)による破壊の前に
全て持ち帰ることに成功したのです
この出来事が、漢王朝の基礎作りに役立ったとされます

実は、韓信を劉邦に推挙したのは蕭何なのです
二、三日して、蕭何は戻りました
高祖劉邦は声を荒げて怒りました
「何故、逃げるのか?」
蕭何は毅然とした態度で言いました
私は逃げたりしません、
   
韓信を連れ戻しに言ったのです」
韓信は国士無双であり、他の雑多な将軍とは違います
  この漢中にずっと留まるおつもりならば
 韓信は必要有りませんが、
  漢中を出て天下を争おうとお考えなら、
                韓信は不可欠です」
蕭何の言う通り韓信を引き立てると
連戦連勝、漢帝国の樹立の原動力となったのです

正に、役満ですかな?

麻雀から、・・・
持つべきものは友のお話となってしまいました


刎頚(ふんけい)の友

のお話を致しましたが、

やはり、持つべきものは友ですね



とらんくすや。親父 会社勤めの頃は友人でしたが

今は、お客様が友となって下さる方が増え、

お店では、楽しい会話となり、ご教授を受けます

有り難や 有り難や

ペタしてね

風雲乗天
(ふううんじょうてん)


時勢の勢いに乗り、一気に志を遂げる

と言う意味ですが、

実は、老子と孔子との深い意味が有るのです


老子と孔子の会話に出てくるお話です

老子様の事を、龍の様なものである言っています


しかし、老子と孔子 同じ時代なのでしょうか?


老子様 生誕 及び 死没 不明です

紀元前6世紀頃の方と言われます

一方 孔子様は、

生誕 紀元前552年  

死没 紀元前479年です


お話をしたとすれば、

老子様は150歳から
200歳ぐらいと推定されます

不思議?


とにかく、逸話が残っているのです


道家の祖 老子様に、儒教の祖である孔子様が、

若き頃、尋ねているのです


老子曰く

「君の言うところの者は、
その人と骨は皆すでに朽ち果て、

ただその言葉だけが残るのみ、

まさに君子はその時勢を得れば仕官するが、

その時勢を得られなければ、あてどなくさすらいゆく

吾は、かしこい商人は物がなにもないように

奥深くしまっておき、

立派な徳のある君子は愚か者のごとくに

様子を容づくると聞く

君の驕りたかぶった心と欲深さ、

とりすましたうわべの態度と淫らな志を取り去りなさい

これらは皆、なんじの身に於いて無益である

吾が君に告げようと思うところは、

この如くであり、それのみ」

孔子は去りて、弟子に謂った、曰く、

「鳥ならば、吾はそのよく飛べることを知っている

魚ならば、吾はそのよく泳げることを知っている

獣ならば、吾はそのよく走れることを知っている

走る者には網をつくればよい

泳ぐ者には釣り糸をつくればよい

飛ぶ者には、

矰(いぐるみ;糸を結びつけた矢)を作ればよい

龍に至っては、吾はその風雲に乗って

天に上るのをよく知らない

吾は今日、老子に見(まみ)えたが、

それ、龍のようであったことか」


孔子様は、老子様を、

一気に上っていく龍の様な方、

捕まえる事が出来ない程、

偉大であると言っているのです


風雲乗天
(ふううんじょうてん)


この言葉から、私達は、上手く時勢を捕まえて、

成功してやろうという邪心の心で考えがちですが


捕まえる事が出来ない程の

偉大な人、いや聖人と

お会いした時の感動なのですね


「時勢を捕まえる」ではなく、

反対に、
捕まえる事が出来ない偉大な存在

その様な聖人、師と仰げること

この上ない幸せですね


孔子様 聖人となられましたのは

老子様のお蔭ですかな

とらんくすや。親父の師は、

当然、お客様でございます

お客様からの叱咤激励を頂き

成長したいと存じます

ペタしてね














千里眼透
(せんりがんとう)
  要るや否や?


年を取ると老眼となり目が不自由となりますね

とらんくすや。親父は、

近眼と乱視と老眼でございます

近くを見る時は眼鏡を外し

普通の時は、眼鏡を掛け、

遠くを見る時は、う~ん 見えませんね

望遠鏡が必要でしょうか?


それぐらい、目の不自由 辛いものですね


人生もその様です

先を見通す事が出来るならば、

全てが上手くいく様な気がします

プラス、

実行力が無ければどうにもなりませんが・・・


千里眼透(せんりがんとう)


千里も遠くの物まで見透す事が出来る目を言います

その事から、将来の事や、人の心の奥底を見透す

という意味となったのです


このお話は、

中国 南北朝時代の北魏
(386年~439年)の

楊逸(よういつ)という
若い優秀な地方長官のお話です


光州という地方の長官になったのは

29歳だったのです

昼の食事時間も惜しみ、

夜は寝る時間を割いて職務に励みました

法令を厳しく守らせました

兵が出陣する時は、雨の日も雪の日も見送るのです

飢饉のときは、穀倉を開いて民衆に分け与えました

上からのお咎めなど気にしませんでした

役人の汚職などは厳しく見張っていました

それまでは、民衆から賄賂を受け取っていた

役人や兵隊も、楊逸(よういつ)が長官なって以来

ピタッとしなくなりました

民衆は不思議に思い、役人に聞きました

役人達は、こう言いました

「楊逸(よういつ)長官は、

 千里を見透す眼を持っている

 誤魔化す事は全く出来ない」

楊逸(よういつ)は、光州の隅から隅まで、

自分の配下の者を置き、目を光らせ、

逐一報告させ取り締まったのです


正義の味方は、長生きできません

役人達の抗争に巻き込まれ、

32歳の若さで、殺されてしまうのです


当然 民衆は嘆き悲しみました

御霊を弔う供え物が絶えなかったと言われます


才能のある人は早死にですね

才能のある人は、妬まれるのでしょうか

悲しいですね


とらんくすや。親父

才能がございません

千里眼透(せんりがんとう)

とても、とても 無理ですね


こつこつと、

藩津(ぱんつ)を作り販売するのみです

この様に生きていますと、

ひょっとして長生きするかもしれませんね

ペタしてね













年年歳歳花相似、
歳歳年年人不同


本日御来店のお客様

十年以上も御来店頂いている御贔屓様です

お客様から、

「お店を出して何年になるのかな?」


と、お聞きになられます

とらんくすや。親父

「14年になりますね」

「お互い年を取りますね」

と、二人で笑いました

お客様からのお褒め言葉

「しかし、藩津(ぱんつ)は、

本当に長持ちするよ、年を取らないね」

とらんくすや。親父 洒落を飛ばします

「人間様より、長生きしますでしょうか?」

ジョークでございますね


人間、しかたが有りません

年年、老いていくものですね

しかし、藩津(ぱんつ)に描かれた

お花は枯れません

花の様に、常に若々しくいたいと思うのは

女性だけでは有りませんよ


白髪に成るのは本当につらいものです

どうしようも有りません


白髪に成る翁(おきな)の心
を詠んだ漢詩です


年年歳歳花相似 

年々歳々、花相い似たり
歳歳年年人不同 

歳々年々人同じからず

寄言全盛紅顔子 

言を寄す 全盛の紅顔の子
応憐半死白頭翁 

応に憐れむべし 半死の白頭翁


花は、毎年綺麗な花を咲かせる

しかし、人間は年毎に老い

生まれるもの有り、死ぬもの有り

移り変わる

人間の世界は本当に儚いもの



花の盛りの紅顔の若者よ

今まさに老いぼれ

死の淵に片足をかけたような白髪の老人を
憐れみたまえ


しかし、とらんくすや。親父

無常観に浸っては、おられません

めげずに、白髪であっても

若者よ! 俺の後について来いと

頑張りたいと思います

ペタしてね









浅草の町の君子 若旦那


浅草まい 

浅草ご あ

と言うお店がございます

そのお店の若旦那様には、頭が下がります


朝歩いておられても、道端にゴミが落ちていれば

さっと拾われます

また、朝に顔を合わすと御挨拶されます

季節の言葉をお入れになり、お話されます

挨拶されるのは、・・・

とらんくすや。親父だけではございません

この通り界隈の方々全てに、礼を尽くされます


真に、浅草の町の君子ではないでしょうか

君子とは、「仁」と「礼」が

備わっておられるお方です


文質彬彬

(ぶんしつひんぴん)

実質と外観とが並びそろっている

良いさまを言います


子曰、

質勝文則野、

勝質文則史、

文質彬彬、然後君子


子曰わく、

(しつ)、文に勝てば

(すなわ)ち野()

文、質に勝てば則ち史()

文質彬彬として

然る後に君子なり


外形的な美にこだわらず内面の実質だけを

重んじれば粗野な人物となる

内面の実質にこだわらず外形的な美だけを

重んじれば修辞を駆使して文書を飾る事に

腐心する史官と同じであり

装飾偏重の人物である

外見的な美と、内面の実質とが、

うまく調和してこそ君子と言える


夏目漱石が 座右の銘にしていた言葉です

直筆の書画があるようですよ

とは 

己に克(か)ちて礼に復(かえ)るを仁と為す

(自分の欲望に打ち勝って、社会的規範の礼に

立ち戻る事を、仁と言う)

とは

礼とは仁が外部に現れた社会規範です

「仁」である、己の真心(忠)、思いやりを(恕)

形として表さなければ伝える事は出来ませんね

形として表す事が礼なのです

(注)恕(おもいやり)

字を分解すると心と如(ごと)くに分かれます

相手を自分と同じように見る心のことです

寛容に見る 恕(ゆるす)となるのです



その様な、君子である

浅草まい 

浅草ご あ

若旦那をお見かけすると、

とらんくすや。親父 この老いぼれも

心からの礼儀振る舞いを心がけねばと思うのです

君子には、なかなか勝てません・・・トホホ










子供への教え


とらんくすや。  には

小さいお子様連れのお客様が御来店されます

お子さんとお話するのは楽しい事です

子供さんからは、お爺ちゃんと呼ばれますが

まあ 仕方が無いですかね


子供さんは、
大事な日本の宝です

この宝物であるお子様の教育如何により

将来の日本が

良い国になるかどうかが決まるのです


孔子庭訓(こうしていきん)

大思想家の孔子様

庭を走る我が子の伯魚(はくぎょ)を呼びとめ

言った言葉からです



「詩を学ばなければ、
きちんとものが言えないよ」

「礼を学ばなければ、
世に立っていけないよ」

また、孔子は自分の子供を

特別扱いしなかったそうです


江戸時代にも
子供への教えがありました

三つ心、六つ躾、九つ言葉、

十二文、十五理で末決まる


三つ心

人とは、脳と体と心の三つから成ると捉え、

心は脳と体を結びつける糸と考えました
三歳までに、糸で綿密に脳と体を結びつけるのです

子供は、町の皆のもの、お爺さんお婆さん、まで

子供をあやし、笑わせたのです

ですので、脳が活性化され、

表現力豊かな子供に育ったのです

六つ躾(しつけ)

六歳までに、挨拶や礼儀を教えました、

草履の脱ぎ方、箸の使い方など

癖となるまで繰り返して訓練したのです

九つ言葉

九歳までに、世辞が言えるようにしたのです

世辞とは、(おせじではありませんよ)

相手に、配慮する言葉を付け加える事なのです

十二文

十二歳までに、文章が書けるように教えました

(挨拶状、注文書、請求書、苦情処理書など)

商家の主人の代行が出来るようになのです

十五理(ことわり)

十五歳では、世の中の森羅万象を理解させる

物事の道理(経済・物理・化学・心理学など)です


寺子屋のお師匠様 かなり頑張ったようです


そして、昔は十五歳で元服でございます

大人でございます

現在の様に、二十歳で、成人では無いのです

現在の人は、楽をしていますかな


江戸時代の文字認識率は

その当時としては、世界一番だったのです


これからの子供さん

上手く育ってほしいといつも願っている

とらんくすや。親父でございます

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刎頚(ふんけい)の友



久し振りに刎頚(ふんけい)の友が、

とらんくすや。 にやって参りました

とらんくすや。 ソングを歌っている親父です

短い時間でしたが、次から次にと話が弾みました

友は良いものですね


刎頸の交わり(ふんけい の まじわり)
中国の戦国時代 趙の国
藺相如(りんしょうじょ)と
廉頗(れんぱ)が残した故事でございます

藺相如(りんしょうじょ)



「完璧」の故事で知られる文武知勇の将です

廉 頗(れん ぱ)
趙の総大将で、武功の将です

次の様なお話です

廉 頗(れん ぱ)は、次の様に思っていました
口先だけの働きで手柄を挙げ、
位も自身より上回っている
藺相如(りんしょうじょ)が嫌いで
不満を言いふらしていました

噂を聞いた藺相如(りんしょうじょ)は、
それ以来、病と称し外出をやめたのです
それから何日か経ったある日、家臣の薦めで、
藺相如(りんしょうじょ)は
馬車で散歩に出かけました
その道中で前方に
廉 頗(れん ぱ)がいるじゃありませんか

藺相如(りんしょうじょ)は、道を変え、
廉 頗(れん ぱ)の通り過ぎるのを待って引き返す
といった事件が起こったのです
この振る舞いを見た家臣達は一堂に会し、
「ご主人さまの匹夫のような振る舞い
それを恥じないご主人様の態度には我慢が出来ません」
といい、辞職を申し出たのです
すると藺相如(りんしょうじょ)は、
「強大なる秦国が何故わが国を滅ぼそうとしないか解るか?
それは、私と廉 頗(れん ぱ)将軍がいるからだ
今、廉 頗(れん ぱ)将軍との間に亀裂が生じれば、
それこそ秦の思う壺である、
私があのような行いをするのは国家のためなのだ」
と家臣を諭したのです
この話はたちまち宮中に広まり、

廉 頗(れん ぱ)は上半身裸の姿で
藺相如(りんしょうじょ)を訪ね、
自分の不徳と愚かさを恥じ、
「この荊(いばら)の鞭でわたしをお打ち下さい」
と手にしていた鞭を差し出したのです
藺相如(りんしょうじょ)は、
「将軍あっての趙国です」
と言ったのです
廉 頗(れん ぱ)は心から心服し、
「あなたのためならば、たとえ頸(くび)を
刎ねられても悔いはありません」
と言い、また藺相如(りんしょうじょ)も
「私も将軍のためならば、
喜んで頸(くび)を刎ねられましょう。」
と言ったのです
刎頸(ふんけい)の交わり」、
刎頸(ふんけい)の友」の故事でございます
刎頸とは、首を斬ることを言います

テェーンストア時代の仲間ですが
とらんくすや。 ソングの歌い手の親父は、
本社勤めが長く、文武知勇の将ですかな
とらんくすや。親父は、現場からの叩き上げ
全国の店長や、支配人をし、
現場からの叩き上げの、武功の将ですかな

会社のやり方が気に喰わないと
文句を垂れる とらんくすや。親父を、
ニコニコと、笑いながら聞き流してくれる
その様な友です

正に、刎頚の友なのです
久し振りに、楽しい半時を過ごした
とらんくすや。親父でございました


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困は窮して通ず

とらんくすや。 藩津の制作


とらんくすや。 藩津(ぱんつ)の制作について

今年は困難を極めました

年初に加工工場におきまして

消費税問題、
中国との貿易問題など諸条件が重なり、

5か月も生産を
ストップされてしまう事になりました



お客様には、
大変ご迷惑をお掛け致しました
申し訳ありませんでした


何せ、とらんくすや。 の製品は、

基本 1反づつ しか作らず

しかも、サイズが

ショートトランクス

Mサイズ~4Lサイズの5サイズ

ハーフトランクス 

Mサイズ~LLサイズの3サイズ

合計8サイズに

カットしなければなりません

カットでの手間と、

生地の色により、糸を変えねばならず、

非常に手間がかかるものなのです


「後回しにしよう」
 となるのも判る気がします

とらんくすや。親父は、何度もお電話し

速く作って頂けるようお願い致します


沢山の柄を揃える事が、
お客様に喜んで頂けるので

少量多品種を基本としています

工場は勿論 単品大量の方が加工しやすいのです

この難しい、相反する考えを

心で解決しようとしているわけです

頭を何度も下げるしかありません


いよいよ、最大の山場がやって参ります

お正月の、
とらんくすや。 藩津(ぱんつ)
の制作です


縫製工場様(勿論日本の工場ですよ)には、

今、一生懸命 お願いをしています

良い返事を貰っていないのですが

とにかく、

とらんくすや。親父

頭を下げまくりたいと思います

困は窮して通ず

「易経」にもございますが

占いでは、困の掛は、

行き詰まっても必ず切り抜けることができる

と言われています


困窮しても正しい道を外さない

行き詰まり苦しむことにより

道は開けると

とらんくすや。親父は信じています

正道とは、

お客様に吉祥縁起柄藩津(ぱんつ)を

つつがなくご提供し、

開運人生を歩んで頂く事です

とらんくすや。親父

道を開ける為に、頭を下げ続けます









日本と台湾 

水魚の交わり


本日は、台湾の女性が御来店です

和柄の謂れを説明してご購入頂きました

何と、日本語がお上手な事でしょうか

お聞きしますと、日本語を勉強しているとの事

日本人、日本が好きだとの事です

震災の時は、

「本当に有難うございました」

と、とらんくすや。親父もお礼を述べました


お爺さんお婆さんのお話になりました

日本の軍人のお蔭で

教育を受ける事が出来た

有り難い事である との事


日本軍人は、台湾のお方を

日本人と同じであるとして、

接していたようです


白人による植民地政策は、

教育をしないと言います

すると、知識が付き敵対勢力となると

恐れていたのです

ですから、植民地として

労働力だけを求めていたのだそうです


この様に、
日本が好きであると言って頂ける

有り難い事です

ですので、

更に、日本人は、礼儀正しく

町は綺麗で、塵の落ちていない国にすべきですね


日本と、台湾 


水魚の交わり ですね


水と魚の様に、

切っても切れない交わりなのです


三国志で有名な 蜀漢の初代皇帝 

劉備玄徳が言った言葉です


「私が、諸葛亮公明を得たのは、

魚が水を得た様なものである」


同じ東南アジア(大東亜)に、

切っても切れない仲間がいる

本当に有り難いと思う

とらんくすや。親父でございます



ペタしてね












鼓腹撃壌
(こふくげきじょう)


世の中の事を考えず

だれが、国の王であろうが関係なく

自由に、暮らせる 

その様な天下とは・・・


有るのでしょうか?


現在は、情報が錯綜し、

批判中傷がごった返している世の中です

情報に振り回され皆様お疲れ気味です


何も考えず、

朝起き、食物を作り、食べ、飲み、

疲れたら寝れば良い

朗らかに、楽しく歌う毎日

その様な生活が欲しいものです


しかし、 昔々は有ったようですよ

中国古代のお話です


中国神話に出てくる君主で、

聖人とされた人がいました


、ぎょう)

という帝です


中国皇帝には珍しく、
質素倹約を通した人でした

後継者も、息子では無しに、
臣下から選んでいます


鼓腹撃壌
(こふくげきじょう)


帝の堯(ぎょう)はあまりの平和さに、

天下が本当に治まっているか、

不安になりました

そこで、目立たぬように変装して外に出ました

ふと気がつくと子供たちが、

帝の堯(ぎょう)を賛美する歌を歌っていたのです

これを聴いた帝の堯(ぎょう)は、

子供たちは大人に歌わされていると判りました

ふと傍らに目をやると、

老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らし
(=鼓腹撃壌

楽しく歌っているではありませんか

次の様に・・・


日出でて作し、日入りて息(いこ)ふ

井を鑿(うが)ちて飲み、

田を耕して食(く)らふ

帝力 何ぞ我に有らんや


日の出と共に働きに出て、

日の入と共に休みに帰る

水を飲みたければ井戸を掘って飲み、

飯を食いたければ田畑を耕して食う

帝の力がどうして

私に関わりがあるというのだろうか


帝の堯(ぎょう)は、この歌を聞き

天下は上手く 治まっていると悟ったのです


腹を叩きながら歌う

これは、太っている 

とらんくすや。親父でなければ
出来ませんかね?

太っていない人は、
地面を踏みならし音頭を取る

これで、一日過ぎれば良いですね

わっはっは・・・

何も考えないで過ごす

有りえない夢を見ている

とらんくすや。親父でございます

ペタしてね