~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -13ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

江戸時代 
隅田川に橋は四つしかなかった



浅草の横を流れる隅田川 

現在 25の橋が架かっています



江戸時代初期には、橋は有りません



大きな川は、江戸城を守る為の
一つの防衛手段だったのです

ですので、川を渡る手段は、
渡し船しか有りませんでした



ところが、

江戸城を守る為の隅田川だったのですが

明暦の大火事(1657年)が発生です

神田、日本橋の住民が、
川向こうに、逃げようとしましたが、

逃げ切れず、沢山の焼死者を出したのです



城や、人を守る為の大きな川が、

命取りとなったのです


隅田川に橋が架かる事となるのです

両国橋でございます



そして、江戸時代には、

更に、三つの橋が架かります

新大橋、永代橋、吾妻橋 です

江戸時代、に、隅田川に作られた橋は

この四つの橋のみです



最後に架けられた橋は、吾妻橋です

両国橋から115年後のことです

幕府は、架ける事を渋っていましたが

浅草花川戸の家主であった伊右衛門と

下谷竜泉寺町家主の源八の二人が、発起人となり

熱意を込めて説得し、

橋を架ける事を幕府から了承を得るのです



当然民営です、沢山の条件を出されました

一番上流の橋ですので、増水の為に、

壊れて流されないように、当然です

下流の三つの橋が、被害に遭わせない為です

結局、地元の民営で出来上がった橋が、

皮肉にも、一度も壊れる事が無かったのです

両国橋、永代橋が、洪水で落ちてしまった時も

無事だったのです



浅草等の庶民により、橋が守られてきたのです

勿論、橋を渡るのもお金がいりました



吾妻橋は、その当時、世界的レベルの架橋工事水準に

達していたと言われます



江戸時代の人は、川を渡る為に、

大変な努力と、お金を使ったのです

幕府でなく、庶民がやったのです

その事を忘れてはいけません




とらんくすや。親父
 も

橋を渡る時には、感謝を忘れないように致します


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ご飯粒(つぶ)
残していませんか?


私達子供の頃、ご飯を頂いた時

米の一粒も残さないように食べる

当たり前のことだったのです


戦後すぐの生まれの私達、

団塊の世代と言われました

戦争が終わり、
一気にベビーブームとなったのです

終戦は、昭和20年でしたが

その翌々年よりの、出生数は、 

昭和22年 267万人

昭和23年 268万人 

昭和24年 269万人 となったのです


この3年間に生まれた人達を、
団塊の世代と言われます

とらんくすや。親父 もその一員でございます


ちなみに、現在の、平成24年度 では、

103万7千101人となっています

戦後最低の出生数となったのです


日本、子供さんが生まれない現在なのです

日本の将来を憂いています


団塊の世代の出生数は、

現在の2.7倍の人数なのです

全てが、競争でした

食べるものも、勿論お勉強も、全てです

学校でも競争、会社に入っても競争でございます

最後まで競争 と思っていましたが


会社員なるものを辞め、

気儘な、藩津(ぱんつ)屋家業をしていますと

その様な、競争社会の事を忘れています

競争の世界を忘れ10年以上が経つのです


幼い頃の食事ですが・・・

戦後間もないころであり、

食べるものもあまりなかったと記憶致しております

当時 コロッケが5円の時代だったと思います

(昭和30年頃だったと思います)

コロッケを食べる、最高の贅沢と思ったものです

バナナなどは、高くて買えませんでした

バナナ一本のお値段が、

30円とか40円とかしたように思いますね


なので、ご飯粒(つぶ)を残す

とんでもない事でした

「お百姓さんの気持ちが判るか

        残さず食べなさい」

と、母親から叱られたものです


粒粒辛苦

(りゅうりゅうしんく)


お米の一粒一粒が、

農業をする人の辛苦の結晶である

というお話ですが、

もう一つ意味がございます


転じて、物事を完成させるためには、

地道な努力を、延々と積み重ねる必要がある

とらんくすや。親父 

団塊世代の仲間との競争は無くなりましたが

今度は、自分自身との競争です


努力を積み重ね、

お客様に愛される藩津(ぱんつ)を

完成させたいと存じます


お客様に捨てられない、

最後の最後までご使用いただける

藩津(ぱんつ)を、制作していきたいと存じます

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比翼連理(ひよくれんり)
ご夫婦の御来店


本当に仲の良いご夫婦が御来店でございます

ご一緒に、我が とらんくすや。 藩津(ぱんつ)を

お選びでございます

「あなたには、これが似合うよ」

と奥様、ご主人様も、
満足そうなお顔でございます

とらんくすや。親父 出番はございません

さっさと奥様が決められ、
5枚もご購入でございます



羨ましい程 仲睦まじいのです


夫婦仲が良い方は安心致しますね

比翼連理
(ひよくれんり)でございましょうか


白居易長恨歌」(ちょうごんか)という

長い漢詩がございます

玄宗皇帝楊貴妃
のお話でございますが


楊貴妃が亡くなってしまいます

楊貴妃の魂が、仙界で、

太真と名乗る仙女となっていました

その太真(楊貴妃)が、

皇帝との「思い出」を

仙界より、道士(どうし)に託した言葉なのです


在天願作比翼鳥

在地願爲連理枝

天にあっては願わくは比翼の鳥となり、

地にあっては願わくは

連理の枝となりましょう

「比翼の鳥」

雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、

常に一体となって飛ぶという想像の鳥でございます

何処へ行くのも一緒ですね


「連理」

根元は別々で、近くに生えた二本の木が、

幹や枝が途中でくっついて、

木肌や木目が連なったものです

「理」は木目の事です


天でも、離れず、地上でも離れず

何時も一緒です

若い人達は、

常に手を繋いでいるという様な人が多いようですが、

年を取るとなかなかそうはいきませんね

しかし、驚くなかれ、
とらんくすや。 には、

七十歳を超えるご夫婦で、

比翼連理(ひよくれんり)

その通りの、御夫婦も来店されますぞ!


ご主人様の藩津(ぱんつ)を

仲睦まじく選ばれる奥様は、

とらんくすや。親父から見まして

楊貴妃に見えますぞ・・・

ご主人様、玄宗皇帝の如く・・・

   愛は、奥様一人に注がれていますね

後宮の佳麗(かれい) 三千人

三千の寵愛(長愛)一身に有り

後宮には三千人の美女がいるが、

三千人分の愛は、楊貴妃一人に注がれている


・・・の如くで、ございますかな

非常に、羨ましい限りでございます

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白髪三千丈 そんなに白髪?



とらんくすや。親父

めっきり白髪が増えました

ですから、
髪を染めるなどと言う様な事は出来ません

白いままですね 
益々年寄りに見えますかな

笑わずにはおられませんね
・・・わっはっはっ



白髪三千丈

愁(うれ)いに縁(よ)りて
箇くのごとく長し

知らず明鏡の裏

何れの処より秋霜を得たるを



私の白髪は三千丈もある

愁いの為、この様に長くなった

鏡に映る私の姿

何処から、この霜がやってきたのであろうか



「秋浦歌」李白 でございます



三千丈 約6kmと言われますが

これは、「なんと大袈裟な」と思わないでください



中国特有の言い回しでございます、
それと、
歌の題名の如く 
秋浦河が北流して長江に注ぐ様子も

この中に詠み込まれていると思われます

長江 大きな長い川ですね



知らない間に、
年を取り白髪となっているのです

これは、愁いでしょうか?



いろいろな事が人生の中で有ったな~

自分の姿を鏡に映してみて判るものですね



李白は、 
「酒中之仙」 
と呼ばれていました

お酒が大好きだったのです

最後はこの様になったのです・・・




李白は一人長江に舟を浮かべ、

月を眺めながら酒を飲んでいました

なみなみと注いだ杯に輝く月を招き入れ、

飲み干し、飲み干しては、また招き入れ

すっかり酩酊し、水面に映った月を

すくい取ろうとして

舟から落ちて溺れ死んだのです



年を取る事と、人生の愁いとが、

酒に走らせたのでしょうか・・・

李白 様 立派な詩人ですが・・・



とらんくすや。親父 は、

藩津(ぱんつ)の詩人です

溺れ死なないためにも、

酒を飲まず、もう少し頑張る所存です



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桃源郷(とうげんきょう)は、見つからない?



久しぶりに、浅草を散策致しました

浅草で商売している 
とらんくすや。親父でございますが

なかなか 散策などと言う余裕は有りません


しかし、何故か、外の景色を見たかったのです

人間 仕事や、商売に忙殺されていると、

ふっと、我を忘れる事の出来る

風景に巡り合いたいのかもしれません


浅草の隅田川 花火大会では大賑わいの場所ですが、

秋のこの時期は、何故か風流でございます

隅田川に架かる吾妻橋(あづまばし)の上から

遊覧船や、水上バス、屋形船が、優雅に川を進んでいます

久しぶりに、乗ってみたいと思います


この先には、何が有るのだろう?

ふっと・・・思うのです

とらんくすや。親父 

よ~く 存じている地形でございますが

何か・・・ふっと 思わされてしまったのです


この先に、 桃源郷は無いのかな?
有るやもしれない、ぼ~と 川面を眺めるのです


桃源郷 (とうげんきょう)のお話です

武陵桃源 (ぶりょうとうげん)


中国の武陵と言う所に漁師の男がいました

ある日、川に沿って船を漕いでいました

上流に行きますと、

突然 桃の花が咲き乱れる林が両岸に広がってきました

香ばしく、美しく、男は心を奪われました

更に川を遡ると、水源に辿り着きました

そこは山で、山腹に人が通り抜けられるだけの

小さな穴があったのです

男は穴の中に入っていったのです

穴を抜けると、広い平野になっていました

農家も田畑も池も、桑畑も全てが立派で美しいのです

その土地の住民は、みな微笑みを絶やさず働いていました

村人たちは、男を見つけ、驚き話しかけてきました

男は、「武陵から来た漁師だ」と言いました

村人達は、家に迎えたいそうなご馳走を振舞ってくれました

村人達は、「外の世界」を尋ねました

「今は誰の時代なのですか」

晋の時代であると告げると吃驚です

秦 ⇒ 漢 ⇒ 三国時代 ⇒ 晋

村人達は、秦の時代の戦乱を避け、

家族や村ごと逃げ、山奥の誰も来ない地を探し当て

開拓したのです、それ以降、決して外に出ず、当時のままです

一切の外界との関わりを絶って暮らしていると言うのです



男が、この桃源郷を去る時、村人から言われました

「この地の事は、外の世界では放さないでください」



穴から出た男は、村人を裏切り、

目印を何カ所も付け帰ったのです



この男、役人に話しました

役人は、何回も桃源郷へ行こうと試みましたが

二度とその地に行く事は出来ませんでした

文人や、学者も試みましたが駄目でした


作者は、 陶淵明です
『桃花源記』が出処でございます

桃源郷(とうげんきょう)とは、

俗界を離れた

他界や、仙境、ユートピアとは似て非なるもの

正反対のものである と言っています


それは 己自身の魂の奥底にあるものであり、

目的を持って追求しても
到達できる場所では無いのであると


「千と千尋の神隠し」  いつも何度でも

・・・・・・

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに みつけられたから


輝けるのは、己自身の魂の奥底にある

年老いた とらんくすや。親父 

目覚める 散策なのでした


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いきなパンツは、ないかい?


とらんくすや。 へ御来店のお客様

「いきなパンツはないかい?」

と、仰います

「和柄藩津(ぱんつ)の専門店と
        聞いてきたのでね」

和柄に、「いき」を感じられるのですね


いき 意気(いき) 粋(いき?) ?・・・


とらんくすや。親父 

何時も、意気な柄 を

粋な柄と書いてしまいます

癖ですね、しかし、沢山の人が、

粋な柄が正解と思われているようです

(明治時代以降は正解なのでしょうね)


江戸時代には、

意気(いき)と言われたのは、

お江戸での辰巳芸者が始まりです

深川の辰巳芸者は、身なりが洗練され、

冬でも裸足に下駄、人情にも厚く、しかも気風も良い

正に男のようにあっさりしている

意気(いき)だね~


さて・・・

意気(いき)、粋(すい)の違いは?


守貞謾稿(もりさだまんこう)より

(江戸時代の風俗事物を説明した

百科事典のようなもの)


京坂は男女ともに艶麗優美を専らとし、

かねて粋(すい)を欲す

江戸は意気を専らとして美を次として、

風姿自づから異あり

これを花に比するに艶麗は牡丹なり、

優美は桜花なり、粋と意気は梅なり

しかも京坂の粋は紅梅にして、

江戸の意気は白梅に比して可ならん



簡単に言うと、

京と大坂は、
 色気と豪華絢爛、和の伝統 ⇒ 粋(すい)

江戸は、あっさり気取らず、

しかし、見えない処にお洒落がある
             ⇒ 意気(いき)


皆様が「いき」な藩津(ぱんつ)と選ばれますが


おっとっと・・・

粋(すい)と、意気(いき)に分かれています


粋(すい)⇒豪華絢爛花柄、金あしらいの豪華版

意気(いき) ⇒江戸小紋、家紋

龍や唐獅子、鯉は微妙ですかな・・・


お客様の好みに合わせて、

意気(いき)、と、粋(すい)

《いやこれも「いき」ですが》をお選びする 


とらんくすや。親父でございます


そのお方が、「いき」と思えば 

その藩津(ぱんつ)が、「いき」なのです


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青は、之を藍より取りて、藍より青く


とらんくすや。親父

新しい作品がなかなか出来ずに困ってしまった時

次の様な事を、思い出します

藍染の藩津(ぱんつ)は現在ございませんが・・・


筍子(じゅんし) 

出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)からです


弟子が、
師を越える事が出来る喩(たとえ)のお話です


君子曰、学不可以已。
青、取之於藍、而青於藍、
氷、水為之、而寒於水。

君子曰く、学は以て已むべからずと。
青は、之を藍より取りて、藍より青く、
氷は、水之を為して、水より寒し。


昔の君子が言っている、

学問は途中でやめてはならない
青は、藍草から取ってできるものだが、
藍草より青く、

氷は、水からできるものだが、水より冷たい


又、次の様にも言っています


故に高山に登らざれば、天の高きを知らず、
深谿に臨まざれば、地の厚きをしらず、
先王の遺言を聞かざれば、
学問の大なるを知らざるなり


とらんくすや。親父

教えて頂く方は、皆様 師です

恐れ多くも、日本では、初めてと言える

紳士藩津(ぱんつ)専門店なるもの作りました

もう14年目に突入致しております


衣料品その物の業界を知らなかった私です

繊維の種類、縫製方法、テキスタイルデザイン、

パターン、など、皆様に教わり勉強してきました


テェーンストア出身の私ですが、
衣料品に対しては

ど素人だったのです


更に、浅草での出店と言う事で

和柄文様の種類が多く、
和柄の意味に付いて

一から勉強いたしました

本当に、年寄りの手習いでございます


しかし、まだまだ です

お客様に喜んで頂ける、
テキスタイルデザインなどが

開発されていません

青は、之を藍より取りて、藍より青く、
氷は、水之を為して、水より寒し。

青や、氷の様に

世の中にある現在のトランクスを越える

藩津(ぱんつ)なるものを作らねばと思います


その為には、

高い山に登らなければ山の高さが判らない 

の如く、更に深く学び、

そして、一番大事な事は、

真摯な心で、お客様の御意見を

お聞きする事だと思います


とらんくすや。親父 年寄りですが・・・

これからも、進歩向上、修養に邁進致します

とらんくすや。 を、
宜しくお願い申し上げます


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松に鶴の図柄の意味する処


松に鶴というデザインの和柄多いですね

何故 松に鶴なのでしょう?

実は、鶴は、松の木に止まる事は無いのです

湿地帯や、池の淵、川岸、海岸などにいるのです

どうしてでしょう?


これは、縁起の良いように組み合わせたものなのです




松鶴長春、夫婦長春、不老図案です

は、古代中国では、
では、第一なのです


その事から
 
「一品鳥」(いっぽんちょう)と呼ばれました


品位(ほんい)とは、

朝廷における親王・内親王の位階のことをいいます


一品当朝」(いっぽんとうちょう)


せる 潮を感じる 岩の上

「朝廷」 の 「朝」(ちょう)と

「潮(しお)」の(ちょう) 同じです

一品(いっぽん)朝廷出仕する

という意味になるのです


更に、は、・・・

夫婦仲が大変良く一生を連れ添うことから、
夫婦鶴(めおとつる)といわれて

「仲良きことの象徴」

鳴き声が共鳴して遠方まで届くことから、

天に届く、天上界に通ずる鳥といわれます

 は常に緑を保ち、
神様を待つ木とされます

日本庭園には、必ずと言ってよいほど
松が植えられています

神様、どうぞ、松に宿って下さい
お守り下さいと言う事なのです
 
本当に縁起の良い図柄ですね

とらんくすや。 では、
その様な新柄が出来ております

是非、ホームページでご覧下さいませ
鶴に松と波 紫ベージュ
(商品コード0078)



鶴に松と波 水色ベージュ
(商品コード0077)とらんくすや。親父からの




新作藩津(ぱんつ)の御案内でした



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中秋の名月です
   兎さんとの関係は?



秋です 
中秋の名月を楽しむ季節がやって参りました

名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉

中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」

旧暦 8月15日は

平成26年(2014年)では、

9月8日(月)となります



江戸時代の暦は

旧暦であり、
月の満ち欠けの周期で決まっていたのです

現在は、太陽暦ですので、月日が違いますね



月見(つきみ)とは、
月の満月を眺めて楽しむことですが

その年により、
旧暦8月15日微妙に満ち欠けがございます

旧暦の日合わせの影響ですね



また、観月(かんげつ)とも言われます



ちなみに、

太陽と月では神様が違います

太陽の神様は、
天照大神(あまてらすおおみかみ)


月の神様は、
月読命(つきよみのみこと)


神話の中に出てきます

ちょっと喧嘩になり、

天照大神が、月読命を

夜の闇の世界に追いやったのです



それ以来、昼は天照大神

夜は月読命 となったのです



伊邪那岐命(いざなぎのみこと)から

お生まれになった二神なのですが・・・

詳しくは、
古事記及び日本書紀をご覧ください



さて、話を中秋の名月に戻します



中秋の名月のお供えは、以下の物を供えます

勿論お月さまの方角へ供えます

月見団子、神酒、里芋、枝豆、

秋に収穫される果物

秋の七草です

秋の七草 ⇒

萩(はぎ)、薄(すすき)、撫子(なでしこ)、

葛(くず、裏見草(うらみぐさ)とも)
女郎花(おみなえし)、
藤袴(ふじばかま)、
桔梗(ききょう)



月 と言えば 兎です

日本では、月で兎が餅を搗くと言いますが、

中国では、
不老不死の仙薬を杵で搗いているとされます



何故 
兎さん月の中にいるのでしょう

この様な伝説からです

猿、狐、兎が、山の中で、

力尽きて倒れている老人に出逢いました

3匹は、助けようと考えました

猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、

老人に与えました

しかし、兎だけは、

どんなに苦労しても何も採れなかったのです

兎は、自分の非力さを嘆きました

それでも、老人を助けたいとの思いの末、

猿と狐に、火を焚いてもらい、

自らの身を食料として捧げるべく、
火の中へ飛び込んだのです

その姿を見た老人、実は帝釈天だったのです

正体を現し、兎を助けました

兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、

兎を月へと昇らせたのでした



だから、 なるほど 

兎さん 月の中にいるのです



その様な兎の藩津(ぱんつ)有りますよ
すみません 宣伝でございます 失礼!

本日は、ハーフトランクス
ご紹介いたします

飛躍の兎 紺(ドビー織)

(商品コード0326)



飛躍の兎 赤(ドビー織)
(商品コード0325)






とらんくすや。親父 でございました



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江戸文様 奥が深いですぞ?



江戸紋様ですが、

実は、吉祥文様となっているものが

多いのです

誰しも、縁起の良い着物を着たい思いは、

古今東西 同じでございます



江戸紋様には、・・・

勝虫蜻蛉文様、沙耶形文様、麻の葉紋様、

七宝繋ぎ文様など、
繋がっている文様が多いですが・・・



本日は、江戸文様でも

七宝繋ぎ文様に付いてお話します



○が繋がっているだけなのに

何故? 七宝文様なのでしょう?






仏教においての七つの宝物の事なのですが

この宝物 
七珍万宝(しっちんまんぽう)とも言われます

富貴を表します

無量寿経においては、

金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、

硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)



法華経においては、

金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、

硨磲(しゃこ)、真珠(しんじゅ)、玫瑰(まいかい)



瑠璃(るり)は、

青色の宝玉で、アフガニスタン産ラピスラズリと推定、

後に、青色系のガラスも

玻璃(はり)は、

無色(白色)の水晶、後に、無色のガラスも

硨磲(しゃこ)は、

シャコガイの殻又は白色系のサンゴ

玫瑰(まいかい)は、

詳細は不明、赤色系の宝玉とされます



七つの宝 難しそうですね 

未だに解明されていないものも有りますね



ここから、七宝繋ぎ文様が生まれています

そうじて丸いものであり、宝箱に入っていると

丸いものが沢山で、○が繋がって見えたのでしょうか?

そして、繋ぐのは、永遠に伸びる事に繋がり

目出度い文様となったのです

無限に連鎖する金輪の交叉から成る文様のため、

「無限の子孫繁栄」などを表すとも言われます



シンプルな感じですが

実は、奥が深く、歴史を感じさせる

という江戸紋様なのです



その様な藩津(ぱんつ)が出来上がりました

菊に花々と江戸文様 紫系(エンボス加工)



(商品コード0040)


是非ホームページでご覧下さいませ

とらんくすや。 ホームページ

沢山の新作が出来ていますので

合わせてご覧下さいませ



とらんくすや。親父からの

新作 ご案内でした


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