江戸時代
隅田川に橋は四つしかなかった?
浅草の横を流れる隅田川
現在 25の橋が架かっています
江戸時代初期には、橋は有りません
大きな川は、江戸城を守る為の
一つの防衛手段だったのです
ですので、川を渡る手段は、
渡し船しか有りませんでした
ところが、
江戸城を守る為の隅田川だったのですが
明暦の大火事(1657年)が発生です
神田、日本橋の住民が、
川向こうに、逃げようとしましたが、
逃げ切れず、沢山の焼死者を出したのです
城や、人を守る為の大きな川が、
命取りとなったのです
隅田川に橋が架かる事となるのです
両国橋でございます
そして、江戸時代には、
更に、三つの橋が架かります
新大橋、永代橋、吾妻橋 です
江戸時代、に、隅田川に作られた橋は
この四つの橋のみです
最後に架けられた橋は、吾妻橋です
両国橋から115年後のことです
幕府は、架ける事を渋っていましたが
浅草花川戸の家主であった伊右衛門と
下谷竜泉寺町家主の源八の二人が、発起人となり
熱意を込めて説得し、
橋を架ける事を幕府から了承を得るのです
当然民営です、沢山の条件を出されました
一番上流の橋ですので、増水の為に、
壊れて流されないように、当然です
下流の三つの橋が、被害に遭わせない為です
結局、地元の民営で出来上がった橋が、
皮肉にも、一度も壊れる事が無かったのです
両国橋、永代橋が、洪水で落ちてしまった時も
無事だったのです
浅草等の庶民により、橋が守られてきたのです
勿論、橋を渡るのもお金がいりました
吾妻橋は、その当時、世界的レベルの架橋工事水準に
達していたと言われます
江戸時代の人は、川を渡る為に、
大変な努力と、お金を使ったのです
幕府でなく、庶民がやったのです
その事を忘れてはいけません
とらんくすや。親父 も











