~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -14ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

「有終の美」
「謙遜、謙虚、謙譲」?


「有終の美」

言葉の意味は、詩経 からです

靡不有初 鮮克有終

初め有らざるは靡(な)し、

克(よ)く終わり有るは鮮(すく)なし

物事の初めはみな努力するが、
その努力を維持して

有終の美を飾ることができる者は、稀である


大変です 有終の美 

なかなか飾る事は難しいようです


有終の美 のお話 実は、・・・

殷の紂王(ちゅうおう)のお話からなのです

暴虐な政治を行なった帝とされ、
周の武王に滅ぼされたのです

以下のように言われました

義を残(そこ)ない、
善を損なうを紂と曰う

この紂王(ちゅうおう)、実は、・・・


美貌で、弁舌に優れ、頭の回転が速く、

力は猛獣を殺すほど強いという 
素晴らしい人だったのです


しかし、あまりにも頭が良すぎ、

臣下が、皆、馬鹿に思えたのです

挙げ句の果て、重税を科し、
天下の宝物を一人占めにし、

佞臣(ねいしん)を重用し、

妲己(だっき)という愛妾(あいしょう)に溺れ、

日夜宴会三昧です


宴会の為に行った、出来事が有ります

酒を池の如く溜めたのです

 ⇒ 酒池

肉を天上から吊るし、林の如くにしたのです 

 ⇒ 肉林

この様に、度が過ぎた享楽を

酒池肉林(しゅちにくりん)

と呼ばれるようになったのです

義を残(そこ)ない、善を損なう

駄目ですね

ちょっと偉くなったり、昇格したりすると、

突然人が変わったような行動をするお方は、

周りにおられませんか?


地位や、お金が出来ると陥る

人間の習性かもしれませんね


それでは、

有終の美を飾る為に、

何が必要なのでしょう?


その答えは・・・

易経 六十四卦 地山謙(ちざんけん)

の中に見る事が出来ます


謙 とは 

謙遜、謙虚、謙譲 のことでございますが、

謙は亨(とお)る 
君子有終 吉

地山謙の時、通じる

君子は終わりを全うすることができる 吉


高くて、尊いものが頭を低く、

実るほど頭を垂れる稲穂かな

能ある鷹は爪を隠す

と言うように、

謙虚に進んで有終の美を飾るべき時 
となっています


有終の美 最後は、

謙遜、謙虚、謙譲

でなければ,
と言う事でしょう


とらんくすや。親父 

決して偉くは有りませんが・・・

人生最後まで、謙遜、謙虚、謙譲の精神で

藩津(ぱんつ)を制作し続けたいと存じます

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敬老の日 更に切磋琢磨だ!



敬老の日

2014年 本年は、9月15日です



敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法)では、

「多年にわたり社会につくしてきた
      老人を敬愛し、長寿を祝う」

ことを趣旨としているのです



最初は、兵庫県多可郡野間谷村から始まったのです

「老人を大切にし、
  年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」

と、丁度、暇になる農閑期に行ったのです

ですので、9月中旬なのです



この催しが、兵庫県全体に、
拡がり、国への働きかけにより

日本全体の祝日となったのです



最初は「としよりの日」でした、

それが、「としより」 言葉が良くないと 

「老人の日」 ⇒ 「敬老の日」 

と変化したのです



この様な祝日が出来たと言うのは、

年を取って来た者には有り難い事です



敬(うやま)う



古語の「うや」が動詞化した言葉ですが
礼儀や敬意を表すことを意味しました

「恭(うやうや)しい」も、これが由来です

ですので、

人や神仏を尊いものと考え、

それを行動や態度に表すことで、

「あがめる」とも言います



とらんくすや。親父 も、 
もう老人の仲間と言えます



しかし、喜んでばかりはおられませんよ



その対象になるには、相当な覚悟が必要です

恥ずかしくない言動や、

態度が備わっていなければなりません



私達 老人は更に
切磋琢磨しなければいけません

まだまだ、お勉強せねば、

その思いを心に持つ事が、
長生きの秘訣かもしれませんね

呆(ぼ)けては、おれませんね

・・・わっはっはっ・・・


笑って、とぼける

とらんくすや。親父でございます

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王国の交替商業の関係?


近代の戦い、西洋や、中国に見られる様に

王国の交替は、簡単にはいかず、

大きな血を流す戦いだったのです


なので、新王朝は、倒した王朝の血筋を持つ者は、

全てを殺し根絶やしにしたのです

復活を、恐れたのですね


日本の国では考えられない事です


当然ですね

日本は、天皇様一系で、
日本の国が出来た古(いにしえ)から

何千年も続いて、現在に至っているのですから・・・

日本人は、幸せです


フランス革命では、

200万人もの人が殺されています

中国文化大革命では、2000万人、

いや4000万人、更に、

1億人に達するとも言われています

第二次世界大戦では、

世界で、5000万~8000万人も亡くなっています


しかし、


中国 太古の時代は、

その様な事はなかったのです


中国の古代人、亡くなった霊魂は、

静まる事が無いと考えていました

様々な祟りがあると信じていたのです


ですので、

古代の王朝が、滅ぼした王朝の遺族に対し

小さいですが、国土を与え、

祖先の祭祀をするようにさせたのです

霊魂を鎮め、祟りが無いようにしたのです


近代の、王国交替時に、為されている事と、

全く違う事をしているのです


日本の武士に、似ていますね

日本の武士達は、覇権争いをし、闘いました

しかし、負けた武士が、根絶やしにされる程

殺戮された事はありません

仲良く徳川時代にも幕府を支えています


この古代中国から

生まれてきた言葉が有ります


商業(しょうぎょう)


周(しゅう)と言う国に滅ぼされた殷(いん)の国

自分たちでは、商(しょう)を言っていました


戦いに負けて与えられた国は、
小さく、肥沃でない土地です

仕方なく、物の売り買いの仕事をしたのです

そこで、

商(しょう)の国の者がやる、職業で

商業と言う文字が生まれたのです


少し 商業 蔑(さげす)まれていました

江戸時代でも士農工商 で一番下です


人の作った物を売り、利鞘(りざや)を稼ぐ

何と言う者達だ と言う感覚ですね


現在では、この商業、

生活には無くてはならないものです


商業 の成り立ちを考えると・・・


商業の発生は、王国の交替時に、

殺戮が行われなかった証(あかし)で有ると同時に

生きる知恵と言えるでしょう


負けて、生きていく為の原点が、

商業(しょうぎょう)にあったとは、・・・

深い感動を覚える 

とらんくすや。親父でございます


困難にも生き残り、

商業(しょうぎょう)で、頑張るぞ!
心に誓うのでございます

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葉落ちて根に帰る 
  そんな藩津(ぱんつ)有るかな?


少し肌寒くなり、秋がやってきています

紅葉の季節がやってくるでしょう

そして、花や、葉は、散っていきます

侘び、寂を感じる季節です


葉落帰根

葉落ちて根に帰る


葉が落ちて、その葉は、
肥しとなり、木を大きく育て

そして、再び、花や、葉っぱを開かせる


生きているものは、
必ず寿命が有り、死が待っている

しかし、それが、
他の物を育て救う事にもなっているのです

自然は、巡り巡っているのです


人生も同じでしょうね


例えば、スポーツ等で、大成しなかった人が、

その教訓を活かし、
弟子や、後輩に教え、立派に大成させる

そうでなくてはいけませんね


成功しなかったと、

毎日、やけ酒を飲んで人生終わりでは駄目ですね


すみません・・・

とらんくすや。親父でございますので

藩津(ぱんつ)の話題へと、移させて頂きます


藩津(ぱんつ)を穿く男性の方が

   でございます

藩津(ぱんつ)は、

であり、葉っぱでございます


木が育つように、

花や、葉っぱが開き、散って、肥しとなる

幾重にも繰り返すことで、
立派な大木となるのです


同じです

とらんくすや。 藩津(ぱんつ)も、

男性が、立派に大木となるような

ものでなければなりません

科せられた使命は、
男性への肥しとして、

心の糧、縁起、穿きやすさ、美しさ

   
・・・などでしょうか


男の人は、一生の間に、何枚の藩津(ぱんつ)を、

身にまとい、散らせるのでしょうか?


散っても、散っても、
  大事な肥しとなるような

とらんくすや。 藩津(ぱんつ)を、

作り続けていきたいと存じます

肝に銘じる 
とらんくすや。親父でございます

トホホ・・・

高尚なお話と、
  混ぜこぜでございましたかな?

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新作ご案内 何と? 龍に唐獅子


とらんくすや。 へ 御来店のお客様

「つい最近 唐獅子がないな、作ってくれよ」

と、仰います

誠にその通りです 唐獅子つい最近、

新作が出来ておりませんでした


今回、出来上がりました 本日入荷です

しかし、信じられない図柄で出来上がりました


龍と唐獅子 の図なのです


龍に波、唐獅子に牡丹などの図柄は見ますが

この、龍に唐獅子の組み合わせは初めてです

珍しい 図柄です


ところで、

唐獅子とは、 

中国から伝わった 獅子のことですが

獅子つまりライオンの事です


古代オリエントの時代には、

国王は、強大な力を得ようと、

地上最強の動物のライオンの力を

王そのものに、宿らせるという考えから、

玉座の肘掛けに獅子(ライオン)頭を付けたのです


この様にして、

ライオンが守護獣として尊重される考えが

インドに伝わり、仏像の台座にライオンの像を刻み、

「獅子座」と読んだのです


そして、中国に伝わり、獅子となり、

日本では、唐獅子と言われるようになったのです


アジア大陸には、ライオンはいません

それまでの、王様的存在は、虎でした

それよりも強いのが、ライオンと言われ、

獅子として、守護神とされたのです


しかし、

あくまでも、中国においては、

龍が皇帝の印と言われるものでした

五本爪の龍で、黄龍と言われるものです


良いじゃありませんか


オリエント的な唐獅子、アジア的龍が

同じ図の中に登場する図柄

めったに無い、希少価値のものだと思います

最高の強さ、最強の守護だと思います


本日出来上がりました

ホームページアップまで今暫くお待ちを

とらんくすや。親父  からの

新作ご案内でした

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助け合いの原点は、江戸時に在り


つい最近 災害が多く心が痛みます


災害に関し

江戸時代では、どうだったのでしょうか?


助け合いの精神が漲(みなぎ)っていました

江戸時代で、特にお江戸での、災害と言えば、


地震、雷、火事、親父・・・いえいえ・・・


その中の、地震と火事が、主なものです

特に、火事、一度火事になると、

江戸全体に広がる様な大火事になったのです

棲んでいるお家は、現在の様なものではありません

木造であり、長屋なのです

燃えると瞬く間に、火が移ります

お江戸

1601年(慶長6年)関ヶ原の戦い翌年から、

1867年(慶応3年)大政奉還に至る267年の間に

  なんと 49回もの火事が起きているのです


この火事をくい止めようと頑張った方がいます

町火消しでございます

火を消すといっても、

現在のような強力な放水車が有るわけでは有りません

なので、延焼を防ぐため、

家を壊して防ぐという手立てしかなかったのです


火が上がる処に、水を被り、屋根の上に上がり

纏を振るのです


この仕事、鳶職の皆様行いました

建物の構造を知りつくしていたからです

しかも、身軽な人達ばかりです

常に、高い所で、

綱渡りのような仕事をしているのですから


この様に、身体を張った命がけの仕事です

しかし、この仕事に、
御給金が有るわけではないのです

奉仕でございます

凄い事ですね、江戸の男ですね


身体を張ってやれない人や、
お金もち、大家、商人は、

難民となった人に、お金や、食事を振舞いました

また、寝泊まりするところも用意しました

お互い、やれる事をやるのが、江戸の男だったのです


これは、江戸時代 

ほぼ人力の世界です

歩ける距離の中でのお付き合いなのです

その狭い中、お客様が元気になり稼いでくれなければ

お店も成り立ちません

現代のように、何処か遠くからでも、

車で買い物に来てくれるわけでは有りません


ほぼ人力の距離 

これは、仲間が近く感じ、絆が深いのです


助け合い 大事な事です

助け合い 原点は、

江戸時代に在った事をお忘れなく

とらんくすや。親父 のお願いでした
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ご存知ですか? 九月九日 


重陽の節句でございます


日本の節句は五回有ります


一月七日 人日(じんじつ) 

 古来中国では、正月の一日を鶏の日、
二日を狗(犬)の日、
三日を猪の日、

四日を羊の日、五日を牛の日、六日を馬の日とし、

その日には、その動物を殺さない事になっていたのです

そして、七日目を人の日(人日)とし、

犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていたのです

この日には 七種類の野菜 
七草がゆ を食べる習慣が伝わったのです


三月三日 上巳(じょうし、じょうみ)

桃の節句とも呼ばれ、

江戸時代には庶民の人形遊びと節句が結び付けられ、

お雛様(雛祭り)の節句となるのです


五月五日 端午(たんご)

菖蒲の節句とも呼ばれ

端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し

「菖蒲」が「尚武」となり、武を尊ぶことから

五月人形や、鯉のぼりを飾る習慣となるのです


七月七日 七夕

古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や
棚幡」と言いました

七夕とは、お盆行事の一環で、
精霊棚と、その幡を

安置するのが七日の夕方だったのです

七日の夕で「七夕(たなばた)」
と言うようになったのです


さて本日のお題

九月九日 重陽の節句ですが・・・


菊の節句とも言われます

陰陽思想では、奇数は、「陽」の数となります

しかも、「九」は、
「陽」の一桁の数で、最大となります

しかも、重なりますので、
「重陽」となったのです

これは、吉祥なのです


中国の古(いにしえ)には、

菊は、翁草(おきなくさ)、千代見草(ちよみくさ)、

齢草(よわいくさ)と言われていました

邪気を祓い長生きする花と信じられていたのです

その菊は、次の様にして使ったのです・・・

八日の夜に菊に綿をかぶせ、

九日に露で湿ったその綿で、
体を拭いて長寿を祈ったのです


菊の花 伝説がございます


菊慈童伝説(きくじどうでんせつ)です

周の穆王(ぼくおう)に仕えた
慈童(じどう)は過ちを犯したため、

虎(とら)狼(おおかみ)が充満する

酈県山(れっけんざん)に流されてしまいます

王はこれを哀れみ、「法華経」の二句を授け、

毎朝これを唱えるようにと言いました

慈童(じどう)は忘れぬようにと

仮小屋の側に生えている菊の葉に、
句を書き止めました

具一切功徳 慈眼視衆生 

福聚海無量 是故応頂礼

法華経「観世音菩薩普門品」の偈の最後の4句

一切の功徳を具して 

慈眼を以って衆生を視(みそなわ)す 

福の聚(あつま)れる海は無量なり 

この故に応(まさ)に頂礼すべし

この菊に溜まった露が、下の川の流れに落ち、

谷川の水が「天の霊薬」となったのです


慈童(じどう)がこの水を飲むと、
天の甘露のように美味で、

虎狼も恐れて近づかなくなり、
しかも慈童は不老不死の長寿を得て、

八百年余り経っても、
尚(なお)、童顔だったのです

魏の文帝の時、慈童は仙術を文帝に授けました

文帝は、これを菊花の盃に伝えて
万年の寿をされたのです

重陽の宴の始まりとされます


若者に聞きます

「菊の花 何を思う」 
に対し
「お葬式、縁起良くない」

とんでもない!駄目ですぞ!
不老不死のお花なのですぞ!


この重陽の日 九月九日

大事な日である事をお忘れなく

年寄りである、

とらんくすや。親父 からの御忠告でした
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江戸時代のお金持ちのお話


江戸時代には、大人が楽しむ絵本が有りました

世の中の風刺、幕府を少し風刺する様なものも有りました

朋誠堂喜三二、恋川春町、山東京伝などは、
お咎めを受けています


本日は、これほど お金が集まるのか?というお話です

羨ましいかぎりですね


莫切自根金生木

「きるなのねからかねのなるき」


前から読んでも、後から読んでも 同じです

回文 と言われます 一つの江戸時代の洒落でございます

江戸の人、頭が良いのです


唐来参和(とうらいさんな)著  

喜多川千代女(きたがわちよじょ)画でございます


大金持ちの「萬々」は金がありすぎて苦しむというお話です

なんとかこの煩わしさから
逃れようと苦心惨憺するのですが・・・



まずは、貧乏神を拝みでございます

代々伝わる大黒様を退けて、
三日でも貧乏になえれば心安らぐと

貧乏神をお祀り致しましたが、
知らない間に下女が追い返してしまいます


次に、高札を立て、返さなくてよいからと、
お金を貸しまくります

それでも、お金はなくなりません
しかも、お金を貸した人達が金持ちになり
お金を返しに来るのです また 増えてしまいました


それでは、女郎遊びでもしようと、
お金をたくさん使うのです

福は外へまきちらしの鬼は内へ鬼は内へ

しかし、あげるお金が大きすぎ、

おかしい、後がヤバイと受け取りません


ならば、今度はお米です

世の中が穏やかであれば、米の値段は下がるだろうと

お米を沢山買い置きします、
これで、少しは金が減っただろう

と、思いきや、悪天候となり、
お金がザクザクと入ってしまうのです


今度は、 博打です

屈強の勝負士を集めて博打です

胴元となり、道元の取り分を減らし、
目の悪い方、目の悪い方に掛けるのですが

これが、又勝ってしまうのです


いかん、いかん 今度は、盗人に入ってもらおう

全ての大判小判を判る処におき、施錠も外し、

手代や、下女を引き連れ屋敷を開けるのです


そこに、盗人が入って来ました

しかし、大判小判が多すぎて、
一生懸命段取りをしましたが

間に合いません、これは、ヤバイ、日が開ける

よそで、盗んだ小判まで置いて逃げ出しました

さあ、そろそろ良いだろう 
お金は亡くなっているだろうと

帰って来た「萬々」吃驚です 
また 増えてしまったのです


今度は、お金を散在しようと、江の島参りをし、

全ての漁師を雇い、法被(はっぴ)も作ってやり、

お金を使う為地引網をさせてのです

ところが、どっこい、魚に交じって金の山です


何もない、三保ノ松原の土地を買いあさり、

高い賃金で良いぞと、人夫をこれでもかと雇い入れ

その辺を掘ってくれ・・・
これでお金が減ると喜んだのですが

これが、大変 唐櫃(からびつ)が出て来て、
その中に黄金がザクザクです


今度は 海に捨てよう 金銀全て・・・

しかし、捨てたお金が・・・
「萬々」の蔵めがけて飛んでくるのです


「萬々」お金を無くそうとしても駄目だと、

我が家に帰ったそうです

しかし、
お金が多く居場所の無いお屋敷でしたとさ・・・



その様な目に会いたいと、誰しも思うでしょう

それで絵本が売れたのでしょうね

とらんくすや。親父 に関係の無い

お金もちのお話でした・・・トホホ

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江戸の銭湯 流行った理由とは


江戸時代 特にお江戸ですが、

干拓により埋められて出来上がった町なのです

更に、現在では、埋め立てが進み、

古地図と現在地図を身比べると、吃驚するぐらい

土地が拡大しています


何故? 飲み水の確保なの?


江戸への入府が決まった

徳川家康様、最初に行ったのは

飲み水の確保でございました


神田上水道、玉川上水道なのです

井戸を掘っても、海を埋め立てた為、

塩水しか出てきません

飲み水が確保できないと

沢山の人が棲む事が出来ないのです

そこで、わざわざ、水を引いてきたのです


なので、水は無駄には出来ません


更に、このお江戸

現在東京に住んでおられる方々には、

想像も出来ないでしょうが、

泥埃(どろぼこり)が凄かったのです

何故?

当然です、現在のように舗装された道路ではありません

当然 土の道路なのです

江戸は、武蔵野平野の果ての海近くにて

常に風強く、泥の埃(ほこり)まみれ

口当てや、頬冠(ほおかぶ)りをしないと歩けない状態

と、言われていました

なので、風呂で埃や泥を落とさねばいけなかったのです


水は無駄に出来ず、

しかも、泥埃まみれの身体は洗わねば・・・


そうです そこで、銭湯です 

武士も、庶民も、豪商も、皆 銭湯なのです


現在のように、家に風呂が有る家は、
殆ど、無かったのです

大名など、極(ごく)限られた人だけでした

旅籠(はたご)で宿泊しても、銭湯に行くのです


個人で風呂へ入り水を使うなど

とんでもない

水は、本当に大切なものだったのです


現在の人なら不便に感じますね

しかし、この銭湯では、金持ちも、庶民も平等です

会話も弾みます

「八っあん 元気かえ」

「熊っあん 当たり前だい」

一つの社交場だったのです、
情報が入り、知識が増えます

ここから、江戸文学が生まれるのです

式亭三馬 浮世風呂 でございますかな


更に利点が沢山あります

水の節約は勿論、
湯を沸かす燃料費も少なくて済みます

この燃料に使われていたのは、
江戸市中の塵(ごみ)などです

ですので、江戸は、クリーンな町だったのです


言い忘れていました

最初は、男女混浴だったのですが・・・

水が勿体ないということでしょうか?

いや、男の我儘(わがまま)でしょうか?


男女の乱れが生じ、男女別々の銭湯となるのです

女性は、裸を見られるのが嫌で、

家で、行水をする女性が多かったそうです

これで解決、女性の銭湯通いも増えたそうですね


もう一つ お話が


風の強い日は、銭湯お休みです

何故?

火事対策です 江戸市中 風が強いと

一度火事になると、延焼し大変な事になります

そうです、銭湯の水を使ったのです

防火用水の役目も果たしていたのです


銭湯 良い事尽くめ です

しかし、現在の世の中、裕福になり、

水も、燃料も、使いたい放題です

個人主義になってしまいました

皆で、風呂を共有するなど、
「とんでもない」と言う人もいます


もう一度 江戸の自然を大事にする心構え

学びたいものですね

燃料や、大事な水が、
枯渇してからでは遅すぎますぞ

とらんくすや。親父からの ご忠告でした

いや~ 偉そうに・・・
申し訳ありません・・・トホホ
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本日は、言葉遊びでございます

我々、年を取って来ますと

言葉で遊ぶ事をしなければと思います

これが、呆け防止(ぼけぼうし)になる様な気がします


お江戸の人達は、遊びと言っても

テレビが有るわけでは有りませんし、

ラジオが有るわけではありません

寄席や、演劇に行けばお金が掛かります

江戸庶民は、その様な贅沢は出来ませんので、


言葉遊びを 楽しんだのです

洒落、駄洒落、地口 と言われるものなどです


とらんくすや。 は、浅草ですので・・・


色が黒いが浅草海苔、
白いまんまの上に乗る

白いご飯の上なのか、はたまた、
白い身体の女性の上なのか

意味深でございます


蝉の声がします、夏も終わろうとしています


蛍二十日に蝉三日、命短し恋せよ乙女、

恋に焦がれて鳴く蝉よりも、

鳴かぬ蛍が身を焦がす


蛍 光っています 焦がしていますかな


大恋愛なれば・・・

信州信濃の新蕎麦よりは、

私ゃ、貴方の側(蕎麦)が良い

そして、大恋愛の末・・・

縁は異なもの味なもの、

海山越えて、山葵や(わさび)(私ゃ?)

刺身のつま(妻)となる

ちょっと、寅さんの様になって参りました


一じく(無花果いちじく)、

二んじん(人参にんじん)

三しょ(山椒さんしょ)に、

四いたけ(椎茸しいたけ)

五んぼう(牛蒡ごぼう)、

六きたけ(剥いた筍むいたたけのこ)

七いろ(七色)、

八ちく(はっちく淡竹

九わい(慈姑くわい)に、

十がん(冬瓜とうがん) 

揃いも揃った野菜ですな

これで、1~10 だけに 
健康に充分(十分?)ですね


最後にデザートといきますか

夏のデザートはやはり 西瓜(すいか)でしょう


真っ赤に熟れた西瓜でさえも、

中にゃ、苦労の種がある


困っ種(こまったね)でございます


言葉遊びでございました

本当にバカげたお話でした 失礼致しました


馬鹿に馬鹿足しゃ、馬鹿ばかり、

馬鹿から、馬鹿引きゃ、薄ら馬鹿、

掛けたり、割ったりしてみても、

アホと間抜けが顔出すばかり、

馬鹿は、死んでも直らない

とらんくすや。親父の事でございます

ツマラナイお話で・・・トホホ
ペタしてね