コラムなタイム -4ページ目

本との気持ち109

「大和古寺風物誌」亀井勝一郎

(旺文社文庫、1968年)

 

 大和への旅路、著者の想いは太古へ翔んだ。しかしどこかで呻き声とともに血生臭い気配がしてならない。万葉に詠われた美しい斑鳩の里のはずなのに、仏教崇拝の蘇我氏と排仏派の物部氏両族の凄惨な戦いや、多くの民まで苦しめた飢餓などが続いたことが思い出された。成長期にあった上宮太子(聖徳太子)は深く悲しんだ。

 こうして亀井勝一郎は法隆寺で夢殿の救世観音や金堂の百済観音を仰ぎ見た時、そこに太子の祈りの魂が宿るのを感じ、仏像は鑑賞するものではなく祈るものだと、想いを深くする。そして、「慈悲よりは憤怒を、諦念よりは荒々しい捨身をそそのかすごとく佇立している。」と感極まるように太古へ導かれてゆく。この神秘なまでの祈りの境地はどこから来たのだろう。古寺を巡り考える。

 亀井は、帝大美学の昭和初期には共産主義思想に傾倒し治安維持法違反で獄中を体験した。その後、プロレタリア作家同盟に加入するも「日本浪曼派」に共鳴していく。昭和12年、いかに自己を再生するかという転身の問題を論じた『人間教育』を発表、いよいよ宗教心が亀井を捉えてゆくことになってゆく。やがて日中戦争と第二次大戦が勃発し進歩的知識人が検挙されるなど文化の様相は翳りを濃くしていく。亀井の大和への旅はそんな中でのことであった。

 著者36歳の昭和18年、本書が出版された。敗戦に傾いていく最中、仏教美術を通じた人間と国土の再生への祈りを謳った。古仏には何万もの民の苦しみ、悲しみが込められている。それは美しい祈願の果ての姿だ。中宮寺の如意輪観音像(彌勒菩薩像)についても、「現世の悲哀を思惟するまなざしが、同時に浄土のはるけさへの郷愁を語る」と語っている。

 亀井も太子同様に青春期は戦時であった。空襲の中、地域の防火活動に明け暮れた。そして訪ねた古仏に我が身を問い続けた結晶が本書となった。他に法輪寺、薬師寺、唐招提寺、東大寺、新薬師寺へと巡った。「仏像は鑑賞するのでなく祈り拝するものである」と、ページを捲る先でしきりと言う。

 そこには、正面から反戦を口にできなかった時代性があったにちがいない。厭世でなく叫びを祈りに代えて誓いを立てる証としたかった。そんな想いが潜んでいるように思えてならない。時に硬質に時に流麗に語る文章には深い含蓄を噛み締める覚悟か誓いが伺われる。読んでいるとまるで自分が独り言を呟いている瞬間にはたと気づく。どうしたものかと自らに問い、しばし書を閉じる。

 さて、この本を手にしたわけは山形の文学について考えることがあったからだ。亀井勝一郎は東京帝大入学前、旧制山形高等学校の文科にいた。その学生時代に見た山形の印象をこの『大和古寺風物誌』(125〜126頁)の中で語っている。春に扇状地の裾野にある盃山から盆地を囲う山並みを見た時のことで、「まるで若葉を頭からかぶったような感じ」と記している。当然、同じ風景を見ようと僕は翌年の春に改めて盃山を登った。あの時、自分も外から来た者として亀井と同じような感動に浸った。いまもよく覚えている。亀井は昭和41年、59歳で亡くなったが、いま僕は彼より10歳以上も長く生きている。人生は旅だ。読書も旅だ。死ぬまでにもう一度奈良へ行けるだろうか。今度はこの文庫本を手にして…。

 

本との気持ち108

「伽倻子のために」李恢成

(新潮社、1970年)

 

 小説は、冬、三十歳を越えた一人の在日朝鮮人が11年ぶりに北海道の小さな町の終着駅に降り立ち、それまでの青春の日々を苦渋の想いで振り返る「前章」から始まる。

 以降、十五章と終章にわたりその在日韓国人二世の大学生と、在日韓国人男性と日本人女性の夫婦に養子として育てられたヒロインとの愛と別離が描かれてゆく。

 時代は、戦後(朝鮮では解放)大陸や朝鮮半島からの引き揚げ者達に二世が生まれ育った頃で、作者が同じ大学生だった60年安保闘争の時期と考えられる。

 そうした政治に無関心ではいられない時代だったから、在日朝鮮人の主人公林相俊(イムサンジュニ)は純粋に日本人ではない自らの立場の矛盾に悩みながら、祖国との団結交流をめざす大学の在日本人朝鮮留学生同盟(留学同)の運動に関わっていく。同志(同務、ソンム)らとの交流や女性闘士への憧れなども描かれ、「あの時代」の青春群像をストーリー豊かなものにしている。

 そんな中、樺太で出会って恋に落ちた少女伽耶子(カヤコ)への愛も続いていた。成長した彼女を運動に誘おうとしたが、積極的でない態度に林相俊は苛立つてしまう。伽耶子には暗い過去の影が差していた。物語はその伽耶子の謎を追って、祖国復帰や差別問題など政治的な展開よりも彼女との恋愛の行方を軸に進んでゆくことになる。

 特に、親に捨てられた伽耶子を拾い育て上げた老人夫婦との確執にはむごい無理解に振り回された。そこには留学同への関わり方と同じように、確かなほどに自らが認める不甲斐なさもあり、伽耶子への謎は深まるばかりだ。ストーリーはそのまま懊悩の淵を彷徨う。果たして、主人公林相俊は11年の歳月に暮れた末、幾たびかして訪ねた北の冬の町へ帰って来ていた。

 さて、戦後とはいえ理不尽なことばかりだ。そこには未だ知らされない摩訶不思議がはびこり、今でも政治の戦争以上の敗北が横たわっている。いつだって時代は未来を夢見る青春のはずなのに、忍び寄る悪夢に脅えながら今をやり過ごしているだけのようだ。それでも我々は乗り越えて約束の地を目指して歩くしかないだろう。

 また、同じ地平を乗り越えられない者もいることを我々は忘れてはならない。誰にだっていい時はあったのだ。それが一瞬の出来事だったとしても、確かな手応えがあったと信じたい。あの青春を真実と思える今を糧にして、やがて死ねるまでを生きる、そのことを。

 50年ぶりの再読だった。

 なお、新刊書には「かれの存在がなければ、われわれは、新しい日本文学の世界に、ひとつの欠落感を見出すように思う。」などを記した大江健三郎の「われわれのための李恢成」と題した萌葱色の解説書が別刷で付いている。

(19720315→20220104再読)

本との気持ち107

「冬の旅」立原正秋

(新潮社 上下巻・1969年)

 

 傷害事件で過酷な少年院生活を2度も体験した若者の愛と友情を描いた感動の長編小説だ。

 物語は複雑な家族の間で起こった悲しい事件から始まる。主人公の行助は高校2年の時、母澄江と再婚した相手の子で義兄の修一郎が母を犯そうとしているところを助けに入るが、包丁を持ち出した修一郎と揉み合い誤って修一郎を傷つけてしまう。しかし、傷害事件として少年院に送られた行助は正当防衛であったことを語らなかった。それは母の辱めを明らかにしたくなかったからであった。刑事や少年院の院長らは、学校の成績も良く客観的思考を持ち人格も優れた行助が事件を起こすようなことは絶対にないと確信していた。

 やがて院生としても優秀だった行助は仮退院するが、一方の修一郎は「お前を次期社長にはできない、行助にする」と実父の宇野理一から告げられたことを妬み恨んで、義母の澄江と義弟の行助をも刃物で殺害しようと深夜に侵入する。ところが理一に見つかり揉み合っているところへ行助が現れ、行助は「今度は容赦しない」と修一郎を刺してしまう。行助は再び少年院送りとなった。裁判で、行助は「正当防衛でなく自らの意志で刺した」と主張した。

 さて修一郎はといえば、義母の澄江を女中と呼んだりムスタングを乗り回したりする裏口入学の不良大学生で、巷へ出れば婦女暴行や恐喝をして荒れ放題だった。それでも、父理一は実子を立ち直らせようと一縷の希望を持って入社させてしまう。

 そんな中での2度目の少年院生活であった。行助は自らが罪を認めることで、本当の愛を得られずに陰では非行から立ち直れないでいる修一郎を生涯、寂寥感や劣等感の中で苦しめさせようと考えた。それは行助の復讐でもあった。

 では、なぜ主人公行助は罪を負おうとしたのか。彼は「私の内面の問題です」としか言わない。それは家族という形がどうであれ、繋がる糸は断ち切れないという「人間生活の現象と道徳の本質を明確に自覚しているから」と、小説は少年院の院長に語らせる。

 そんな自己犠牲を払う行助の救いは、同じ少年院の同窓生らとの交流と亡き実父の矢部隆の詩集であった。行助も詩を書いた。「夢は雲にのっている。 この透明な青春 だが なんと厚い壁だろう」と(下巻95ページ)。それでも隠した淡い恋心が後半の随所で短く綴られ、読者にひとときの温もりを感じさせてくれる。また、少年院から眺めた海の鴎に託した想いも終盤への象徴的な具象として描かれている。

 償いとは運命を使命に転じることであると自覚しながらも、失意の裡には行くての知れない幻影がつきまとう。悩みは解かれるのか。真実がすべてではない。守るべきものがあれば、そのためにはたとえ真実であっても傷つく者が一人でもいてはならない。その時は沈黙こそが心の裡を雄弁にしてくれるだろう。私はそんなふうなことを思った。

 少年院という所は過酷で特殊な世界だが、小説の院生達の集団脱走や仲間同士の喧嘩の場面は面白く読めた。新聞連載らしく読者を飽きさせないストーリー展開はさすが直木賞作家である。『辻が花』『残りの雪』『白い罌粟』など大人の恋愛小説が多い作家だけに、こうした裏社会の青春成長物語は50年後に再読してみて、改めて当時の作家達がさまざまなジャンルに挑戦していたことを懐かしく感じさせてくれた。歳月を経た再読には不思議な充実感があることにも気づいた。