ヤッコ画人服部ニ柳の鶴岡を歩く1
一冊の発見から
服部二柳(1904年- 1968)という名前の日本画家を初めて知ったのは、2004年(平成16年)1月帰郷の折、横浜駅東口の横浜そごう美術館へ同じ日本画家の田中一村展を観に行った時であった。
田中一村(1908-1977)は、昭和中期に中央画壇から離れ奄美大島(鹿児島県)という遠島でひとり貧しさと孤独を宿命と受け入れ、島の豊かな自然を鮮やかな色彩で静謐感のある絵を描き続けた画家である。1984年(昭和59年)12月16日にNHKテレビの「日曜美術館」で紹介されるまではほとんど無名に近かったという。
その田中一村展を観た後、私は同じ横浜そごう内にある紀伊國屋書店で『服部二柳伝説』(飯田辰彦、河出書房新社、2003年)という本を見つけた。帯には「風狂画人の壮絶な生涯」とあり、観たばかりの田中一村と通じるものがあるように思われ手にした。
すると、帯には「鶴岡市に放浪の果てにたどり着いた画家」とも書かれていて、鶴岡市が私の在住している同じ山形県である偶然に驚き読まずにはいられない気持ちになり買い求めた。早速、帰りの京浜東北線と乗り継いだ山形新幹線の車中で読み、山形駅に着いても真っ直ぐ帰宅しないで、そのまま駅の地下街にある喫茶店に飛び込み読破した。
私と二柳の出会いは、旅先のいつにないそんな高揚した気分から始まった。
(つづく)
編集ブランコ
私の仕事人生(上)
私の今の仕事は自由業です。何でもするわけではありませんが、会社を辞めてからはそれまでの主に編集の仕事をフリーでしています。と言っても、後期高齢者になると同時に、依頼者側が倒産したり亡くなったりして、今は定期的な仕事は一つだけになりました。しかし、そこには自分企画の連載があるのでそれを調べながら書いたり、他に仕事でなくても庄内の画家の足跡を追う紀行文を書くなどしています。
書く仕事は学生時代に他人の卒論を書くアルバイトをしたのがきっかけでした。おかげで自分は一年遅れて卒業しました。他に新聞社や雑誌社のデータマンの仕事が演劇サークルの先輩から回ってきたりして中央のメディアや印刷出版業界の世界の底辺を知ることができました。
そんな初めの頃のことです。私はある上司から会社を辞める時には職種を変えずに同じような仕事の世界を歩くように言われました。そのことは私にとって迷いのない仕事選びができるようにしてくれて、その後の人生を決定づけてくれました。
当時は高度経済成長期でもあり、社会もいい時代でした。どんな小さな会社でも3ヶ月間の試用期間を過ぎればちゃんと社会保険が完備され、普通に正社員になれました。そういうことが法律できちんと決められていました。国民が等しく豊かになれるような政治も行われ、大人になれば普通に幸せになれる時代でした。
職場を転々としながらも出会った人達は皆いい人でした。それは技術のレベルを上げる大きな力になっていました。「仕事はするな片付けろ」は最も印象に残った言葉です。整理整頓、スピード、完璧などの言葉もありました。やればやるほど自信が生まれ、仕事はおもしろく感じられるようになっていきました。同時に収入も増えていきました。職場も街も家も、どこへ行っても素直に振る舞える自分が大好きでした。
勿論、いいことばかりではありませんでした。仲間を失ったこともあります。事件事故に遭いそうになったこともあります。耐えられない病気に苦しんだこともあります。いろんな嫌なことが起こりました。
中でも仕事仲間を失ったことは、都会を捨てる結果になり、今でも後悔していることの一つです。それはもちろん自分が悪かったことで、仕事を離れた場所での仲間とのことも仕事同様に誠実でなければならないことを心底思い知らされた悔いの残る失敗でした。
しかし、そのことは私に過去は変えられるということを教えました。北の小都市に移り住み、そこは思いがけず私の未来の地でした。悲しい決心がこんなにも優しく包み込む豊かな自然と、またそこには都会とは違う素朴な人々の暮らしがありました。私の全てを浄化する力が漲っていました。(つづく)
私の仕事人生(中)
慣れない土地へ来て初めて車の免許を取り、どこへもくまなく駆けまわりました。方言の珍しさは私の考え方を変え、心をどんどん豊かにしていきました。幸いその土地のタウン誌を発行する小さな会社に勤めることができました。
しかし地元の生まれでない自分に社長はタウン誌以外の編集の仕事をしないかと言ってきました。社長は地元では顔の知られた人脈の広い人でした。様々な所から新しい仕事を取ってきました。役所や団体、企業など次から次へと機関紙やPR誌などの仕事を私に与えました。女性の助手を一人付けてもくれましたが、「君は経験豊かなはずだ。困った時は言ってきたまえ」と言い、仕事が始まれば全てを私に任せました。収支についても利益の分岐点の時期を決め、企画を取材、執筆、編集、そして納品、集金までほぼ一切を一人でしなければなりませんでした。
と言っても、やはり成功ばかりであるはずがありません。スケジュールの間違え、納期遅れ、誤植、赤字などは一通り経験しました。
とくに著者の肩書を間違えた時のことは忘れられません。「もちろん全部刷り直す。まずは自宅へ行って謝って来い!駆けつけて来たという事実を作るんだ。責任者をよこせと言われたら電話をよこせ。すぐ私が行く」。先方は県外へ出て不在でした。行き先を聞き、私は即車を走らせようとしました。「死んでるはずがないなら世界のどこかにいる」そんなふうに社長は言ったことがあったからでした。しかし降り頻る雪の中、夜の峠を越えるのは危険でした。私は社長宅へ戻り報告しました。そして翌日、東京から社長宅へ電話が入り、その結果に私は安堵しました。しかし社長は間違えた奥付1ページのために2000冊を刷り変えました。私はボーナスをカットされましたが、挫ける気も忘れて同時進行の他の仕事に専念しました。
私の仕事人生(下)
大学浪人の時、ジャズ喫茶のマスターに勧められて三流週刊誌のデーターマンをしました。キャバレー、トルコ、ストリップ、バー、居酒屋などをまわってアンケート程度の取材をしてくるのでした。どこへ行って遊んでも仕事になりました。不思議と怖い目に合わず、大したアルバイト料でなかったが面白いように稼ぎました。そして恋をして、そんな世界から足を洗いました。21歳でした。
今思えば、昔から型どることが得意でした。通信簿の図工はずっと5でした。何のことはない、喘息で寝込んでばかりいたから、寝床で絵ばかり描いていたのです。そんなわずかな能力が編集のレイアウトや文章の組み立て方に生かされてきたのだろうと思います。もちろん仕事になるまでには成功ばかりではありません。目の前で原稿を破られたこともあります。しかしニ度目には不思議と仕事になっていました。
当時、編集の仕事はそれまでの机上の作業からコンピューターの画面上での作業に変わる大きな転換期にでした。取材もメールで送ればそのまま活字になってレイアウトに流し込むことができました。文字も写真もデジタル化され、原稿用紙も印画紙もなくなりました。クライアントはデジタル利用を必須とし、できない者はたとえ才能があっても著名でない限り敬遠されました。筆とフィルムにこだわる芸術肌を大いに苦しめ、フリーのクリエーターにとっては器材の準備にそれ相当の金も必要でした。
地方にいれば車は欠かせず、その維持費もありまた。退職後、フリーになった自分は夕方5時から夜10時までの専門学校の警備員のアルバイトをしました。幸い新しい世界の仕事は生き甲斐を気づかせてくれました。警備の仕事が自分に合っていたわけではありません。編集技術の大きな変化の狭間でその区切りをつけてくれたのでした。本職以外の仕事が次へのステップになった、そんな気がしました。
ステップに長い時間は必要ありませんでした。警備員を3年程したところで思わぬ大きな仕事が入ったのです。地元企業の記念誌で1年間を要する仕事でした。3分の1の経費が前もって支払われ、揃えたばかりのデジタル機器を大いに活用、先の短い未来をつかんだような自信へとつながっていきました。その後もいくつかの仕事が入りました。順当に稼ぎ、定期預金も初めて作りました。
しかし、寄る年波には勝てずメニュエル病が私を襲いました。病気ばかりではありません。バブルはとうに過ぎコロナ禍となり、気づけば自分は後期高齢者となっていました。次第、あとは穏やかに生きたいという自分でも驚くほどの達観した気分が湧いていました。わずかな仕事に励む孤独感は心地よいものです。身辺整理と散歩を趣味に、本も新しいものより書棚の本を再読して処分することにし、散歩は市内の公園めぐりを楽しむことにしました。
そして今、残った仕事だけの自由業ということになり、書くこと・読むこと・歩くことを楽しむ余生と決めました。価値観が多様化し言語も美意識も変わって少々辟易気味の当世、無理なく自分をだいじに仕事もしながら生きていきたいと思います。75歳、…ラストランの時です!
本との気持ち
「額田女王」井上靖(新潮文庫・1972年)
人事が天下を転覆する。 それは企業や自治体、 各種団体に至るまで泰西の歴史上すべからく行われてきたことだが、こと皇位や将軍職の継承問題では血肉を争う戦いとなる。 天智天皇となった中大兄皇子が大化の改新を共に成功させた実弟の大海人皇子を排して、第一子の大友皇子を太政大臣の地位に就けたことが後の壬申の乱の遠因になったように。
しかし、 歴史小説の醍醐味は戦いのスペクタクルよりも、その背景にある人々の心の動き様である。それが物語を豊かにする。 本書の井上靖の長編小説「額田女王」は、大化の改新から蝦夷征伐と白村江の戦いを経て壬申の乱に至るまでを時代背景としているが、タイトルにあるように、 主役はその歴史的スペクタクルの影にいる宮廷の絶世の美女額田女王である。 彼女は神の声を聞く絶世の美女で、 穢れを寄せ付けてはならない女でなければならないと考え、孝徳天皇の子・ 有間皇子と中大兄皇子と大海人皇子という三人の男性への恋情に思い悩む。 思い思われ、寄せては返す波のように揺れる恋心は幾多の歌に託されてゆく。
愛の物語を描いた歴史小説であり、 まさしく国家誕生の呻吟が聞こえてくる全編圧巻のストーリーが楽しめる大傑作といえるだろう。

