本との気持ち106
「青年の汚名」大江健三郎
(文藝春秋・1960年)
ニシン漁をめぐる北海道の孤島で繰り広げられる男達の生存を賭けた戦いがテーマの小説。
漁場ではニシン豊漁を占う神霊的な存在として童貞の少年が選ばれる。その彼がもし女と寝るとニシンはやって来なくなるという迷信があり、漁民はこぞって彼を崇めていた。
しかし、ニシンが来なくなる時代を迎え少年の存在は俄に怪しくなってゆく。そこで、ニシンは必ずやって来ると漁場を仕切っていた老人と、ニシンに期待するよりも新しい漁法を始めようとする若者との対立が始まる。
ニシンが来なくなったのを荒若のせいにしようとする老人側の女が集会の壇上で少年と寝たと嘘を言う。漁民は大慌てし、苦境に立たされた少年は老人と女への復讐に燃えてゆく…。
全編にわたって熱量のある文体で、この小説には悲しいとか寂しいとか美しいとかという情緒的な感傷を喩える形容がほとんど見当たらない。常に具体的な叙述で連綿と語られる情念のスペクタクルが展開されている。
全編、息をもつかせずに読ませる迫力に満ちているのだ。それは、時に荒ぶる魂の叫びとでも言おうか、苦境に陥っても勇猛果敢な闘いへ転じる奮起であったりする。読んでいると、熱を伴わない重い震えとともに、まるで方位を失って憑依が固体化してゆくようでもあるのだ。文意を探るよりもこちらが試されているようで、脳が汗ばむような感覚がした。
ページを閉じても、物質化したような記憶が残っていて耳鳴りのような響きを立ち昇らせていた。その鬱陶しさを払おうとページを閉じるのだが、無音を聴かせるように耳鳴りが止まない。ページを再び開いてみるしかなかった。
すると、小説は不思議に舞台を替えている。耳鳴りが掠れて幾分の生気を帯びてくる。ストーリーは再び生き返ったように続いてゆく。しかし、それでも死があるように小説は終わる。暗く重い小説だった。
本との気持ち105
『北帰行』外岡秀俊
(河出書房新社・初版発行1976年)
歌人石川啄木の人生と旅を追いながら著者の「私」(二宮)が自らを見つめる青春譜を綴った小説。過酷な思春期から抜け出すためにその喪失感に暮れる悲しみをどう乗り越えるか?そこにあったのは、甘美な感傷表現としての文学だったり闘う社会運動への傾倒だったりした。人生への憧れは命を育みはしても傷を負うことの方がはるかに多く恋も友情も成就することなく杳として癒えない。失意の旅は続く…。
思春期や青春期は美しいばかりではない。時に汚辱や暴力や憎しみが痛みや失意を教える。しかし人生は旅だ。人は憧れや夢を抱くことで新生への道を開こうと歩む。そう世界史は夢見てきたはずだ。
自らを啄木になぞらえることで、それまでの人生と青春への惜別の書として著者はこの小説を書いたのかもしれない。事実この署名による小説はこれきりであった。今思えばその潔さも胸を打つ。
そして何よりも秀才が小説を書くとこうなるという文章なのである。冴え渡った精緻な思考性が事態の背後にある真実を紡ぎ出す論理的叙述は真っ向天才でなければなし得ないものではないだろうか。難解で正直投げ出したくなることもあった。何が読ませたのか。それは人生への賢明な向き合い方だ。
父の思い余った事件に傷つきながらも、「いつも移り変わって自分を忘れることが日常を支えているように、ある程度の幅とひろがりをもったルーズな見方がくらしを支えているということもあり得る。」(108頁)と…。そして啄木同様、「私」も北をめざす。
どんな苦境にも啄木の歌があった。仔馬の時から心奪われ故郷への支えでもあったジルゴが死んだ時、恋と友情に鼓舞され別れゆく時々にも高鳴る心に立ちのぼるのは、大好きな歌の一つ、
やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
だった。現在、歌碑は啄木が学んだ渋民小学校と北上川をはさんだ公園にある。
私はラストに近づくと読むスピードを緩めていた。程なくため息とともに閉じた扉を惜しむようになぞると、耐えかねて転じた視線の先に遠い友を想い描いていた。図らずも、声を出して読んでいたのかもしれない。
本との気持ち104
『海に降る雪』畑山博
(講談社)
枕辺に置いて320頁23章を一晩一章ずつゆっくりと読んだ。1976年の初版本。40年前、タイトルに惹かれて新宿の本屋で買った。以来いつでも本棚の見えるところに置いて、背文字を心の中で呪文のように呟き続けてきた。一度だけ、恋人に告白代わりに貸した。
ストーリーは、東北出身同士の若者が大都会の中で出会い様々な心の行き違いに迷いながら青春を生きる恋物語だ。純心過ぎてどうしていいのか分からなくて悩むたびに迷いの深みに落ちていく。初めて気づく心の気配が未来へどう繋がってゆくのか見定めようにも世界に届かない、そんな青春を描いている。地球の回る音が聴こえますか、と…。
テーマや文体に新しさがあったわけではない。しかし心にまっすぐ伝わってくるものがあったし、どこか似ていた青春をこの本を読むことで認めようとしていたのかもしれない。ラストは語らない。


