本との気持ち101
覚書「一路」感動場面全十二話
一話◼️一路の初恋
主人公の道中御供頭小野寺一路が麹屋で白湯を啜っていると、まだ一路には親戚筋からも知らされていない許婚の薫が自ら誂えた道中着の羽織袴を受け取ってほしいと現れる。
名乗られてその名を呼ぶと薫が「あい」と可愛らしく応えた。「美しい。かわゆい。」一路の心が揺らいだ。しかし羽織袴は受け取れないと断ると「ご無体を」と薫は袂をからげてすすり泣く。そんな愁嘆場を救ったのが道中髪結の新三。立派に御供頭を果たすには髪を整え衣装もまた大事と一路に進言。一路、観念して薫の心差しを受け取った。
二話◼️いざ、陣屋出立!
陣下に、家伝の行軍録に倣って古式ゆかしく一路が叩く陣太鼓の音が響き渡った。田名部の御殿様蒔坂左京大夫様がそれを誉めると、先代の殿様の養子でもあった後見役の蒔坂将監が一路の太鼓を批判、御公辺に触ると言うと、左京大夫様の悩む間もなく、薫の父で勘定役の国分七郎左衛門が参勤道中は供頭の指図に従うのが道理と将監に反論。この二人の論争に「控えよ」と殿の裁量が光った。さらに道中に争いはあって欲しくはない。「この気持ち、わかって、ほしい」と一息入れて付け加えた。この二言めの気の溜めが効果的だった。二人は涙ぐんだ。実に胸の空く思いがした御殿様の対応の仕方だ。上に立つ者、こうでなくてはならない。陣太鼓の後、いよいよ道中御供頭一路の陣屋出立の勇んだ掛け声が行列の隅々へと届いた。
三話◼️御殿様、百姓の赤児を抱く!
出立の大手門を出ると百姓達が土下座していた。と、左京大夫様が御駕籠を出て百姓達に歩み寄った。あり得ない事態に百姓達が驚きと感激で泣き喚くと、赤児が一層けたたましく泣き喚いてしまった。叱る母親に御殿様は「赦せ」と赤児を抱き上げ頬ずりした。すると赤児の鳴き声が止んだ。百姓の騒ぎに動じるのも、それで部下のしくじりを詰るのも、御殿様は一路のその苦心した差配に「祝着じゃ」と労を労った。左京大夫様の何人にも寄せる心優しさが伝わる一幕だ。
四話◼️痛快、差し合いに勝利!
馬籠に入る十三峠の平六坂で一路率いる蒔坂左京大夫様の行軍が200人の大きな行列と差し合いとなった。道中御先手の槍持ち佐久間勘十郎は「道を開けられよ」と勇んで見せたが、相手が将軍家御家門の三葉葵を掲げた松平河内守殿の一行と分かるや勘十郎は腹でも切るかと慄いた。そこで前の宿場へ引き返せと言われた御供頭の一路は「元来師走の道中はないはずだし、松平一行は下りの道中につきこちらが先に罷り通る」と主張。先陣を切ろうとすると左京大夫様がわざわざ御駕籠を出られ河内守殿に「国元にてゆるりと養生なされよ」と挨拶。河内守殿も「道中ご苦労様でござる」と返答。ここでも左京大夫様は巷間のうつけどころか賢い判断のできる武門の人であった。まさしく痛快な一幕と読んだ。
五話◼️殿、焼け跡の娘に温情
馬籠宿は大火後の焼け跡だらけだった。馬籠の助郷の娘スワは、季節外れの参勤行列に出合い驚いて道端に膝をついてかしこまってしまった。すると不憫な娘を見た御殿様の左京大夫様が行列を止めて御駕籠から出ようとした。一路が控えるよう言うと、「他領と言えども、中山道は天下の公道である。この惨状にかくもかわいそうな娘を見捨ててはおけない」と娘スワに志を授け慰めた。すると行列の徒士侍達も手元の物を次々に手渡し始めた。ここでもまた左京大夫様の心優しさが光った。
六話◼️関所の温情
風雪乱れる夜の木曽谷の与川越えを荷物を投げて来た一路らの行軍に、木曽の福島関所番頭の桧山角兵衛が「一人も脱落せずに済んだとは信じられない今宵は番所に止まれ」と言う。しかし一路は「行程を変えては宿駅に迷惑する、先を急ぎたい」と主張。そこで角兵衛は部下に与川へ一路らの荷物を引き上げ次の奈良井宿へ届けるよう命じた。一路らはその夜のうちに次なる奈良井宿を目指した。角兵衛の温情が勇ましい!
七話◼️将監ら、お家転覆を密議⁉️
妻籠宿でのこと。行列に同行する空澄和尚が、旅の御供頭の一路に殿の御後見役の蒔坂将監と国家老の由比帯刀らがお家乗っ取りを画策しているという噂話を明かす。将監は殿に跡取りがない頃に養子に召し抱えられた身であった。そんな噂の中、一路は添役の栗山真吾から自分の父も同じように彼らに毒を盛られ火事で殺されたと聞かされる。一路は身の毛がよだつ思いに駆られた。そこで一路は殿に直訴しようと思い立つ。しかし陰で聞いていた蔵役で道中先触れを務める佐久間勘十郎が忠義は身を捨ててまですることではないと忠告する。一路と真吾は武門の矜恃を教えられた。勘十郎が仏のように見え感服もした。
ところが、将監らの謀反への密議は続いていた。酒の入った将監は子供の頃から知る殿をうつけ呼ばわりする始末であった。側用人の伊東喜惣次にお家乗っ取り後には晴れて家老にしてやるとまで意気込んだ。
そして、木曽路の与川越えの荒場で喜惣次に殿の手を引いて差し上げ途中で手放して殺せと命じる。出来ないと言ったものの下知はお役目と思い承知する。命じられた通りにしようとしたその時、殿が先んじて馬を引けと自ら馬上し川を渡り始めた。喜惣次はお役目を仕損じてしまった。将監は目論見が失敗したにもかかわらず、自分がするはずの馬引きの手間が省けたと嘘ぶいて殿の渡河に従った。
しかし、喜惣次は臣下に「主家救済の儀」を密議だとして箝口令を敷く。こうして喜惣次は謀反に傾く泥沼へ沈んでいくことになった。
八話◼️一路、どうした?
一路の道中が木曽路を抜けて下諏訪宿を出ようとすると、諏訪因幡守家中で差配役の大賀伝八郎が蒔坂将監の御前の忠告を聞かず御殿様の左京大夫様に「この先の吹雪の和田峠越えは暴挙」と詰め寄った。この時、左京大夫殿は伝八郎が同じ差配役で御供頭の小野寺一路を頭越しにしたことを慮った。しかし一路は黙りこっくっている。それを叱った将監を殿様が「控えよ、将監」と放った。しかし不思議に一路の反応は書かれていない。左京大夫殿はただ「これより和田峠を越ゆる」と一路に差配を指示した。
一路はなぜ黙っていたのだろう。筆足らずでなかったか。主人公は一路のはずなのに…。
九話◼️殿と一路の毒味事件
険しい峠道を越え和田宿の本陣に落ち着いた御殿様の左京大夫は小姓の寝物語に心奪われなかなか寝付けなかった。そこで、将監に召し抱えられた蘭方医の辻井良軒が眠り薬を勧めた。しかし謀反の噂もある二人のこと、一路が「毒味を」を進言。良軒との言い争いになった。ところが左京大夫殿が一路の行軍の疲れを察していたのと、また父の失火の時に殿の自分を残して死んだのは不忠であると告げ、疲れている一路を癒すためと忠義心を試そうと一緒に毒味をする。眠り薬は毒ではなかったが、おかげで殿様も一路もその夜はぐっすりと眠ることができ溜まっていた疲れが癒された。そして何よりも一路が父のような「不忠者」ではなかったことが左京大夫殿の喜びとするところとなり、一路をかけがえのない存在と思い知る。一路にとっては父の報いを果たせたことにもなった。共に毒を食らって昔年の想いに報いた名場面と言える。
十話◼️追分の恋とその後
左京大夫殿の一行は飛騨高山の岩田宿を発ち、北国街道との追分で、一路の言う「参勤道中は行軍」との心得に従い先を急ぐ早駆けをして中山道を走り出すところであった。そこへ、冬道ということで十二泊を二十日泊かけて乙姫様の希望で浅間山見物をしながらゆるゆると進む加賀百万石前田家の三百人に及ぶ一行と差し合いとなった。
しかし、割菱の紋章となれば遥か武田信玄公が御家来衆、「無礼者、控えよ!これなるは加賀宰相が御妹君の行列なるぞ」と凄まれてしまった。そこへ蒔坂家道中供頭の一路が馬上から「ご無礼の段は拙者一身の責にござりますれば、何とぞご承知置き下されませ」と勇ましく述べ立てた。すると何としたことか、乙姫様がその勇姿に一目惚れ。互いを名乗り合い、一路が先陣しようとすると、自らの簪を抜いて「もし妻があるのならその人の髪に、あるいはゆくゆく妻となる人の髪に飾ってほしい」と一路に手向けた。
作者は乙姫様の気持ちをこう綴っている。「けっして物を与えたのではなかった。さすればおのが魂のひとひらが簪に宿って、とこしえに添い遂げられるような気がした。」と。
さて、乙姫様は軽井沢宿で旅の安全祈願のために碓氷峠の熊野権現に詣でた。そこは信州と上州の国境い、降った雨が左右に流れを分かつ
「分去れ(わかされ)」。その言葉に乙姫様は一路が今中山道のどこを歩いているのだろうかと思い出した。すると付人女中が東国制圧に赴いた日本武尊が碓氷峠で「わが妻よ」と思い出した伝説を話して聞かせた。すると乙姫は悲しみを堪えながら心のうちを付人女中に「今一度会いたい」と一路への恋心を告白、付人女中が「御意」と受け止めた。
しかし、一路の参勤は左京大夫殿の疲労と険しい冬の行軍で江戸到着の遅れが懸念され日延の届出を遠足に託さねばならない事態にあった。
せっかくの二人の再会も付人女中の命を張った道中啖呵にもかかわらず果たせぬ運命とともに敢なくそれきりに。一路には許婚がいたし、乙姫様にとっては道中のロマンスは悲しい夢物語に終わった。
十一話◼️謀反に屈しない武士道
一路の参勤道中がいよいよ武蔵国に差し掛かろうという妙義山を越えた松井田宿でのこと、左京大夫殿が長旅で発熱。道中家臣が騒めく中、またしてもチャンス到来とばかりにお家乗っ取りを画策する者らが暗躍。その網に掛かったのが、一路の父小野寺弥九郎と昵懇の間柄で此度の参勤行列の留守を預かる勘定役の国分七左衛門だった。七左衛門は一路の許婚薫の父でもあった。
ほぼ二週間前に一路達が出立した西美濃の田名部の里はすっかり雪に覆われていた。陣屋の国家老由比帯刀は七左衛門に勘定役を勤められるのは殿の後見役の蒔坂将監様あってのことと釘を刺す。此度、将監と共に殿に仕える側用人の伊東喜惣治が自分(由比)に、殿が伏しても江戸到着は一日も遅れてはならないので覚悟のほどをと自分(由比)に報告してきた書状がある。よって今こそ将監様への忠義を深くしなければならない。七左衛門いかがか?と由比は迫った。書状には謀反の兆しも書かれていない。しかし由比に左様と応えれば、書状を見た以上はそれだけで一味に与したことにならされてしまう。七左衛門は謀られたと気付いた。そして「父祖の生きたこのふるさとを、命惜しさに穢してはならぬ」と心に誓った。かくして七左衛門は陣屋の牢に押し込められた。
小説にはこのあと、娘薫が父のいる座敷牢を訪ねてから雪の夜道を帰る感動的な場面がある。父は「はたの迷惑を考えろ」と娘を叱った。すると番人が薫は着替えを持ってきただけだと告げる。父は番人の娘の不憫を庇った心遣いに頭を垂れ、一言娘に「帰れ」と命じた。
「武家は百姓に養われる卑しき身分と心得よ。いかなる時もおのれの利得を考えてはならぬ。偉ぶるな。頭を下げよ。常に他人の立場を斟酌し、迷惑はかけるな。そして恥を知れ。」という常日頃言っていた父の教えを思い出した。そこで娘薫は、「母み自分も息災で心配はいらない」と告げ、持ってきた褞袍を牢格子に押し込んで帰ろうとした。その娘の背に父の薫と呼ぶ咽んだ声がした。「もし御殿様の御身に災厄あらば、父は冥土までお供つかまつる」と。娘は「かしこまりました」と背筋を伸ばしきっぱりと応えた。そして父は嫁ぐ娘の相手の一路のことも「お供頭もそれも同しじゃ」と付け加えた。
仄暗い牢屋を出て月夜の道に出た。薫は悲しみよりも覚悟を噛みしめていた。父の武士道に何一つ矛盾も迷いもなかったことが、国分の娘ならば小野寺の嫁ならば夫の息災などなんのその!「ご存分にお働き下されませ」と自らを鼓舞して常夜灯のある橋を渡って行った。
この場面、長編の中でも浅田らしく紋切り型を読ませる話芸の優った部分の一つだろうと思う。読者を飽きさせない溜めが充分に効いてくる読み心地のよさは巧みなストーリー仕立ての老練の為せる技と言っても過言ではないだろう。
十二話◼️ 差し合い、葱で脇本陣へ
江戸到着目の前の熊谷宿で小諸一万五千石の牧野遠江守の参勤と本陣差し合いになった。牧野の殿様は左京大夫様をうつけ殿と呼ばわり、田名部の行軍は脇本陣へと言い争うが、牧野の殿様が「他人に移すやも知れぬ胸の病ゆえ近寄ってはならぬ」と言う。そこで左京大夫様は道中効能のあった葱を進呈したところ、「うつけ、いくじなし(怯懦・きょうだ)」と罵られる。しかし左京大夫様は「放言はお控え下され」を一喝。で、ここでも一路は只々蒼ざめるばかりで、この小説の主人公とは思えない情けなさぶりだ。牧野殿の供頭黒岩一郎太の方が左京大夫様に「怯懦」と意見して優っている。そこで再び左京大夫様がキッパリと言った。「小諸はかつての善政を忘れ荒れた地のまま、領分は天下のもの」と言い、牧野の今日ある戦ぶりを讃えた。そして自ら脇本陣へと身を引く。この辺り、一喝しておいて相手の強情を解いて讃える機転に富んだ展開は浅田のスートリーテラーとしての真骨頂だろう。ここでも左京大夫様がうつけではなく、賢く成長ぶりが伺える一場面であった。
本との気持ち100
「一路」浅田次郎
(中公文庫・上下巻)
家伝の行軍録をもとに、十二月という風雪の季節外れに参勤交代へ出たリーダー役(御供頭)小野寺一路が主人公の時代ロードノベル。美濃から江戸へ向かった道中に厳しい峠越えや他藩との差し合い、謀反や恋など様々な出来事があるのだが、読んでいてどうも主人公のはずの存在が希薄な感じを拭きれなかった。吹雪の和田峠では蒔坂将監から「小野寺はいずくにある。なにゆえ黙りこくっている」と叱責を浴びる。また他藩の道中場面を挟んだりもして、作者まで小野寺一路を見失っていたのではないかと思わされた。新聞連載で繋ぎにしたのだろうが、主人公一路よりも〝うつけ〟と噂の御殿様蒔坂左京太夫の方が人間味ある登場の仕方をするなど御殿様のトップとしての判断力が光った場面がいくつかあって、そちらの方が読み応えがあった。ラストもとうとう幕末の道理で参勤交代がなくなると告げられ、道中の果報者が御馬様に転じて幕を閉じるという始末であった。
ことほど左様に上下巻の長編、体力のいる読書だった。本で中山道を超えてきたと思えば、これも良しとするしかない。浅田はやはり短編の方が憂愁と冴えが効いている!
実はこれを読んだのは次作「流人道中記」の文庫化を期待してのことだった。それと、本書には主人公の決意を促した家伝書の古文書が宿駅ごとに掲げられていることに興味が唆られたからだった。勿論それらは浅田の自作だ。少し前まで私は月に一度の古文書講座へ3年間ほど通ってその復習の意味もあった。しかし、本書は短編でたまらないほどの魅力を楽しんでいた身には同じような感動を得るには及ばなかった。
だからと言って、これでもう浅田次郎を読むことを止めることはしない。なぜなら、浅田次郎は当代随一の直木賞作家であり評価は絶大であるからだ。浅田次郎が良くないはずはないのだし。
なお、この「本との気持ち」101の番外篇に、覚書「一路」感動場面十二話を併載したので、そちらもご覧下さい。
本との気持ち99
東京の異界 渋谷円山町
(本橋信宏著・新潮社2015年)
テレビニュースなどで度々映し出される東京渋谷駅前の世界一のスクランブル交差点の辺りが渋谷区内の最も谷底だということを、この本で初めて知った。そこから二つ目のスクランブル交差点にある109ビルの左側へ道玄坂を上がって行くと右手に交番がある。更にその脇の裏渋谷小路の緩やかな坂道を入って行くと小高い密集地に入る。そこがこの本のタイトルにある円山町一帯だ。
円山町は地形的には渋谷と神泉谷の二つの谷に挟まれている。その神泉谷は江戸時代には別名「隠亡谷」とも呼ばれ火葬場があった。明治に入ると、この地に泉が湧き「弘法湯」という公衆浴場ができた。その跡を示す場所が京王井の頭線の神泉駅近くに今も残っている。
この弘法湯の経営者が料理旅館を併設、傍に芸妓屋ができて、それが花街円山町の起源となった。
その後、円山町は大きく姿を変えてゆく。昔は料亭と芸者の花街、その後トルコが流行り、今はラブホテルとクラブの歓楽街に。本書はその花街の名残りと欲望の坩堝と化した歓楽街の変貌を伝えるルポルタージュである。
特に、表紙の写真が象徴するように東電OL事件を追った第五章は圧巻であった。円山町の一角で夜ごと男を誘い殺されるまでに転落してゆく過程がリアルに描かれている。記憶に新しいだけに、読んでいたその感覚世界には同情でない表現できない微かな毒が含まれているように感じた。それは人の誰にもあるようなどうしようもない時に人知れず抱く心の痛みのようなものかもしれない。
他にトルコ嬢や芸者、中でも歌手三善英史のヒット曲に出生の証を明かしたインタビューなど、それぞれが円山町に生きた人々の生の声と共に円山町の変貌をリアルに伝えている。
なぜこの本を手にしたかといえば、渋谷は新宿に次ぐ〝大人の男〟にしてくれたような青春の街だからである。東京で最初に入ったストリップ劇場がここの道頓堀劇場だったし、バーで初めてロックを飲んだのもこの街の店だった。そしてパルコでセーターを買ってくれて誘われたのもこの街の女だった。当然のようにこの丘へ通うようになり、ストリップ劇場の幕間のコントのアイデアを考えたり、道玄坂にあったソニーレコードで女性新人歌手のキャンペーンセールのアルバイトをしたり、トルコの掃除のおばさんの手伝いをしたり、いつの間にか週刊誌のデーターマンになっていたり、面白いように稼いだ。そして、デビュー前の吉田拓郎を見て憧れたのもこの街のライブハウスだった。
記憶の街をあらためて歩いてみたい。たとえ景色は変わっても、どこかにほぐれた空気を漂わせている寸景が覗くかもしれない。そして、あの頃の自分に呼び止められたりもするかもしれない。

