本との気持ち107 | コラムなタイム

本との気持ち107

「冬の旅」立原正秋

(新潮社 上下巻・1969年)

 

 傷害事件で過酷な少年院生活を2度も体験した若者の愛と友情を描いた感動の長編小説だ。

 物語は複雑な家族の間で起こった悲しい事件から始まる。主人公の行助は高校2年の時、母澄江と再婚した相手の子で義兄の修一郎が母を犯そうとしているところを助けに入るが、包丁を持ち出した修一郎と揉み合い誤って修一郎を傷つけてしまう。しかし、傷害事件として少年院に送られた行助は正当防衛であったことを語らなかった。それは母の辱めを明らかにしたくなかったからであった。刑事や少年院の院長らは、学校の成績も良く客観的思考を持ち人格も優れた行助が事件を起こすようなことは絶対にないと確信していた。

 やがて院生としても優秀だった行助は仮退院するが、一方の修一郎は「お前を次期社長にはできない、行助にする」と実父の宇野理一から告げられたことを妬み恨んで、義母の澄江と義弟の行助をも刃物で殺害しようと深夜に侵入する。ところが理一に見つかり揉み合っているところへ行助が現れ、行助は「今度は容赦しない」と修一郎を刺してしまう。行助は再び少年院送りとなった。裁判で、行助は「正当防衛でなく自らの意志で刺した」と主張した。

 さて修一郎はといえば、義母の澄江を女中と呼んだりムスタングを乗り回したりする裏口入学の不良大学生で、巷へ出れば婦女暴行や恐喝をして荒れ放題だった。それでも、父理一は実子を立ち直らせようと一縷の希望を持って入社させてしまう。

 そんな中での2度目の少年院生活であった。行助は自らが罪を認めることで、本当の愛を得られずに陰では非行から立ち直れないでいる修一郎を生涯、寂寥感や劣等感の中で苦しめさせようと考えた。それは行助の復讐でもあった。

 では、なぜ主人公行助は罪を負おうとしたのか。彼は「私の内面の問題です」としか言わない。それは家族という形がどうであれ、繋がる糸は断ち切れないという「人間生活の現象と道徳の本質を明確に自覚しているから」と、小説は少年院の院長に語らせる。

 そんな自己犠牲を払う行助の救いは、同じ少年院の同窓生らとの交流と亡き実父の矢部隆の詩集であった。行助も詩を書いた。「夢は雲にのっている。 この透明な青春 だが なんと厚い壁だろう」と(下巻95ページ)。それでも隠した淡い恋心が後半の随所で短く綴られ、読者にひとときの温もりを感じさせてくれる。また、少年院から眺めた海の鴎に託した想いも終盤への象徴的な具象として描かれている。

 償いとは運命を使命に転じることであると自覚しながらも、失意の裡には行くての知れない幻影がつきまとう。悩みは解かれるのか。真実がすべてではない。守るべきものがあれば、そのためにはたとえ真実であっても傷つく者が一人でもいてはならない。その時は沈黙こそが心の裡を雄弁にしてくれるだろう。私はそんなふうなことを思った。

 少年院という所は過酷で特殊な世界だが、小説の院生達の集団脱走や仲間同士の喧嘩の場面は面白く読めた。新聞連載らしく読者を飽きさせないストーリー展開はさすが直木賞作家である。『辻が花』『残りの雪』『白い罌粟』など大人の恋愛小説が多い作家だけに、こうした裏社会の青春成長物語は50年後に再読してみて、改めて当時の作家達がさまざまなジャンルに挑戦していたことを懐かしく感じさせてくれた。歳月を経た再読には不思議な充実感があることにも気づいた。