こんばんは。

5月3日に千代田区北の丸公園の一画にある、東京国立近代美術館で開催中のフランシス・ベーコン展へ、僕の入院中お花を持ってお見舞いに来てくれた、パタンナーのK君と行ってきました。

東京国立近代美術館は2012年に開館60周年を迎えたんですね。それを機に「MOMATコレクション(所蔵品ギャラリー)」のリニューアルをしたそうで、とても明るくて大きさ、広さもほどほどで居心地の良いミュージアムになっていました。

フラシス・ベーコンという画家に興味を持ったのは何年前でしたか…。ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』という1972年のイタリア映画を観てからです。大胆な性描写が世界中に物議を醸し、本国イタリアに至っては公開後4日にして上映禁止処分を受け、日本でも下世話な話題ばかりが先行し、当時の興行成績は芳しくなかったそうですが、僕は人間としての醜さ、愚かさ、哀しさを圧倒的な迫真の演技で魅せてくれたマーロン・ブランドに感動したんですね。今でも大好きな作品の一つなのですが、この映画の冒頭にフランシス・ベーコンの作品が映るんです。これがとても印象的で、ずっと頭に残っていて、いつかまとまった作品展が開催されないかなと思っていたのです。

1998年にアップリンクとイギリスのBBC共同製作による『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』という映画が公開されました。フランシス・ベイコンの生涯を、モデルであり恋人でもあったジョージ・ダイアーとの関係を通して描いた作品です。3月には東京国立近代美術館講堂でイベントとして上映会があったようですね。この作品を観るまで、フランシス・ベイコンという人のことはよく知らなかったのですが、驚くと言うよりやはり平凡な人ではないよなと思いました~(笑)。

フランシス・ベイコンを演じたのはサーの称号を持つ、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーを中心に活躍する舞台俳優のデレク・ジャコビ。フランシス・ベイコン本人に良く似ている方なんです。恋人ジョージ・ダイアーを演じたのはブレイクする前のダニエル・クレイグです。この作品を観た時、良い俳優だなあ、絶対大物になると思ったんです。でも彼がジェームズ・ボンドを演じるようになるとは思いませんでしたけどね(笑)。

第51回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、高い評価を受けました。音楽は坂本龍一さん。監督はデレク・ジャーマンに見いだされ、ジャーマン監督の「ラスト・オブ・イングランド」などの編集を担当し、シンニード・オコナーの「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー」でMTVの最優秀ヴィデオ賞を含む3部門を獲得したジョン・メイブリィです。

今日、久し振りにDVDで鑑賞しました。どこにでもあるような芸術家の伝記映画ではなく、観る人の心を抉るような、芸術という魔物に取り憑かれた男とその魔物に翻弄され狂気に落ちた男の物語です。フランシス・ベイコン(魔物)=デレク・ジャコビ。狂気に落ちた男・ジョージ・ダイアー=ダニエル・クレイグです。この作品の面白いところは、ベイコンの作品は画面には登場させず、ベイコンの描く世界のイメージを歪んだ鏡や食器に写る人物や、厚いガラス越しに見えるよじれた人間たち、顔の見えない二人の男が執拗に絡み合う姿などで表現している所ですね。

名声をほしいままにし、現代美術界の頂点に立つ天才と純粋で美しいけれど無教養で無骨な男同士の愛するがゆえの怒りや苦しみや哀しみが痛いほど胸を打つ作品だと思います。希望を見いだせない未来へのいらだちから酒と薬物に依存し、孤独と絶望を瞳一杯に溢れさせ、一人死んで行ったダイアーを演じたダニエル・クレイグは名演です!

実際の二人の間に何がおこったのかは誰にもわからないことですが、男と女、女と女にでも起こりえる純粋なラブストーリーなんじゃないかと僕は思います。

この映画を観てからフランシス・ベーコンの絵を観ると受け止め方が違ってくると思いますよ。

アイルランドのダブリンに生まれたフランシス・ベーコン(1909-1992)は、ロンドンを拠点にして世界的に活躍した画家です。その人生が20世紀とほぼ重なるベーコンは、ピカソと並んで、20世紀を代表する画家と評されています。

主要作品の多くが美術館に収蔵されており、個人蔵の作品はオークションで非常に高値をつけているため、ベーコンは、展覧会を開催するのが最も難しいアーティストのひとりだと言われているようです。そうしたこともあり、日本では、生前の1983年に東京国立近代美術館をはじめとする3館で回顧展が開催されて以来、30年間にわたり個展が開催されなかったのだそうです。

なので今回、没後20年となる時期に開催されているこの展覧会はファンならば絶対見逃せないはずです。こんなにまとまって一度に観れる機会は次いつくるかわかりませんよ。ということで僕も行って来たというわけです。

今回の内容は、単なる回顧展ではなく、ベーコンにとって最も重要だった「身体」に着目した日本オリジナルの企画なんです。日本はもとよりアジアでも没後初となる展覧会なんですよ。ポスターやチラシに使われている作品のモデルがジョージ・ダイアーなんです。

ベーコンの作品は大部分が激しくデフォルメされ、暴力的に歪められ、身体は破戒され、大きな口を開けて叫ぶ奇怪な人間像だったりして、人間存在の根本にある不安を描き出したものと言われています。僕も初めて見た時はそう感じたりもしたのですが、今回たくさんの作品を一堂に生で見させてもらって感動したのは、ベーコンの独特の筆致の繊細さと赤い色の美しさでした。最初は友達とも軽い冗談などを口にしていましたが、少しづつ二人とも口数が少なくなり絵の世界に没頭していました。やはり絵画は実際の作品を前にしないと語ってはいけない、理解できないものだと思います。

「叫ぶ教皇の頭部のための習作」(1952)という作品の大きく口を開けた教皇の吸い込まれるような口の中の闇より深い黒色もとても印象的でした。

久々に美しいだけではない、得体の知れな魔性に囚われたような不思議な時間を過ごしました。

ベーコンの意向でいずれの作品も金縁のガラスケースに収められていたのですが、それが作品に洗練さを与えていてとても魅力的に感じました。

フランシス・ベーコン展に来館した人には「MOMATコレクション(所蔵品ギャラリー)」の入場チケットが無料で配られたので、ベーコン展を堪能した後、鑑賞させてもらいましたが、素晴らしかったです。東京国立近代美術館(本館)は、国から指定を受けた重要文化財を13点収蔵していて(日本画8点、油彩画4点、彫刻1点、そのうち油彩画1点は寄託作品)。その全部が展示されていたわけではありませんが、原田直次郎の 《騎龍観音》や菱田春草 《賢首菩薩》、萬鉄五郎 《裸体美人》、岸田劉生 《道路と土手と塀(切通之写生)》 、横山大観 《生々流転》、和田三造《南風》、岸田劉生《麗子像》シリーズ、靉光《眼のある風景》など、どれも教科書で見たことのあるような作品を近くで見ることが出来て感激しました。

展示室2Fのギャラリー4では草間彌生さんと横尾忠則さんの1960年代から70年代に制作された作品が展示されていました。草間彌生さんの「冥界への道標」という作品は黒く塗られた男根のようなものを女性の靴が踏みつけているように見える作品で迫力がありましたよ~。張詰めたような緊張感が漂う作品でした。長年に渡る衰えぬ凄まじい創作意欲には驚かされますね。

横尾忠則さんの作品は横尾さんの作品集で何度も拝見していた「責め場1・2・3」です。エロティックなイメージを3つの異なる色版過程で並べてみせる、横尾さんの代表作の一つですね。

ギャラリー4では「東京オリンピック1964 デザインプロジェクト」展も開催されていました。1964年に開催された東京オリンピックは、第二次世界大戦で大きな打撃を受けた日本が、その終結からおよそ20年を経て、奇跡的な経済復興を成し遂げたことを国際社会に示す、日本の威信をかけた国家イベントであり、戦後日本のデザイナーたちが総力を挙げて取り組んだ一大デザインプロジェクトでもあったんです。東京でのオリンピック開催が決定すると、デザイン評論家、勝見勝さんの指揮のもと、シンボルマークとポスターを亀倉雄策さん、入場券および表彰状を原弘さん、識章バッジを河野鷹思さん、聖火リレーのトーチを柳宗理さんが担当し、田中一光さんをはじめとする当時の若手デザイナーたちが施設案内のためのピクトグラム、プログラムや会場案内図などの制作に取り組みました。その一連のデザインワークの一部が展示されていたのです。僕は広告のデザインの仕事をしていましたので、とても興味深いコーナーでした。会場のモニターでは僕の大好きな市川崑監督が総監督を務め、「記録か芸術か」という論争を呼び起こした記録映画「東京オリンピック」の映像が流れていました。カンヌ国際映画祭国際批評家賞を受賞した、大変感動的な名作です。

4階に「眺めのよい部屋」という、名前の通り大きな窓から見える皇居の緑や丸の内のビル群の眺めが豊かな気持ちにさせてくれる休憩スペースが出来ていて、このスペースだけでも東京国立近代美術館が好きになりました(笑)。この日はとてもお天気も良く、空気も澄み渡っていて気持ちのいい一日でした。皇居の近くって緑も多いし、他の場所とは違う人を幸せにする気が漂っているのかも知れませんね。

長年、見たいと思っていた「フランシス・ベーコン」の作品と重要文化財をたくさん見ることができて大満足の一日でした!