2025年度後期(大阪制作) のNHK連続テレビ小説・第113作は、『怪談』で知られる明治時代の作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻・小泉セツをモデルにした『ばけばけ』だそうです。

 

NHKで小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)といえば、1983年に山田太一さん脚本で、1回80分の4回シリーズとして放送されたドラマスペシャル『日本の面影』を思い出します。

 

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を演じたのは、『ウエストサイド物語』でプエルトリコ系の不良グループのリーダー、ベルナルドを演じ、アカデミー助演男優賞したジョージ・チャキリス。妻・セツを演じたのが檀ふみさんでした。

 

明治時代、古きよき日本の風景や習慣を愛し、そこに生きた市井の人々を、深い愛情を持って理解しようとし、日本人や日本文化と正面から向き合おうとしたひとりの西洋人ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の生涯と、彼の作品を通して、明治以降の物質優先の近代化の過程で、見失いつつあった『心の豊かさ』とは?を問いかける素晴らしいドラマでした。

 

パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、1850年にギリシャ西部のレフカダ島で生まれました。16歳の時、イギリスの寄宿学校で遊んでいた時、飛んできたロープの結び目で左眼を打ち失明してしまいます。

 

19歳の時、離婚した父母に代わって八雲を養育した大叔母が破産し、経済的に困窮したことから単身、移民船に乗りアメリカに渡ります。渡米した当時は、ホームレス同然だったそうですが、文筆の才能を持っていたハーンは、新聞社に就職することが出来、シンシナティでジャーナリストとして認められようになります。

 

1884年、取材で訪れたニューオーリンズで開催されていた万国博覧会で未知なる東の国、日本の文化に興味を持ち、パーシバル・ローエルの日本文化論『極東の魂』に触発され、英訳された『古事記』に魅せられ、1890年、日本へ行くことを決意します。

 

新聞社の特派記者としての来日でしたが、契約を解消し、日本で暮らすことを選択し、40歳で島根県松江の英語教師となります。島根を選んだのは、英訳『古事記』の巻頭に神話マップが挟み込まれていて、松江が出雲神話の舞台だったからと言われています。

 

ハーンは住み込みで、身の回りの世話をしてくれていた18歳年下の松江士族の娘セツと結婚(再婚)。家族のために1896年に日本国籍を取得し「小泉八雲」に改名します。『八雲』にしたのは「『八雲』とは『出雲』という言葉の詩的な代用語で、『雲が湧き出る国』という意味で、私が最も好きな地方名だからとハーンは友人に答えています。

 

松江・熊本・神戸・東京に移り住み、英語教師の仕事をしながら、日本人の神観念を考察し、セツの語る怪談に耳を傾け、文学的魂を吹き込む再話作品の創作に没頭し、1904年、54歳で亡くなりました。

 

朝ドラ制作発表のニュースを見て小泉八雲のことを考えていたら、ある映画を思い出しました。1965年(昭和40年)公開の日本映画、小林正樹監督の『怪談』です。

 

小泉八雲の『怪談』に収録されている「雪女」「耳無芳一の話」と『明暗』に収録されている「和解」(映画では「黒髪」)と 『骨董』に収録されている「茶碗の中」の 4つの怪談話を映画化したオムニバス作品です。

 

構想に10年を要し、9ヶ月の撮影期間と多額の予算をかけて製作された作品でしたが、公開当時の日本国内での興行は芳しくありませんでした。しかし、海外では高く評価され、第18回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、アメリカアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされました。

 

僕はこの作品のことは、幼い頃から知ってはいました。父が、1965年(昭和40年)の劇場公開当時、観たらしく「とてつもなく美術が美しい映画だった」と言っていたので凄く興味を持っていて、長年、観たいなとずーと思っていたんです。僕はセット美術や衣装が美しい映画が大好物ですから。

 

上映時間が182分と長いし、公開当時ヒットしなかった映画は後年、見向きもされなくなることが多いので、諦めかけていた時、2003年頃、東宝さんがDVD化して発売してくれたんです。うれしかったですねー。

 

日本国内では182分の完全版で上映されましたが、カンヌ国際映画祭では『雪女』をカットした161分に編集して公開されました。その後182分の原版のフィルムが紛失したため(何故だ?)、161分のバージョンが出回っていましが、原版が発見され、東宝さんが発売してくれたのは修復を経たオリジナル完全版です。

 

早速、購入し鑑賞し、長年の夢が叶い、父の言っていたことは正しかった…と感動したことを覚えています。今では、Amazon Primes Videoでも配信されているのでいつでも観ることができます。

 

『怪談』映画化の構想は、制作担当の若槻繁さんが学生時代、小泉八雲の『怪談』を読み、感銘を受けたことが始まりです。その後、若槻さんは『改造』『婦人文庫』編集長、鎌倉文庫編集局次長をつとめていましたが、1954年、「俳優のための映画の企画をする(自由に映画を創る)」ためと、久我美子さん、有馬稲子さん、岸惠子さんの3人が結成した「文芸プロダクションにんじんくらぶ」の代表取締役となります。若槻さんは、作家・川端康成さんを岸惠子さんに紹介した縁があり、岸さんの頼みに喜んで応じて代表になられたようです。 

 

若槻さんは、戦前『改造社』で思想弾圧を受け、拷問なども経験し、終生、あの醜い戦争の時代から人間は何をしてきたのか、何をしてしまったのか、それを暴き続ける闘志に燃えていた方だったそうなので、「俳優のための映画の企画をする(自由に映画を創る)」と宣言した若き女優3人の熱き想いに共感されたのではないでしょうか。

 

「文芸プロダクションにんじんくらぶ」は、『人間の條件・第一部 (1959年)〜 完結篇 (1961年)』、『もず (1961年)』、『からみ合い (1962年)』、『お吟さま (1962年)』、『乾いた花 (1964年)』『怪談 (1965年)』と日本映画史に残る作品を制作してきました。

 

若槻さんは映画プロデューサーとなってからずっと『怪談』の映画化を構想し続けていました。企画当初、松竹の城戸四郎社長はオムニバス映画は興行的に成功した試しがないとして反対、企画は立ち消えになりましたが、小林正樹監督とにんじんくらぶは1959年から『人間の条件』6部作を製作し高い評価を得、小林監督は、1962年『切腹』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞し、オムニバス大作を作れる数少ない監督と認知され、御家騒動で松竹を追われた城戸四郎社長の後に社長の座についた大谷竹次郎氏は企画に前向きになり、水木洋子さんのシナリオも脱稿され、『怪談』は制作直前まで行き、松竹はこれを1964年の目玉作品としてラインナップに入れたのです。

 

ところが一旦松竹を追われた城戸四郎氏が1963年末社長に復帰、『怪談』ほか複数の作品を製作中止にしてしまったのです。

 

「映画はヒューマニズムが基本だ。絶望を描いていても、最後にはヒューマンな感動が広がらなければならない」が持論だった城戸四郎氏には『怪談』のような企画は相容れないものだったのかもしれません。

 

そこへ東宝の森岩雄副社長、藤本眞澄専務から「製作に協力したい」との話があり、紆余曲折の末、企画がスタートしたのです。1964年に公開された勅使河原宏監督の『砂の女』を東宝は配給をしていて、『砂の女』は、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞し、アメリカアカデミー賞では外国語映画賞、監督賞にノミネートされていたので『切腹』の小林監督の次回作である『怪談』も海外で何かしらの賞を取るかも知れない、話題になると東宝は判断したのかも知れません。

 

『怪談』(1965年)

《スタッフ》

◎監督:小林正樹

◎製作:若槻繁

◎脚本:水木洋子

◎原作:小泉八雲

◎撮影監督:宮島義勇

◎音楽音響:武満徹(補佐 秋山邦晴 奥山重之助 鈴木明) 

◎美術:戸田重昌

◎録音:西崎英雄 色彩技術顧問:碧川道夫 

◎題字:勅使河原蒼風 

◎タイトルデザイン: 粟津潔 

◎協賛:東洋工業株式会社

 

《キャスト》

『黒髪』

第一の妻:新珠三千代、第二の妻:渡辺美佐子、武士:三国連太郎、父:石山健二郎、母:赤木蘭子、乳母:北原文枝、世話人:松本克平、侍女:家田佳子、世話人の妻:月宮於登女、従者:田中謙三、殿様:中野清

『雪女』

巳之吉:仲代達矢、お雪(雪女):岸惠子、母:望月優子、村の女:菅井きん、千石規子、野村昭子、船頭:浜田寅彦、茂作:浜村純

『耳無芳一の話』

耳無芳一:中村賀津雄、甲冑の武士:丹波哲郎、住職:志村喬、源義経:林与一、建礼門院:村松英子、矢作:田中邦衛、平知盛:北村和夫、貴人:中谷一郎、呑海:友竹正則、松造:花沢徳衛、二位:夏川静枝、上﨟:北城真記子、漁師:桑山正一、弁慶:近藤洋介、平教経:中村敦夫、安徳天皇:佐藤ユリ、平行盛:児玉泰次、平資盛:前田信明、平清宗:柴田光彦

『茶碗の中』

武士関内:中村翫右衛門、作者及びその声:滝沢修、おかみさん:杉村春子、:中村鴈治郎、式部平内:仲谷昇、老爺:宮口精二、平内の家来:佐藤慶、天本英世、玉川伊佐男、鈴江:奈良岡朋子、関内の同僚:神山繁、関内の同僚:田崎潤、関内の同僚:織本順吉、小林昭二、青木義朗 

 

これほどの大作を、大手の映画会社ではなく、「文芸プロダクションにんじんくらぶ」という独立プロが作るわけですから、やはり完成までには様々なトラブルに見舞われたようです。

 

まずは資金の問題。これは大事です。決まっていたスポンサーからの資金提供が制作開始直後に破談。配給会社の東宝からの資金も制作現場にまで回らない状態(どこに行っちゃったの?)。『雪女』に主演した仲代達矢さんのスケジュールに問題が発生。前作の撮影が延び、売れっ子だった仲代さんのスケジュールはパンパン状態。自身の出世作『人間の條件』の監督、小林正樹さんの恩に報いる為、仲代さんは400万円を援助したそうです。『黒髪』に主演した三國連太郎さんの顔の皮膚感染症が悪化し撮影が一時中断などもあったようです。

 

『怪談』を観た方ならわかると思いますが、撮影のほとんどは一部のロケ以外セット内で全て行われました。スタジオは京都の宇治にあった「日産車体工機」所有の巨大な格納庫が使用され、高さ9メートル・総延長220メートルの巨大なホリゾント、約600坪の大広間セット、和船10隻が浮かべられるプールなど大規模なセットが用意されたのです。

 

ホリゾントを何度も描き直し、細部までこだわり抜いた精緻で壮麗、精巧かつ壮大なセット美術を担当したのは戸田重昌さん。日本古来の怪異譚の世界を幽玄に優美に表現されています。戸田重昌さんの見事な美術を贅沢に存分に堪能できる作品です。見事です。

 

『耳無芳一の話』に出てくる 『源平海戦絵巻』は、「異端」「鬼才」「風雲児」さまざまな呼び名で呼ばれた日本画家・中村正義氏によるものです。日展画家として前途を嘱望されながら、以後旧態依然とした体制の日本画壇に反逆し「日本画」の概念をくつがえすような表現で戦後の日本美術の流れの中でも特異な存在とみなされてきた画家です。『源平海戦絵巻』は東京国立近代美術館に所蔵されています。

 

照明にこだわり、計算され尽くした色彩と、華麗な映像美で観るものを圧倒する宮島義勇さんの撮影も本当に素晴らしいです。カメラの位置が絶妙な高さなんです。視点が何者かが見下ろしているような感じとでも言いますか。正体のわからない霊的な存在が宙で漂いながら、人間たちの営みを見つめているような…考えられたカメラポジションです。東洋現像所(現株式会社IMAGICA)にてフィルムの現像処理中に事故が起き、一部再撮影もあったと聞きます。何かの祟りでしょーかー。

 

全編が邦楽器によって構成されている『怪談』の音楽は武満徹さん。全4話のうち第1話「黒髪」では胡弓と打楽器的な電子変調音が、第2話「雪女」では、叩くと美しく澄み切った不思議な音色がするサヌカイトと呼ばれる天然石と尺八(横山勝也さん)が、第3話「耳なし芳一の話」では琵琶や三味線が、そして第4話「茶碗の中」では太棹三味線と義太夫の掛け声が用いられています。

 

クレジットが、「音楽音響」となっている、武満徹さんによる音楽というよりこの世の音とは思えぬ奇怪な音響が、宮島義勇撮影監督の美しい映像空間に響き渡り、絶大な効果を挙げています。その音創りには、楽器だけでなく、石をカンカンと叩いたり、テープを変調させたりする手法も使われ、大胆かつ斬新な独創性に満ちています。『怪談』の音楽は国際的にも高い評価を得ることになったのです。『怪談』は一応完成した後も、小林正樹監督の強い要望で、音楽を完璧なものとするために武満さんたちは公開の6日前までダビング作業を行ったそうですー。

 

当時の超一流のスタッフが揃い踏みの現場で、美術、撮影、音楽、監督とそれぞれの作品に対する拘りがあり、譲れないところもあり、芸術家と呼ばれる人たちの気まぐれもあり、現場の末端のスタッフたちは大変だったと思います。それを叶える為に、資金の調達に飛びまわなければならないプロデューサーの苦労も理解しなければいけません。

 

カット毎に描きなおされるホリゾント、カラー撮影のための大量の照明のセッティング、ある俳優のわがままで撮影中断、巨大なセットの配置転換、1カットを撮るのに朝9時から準備して午後3時に撮影が始まる…etc こうした撮影の遅れに時間が浪費され、一部スタッフはストライキを起こしたといいます。

 

これじゃあ 巨額の製作費かかりますよねー。

 

『怪談』の制作費は当初の予算は1億3000万円、うち東宝が9000万を負担することになっていましたが、それでは到底足りなくなり、小林監督は師である木下恵介監督から500万円を出してもらい、そしてついに麻布の自宅を売り払う羽目になってしまいます。『耳なし芳一の話』の琵琶歌を担当した実業家でもある薩摩琵琶・演奏家の鶴田錦史もまた資金を提供したといいます。

 

結局、作品は興行的には上手くいかず、制作費の回収が出来ずに、「文芸ぷろだくしょん にんじんくらぶ」は倒産してしまいます。

 

この『怪談』を観て、「全然、怖くない」「眠くなる」と言う人もいます。いろんな意見があって当然なのですが、映画化のために脚本を書かれた水木洋子さんが、あまり怖くない話を選ばれているからかも知れません。原作の小泉八雲の『怪談』自体もただ単に怖がらせようと書いてるわけじゃないし、古くから伝わる日本各地の民話や奇談を収集し、自らの解釈にしたがって情緒豊かな物語に仕立て上げたものなので、歌舞伎の『東海道四谷怪談』や講談の『真景累ヶ淵』とはまた違うものということです。

 

脚本を書かれた水木洋子さんが、何故この4話を選択したのか…共通点を考えるとあることに気づきました。

 

この4作に共通しているのは、孤独感、疎外感など「ひとりであること」からくる感情や悲しみを抱えて生きている人間と「異界に生きるもの」との交わりをテーマにしているということではないでしょうか。

 

『黒髪』の物欲と名誉欲に駆られ、妻を捨てた男も、『雪女』の母と二人で山奥で暮らす、年頃の木こりの青年も、『耳なし芳一の話』の目が不自由で、琵琶を弾くことだけが生きる証のような青年僧も、皆、世の中から疎外され孤独や悲しみを抱えて生きています。孤独な魂が怪異を呼び起こしたように感じます。

 

霊的な存在が想像の産物ではなく、迷信や絵空事ではなかった時代、その存在は恐ろしい物のはずなのに、何故か理由もなく魅かれてしまう不思議さも感じます。

 

4作目の『茶碗の中』のみが少し異色とも言える内容ですが、面白さと恐ろしさでいえば、この『茶碗の中』が僕は一番怖いなぁと思います。結末に答えがないところがです。原作も未完なんです。この物語の作者が何故にこのような絶筆に到らざるをえなかったのか、結末はどうなったのかを、読者の側に想像させるように促しているんです。映画のラストは脚本の水木洋子さんのオリジナルだと思います。小泉八雲が『茶碗の中』の元とした原話は男色にからむ話なのですが、それを知っているとなんとなーく理解できる話なんです。でもそこは上手く隠されています。この物語を書いている作者を演じているのは名優・滝沢修さんですが、作者の机の上に「人の魂を飲んだ者の末路は…」と記された書きかけの原稿が置いてあるんです。

 

観た人、それぞれが考えればいいんじゃないですかね。いろんな解釈があっていいと思いますよー。

 

小泉八雲が生きた時代は、多くの西洋人が経典と戒律をもたない日本の神道を邪教だとみなしていました。八雲は、神道は書物の中でなく日本人の心の中で、迷信や神話や呪術の根底にある民族の魂のようなものと深く共鳴しながら息づいていると考えたんです。日本では、時には生きている人が神に祀られることもあれば、人工物の中にも心や命を認める寛容な神観念があることを見いだし、共感を覚えたんですね。

 

現代でもよく日本人は常識では反り知れない能力がある人を「神懸かっている」と言ったり、ドラマなどで普段より際立って面白い回を「神回」と言ったり、『神』という言葉を気軽に使ったりします。

 

日本の神話に登場する神々は、現代に至るまで信仰の対象とされ続けていますし、日本という国を作ったのは『神』ですからー。

 

アイルランドとギリシャの血を引く八雲は、子供の頃に乳母からアイルランドの民話や民謡を聞かされたり、生き別れた母とつながるギリシャ文明に強い憧れを抱いたりしていたそうです。ギリシャも神話の国ですから、あらゆる自然に神々が宿る日本の神道に共鳴し、理解があったのでしょうね。

 

怪談として日本人になじみ深かった、もとは古典、民話、伝承にあったこれらの話に、文学としての魂を吹き込み、読み継がれるきっかけを作った小泉八雲に感謝です。

 

小林正樹監督の『怪談』は、小泉八雲が物語に込めた精神を完璧に映像化した傑作だと思います。おすすめです。