脚本家、作家、エッセイストとして活躍し、51年という短い人生を駆け抜け、去っていった向田邦子さん(1929年~1981年)が急逝して今年で44年になります。
向田さんが残された作品は、小説にしてもエッセイにしても、今なお売れ続けています。出版社の担当者は「これだけ時間が経っても関連書籍が出て、雑誌で特集が組まれ、新しい読者をつかみ続ける…そんな作家はほとんどいない」と言っています。僕もそう思います。
今年の1月、向田邦子さんの代表作『阿修羅のごとく』が、NHKのオリジナル版から50年近い時を経て、是枝裕和監督の脚色、演出でリメークされ、Netflixシリーズとして蘇り、好評を博しました。
亡くなって44年も経っているなんて全然思えないですねー。向田さんが書かれた作品たちは今もどれも色褪せていないし、CS等で再放送され、録画しておいた過去のドラマや、エッセイを時たま視返したり、読み返したりして、「なんて良いセリフなんだろう」「なんて良い文章なんだろう」といつもため息をついている私です(笑)
今日は、10代の頃に夕方、亡き母と一緒に再放送で視ていた向田邦子さん脚本のドラマ『家族熱』を久し振りに全話、視聴したので、その感想を呟きたいと思います。U-NEXTで配信中です。
『家族熱』連続14話は、TBSテレビ「金曜ドラマ」で1978年7月7日から10月6日まで放送されたドラマです。当たり前だと思っていた家族との日常の背後に広がる非日常の闇を丁寧に向田さんは描き出しています。
『家族熱』
《スタッフ》
◎脚本: 向田邦子
◎音楽 :告井延隆
◎主題歌:ローズマリー・クルーニー「クローズ・ユアー・アイズ」
◎制作 :大山勝美
◎プロデューサー:鈴木淳生
◎演出: 服部晴治、福田新一
◎美術デザイン :桜井哲夫
◎美術制作:佐藤勉、丸谷時茂
◎音響:鈴木敏夫
◎カラー調整:小野英夫
◎製作著作 TBS
《キャスト》
◎黒沼朋子:浅丘ルリ子
◎黒沼杉男:三浦友和
◎黒沼謙造:三國連太郎
◎片桐恒子:加藤治子
◎梅沢時子:吉行和子
◎島田イズミ:風吹ジュン
◎黒沼竜二:田島真吾
◎尾崎松子:宝生あやこ
◎黒沼重光:志村喬
◉こんな物語です。
黒沼家は東京の田園調布の大きな戸建てに住む裕福な家庭です。朋子(浅丘ルリ子さん)が黒沼家に後妻に入ったのは13年前です。その間、厳しい姑に献身的に仕え、介護もし、その死に水も取り、幼かった2人の子供たちも立派に育ててきました。
夫・謙造(三國連太郎さん)は17歳年上、血の繋がらない二人の息子、長男・杉男(三浦友和さん)、次男・竜二(田島真吾さん)、謙造の父・重光(志村喬さん)との5人暮らしで、朋子はテキパキと家事をこなし、黒沼家を切り盛りしています。
そんなある日、朋子は、思いもよらず夫や息子たちが、生まれたばかりの末娘を自分の不始末で死なせてしまい、離縁された前妻の恒子(加藤治子さん)と会っていることを知りショックを受け、離婚覚悟で家を出ます。雑誌編集者をしている高校時代の友人・時子(吉行和子さん)のマンションに居候し、編集の仕事を手伝うことになります。
一方、大手建設会社に勤務している謙造は橋の建設の入札で忙しい日々を過ごしていました。入札に勝てば出世ができる、男としての格が上がると謙造は必死でした。
それは前妻・恒子から得た情報を元にした裏取引も含んでいました。恒子は離婚後、大阪の料亭で仲居頭をしていたおり、そこで耳にした橋建設に絡んだリベートの情報を謙造に流していたのです。
恒子は14年前、謙造の出張中に男と外泊し3歳の末娘・光子を肺炎で死なせていました。そのことへの罪滅ぼしでもあったのです。
橋の建設の入札は成功し、謙造は常務取締役へ昇進。しかし喜びも束の間、謙造が贈賄容疑で逮捕されてしまいます。心配した朋子は謙造を支えるため黒沼家に帰ることにします。
しばらく体調を崩し入院していた重光は、謙造から恒子に宛てた手紙の存在を知り、その手紙を買い取るため病院を抜け出し恒子に会いに行きます。贈賄の証拠に加えて朋子を傷付ける内容だと聞かされたからです。
重光の命を賭けた覚悟を知り、心を打たれた恒子は、重光に手紙を渡すのです。黒沼家に辿り着いた重光は力尽きそのまま死んでしまいます。
重光から恒子に渡された黒塗りの箱には株券や預金通帳が入っていました。それを返すため恒子は重光の葬儀に訪れますが、恒子の常軌を逸したただならぬ様子に朋子たちは動揺します。
その日を境に恒子は徐々に虚実入れ混じる言動をするようになるのです。熱に浮かされるように黒沼家への執着を加速させた恒子は精神が崩壊し、目を覆うばかりの状態になってしまいます。
そんな時、杉男は14年前の曖昧だった記憶が突然よみがえり、末娘が死んだ真相に衝撃を受けるのです。壊れてしまった恒子を前に、朋子、謙造、杉男、竜二それぞれの選択が迫られるのでした…。
『家族熱』は、女性の心情を冷酷なほど的確に表現することに秀でた、向田邦子さんの傑作だと思います。向田邦子さんが終生追い求めたテーマは「家族とは何か?」だと思いますが『家族熱』は、家族にとって「母親はとは?」 をとことん追求した作品なのではないでしょうか。
「完全無欠な健康体がないように、完全な家庭などありえないのかもしれない…」そうだよねーと思わせる向田さん流の台詞が秀逸でした。
浅丘ルリ子さん演じる朋子の、前妻が買い揃えた食器類を高級な物でもわざと少しづつ落として割って、13年かかって自分の好みのものに買い替えたという台詞があるのですが、女性の嫉妬、情念、意地を見事に表現しているなぁと感じました。僕も割っちゃうかなぁー焼きもち焼きだから(笑)
『ホームドラマ』というジャンルに革新をもたらした3人の脚本家、倉本聰さん、山田太一さん、向田邦子さんたちが才能を開花させ、次々と優れた作品を書いていた1970年代から80年代にかけては「脚本家の時代」と言われていました。
原作・脚本が山田太一さんで、1977年6月24日から9月30日までTBS系で放送された『岸辺のアルバム』がそれまでのホームドラマの定石を覆した革新的なドラマとして、日本のテレビドラマ界に衝撃を与え、辛口ホームドラマというジャンルを確立しました。一見、幸せそうに見えても、それぞれに秘密を持ち、隠された孤独を抱え、偽りの笑顔を交わす…。そんな家族の姿を赤裸々に描いたドラマは当時、画期的だったのです。
向田邦子さんの『家族熱』はその流れの延長線上にある作品だと思います。
夫の出世欲と絡んだ前妻の影に苛立ちや寂しさ、悲しみや怒りなどの負の感情に振り回される若い後妻の葛藤を儚げに、時には激しく、そして美しく表現したのは名女優・浅丘ルリ子さんです。向田作品初出演です。
前妻が置いていった二人の子どもを一人前に育て上げ、舅姑の世話をし、夫から愛されていると信じていた13年間は何だったのだろう…。虚しさと悔しさと様々感情に苛まれる朋子の気持ち、僕は痛いほど分かります。
脚本家、小林竜雄さんが書かれた『向田邦子 恋のすべて』という本の中にこういう記述があります。
「後半になってくるに従って話の比重は浅丘から加藤の方に移っていった。子供をおいて家を出て渋谷の裏町でバーを開いている恒子と杉男の話となっていったのである。その理由を大山(制作)はこういっていた。「向田さんは浅丘さんの演技が気に入らなかったのですね。それで段々、加藤さんの方に肩入れしていったんです」こういうところが向田の怖いところだろう。あの演技派の浅丘でさえもイメージしたものと違っていれば、急速に思い入れが冷めていってしまうのだ。恒子は息子を思う「家族熱」の強さから精神に異常をきたしていく。それは母親「せい」の陰画であった。恒子は「家族熱」から、かつて妻であり母親として暮らした家にやってくる。そこで狂いだし障子を次々と破っていく。これは鬼気迫るものでこのドラマで最も印象深いものとなった。一方の浅丘は当然、面白くなかった。そこで向田に説明を求めてきた。向田もそれは十分予想していたので「三浦さんとの恋という芝居場があるわ」と答えた。これは確かだった。だから浅丘は渋々、我慢せざるを得なかったのである。しかし、番組の打ち上げで浅丘が隣にいた大山をつねった。話が違うじゃないか、という抗議である。可愛げのあるささやかな抵抗だった。
加藤治子さんは、向田さんのお気に入りの女優ですし、私生活でも親しかったし、狂っていく役なんて儲け役なんですよ。それを受けて立つ浅丘さんが損をするのは当たり前です。
だからと言って向田さんと浅丘さんが対立したり、喧嘩別れした訳じゃないんです。浅丘ルリ子さんはそんな了見の狭い人じゃありません。向田さんも浅丘さんには申し訳ないと思われていたし、浅丘さんもいつかリベンジさせて欲しいと向田さんに言っていたそうです。
それが形になったのが1981年にTBS系で放送された、西武スペシャル『隣りの女 現代西鶴物語』です。浅丘さんはタイトルロールを演じています。この頃は西武さんもお金があったんですよねー。一社提供ですよ。このドラマは海外ロケもあり、見応えあります。
加藤治子さん演じる先妻・恒子は、自分が犯したたった一度の不始末で末娘を死なせた為に、元々、恒子の美しさに嫉妬の感情を持っていた姑からキツくあたられ、離縁させられた過去があり、謙造が嫌いになったからだとか、育児が大変だからという理由で家を出たわけではないので、長年、行き場のない謙造に対する執着を抱えて生きてきた女性です。
謙造は自分の出世欲のために恒子を利用しただけなのかもしれませんが、恒子にすれば「私を頼ってくれた、私にまだ未練があるからだ」と思わせてしまったのかもしれない。妻として母として幸せだった過去に囚われ、現在の自分の境遇に耐えきれず次第に自分自身をなくしてゆく女性の哀しみと痛々しさを加藤治子さんは見事に表現されています。
僕は1996年、デヴィッド・ルヴォー演出の『エレクトラ』という舞台で加藤治子さんを観たことがあるのですが、王妃クリュタイメストラを演じた加藤さんの物凄いオーラに圧倒された記憶があります。大好きな女優のお一人です。
二人の男の子の父であり、朋子の夫・謙造を演じたのは、怪優と呼ばれた三國連太郎さん。向田さんの作品世界には異質な方のような気もしますが、これが何故かピタリとハマってましたね。シリアスな物語の中に、時々、フット挟み込まれるコミカルさがとても魅力的でした。仕事のことしか頭にはなく、家長として威張っているくせに家内のことはからっきしダメで妻任せ。実は小心で、面倒なことが嫌いで、不甲斐ない…。でも朋子のことをさりげなく心配している様をメリハリのある演技で魅せてくれました。さすが上手いです。色気もありますし。
朋子の義理の息子で、麻酔科医。実母・恒子に愛憎相半ばする感情を抱き、朋子にほのかな想いを寄せる杉男を演じたのは三浦友和さん。良いですねー。ほんとうに素敵でした。
『家族熱』が放送された1978年はもう百恵さんとの大映ドラマ『赤いシリーズ』は卒業されていて、映画『残照』、『ふりむけば愛』、『聖職の碑』、『炎の舞』が公開されていてお忙しかったんですね。スペシャルドラマの『風が燃えた』もあったし。
この頃の三浦さんは、正統派、好青年と言われることに抵抗があったそうです。イケメンと呼ばれる現代の俳優さんたちも演技を評価して欲しいという葛藤を抱えている人もいると思いますけど、三浦さんと同時代に活躍していた、松田優作さんや萩原健一さん、原田芳雄さんとか、演技よりも個性で魅せるような俳優さんたちに憧れを持っていたんだそうです。
でも、僕は三浦さんには三浦さんにしか持っていない、出せない唯一無二の魅力があると思っていますし、『家族熱』の世界で杉男を演じることができたのはあの時代の三浦友和さんだからだと思いますよ。
松田優作さん、萩原健一さん、原田芳雄さんはもうこの世にいないし…。三浦さんは出演された作品数もこのお三方より膨大だし、息長く俳優を続けておられることは素晴らしいと思います。俳優人生を全うされるまで正統派の二枚目であって欲しい…僕はそう願っています。
謙造の父・重光を演じたのは名優・志村喬さんです。黒澤明監督作品には欠かせない俳優ですね。このお父さんの存在がとても良いアクセントになっていました。1977年に放送された、木下恵介・人間の歌シリーズ 『 冬の運動会』も向田邦子さんの脚本ですが、このドラマの志村喬さんも見事な名演技を魅せてくれます。この作品も配信して欲しいですね。
『家族熱』というドラマは女たちがメインのドラマに思えますが、志村喬さん、三國連太郎さん、三浦友和さん、この3人の男たちのキャスティングのバランスがとても良いですねー。脚本がいいと本当に役者が輝くという見本のようなドラマです。
ドラマの最終回近くに、『鉄輪(かなわ)』という能の話が出てきます。能の演目の一つで、分類は鬼女物になります。女の恨み、嫉妬心の恐ろしさを、禍々しい鬼の姿で表現する能です。鬼とは一般には人間の女性が宿業や怨念によって化したものとされ、捨てられた女の凄まじい恨み、それを緩急鋭い謡や囃子と、なまなましい型で伝える演目です。
このドラマを初めて視たときは、こんな『能』の演目が元になっているというのはわかりませんでしたが、向田さんが『鉄輪(かなわ)』にインスピレーションを得て書かれた脚本なんだと知れてよかったです。
僕はもう両親とも亡くなってしまって、東京の片隅で一人で生きています。兄弟も彼氏もいない一人暮らしです。そういうと「寂しいねー、大丈夫?」とかたまに言われたりしますが、束縛されるものもないし、自由気ままに過ごしています。
でも、向田邦子さんのドラマを視ると、家族間にどんな面倒な問題があったとしても、家族っていいなぁって思ってしまう時があります。優しかった両親のことを思うと泣けてくることもあります。
同性愛者だから、家族を作ることもできない…落ち込む時もそりゃあります。なんだか家族のことを考えていたら、寂しくなっちゃいました。
昭和のドラマって見応えがあって良いですよねー。