オリオンに向かひ家路の人の列

 

「方円」2006年2月号雑詠掲載。

冬の代表的な星座と言えばオリオン座。大きな四角形の真ん中に3つ星。夜明るい街中でも、比較的よく見える。当然の話だが、毎日同じ方向から昇り、同じ方向へと消えていく。夜、会社や学校から帰る人の列が、駅から続いている。ほとんどの人が駅から同じ方向へ歩いていく。目の前にはオリオン座。よく見えるこの星座を、どの人も目印にして歩いているように見える。その姿が、まるでオリオン座へと帰って行くように見えて詠んだ句。

私は極度の方向音痴。車の運転にはカーナビが欠かせない。今日、恥ずかしい出来事があった。所用で京都・四条烏丸へ。そこからさらに北へ一筋上がった錦市場へ向かう。しかし、その錦小路が意外と遠い。そのうち仏光寺が見えて来た。仏光寺通は、四条通から南に二筋下がった通り。そこで気が付いてふと空を見上げたら、目の前に太陽があった。慌てて元来た道を引き返した。地図アプリを開けながら、反対方向を歩いていたのだ。ここまで来ると、「方向音痴」というより、もはや「考えなし」と言うべきか。地図を見るだけでなく、いつも普遍的同じ場所にある太陽を目印にすべし。迷ったら考えて、空を見る事を心掛けたい。

 

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木枯を切り裂き国際線西へ

 

「雲の峰」2024年1月号青葉集掲載。

今日、12月17日は飛行機の日。1903年、アメリカのライト兄弟が世界で初めて動力付き飛行機の有人飛行実験に成功した事に因んで、この日を飛行機の日とした。今日紹介する句は昨年11月に詠んだ句だが、飛行機の日に因んでご紹介したい。木枯しは、初冬に吹く北西寄りの強い風の事。本格的な冬の到来を告げる。体感温度が下がるこの時期、空を見上げると飛行機雲がかかっている。上空にも恐らく強風が吹いているだろう。この時見た飛行機雲が、果たして国内線なのか国際線なのかはわからないが、西に向かって飛行機が飛んでいたのは確か。風を切って遠くへ飛んでいく飛行機が勇壮に見えて、あえて「切り裂く」という強う表現を用いて詠んだ句。

私は、実は生まれてこの方、飛行機に乗った事がない。乗りたくないのではなく、乗る機会が今までなかった。高校の修学旅行は九州一周。行き帰りは大阪南港からフェリーだった。その翌年から韓国に変わった。以来今まで、旅行と言えば国内旅行で陸路。恥ずかしながら、海外へ飛んだ事もない。経験として、一度行かねばと思いつつ、なかなか時間が取れないのが正直なところ。一度飛行機の距離まで羽を伸ばせば、句作のアイデアがもっと広がるのではないかと思っている。いつか必ず。

 

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紅葉散る思ひの色にならぬまま

 

「方円」2018年2月号円象集掲載。

「紅葉」はご承知の通り秋の季語だが、12月になっても鮮やかな紅葉があちこちに見られる。この時期の紅葉を「冬紅葉」と呼び、冬の季語として使われる。さらに冬も半ばになると、紅葉は散る一方。これを「紅葉散る」「散紅葉」と呼び、同じく冬の季語として使われる。この句を詠んだのは、自宅から車で少し走ったところにある、とある自然公園。そこで楓の葉が色付居居てはいたが、鮮やかな紅葉ではなく、茶色がかった枯れた色。もっと美しい色を誇ったまま落ちる葉は美しいが、単なる落葉になってしまった。当然葉っぱに意識はないが、もしかしたら「もっと綺麗な色でいたかった」と思いながら散っているのかもしれない。そんな嘆きに近い感情を読み取って詠んだ句。

かつて方円関西句会でお世話になった亡き句友は、最近の紅葉を見て「こんなん紅葉とちゃうわ」と嘆いていた。そして、「今紅を差せしばかりの葉を落とす」という句を詠んでいた。言われてみれば、子どもの頃に見た紅葉は、もっと鮮やかだったように思う。調べてみると、美しい紅葉になる条件は

①昼間と夜の温度差が大きいこと

②直射日光がよく当たること

③適度な湿気があること

の3点だそうだ。特に①は今は難しい条件かもしれない。昔と大きく変わった気候。それに加えて、季語はむかしから伝統的に旧暦ベースなので、季節を先取りする事になる。今後ますます紅葉を俳句にするのは難しいのかもしれない。

 

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冬晴れや立木に当たる風の音

 

「方円」2009年2月号雑詠掲載。

冬の晴れ間は、寒い時期でも太陽が眩しく、温かく感じる事がある。しかし、ひとたび風が吹けば、やはり冬。冷たい空気が身に沁みる季節でもある。一方、木は葉を落とした裸木。いかにも寒々しく感じる。そこへ風が吹いて木に当たり、いわゆる「虎落笛」と呼ばれる甲高い音を出す。それが木々の悲鳴にも聞こえるが、木は決してその場を動こうとしない。じっと我慢しているように見えるが、心中は風によって放たれる叫び声のように、寒さに嘆いているのかもしれない。そんな風に感じて詠んだ句。

12月10日は世界人権デー。1948年、国連総会にて「世界人権宣言」が採択された日。その第1条には「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」と明記されている。その一方で、どんな理不尽な言動、行動に対しても決して抗わず、じっと我慢をせねばならないという風潮はまだまだある。「尊厳と権利」とはいかなるものを指すのか、突き詰めるとなかなかこれという答えは出ないだろう。しかし、人間は冬の立木と違って、辛いなら辛いと思い、感じ、口に出す事が可能であり、その権利を持つ。「自分だけ我慢して黙っていれば」と思っている人は、身の回りに相当数いるのではないかと思っているが、だからと言って、「自分は役に立たない人間だ」と思って、殻に閉じこもってしまうような事になってはいけない。自戒を込めて。

 

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嘆きにも愁ひにも似て鳰の声

 

「雲の峰」2024年2月号青葉集掲載。

鳰とはかいつぶりの事。この字を「にお」と読ませたり「かいつぶり」と読ませたりする。本来は留鳥だが、冬の水辺でよく見かける事から、冬の季語とされている。我が家から比較的行きやすいので、時間があればよく行く大阪・枚方の山田池公園。そこにはその名の通り池があり、そこで「フィリリリリ」というひときわ高い鳴き声が聞こえて来た。恥ずかしながら、鳥の鳴き声をあまり知らないので、その場でネットで調べてみた。これがかいつぶりの声か。実に美しいが、どことなく悲しげに泣き叫んでいるように聞こえる。歳時記で調べてみたら、冬の季語。これは詠まなければと、その悲しげな鳴き声を愛でて詠んだ句。

俳句もネットで知識を得て詠む時代になったと言うべきか。私が「方円」に入会して、本格的に俳句を始めたのは2002年。その時代でもネット環境は整備されてはいたが、出かける時は季寄せや歳時記を持って、さらには簡易な植物図鑑を持ってと、吟行へ行くにも結構な荷物だった。当時売られていたコンパクトな鳥類図鑑には、鳴き声のCDが付いていた。鳴き声がわからない場合、その場で再生するにも調べるにも手間だった。今はネット環境もさることながら、スマホのアプリが多様化して、鳥類図鑑や歳時記まで、スマホに入る時代になった。そのうちAIが句作するという時代になるのかもしれない。鳥の鳴き声など、普遍的な事柄を調べるのは、今の環境は便利だが、人によって考え方が違う事柄を調べる場合は、答えが複数出てくる。こんな時代だからこそ、得るべき情報を取捨選択する力を付けなければならない。

 

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