返り花人とは迷ふものなりと

 

「方円」2023年2月号円象集掲載。

何度か紹介した季語かもしれないが、改めて。

「返り花」とは、小春日の暖かい気候に誘われて、季節外れの花が再び咲く事。一般的には「帰り花」と書く事が多い。「忘れ花」「狂い咲き」とも呼ばれる。俳句では専ら桜の事を指すが、他にツツジや山吹などもこう呼ばれる。いつも散歩するコースの近くに中学校があり、その通学路に桜並木がある。大方冬には裸木になっているが、時折咲いている花もある。ちらほらと咲いている花は、どことなく遠慮がちに見える。この時私は悩み、落ち込んでいたのだろう。恥ずかしながらその時の自分の心理状況は忘れてしまったが、みんな悩みながら生きているんだと、妙に納得したのは何となく覚えている。そんな情景と心理状態を詠んだ句。

今年は例年より気温が高い日が続き、畦道には未だにアカマンマが色付いていた、カンナの花がまだ咲いていたりする。最近になって、漸く冬らしい気候になった。今日もこの寒い中咲いている桜を見たが、果たして「帰り花」なのか「咲き残り」なのか。どちらにしても、こんな寒さの中で咲いている事に感銘を覚える。今日見た桜も小さく、向こうを向いていた。「咲く時期を間違った。自分は場違いだ」とでも言いたげに。気休めかもしれないが、「そんな事はない」と言いたい。どんな生物も生物社会の一部なのだから。

 

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落葉焚く葛城山を煙らせて

 

「雲の峰」2024年1月号青葉集掲載。

2023年11月、近鉄てくてくまっぷ、秋津洲の道・国見登山・古墳めぐりコースを歩いた際の一コマ。近鉄御所駅から国見山を経て近鉄市尾駅までの約12キロのハイキングコース。道中古墳が多数残る道を歩く。田園風景の横に常に見えているのは葛城山。その麓の田畑から煙が見える。恐らく枯草か落葉を焚いているのだろう。この日は風がなく、煙はまっすぐに立ち上り、後ろに見える葛城山を曇らせている。そんな何でもない初冬の日常風景を素直に詠んだ句。

以前にお話したかもしれないが、私は普段、あまり句の中に固有名詞を入れない。どんな場所であれ、その場で見て感銘を受けた光景をそのまま詠む場合が多い。その際、山であったり島であったりお寺であったり、その景色の中に絵のように嵌っている場合は、固有名詞を詠む事がある。この句もその一つ。俳句を始めて20年以上経つが、後で見直した時、この句が一体どこで詠まれたのか、忘れてしまっている事が多くなってきた。もうそろそろ、今まで守って来た「固有名詞をなるべく避ける」というこだわりを捨てて、より素直に詠んだ方がいいのかもしれない。

 

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凍星のなほ瞬きを止めぬなり

 

「方円」2012年1月号特別作品「生放つ」15句のうちの1句。

「凍星」とは冬の星の別称。冬の夜空は大気が澄み、星がよく見える。冬の星座であるオリオン座などはすぐ見つける事が出来る。「天狼」「シリウス」「オリオン」など、星や星座の名も冬の季語として用いられる。晴れた夜、ふと空を見上げると、ひときわ明るく瞬く星が見える。明るい街中でも見えるその星は、恐らくシリウスか。特別目立って、いつまでも輝いている。冬の夜空ならではの光景を、じっと眺めて詠んだ句。

以前、ハイキングで訪れた貝塚市の天文台で、お昼の時間帯に天体望遠鏡を覗かせて貰った。太陽を観察した後、他に恒星を見せてくれるという。それがシリウスだった。聞けば地球からたった8.6光年。お昼の時間帯でもはっきり見えた。冬の夜空ではっきり見える所以がここにある。調べてみると、質量が太陽の約2倍。光度は太陽の約25倍。星の年齢は約2億年から3億年と、聞いても想像できないような数字が並ぶ。実に月並みな感想だが、宇宙はとてつもなく広い。その中のゴマ粒以下の場所に、多くの生命が犇めいている。これは奇跡と言っていいだろう。私たちは、今生きているそのゴマ粒以下の環境を、長く保たねばならない。

 

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掠れゆく飛行機雲や小春空

 

「方円」2012年1月号特別作品「生放つ」15句より1句。

「小春」とは旧暦10月の異称。立冬を過ぎてからの春のような暖かい晴れの日を指す。そんな季語がぴったり当てはまるような晴れの日、空を見上げると飛行機雲。飛行機はすでに遠くに飛び去った後。飛行機雲は他の雲に紛れて、やがて消える。じっと見つめながら、雲は形を変え、やがては消え去る運命なのだという事を、改めて感じて詠んだ句。

11月は暦の上では秋と冬の境目。立冬を過ぎたら冬という事になるが、なかなかそんな実感が沸かないというのが正直な所だろう。実際、各地の紅葉の名所は、11月中旬頃が見頃という所が多い。紅葉を詠もうとしても、季節は既に冬。暦に忠実になるなら、紅葉という季語は使えない。仕方なく「冬紅葉」「散紅葉」を使わざるを得ない。世間一般の意識では、今は秋真っ只中。俳句は季節の変化が早い。そこまで季節にこだわる必要はないとは思うが、長年有季定型の伝統的俳句に携われば携わるほど、今使いたいのに使えない季語というジレンマに陥りやすい。景色は景色、俳句は俳句と、分けて考えた方がいいのかもしれない。

 

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時雨るるや竹に守らるる虚子の句碑

 

「雲の峰」2024年1月号青葉集掲載。

2023年11月、かつて父が歩いた豊中市は曽根・岡町辺りを訪れた際の一コマ。阪急曽根駅を降りて、まず萩の寺で有名な東光院を訪れる。この山門のすぐ脇に、高浜虚子の句碑が建てられている。句碑には「おもひおもひに坐りこそすれ萩の縁」と「我のみの菊日和とはゆめ思はじ」の2句が刻まれている。いずれも秋の句だが、訪れたのは11月中頃。既に立冬を過ぎている。お寺に着くと、小雨が少しぱらついてきた。句碑の周りには竹が生い茂っており、せっかくの句の前にも竹が生えていた。まるで竹が雨から句碑を守っているように見えて詠んだ句。

この句、少しだけ主宰の校正が入った。私は「守らる」と書いて「まもらる」と読ませるつもりだったが、校正後には「守らるる」と書いて「もらるる」と読ませる。たった一文字の違いだが、日本語としては確かにこの方がしっくり来る。雲の峰では、俳句は文語旧仮名が基本。それは方円に在籍していた時から変わらないが、未だに送り仮名、活用など、迷う事が多い。たった17文字の詩歌である俳句。読み手にしっかりと伝わるように勉強したい。今朝、魅力的な言葉の使い手であった、谷川俊太郎氏の訃報に接する。深悼。

 

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