夢に見し母の小言や花茨

「雲の峰」2025年7月号青葉集掲載。

「花茨」とは野茨の花の事。夏の季語とされている。「いばらの道」「いばらの冠」など、棘のある茎の印象が強い植物だが、花は白く可憐なもの。今の家に引っ越す前、よく歩いていた散歩道。共同墓地へと続く道に、野茨の花が咲いていた。当時私はこの花を知らなかったが、調べてみると茨の花とわかる。こんなに可憐な花なのに、花のイメージよりも棘のイメージが強い。そんなことを考えていたら、夢に亡き母が出てきて、私を叱る夢を見たことを思いだした。誰でも心に刺さる思い出を持っている。そんなことを感じて詠んだ句。

今日はこどもの日。男子の武運長久を願った端午の節句が元になっている。男の子を立派に育てるために、両親は色々と気を病む事だろう。思い通りに育ってくれなくて、ついつい辛く当たってしまう事もあるだろう。親は子を正しい方向へと向けるため、時には厳しい言葉を投げかける。それが小言というもの。立派に育ったそのあとも、やはり心配で仕方がない。それが親というものなのだろう。そして子は、どうしようもなくなったら、親に頼るという選択肢を持つ。何があっても親子は親子。この繋がりはかけがえのないもの。両親と死別した今、つくづくそう思う。

 

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白躑躅踏まれぬ場所に落ちにけり

「方円」2005年7月号雑詠掲載。

ツツジの奇麗な季節になった。京都の蹴上や堺の浅香山緑道など、名所とされる場所は多い。庭木としても重宝され、あちこちでこの花を見ることが出来る。どんな花でも、咲けば必ず散る。白いツツジは、枯れ落ちると「かつては白かった」という色になってしまうのが侘しい。道路に落ちてしまうものもあれば、花壇の中に留まるものもある。白いツツジが落ちた場所は、花壇の中。ここなら誰にも踏まれることなく、土に還ることが出来る。そこに安心感を得たような感覚を詠んだ句。

白い花と言えば、木蓮も同じ事が言える。花びらが大きいだけに、枯れ落ちると非常に目立つ。かつて白かった花びらも、悲しくなるほど茶色くなる。花の終わりというものはそういうものなのだろう。しかし、そんな中でも、花としての誇りを捨てず、散る瞬間まで凛とした佇まいを崩さないものもある。花にそこまでの意思があるのかどうかはわからないが、少なくとも一生懸命生きようとする姿は見て取れる。きな臭い世の中になってきたが、自分が信じた道を歩き、自分が信じたという事を誇りに思い、後悔しない。そう断言できる人生でありたいものだ。

(絵はAIによる創作です)

 

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沢の雨に沢の色増すすみれ花

「方円」2004年6月号雑詠掲載。

菫は可憐だが小さい花で、よく足元を見ないと見つけられない時がある。とある川沿いの小道にそんな菫が咲いている。普段は目立たず、足元にひっそりと咲いている菫だが、雨の日、小川の水量が増して、道を通る人は水に気を付けながら、足元を見る。そこには雨に濡れて鮮やかな色を取り戻した菫の花。小川の雨のお陰で、その存在を知ることになる。そんな小さな花に注目して詠んだ句。

4月26日、大住シンフォニックバンド第33回定期演奏会、盛況のうちに無事終了。ご来場の沢山の皆様に御礼申し上げます。翌日、55歳の誕生日。この歳になっても打ち込める趣味を持って、私は幸せ者だ。思えば吹奏楽は友人の誘いで、俳句は亡母の勧めで始めた趣味。自分が能動的に始めたものではない。私の人生の中には、いつも色々な人が関わっている。道端の菫を目立たせる雨のような存在が、私の周囲にはいくらでもいる。それらの方々に、改めてお礼を言いたい。ありがとうございます。

(絵はAIによる創作です)

 

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歩きつつ吟ずる人や藤の花

「雲の峰」2025年6月号青葉集掲載。

以前住んでいた家から母校の中学校へ行く道。線路沿いの道を暫く行くと、車道と遊歩道の分かれ道がある。そこから遊歩道側へ降りて、JRの線路をくぐる手前に藤の木があり、そこから別れた車道を見上げる格好になる。春になると藤の花が満開になり、目を楽しませてくれる。散歩をしていると、上の車道から朗々と詩吟を吟じる声がする。稽古をしながら歩いているようだ。いい天気で藤の花もきれいに咲いている中で聞こえてきた声。周りの環境と相まって、その声も景色の一つとして溶け込んでいた。そんな風景を詠んだ句。

引っ越して、河川敷を歩くようになり、また同じように詩吟の声が聞こえてきた。それもまた句の題材の一つとして、今年また同じように詠んだ。花や風景のように、形として目に入るものと違って、詩吟は身一つで、移動先でどこでも出来る。音楽も然り。大がかりなセットが必要なものもあるが、手に持てる楽器であれば、いつでもどこでも出来る。別に敷居は高くない。聞くだけでも芸術に触れたという事になるので、まずは触れようという気持ちを持てば、人生は豊かになるに違いない。

いよいよ来週、私たちの音楽に触れてみませんか?

 

大住シンフォニックバンド  第33回定期演奏会

(↑詳細はコチラをクリックしてください↑)

とき 2026年4月26日 13:30開場 14:00開演

ところ 八幡市文化センター大ホール

入場料 1,000円 中学生以下無料(要整理券)

曲目 エルサレム讃歌(A.リード)ほか

多数のご来場、お待ち申し上げます。

 

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学舎を去る子の列や竹の秋

「雲の峰」2024年6月号青葉集掲載。

竹は春先、地中のタケノコに栄養分を送るため、葉が枯れたように黄ばんでしまう。これを「竹の秋」と呼び、春の季語とされている。母校の中学校西門の前に竹藪があり生徒はここを通って帰る。春は新入生が増え、校門前は賑やかになる。列をなして学校を出る姿をよく見かける。学生の若々しさとは裏腹に、竹藪は枯れたような色をしている。その対比が面白くて詠んだ句。

読み返してみると、この言葉のチョイスは正しかったのだろうかと思う。季語は明らかに「竹の秋」なのだが、「学び舎を去る子」という表現は卒業を思い浮かべる。しかし、「校門を出づ子の列」と言うと、表現が凡庸になってしまう。誤解を生まないような言葉の選び方が、作り手には必要だが、解釈については見る人によって違うので、ある程度自由に想像できる方がいいのかもしれない。悩むところだ。

音楽も然り、同じ曲でも解釈が違うと聞き方も違う。感想も違う。いよいよ来週に迫った演奏会に足をお運び頂き、それぞれの思いを抱いて下さったら幸いです。

 

大住シンフォニックバンド  第33回定期演奏会

(↑詳細はコチラをクリックしてください↑)

とき 2026年4月26日 13:30開場 14:00開演

ところ 八幡市文化センター大ホール

入場料 1,000円 中学生以下無料(要整理券)

曲目 エルサレム讃歌(A.リード)ほか

多数のご来場、お待ち申し上げます。

 

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