紅白のそれぞれに散る夾竹桃

「方円」2019年9月号円象集掲載。

夾竹桃は夏の季語。原爆投下後の広島に於いていち早く花を咲かせるなど環境に強く、街路樹や高速道路の植え込みなどによく植えられる。以前住んでいた家からほど近くの線路沿いに、この夾竹桃が植えられていた。赤い花を咲かせる木と、白い花を咲かせる木。それぞれ隣り合わせに植えられており、どちらも鮮やかな色の花を咲かせ、一部は散っていた。真夏は照り付ける太陽とは裏腹に、「風死す」という季語が存在するほど、風が少ない。至極当たり前だが、赤い株の根元には赤い花びらが集まり、白い株の根元には白い花びらが集まる。咲いている花と、その根元に散っている花。それが奇麗に紅白に分かれている。この道は早朝散歩の際によく通っていた道だったが、朝からそんな美しい光景を見て詠んだ句。

花は自分が身を寄せている木に咲き、その根元に散る。当然のことだが、これは自然の摂理。花に咲く場所、散る場所があるように、人の社会にも、それぞれ立ち位置、役割、ポジションがある。それらがうまくバランスを保ちながら、社会生活が営まれている。それが集団というもの。まずはそのバランスの中で、自分の役割を果たし、自分の存在意義を示す。集団で一つのものを作り上げる、吹奏楽の世界も然り。昨日から京都府吹奏楽コンクールが始まった。出場者の皆さんには、己の役割を最後まで果たして、充実した本番にしてもらうよう、切に祈る。かく言う私も、8月2日にその舞台に乗る。頑張らねば。

(絵はAIによる創作です)

 

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バイエルの間違ふ所花石榴

「方円」2007年9月号雑詠掲載。

ざくろは6月頃から赤い鮮やかな花を咲かせる。その中でも、八重咲の園芸品種を「花石榴」と呼ぶと知ったのは、実はつい最近の事。この句を詠んだ30代前半の頃は知らなかった。とある家の庭先に咲くざくろの花。その家からは、子どものピアノの音が聞こえて来る。バイエルを何度も練習しているが、いつも同じところで間違う。それでも弾き続ける。そんな子どもの熱心な様を、庭のざくろが静かに見守っている。そんな日常の風景を詠んだ句。

小学生時代からの友人が、ピアノを習っていた。彼はあらゆる事を熱心に追求するタイプ。ピアノも夢中で練習していた。対する私は、それほどでもなく、「ピアノを習いたい」とは思いもしなかった。そんな友人に、6年の頃、トランペット鼓隊に誘われ、私だけがその魅力にはまった。そして中学校で吹奏楽部に入り、トロンボーンにコンバートされ、以来40数年。50歳を超えてなお、夏の吹奏楽コンクールに参加するなど、趣味を越えてのめり込んでいる。生前、母が「あんたがそんなに音楽にのめり込むんやったら、ピアノやらしたらよかったな」とポツリと漏らした。私もそう思いはしたが、幼い頃にピアノを習って、だいたいハノンやバイエルで挫折する人が多いとも聞く。なので、習ったとて、今の自分に辿り着くかどうかは、甚だ怪しかったかもしれない。人の将来は10年先が分からない。まずは今を精一杯生きるのが得策だろう。

 

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向日葵に雀休める朝かな

「雲の峰」2025年9月号青葉集掲載。

「朝」は「あした」と読む。向日葵は言わずと知れた夏の季語。一輪だけ植えてある場合もあれば、畑いっぱいに植えてある場合もある。黄色い大輪の花は、見た目にも目立つ。夏を象徴する花。引っ越し前、よく歩いた散歩道にも、向日葵畑があった。特別目立つ黄色の足元で、雀が休んでいる。もうそれだけで絵になる。それが向日葵。そんな絵になる風景を、何の飾りもなく詠んだ句。

今年の夏は、また一段と暑さが厳しい。京都では、最高気温が40度。日射しが痛い。甲子園球場では、ナイターにもかかわらず、投手がマウンド上で熱中症の症状が出たりしている。最近、洗い物をしたり、米を研いだりしていたら、水道からぬるま湯が出た。明らかにおかしい気候が続いている。「向日葵」のように、夏には夏ならではの季語があるが、日中はこんな調子なので、「炎天」「炎昼」「酷暑」という季語が真っ先に浮かぶ。夏の景色をゆっくり眺めるには、あまりにも危険な気候。暑い中でも、比較的過ごしやすいのは早朝。夏の絶景をゆっくり眺めて句にするのは、もはや朝の僅かな時間帯だけなのか。そんな風に感じてしまう。景色を見るにも命がけというこの気候。どうにか収まってほしいものだ。こんなことを考えながら、今朝も早朝散歩中に句をひねる。

 

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大原女の藍を横目に紫蘇畑

「雲の峰」2023年9月号青葉集掲載。

紫蘇赤紫蘇、青紫蘇ともに夏の季語。薬味や天ぷらとして使うのが青紫蘇。いわゆる大葉。それに対して、鮮やかな紫色に染まるのが赤紫蘇。柴漬けなどに使われる。2023年7月17日、赤紫蘇で有名な大原を訪れる。「女ひとり」の歌で知られる三千院から音無の滝に至るハイキングコース。三千院へ行く道すがら、写真のような紫蘇畑に幾度も出会う。大原と言えば、忘れてならないのが大原女。紺や藍の小袖に手甲・脚絆。頭に薪や紫蘇を乗せて、京へと行商に出掛ける姿が絵になる。大原の紫蘇畑を見ていると、すぐ横を大原女が歩いているような錯覚に陥る。そんな想像とセットで紫蘇畑の鮮やかさを詠んだ句。

「写生」という言葉を調べてみると、「風景や事物、人物など、目の前にある対象をありのままに観察し、形や色を写し取る行為」と説明されていた。よく行われている写生大会は、まさにそれ。しかし、同じ風景や建物を描いても、ありのままを忠実に描く派と、対象物をデフォルメしたり、実際にそこになかったものをさりげなく加える派に分かれる。学校で褒められるのは、だいたい前者。あくまで私のイメージだが、そう感じる。あまり突飛なものを加えるのは宜しくないが、例えばお寺の山門の横に、バラが一輪咲いていたら、一輪を二輪、三輪に増やしてみる程度の強調なら、許容範囲ではないかと私は思う。今回紹介した句も、勝手に大原女を登場させている。「嘘はいけない」と言われることがあるが、どこまでが許容範囲なのかは、見る人にもよるだろう。どうかこの場に大原女が実際にいたつもりになって、紫蘇畑を思い浮かべて頂きたい。

 

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校庭の死角に泰山木の花

「方円」2019年9月号円象集掲載。

2019年当時、私は泰山木の花を知らなかった。ある時句会で初めてこの花の存在を知り、すぐにネットで検索。是非生で見たいと思っていた。そんな時、市役所や学校、公民館が軒を連ねる通りの裏手、普段は誰も気にしないような場所に、この大きく可憐な花が堂々と咲いていた。これが初めて生で見る泰山木の花。校庭の死角で、人に見られるような場所ではないが、そんなことは関係なく立派な花を咲かせる、その堂々とした姿を目にした時の感動を、何も飾らず素直に詠んだ句。

この7月から10月にかけて、勤務先の体制が変わり、任せられる仕事が変わってくる見込み。減る業務もあるが、増える業務の方が圧倒的に多い。責任も当然伴う。私の今の仕事は事務方。お客様の前で実際作業したり、モノを売ったりという事はない。しかし、なくてはならない仕事。ある時、作業員の一人が、「いつも事務の皆さんにはお世話になっているので…」と、お菓子を配ってくれた。ここ数年は仕事がうまくいかず、人間関係もぎくしゃくしてという事が続いていただけに、ささやかな心遣いが嬉しい。「自分がいなければ仕事が回らないんだ」という事を、声高に誰かに主張しなくても、見ている人は見ている。至極当たり前のことだが、そういう意識をもって、普段から動いていきたいものだ。

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