冬麗や工場の煙真つ直ぐに

「雲の峰」2025年1月号青葉集掲載。

2024年11月20日、和歌山は番所(ばんどこ)庭園を訪れる。自身3度目の訪問だ。最初に訪れたのは2002年。結社「方円」にお世話になって間もない11月。当時関西句会に所属していた句友が和歌山に住んでおり、せっかくなので和歌山へ吟行へ行こうという話になった。その時に最後に訪れたのが、この番所庭園。ちょうどツワブキの花盛り。見渡す限り海という絶景を目の前に「右にあらば右の波聴く石蕗の花」という句を詠んだ。それからプライベートでも一度訪れ、3度目に訪れたのがこの日。発達障害との診断を受け、9月に前職を退職し、就労移行支援センターに通い始めて2か月。割と楽観的に構えてきたが、時々「このままでいいのか」という不安が頭をよぎり、気分転換に訪れてみた。黄色いツワブキも広い海も20年前と同じ。そんな中、ふと右の向こう岸を見ると、遠くに工場群。風がなく穏やかな冬晴れのこの日、煙が真っ直ぐ空に向かっていた。こんな穏やかな気持ちが、ずっと続けばいいのに。ふとそんなことを思いながら詠んだ句。

あれから1年経った。お陰様で障害者雇用で事務職の仕事を得て、今は充実した生活を送っている。曲りなりにも定職に就く事が出来ているの有難いが、何よりも「居てくれて助かっている」と言われることの嬉しさ。恥ずかしながら、社会人になって、迷惑ばかりかけてきた自分にとって、この言葉は宝だと思っている。こんな穏やかな気持ちが、ずっと続けばいい。1年経った今でもそう思っている。

 

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身を染める事なく枯れる楓かな

「方円」2007年1月号 新春精鋭八人集特別作品「眺望」10句のうちの1句。

最近紅葉があまり奇麗ではない。こう言い続けているが、この句を詠んだ2006年から、長くその傾向が続いていたようだ。紅葉と言えば楓。鮮やかに葉を赤く染めて、そして散っていくのが、冬の季語である「散紅葉」だが、鮮やかに染まる前に、無残にも枯れてしまう楓のなんと多い事か。そんな嘆きに似た感情をこめて詠んだ句。

この句を見返してみて、つくづく思う。今から20年近く前、30代後半に詠んだ句だけあって、言葉の使い方が若いというか、甘い。「染める」も「枯れる」も口語体。口語の俳句もあり、絶対にダメという事はないが、私が所属してきた結社は、「方円」も今所属している「雲の峰」も、基本は文語体。やはり文語体独特の文法や用法、仮名遣いなどはしっかりマスターしなければならない。基本を叩き込んだ上で、自分のオリジナリティというものが生まれてくる。今は特にそう感じている。この句をセルフ校正するとすれば

身を染むる事なく楓枯るばかり

と言ったところか。

(絵はAIによる創作です)

 

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花枇杷や畦を駆け行く通学児

「雲の峰」2025年1月号青葉集掲載。

枇杷と言えば甘い実がどうしても目立つが、11月から12月にかけて咲く花は良い香りがして、冬の季語として好まれている。よく歩く近所の散歩道。小橋を渡って少し歩いた先の川沿いに桜並木があり、その手前に枇杷の木が生えている。花が間近に見られ、香りも伝わってくる。この散歩道は、小学校、中学校の通学路でもあるため、小学生が近くを走って帰ったりする。そのたびに枇杷の木が揺れ、香りが伝わってくる。こんなのどかな風景が、いつまでも残っていてほしい。そんなことを思いながら詠んだ句。

2025年は10月になっても暑かった。明らかに気候がおかしい。長期予報では冬は厳しい寒さになるとの事だったが、にわかに信じがたかった。しかし、徐々に気温は下がり、秋にはちゃんとコスモスが咲き、稲刈りが終わり、散歩道には彼岸花や白粉花が咲いた。そして今年も枇杷の花が咲き、寒さが増すようになった。自然は偉大だ。時期が来たらちゃんと季節は変わる。人が手を加えてはいけない領域。黙って自然の営みに身を任せる事が大切という事だろう。

 

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元句:御所四温門の弾痕影落とす

校正後:御所四温門の弾痕影を濃く

 

「雲の峰」2025年1月号青葉集掲載。

2024年11月10日、京都ガーデンパレスに於いて、俳句結社「雲の峰」35周年祝賀会を催す。以前より「この祝賀会でトロンボーンを吹いてほしい」と声を掛けられ、楽器を担いで参加した。記念祝典の後、長めの休憩を挟んで祝賀会へ。その休憩中、せっかくなので目の前の京都御所を歩いて吟行でもしようという事になった。立冬を過ぎ、まだ温かさが残る京都御所。蛤御門には、禁門の変の際の弾丸の跡が、生々しく残っていた。その深い穴に冬日が差し、深い影を作っていた。その影の色の深さに、長い歴史を感じて詠んだ句。

元句、弾痕が作る深い影が、冬日と対比しているように見えて「影落とす」という表現にした。しかし、これだと、門そのものが能動的に穴をあけ、そこに影を作らせたように思われる可能性がある。そうなると門を擬人化していると取られてしまう。そういう意図はないので、「影を濃く」と、あくまで門に付いた弾痕は人によるもので、影は冬日によって作られていると読める。これで「門の擬人化」は避けられる。どうしてこういう風に校正されたのか考えた結果、そういう結論に至った。詠もうとしている対象物が、自らその景色を作ったのか、ほかの要素がそうさせたのか。言葉の使い方ひとつで変わるのが面白い。

 

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冬立つや悲鳴にも似て犬のこゑ

「方円」2012年1月号雑詠掲載。

11月7日は二十四節気の一つ、立冬。暦の上ではここから冬とされる。俳句の世界でも、この日を境に冬の季題が多くなる(明確に決まっているわけではない)。そんな季節の変わり目というべき日。ここから徐々に寒さが増していく。近所を歩いていたら、どこかの飼い犬の叫び声。人の感じにくい気候、寒さを感じて、悲鳴のような鳴き声を上げる。そんな風に聞こえて詠んだ句。

この句を詠んだのは10年以上前。「方円」同人に選ばれる1年ほど前に詠んだ句。「立冬」という季語に「犬の悲鳴」というシチュエーションを持って来ており、全体的に悲しげな雰囲気。当時はそんな風に考えることなく、ただ単に犬が鳴いたのが立冬だったから詠んだのだろう。現在お世話になっている結社「雲の峰」主宰は、あまりネガティブな言葉を使うと、季語までネガティブに捉えられるので、あまりそういうことはしない方がいいと言われている。確かにその通りで、冬は寒いからネガティブという否定的な考えはあまり宜しくない。冬には冬の景色があり、色がある。何事も前向きに捉えなければならないという事だろう。この句を見直して、改めてそう感じた。

(絵はAIによる創作です)

 

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