太刀魚に峰打ちを受けさざれ波

「方円」2010年11月号雑詠掲載。

9月9日は長陽の節句。ここから派生して、健康長寿を祝い、食べ物を大切にするという願いを込めて、「食べものを大切にする日」とされている。それにちなんで、今回は海の幸の話。恥ずかしながら、私は太刀魚が泳いでいる姿を見たことがない。それ以前に、切り身でしか見たことがない。そんな中、当時の方円ネット句会の兼題として、この太刀魚が出された。困り果てて、想像するしかなかった。「太刀」魚というぐらいだから、恐らく長くて立派な魚なのだろう。調べてみたら、確かに「太刀」と呼ばれるだけの事はある。姿が太刀ならば、水揚げされる太刀魚は元気いっぱい跳ね回り、釣り人に峰打ちの一つも浴びせるのだろう。ひとしきり落ち着いたら、波も穏やかになる。そんな風に想像を膨らませて詠んだ句。

我が家では、昔よく太刀魚の塩焼きが食卓に出された。淡白で美味しいのだが、私は嫌いだった。理由は、小骨を取るのが面倒だから。たったそれだけの理由で、今でもスーパーで売っていても、積極的に手を伸ばさない。決して食べられないという訳ではなく、ただ積極的に食べないだけ。食べ物を大切にするという事は、粗末にせず、なんでも食べなさいという語りかけに繋がる。ただ面倒というだけで食べないのは、釣られて命を落とした太刀魚たちに対して、失礼極まりない。ぜいたくを言わずに、積極的にその命を頂くとしよう。

(絵はAIによる創作です)

 

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登高やファインダーより風覗く

「雲の峰」2024年11月号青葉集掲載。

2024年9月、思い切ってデジタル一眼を買う。買って最初に撮ったのは、自宅の前の夕焼け。そして、カメラを持っての初めての遠出が、越前大野だった。小高い山の上にある、大野城天守より眺める風景を、カメラに収める。まだまだ暑い盛りだったが、ファインダー越しに見えないはずの秋の風を見たような気がして詠んだ句。

最近、朝早く起きて、近所を散歩しながら季題を探すのが習慣になっている。季節の花などがあれば、スマホを向ける日々。それでも結構いい写真が撮れる。誰でも手軽に撮れる時代になったが、デジタル一眼のファインダーから覗く風景は格別。腕前はイマイチだが、雰囲気だけでいい写真が撮れているように思えてしまう。機会の魔力というものか。これから涼しくなり、時間も少しできて、外へ出歩く季節になってきたので、この相棒と共に、様々な風景を切り取って、句作の足しにしたい。

 

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秋蝉や向かひの山の畑仕事

「方円」2004年11月号雑詠掲載。

歳時記で言うところの「秋の蟬」は、ヒグラシやツクツクボウシなど、秋になって鳴き始める蝉の他に、夏から引き続き鳴く蝉も総称してこう呼ぶ。まだまだ残暑厳しい8月末から9月にかけて、蝉が鳴き続ける。しかし、夏の間しきりに鳴いていたクマゼミやアブラゼミなどの声は影を潜め、いわゆる秋に鳴く蝉の声をよく耳にする。そんな9月。例によって20年以上前に詠んだ句なので、細かいシチュエーションは忘れてしまったが、山に囲まれた残暑の田園風景。秋の蝉が最後の力を振り絞って鳴いている中、畑仕事をしている人の姿が見える。恐らく収穫の最中。果て行く命と頂く命、この両方の命の対比を詠んだ句。

この頃の私は、普通の人が日常的に普通に過ごす普通の時の流れを、ごく普通に自然に詠んでいる。それが評価されている気がする。年齢を重ねて、いろんな経験をする中で、その「普通」の意味するところが分からなくなる。落語家、故・桂枝雀の「くっしゃみ講釈」の中で、主役が横町の八百屋にコショウの粉を買いに行く道中、こんな事を喋っている。

「せやけど、わいはなんでこない物覚えが悪いんやろか。死んだお婆が言うてたな。『お前ももうちょっと物覚えが良かったら、普通の人間や』言うてな。」

この台詞で言うところの「普通の人間」とは、世間的に「情けない」「頼りない」とされている人を笑うためのアイテムと言うべきだろう。かくいう私は、ADHDで自閉スペクトラム。「普通」とは違う人間とされているが、先日初診の内科へ行った際、「そうは見えなかった」と言われた。一体「普通」とは何なのか。人によって見方が違うのであれば、「普通の人間」であろうとなかろうと、堂々と生きるべきだろう。

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蜩を独り鳴かせて街明くる

「方円」2004年10月号雑詠掲載。

20年以上前、30代前半の句。この時確かに蜩の声を聞いたのか、今となっては定かではない。情景としては、明け方の街中で、蜩が一匹だけ鳴いているというもの。夜が明けて活気づき始める街に対して、どこか寂しく聞こえる鳴き声との対比を詠んだ句。

「ひぐらし」という名前の通り、この蝉は日暮れ時に鳴くのではないか。だとすると、朝方に詠んだ句としては、矛盾しているのではないかと、この句を見返したときに思った。もしかしたら、完全に想像の世界なのではないかと。そこで、念のために歳時記を開いてみると、「明け方に鳴くときもある」と書いてあった。なので、矛盾はしていないという事。この句を詠んだのは、通信俳句講座を経て、「方円」に入会してから3年目。当時の故・中戸川朝人主宰に注目され始めた頃だった。しかし、まだ独りで考え、悩んだ末に投句するという状態。「貴方はもっと伸びるはずだから、添削を受けてみなさい」と声をかけられるのは、それから数年後の事。そこから明らかに句作に対する考え方が変わった。全てに於いて、誰かに見てもらうのが、上達の早道と言えよう。8月24日の関西吹奏楽コンクールの講評が届いたので見てみると、観客としての視点と、審査員としての視点には、やはり違いがある。色々な人に、色々な視点から見てもらう事の大切さ、有難さを肌で感じた8月が、もうすぐ終わる。

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大黒の絶えざる笑みや秋暑し

「雲の峰」2023年10月号青葉集掲載。

残暑厳しい8月、お盆を利用して歩きに行った先で見つけた石の大黒様。場所は忘れてしまったが、常にお腹を出して笑顔でいる様子が微笑ましく感じるが、暑い盛りにそれを見たら、もしかしたらイライラするかもしれない。それでも大黒様は表情を緩めない。その憎めない笑顔にやられて詠んだ句。

以前から尿に蛋白が出ており、一度腎臓内科に行った方がいいというかかりつけ医の助言により、お盆休みに一度受診。今日は検尿を持って、血液検査に臨んだ。腎臓自体は今すぐにどうこうという訳ではないが、気になる箇所があるので、もう一度来てほしいとの事。無罪放免とはいかなかった。体調に変化がない分、不気味に思えてくる。当分は節制が必要なようだ。万が一、取り返しのつかない病だったら、私なら相当落ち込んでしまうかもしれない。亡母は、ステージ4と判明してから、「あっけらかんと生きる」をモットーにしていた。自分も見習わなければならない。もちろん、何もないのが一番だが、何か起こってもポジティブに。普段から明るい気持ちで過ごすとしよう。

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