北山に数多競へる虫の声

8月25日(日)、京都コンサートホールにて、第75回関西吹奏楽コンクール開催。18団体が熱演を繰り広げた。北山の街中で、虫の声などは聞こえなかった(耳を澄ませる余裕がなかった)が、会場内では思い思いの音楽を響かせ、鳴き競いの場になっていた。秋の虫ほど静かではないが、さすがに支部大会ともなればレベルが高く、出る音出る音みんな美しい。それを虫の美声になぞらえて詠んだ句。

お陰様で、無事終わりました。私たちは、課題曲に「マーチ『メモリーズ・リフレイン』」を、自由曲に「交響詩『ローマの祭り』よりⅠ.チルチェンセス Ⅳ.主顕祭」を演奏して、銀賞を頂きました。ほっとした反面、次の本番に向けて、もっと上達せねばという思いもあります。ご出演の皆様お疲れさまでした。ご来場の皆様、支えてくださった皆様、個人的にお褒めのお言葉を頂戴した皆様並びに関係各位に、厚く御礼申し上げます。

 

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機織や畑を隔てて陵二つ

「雲の峰」2024年10月号青葉集掲載。

「機織」とはキリギリスの事。「ギース、チョン」という鳴き声が機織り機を動かしているように聞こえる事から、この名が付いた。秋の虫はたいてい夜鳴くが、キリギリスは昼間に鳴くことが多い。よく歩く散歩コースから少し外れたバス道沿いに、古墳が二つある。史跡・大住車塚古墳と大住南塚古墳。両方とも珍しい「前方後方墳」で、田畑の真ん中に堂々と作られている。この時期、古墳の中でも周りの畑でも、キリギリスがしきりに鳴いている。辺りは静まり返り、キリギリスの声以外は聞こえない。目の前には木々に覆われた古墳が二つ、静かに横たわっている。そんな光景が、熱い中でも秋らしさを演出しているように見えて詠んだ句。

この古墳の近くに、大住城址があり、さらに式内社・月読神社もあり、それらは豊かな自然に囲まれている。この辺りはよく歩く場所。振り返れば、この辺りを詠んだ句は多い。しかし、歩くたび、見るたびに違う光景が見え、その時の心情の違いもあり、不思議なことに、どれ一つとして同じ雰囲気の句はない。同じ場所を同じ時に見ているはずなのに、こうも感性が違うのか。人間の心というものは、かくも豊かなのかと感心する。もう一つの趣味、吹奏楽も同じ。感性を磨き続けて、来る8月24日の関西吹奏楽コンクールは、最高のパフォーマンスをお見せしたい。

(写真は春に撮影したものです)

 

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木槿垣隣の庭を訪ひにけり

「方円」2002年10月号雑詠掲載。

8月19日は「8」「1」「9」の語呂から俳句の日。俳人協会などが制定した。俳句は推敲が大切。という事で、若い頃に詠んだ句を、今ならどう詠むかという視点で、一句紹介したい。木槿は早ければ7月には咲くが、秋の季語とされている。庭木や生垣としても用いられ、「木槿垣」という傍題がある。30代前半に詠んだ句で、この時の情景は忘れてしまったが生垣に沢山咲いた白い木槿の花が、フェンスを越えて隣の庭に向かって咲いている。そんな色鮮やかな光景を詠んだ句と思われる。

今読み返すと、意味が伝わりにくい句ではある。木槿の花が、隣の庭を自ら訪問することはない訳で、擬人に頼り切っている部分がある。隣の庭にかかるように咲いているという事を素直に詠むためには、擬人が過ぎない方がいい。今この光景を詠むなら

木槿垣隣の庭に至るかに

と言ったところか。

(絵はAIによる創作です)

 

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ビル風に燭火の揺るる盂蘭盆会

「雲の峰」2024年10月号青葉集掲載。

本来、盂蘭盆会は7月13~16日に行われる仏事。かつては旧暦で行われ、今では旧暦または新暦の月遅れに行うところがある。一般的に「お盆休み」と呼ばれている長期休暇は、新暦の月遅れに当たり、これが一般化されているようだ。そのためか、盂蘭盆会は秋の季語とされている。思い思いの形で先祖供養がなされるのがこの時期。13日には迎え火を焚いて先祖の霊を招き、16日には送り火を焚いて先祖の霊を帰す。五山送り火もちょうどこの頃。田舎でも街中でも、この時期はあちこちでろうそくの灯が見られる。ビルが立ち並ぶ街中では、ろうそくの灯がビル風に煽られて揺れる。その様子が、都会的な雰囲気と伝統が融合したように見えて詠んだ句。

亡くなった両親は、本格的なお盆の祭壇などは作らず、茄子の馬だけをサイドボードの上に置く程度だった。父が亡くなると、遺影をサイドボードに置いて、茄子の馬と花を飾るだけだった。両親が亡くなってから、図解入りで色々教えて貰って、見よう見まねで飾っているが、見る人から見たら笑われるだろう。先祖を敬う心を、不器用なりに表してみたという事で、ご容赦頂きたい。飾った後の野菜を料理して、有難く頂く事が、最近のお盆休み最終日の楽しみにもなっている。

(絵はAIによる創作です)

 

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竜胆を根元に咲かせ穴太積

「方円」2009年10月号雑詠掲載。

「穴太積」とは石垣の積み方で、いわゆる「野面積」の一種。近江坂本で活躍した石工集団「穴太衆」が用いたもので、堅牢で排水性にも富んだ積み方と言われている。例によって場所は忘れてしまったが、普段なら「野面積」と書くところをわざわざ「穴太積」と書いたという事は、滋賀へ吟行に行った際に詠んだものか。自然石をそのまま見事に積んだ石垣が壁のように聳える足元に、竜胆の花が可憐に咲いている。人工美と自然美が一体になった風景を愛でて詠んだ句。

石垣は外敵から人を守るという役割を果たす。その周辺に咲く花は、後世に子孫を残すという役割を果たす。この世にあるものには、みんなそれぞれ役割がある。8月3日に行われた、京都府吹奏楽コンクールの録音を聞き、関西大会に向けての課題を考えていた。全体的には整理され、各人がそれぞれの役割を果たしている。講評に書かれていたのは、そのそれぞれの役割を果たす際に生じた綻び。これが大きくなればなるほど、全体の歪が大きくなる。これから8月24日本番に至るまでの2週間は、そのひずみを調整する時間に充てられる。65人でたった2曲を仕上げるものなので、全体の大きな流れに従って、各人が自らの役割をいかに忠実に果たすか。これは社会の構造にも似ている。大きなプロジェクトを果たすという楽しみのため、私もやれることをやらねば。

(絵はAIによる創作です)

 

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