元句:過去帳に帝の名ある残暑なる

校正後:過去帳に帝の名ある残暑かな

「雲の峰」2024年10月号青葉集掲載。

2024年お盆休み、京都・木津川市は海住山寺へ吟行に出掛ける。帰り道、思い立って我が町京田辺市の観音寺と酬恩庵一休寺へ寄る。私にとっては最も身近な古刹。特にお気に入りが、方丈庭園。このアングルを好んで写真に収める。行くたびに庭ばかり写しているが、たまには方丈の中もじっくり見ようと振り返ると、過去帳が置いてあった。その中に、天皇と思われる戒名を見つける。今まできちんと見ていなかったので、これは全く知らなかった。流石に禅の高僧のお寺ともなれば、それなりの方が眠っているのかと、感心して詠んだ句。

この句は、「雲の峰」掲載時に朝妻力主宰の校正が入った。元句は「なり」の連体形である「なる」で終わっているのに対して、校正後は切れ字である「かな」で終わっている。確かに、「かな」で終われば「残暑」がフォーカスされ、「過去帳に帝の名」は「残暑の中で見つけた光景」であるという事がよくわかる。対して、「なる」で終われば、「過去帳に帝の名」と「残暑」が完全に一つの文脈になってしまい、何故残暑であるべきなのかというのがはっきりしない。言葉を一つ変えるだけで、言いたいことが明確になるといういい例だろう。

あまり言いたくなかったが、最近特定の団体を明確に揶揄する書き込みが、SNSで溢れ返っている。そのどれもが、主語も述語もはっきりと文字として残っている。言いたいことをはっきり言うのは結構だが、それを悲しい目で見ている人がいるという事もお忘れなく。

 

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明易し考へ事のいつまでも

「方円」2020年10月号円象集掲載。

「明易し」は夏の季語「短夜」の傍題。夏は夜が短く、暑さで寝苦しいので、余計に朝が早く感じる。これを明け易い夜を惜しむ心として、昔から詩歌の題材になっていた。2020年夏と言えば、例の感染症がまだまだ猛威を振るっていたころ。朝は早く訪れたが、暑さに外の世界に対する恐れが重なって、家に籠ってしまう。そんな環境の中で、一人物思いにふける時間が多くなっていた。開放的な夏とは思えないような静けさが支配する世界を詠んだ句。

あの頃は、ありとあらゆるイベントが中止になった。夏の吹奏楽コンクールも、戦中戦後通して初めての中止。夏らしくない夏だった。いつになったら、大手を振って出歩けるのだろうか。そんな事を考えた人が多かっただろう。5年後の今は、すっかり元通りの活発な夏になったように、表向きは見える。しかし、このところの酷暑。別の意味で、外に出るのも憚られる時代になってしまった。今日も各地で吹奏楽コンクールが開催され、夏の高校野球も始まった。今や外出は危険なレベル。各方面でご活躍の皆さん、どうかお身体大切に。

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行く夏や獅子咆哮すコロツセオ

8月3日(日)京都コンサートホールにて開催されました、第62回京都府吹奏楽コンクール 職域一般の部に出演しました。

私たちは課題曲に「マーチ『メモリーズ・リフレイン』」を、自由曲に「交響詩『ローマの祭り』よりⅠ.チルチェンセス、Ⅳ.主顕祭」を演奏。お陰様で、5年連続27回目の京都府代表に選ばれました。

今回の句は、自由曲「ローマの祭り」の「チルチェンセス」をイメージしたもの。チルチェンセスとは、ローマの皇帝ネロがキリスト教を弾圧するために行った見世物。捕えたキリスト教徒をコロッセオに放り込み、ライオンを放して食い殺させるという、凄惨極まりないもの。8月の暑い盛り、もうすぐ立秋も訪れようかという季節に、熱い戦いが繰り広げられる様子を想像して詠んだ句。

改めまして、今日のこの日を迎えるにあたりまして、影に日向に動いて下さったすべての皆様に、厚く御礼申し上げます。そして8月24日、第75回関西吹奏楽コンクールでは、様々な人の思いを胸に秘めて、一層精進致します。

本日はありがとうございます。

 

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堕ち切つて白を失ふ滝の水

「方円」2006年10月号雑詠掲載。

滝は言わずと知れた夏の季語。8月は7日の立秋からは、暦の上では秋。それ以前はまだ夏。かなり今の時代と乖離しているようだが、一番暑い盛りに秋の句を詠む事になる。今回は8月の初めという事で、夏の句を紹介する。日本全国津々浦々、ありとあらゆるところに滝は存在するが、残念ながらこの句の舞台は忘れてしまった。しかし、規模の大きい滝だろうと想像はできる。滝の水は、落ちているときはその勢いで白くなっているが、滝つぼを経て、元の川になれば、再び静かな透明な水になる。そんな水の変幻自在な様子を、飾らない素直な表現で詠んだ句。

8月になり、学生は夏休み。街中に子どもたちの姿をよく目にする。楽しそうにはしゃぎまわる子ども、疲れて寝てしまう子ども、部活に精を出す中学生。疲れた表情で買える中学生。同じ一人の人間でも、喜怒哀楽、様々な表情を見せる。どれが本当の自分の姿という事は、本来ないはずだ。私は50を過ぎてからADHDとの診断が下った。言われてみれば、指示がある前に、前のめりで行動したことが早とちりだったりという事がよくあった。そして後で冷静になってから後悔する。頭を冷やす前の自分も後の自分も、どちらも自分。どちらかの自分を引っ込ませようとするのは、完全には無理なのかもしれない。せめて落ち着いた自分が、はやる自分に待ったをかけることが出来れば、発達障害でも十分生きられるだろう。8月3日は、第62回京都府吹奏楽コンクールの本番。落ち着いた自分が支配する本番でありたいものだ。

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山頂のさらなる真上黒揚羽

「方円」2006年9月号雑詠掲載。

黒揚羽は夏の季語。単に「蝶」なら春の季語だが、「揚羽蝶」は「夏の蝶」の傍題とされている。20年近く前に詠んだ句で、残念ながらどこの山に登って詠んだのかは忘れてしまったが、7月の暑い盛り、恐らく快晴で眺めも良かったことだろう。そんな見晴らしのいい頂上に着いて、人間は達成感を味わっているが、鳥や蝶はそのさらに上を飛ぶ。特に黒揚羽は、青空の中でよく映える。人間には見えない視点から、黒揚羽が山と人間を俯瞰しているように見えて詠んだ句。

次週8月3日、第62回京都府吹奏楽コンクール、職域一般の部が開催される。大人の楽団は週1~2回の練習で、本番に臨む。先日、本番前最後の日曜練習が終わり、次は前日の土曜練習を残すのみ。大人は学生と違って経験値があり、練習の仕方を知っているとはいえ、ぎりぎりまで何か出来るはずだと考える追及心、向上心は、年齢に関係なく持っている。趣味の世界に限らず、日常生活全てにおいてそうだろう。山に登って終わりではなく、さらなる自己研鑽に励む。言うまでもないが、人間を成長させるにはこれに限る。

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