水澄まし程よき距離を保ちけり

「方円」2022年9月号円象集掲載。

一般的に「みずすまし」と言えば水面に浮かぶ小さな甲虫を指すが、歳時記では「みづすまし」はアメンボの傍題とされている。少し前までは好んでこの傍題を使っていたが、誤解を招きやすいので、最近は「あめんぼう」と呼ぶようにしている。この句を詠んだのは、京都・精華町のけいはんな記念公園にある水景園。池の周りに公園や庭、人工的に作った田んぼなどが整備されていて、この時期になると、よくアメンボを見掛ける。少し動いては立ち止まり、不意に方向転換しては立ち止まる。この繰り返しが絵になる。一匹が動くと、隣の一匹もつられて動く。二匹は磁石のN極とN極のように、反発しあっていつも同じ距離を保ち続ける。その光景が面白くて詠んだ句。

去年まで車通勤だったが、色々あって、最近電車通勤になった。久しぶりに、満員電車というものに乗ったのだが、どうも苦手だ。そんな人も多いだろう。人にはそれぞれ、パーソナルスペースというものがあり、距離が近いと、テリトリーを侵されている気分になる。だからと言って、頑なに自分の陣地を守り続け、人と接しないというのも無理な話。社会生活を営んでいる以上は、自分から人に近づくという姿勢も、たまには大事だろう。

(絵はAIによる創作です)

 

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大暑なり金剛力士凝視せり

「方円」2010年11月号雑詠掲載。

11月号という事で、投句自体は9月。何故夏の句が9月に投句され、しかも掲載されているのか、今となってはわからないが、なかなか句が出来ず、作り貯めていたものを出したのだろう。さて、本日7月22日は、二十四節気の一つ、大暑。一年で最も暑さが厳しい頃とされている。そんな酷暑の中でも、金剛力士像は、お寺の山門で阿吽揃ってずっと道行く人々を睨み続けている。煮えるような暑さの中での凛とした姿、猛々しい姿を、こちらも凝視して詠んだ句。

昨日、7月21日海の日、伊勢本街道を歩く。当時69歳だった亡父が2011年7月22日に歩いたコース。榛原駅からバスで高井まで。そこから伊勢本街道を歩き、石割峠からさらに曽爾村に入り、山粕峠を越えるコースだったが、あまりの暑さにバテてしまう。途中で立ち寄った喫茶店で、「そら今の暑さと昔は違うから」と店員さんに言われた。確かにそうだ。それに加えて、私自身の歩き方、体力、方向感覚に問題があるとも言える。酷暑の中で睨み続ける金剛力士のように、苦悶の表情を一切見せずに体を動かすのが理想だが、そこにはまだ至っていないようだ。

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原発の炉の無機質や夏怒濤

「方円」2013年9月号清象集掲載。

この年から「方円」同人となり、初めての夏を迎えた時の句。場所ははっきりしないが、敦賀へドライブに行ったことがあるので、この句で詠まれている原発は敦賀原発か。高台に道があり、展望スペースがあったように記憶している。海沿いに、独特の形をした原発の建物。目の前には真っ青な、しかし少々荒れ気味の日本海。海はこんなに動いているが、原発は無機質に、そこにどんと構えている。その対比が面白くて詠んだ句。

最近、美術館や博物館を訪れることが多い。それらの建物は、どちらかというとデザイン重視。それに対して、工場や発電所などは、どちらかというと機能性重視。しかし、その中にも、整った美しさというものがある。発電所も、そこから延びる送電線も然り。人工の美というものがそこにある。一方、その建物から少し目を離すと、山河が広がる自然の美しさ。特に海沿いの人工物は、前に海、後ろに山。自然美と人工美が一体になったような美しさがある。どちらかが幅を利かせすぎてもいけない。今ぐらいがちょうどよい。願わくば、このバランスを、今以上崩さないで貰いたいものだ。

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賑はひの先に根おろす雲の峰

「方円」2009年9月号雑詠掲載。
「雲の峰」は積乱雲。いわゆる入道雲の事。せりあがる様子を山に例えてこう呼ばれている。現在私が所属している俳句結社「雲の峰」は、皆川盤水の「月山に速力のある雲の峰」という句からその名を取っている。さて、この句は、私が「方円」に入会して間もない、30代前半の句。恐らく入道雲を「雲の峰」と呼ぶことを初めて知ったと思われる。街中の賑わい。その遥か向こうに、その賑わいを見下ろすかのように、入道雲が空高く聳えている。いかにも夏という光景を、そのまま素直に詠んだ句。

以前お話ししたかもしれないが、7月末日までに、通常の投句18句とは別に、年間賞作品として20句投句することになっており、早朝の散歩の際に1日2句以上、コツコツと貯めている。難しいことは考えず、見たまま感じたままを詠めばいいのだが、ともすれば説明になってしまう。そう感じることが、最近特に多くなった。そんな時は、若いころの句を見直すことにしている。この句は実に素直。俳句歴が長くなるにつれ、色々考えすぎるようになっているのかもしれない。一度頭を空っぽにして、今見ている風景をそのまま文字にする。そういうシンプルな作業に徹することにしよう。

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針進む終末時計鱒二の忌

「方円」2021年9月号円象集掲載。

7月10日は作家・井伏鱒二(1898-1993)の忌日。何となく歳時記の忌日一覧を見て、この事実を知った。井伏鱒二と聞いて、真っ先に思い浮かぶ代表作は、私にとっては「黒い雨」。そして同時に、いわゆる「世界終末時計」の針が、このところ進んでいるという事実と結びつく。ただただ平穏無事に長く暮らしたい。そんな単純な思いが生んだ、一見深刻な句。

私はどちらかというと写生句をモットーにしており、世相に対する自らの思いを、俳句や詩歌に込めるつもりは全くない。それなのに、思いついた言葉の数々がこれだった。作った本人にそんなつもりはなくても、特定の意見を支持し、相反する意見を攻撃するような誤解を生んでしまう。私の場合は、口から発する言葉であっても、「考えなし」に発してしまい、後で大いに後悔、反省するという行為を繰り返してきた。「覆水盆に返らず」とはよく言ったものだ。文字にする時も話すときも、一度思い浮かんだフレーズを飲み込んで、反芻した上で形にする事が、昨今の情報過多・一億総批評家時代には特に大事になってくる。そういう意味で、今回紹介する句は、自らに対して反省を促す句と言えよう。「なんでこんな句詠んだんや」と。

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