玉虫発つ空に七色ちりばめて

「雲の峰」2024年9月号青葉集掲載。

玉虫は7~8月頃、ちょうど今頃発生し、昔から幸運の吉兆とされてきた。タンスなどにしまっておくと、着物が増えるという俗信もあったようだ。よく行く散歩道で、その幸運の虫を見つけた。生で玉虫を見るのは、実はこの時が初めて。空へ飛んでいく様は、まさに玉虫色が空へ散っていくように見える。初めて見る艶やかさに感動して詠んだ句。

先日の句会で案内があった。「雲の峰」の年間賞に皆さん是非投句してくださいとの事。そういえば、2023年からこの結社にいて、未だ年間賞には投句していなかった。締め切りは7月末。未発表20句との事。普段から、何かあったらスマホのメモ帳に句を書き貯めているが、普段の投句が18句。今回はさらに20句追加となると、書き溜めるペースを上げなければならない。その日から、「1日2,3句」をモットーに日々過ごすようになった。これもいい機会。時には「玉虫色の情景」もありかもしれないが、より神経を研ぎ澄ませて、伝えたいことを簡潔に伝えるような言葉を紡いでいきたい。
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あぢさゐの雨受けぬまま萎れけり

「方円」2019年9月号円象集掲載。

あじさいは梅雨時の代表格。6月、7月頃に好んで詠まれる季題でもある。そんなあじさいには厳しい梅雨の晴れ間や空梅雨。お天気続きですっかり萎れてしまったら、次に雨が降ってもなかなか元通りの鮮やかな色には戻らない。そんな中でも、あじさいは必死に生きて、存在感を示そうとする。そんな健気な様子を詠んだ句。

もう梅雨が明けてしまった。梅雨入り前後は激しい雨が降り、もう梅雨入りなのかと思ったが、それから暫く降らず、あっという間に明けてしまった。今年は琵琶湖の水位はどうなるのだろうという懸念がある。ご近所のあじさいも、まさに「雨受けぬまま萎れ」た状態。しかし花は動くことはできない。根を張った地で生き続けなければいけない。自然とはそんな生易しいものではないのだという現実を突きつけたと言ったところか。自由に動ける人間も、今目の前にある現実をしっかり受け止めて、誠実に生きなければと思う。

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初蝉や未だ独りの我が身にて

「雲の峰」2024年9月号青葉集掲載。

「初蝉」とは文字通りその年初めて鳴く蝉の事。蝉の声を聞くと、一気に夏本番という雰囲気になる。私は生まれてこの方、蝉が恋を成就させ、子孫を残すという営みを見たことがない。木に止まってひたすら独りで鳴いているか飛んでいるか、そういう姿しか見たことがないが故に、どうしても蝉には「孤独に短い一生を終える」というイメージがついて回る。そのため、蝉を見ると「お互い独りか」と思わずにはいられない。蝉にとっては余計なお世話かもしれないが、勝手に自分を投影して詠んだ句。

最近、早起きして近所を散歩するのが日課になった。ここ2、3日歩いて気が付いたのは、キリギリスの鳴き声。蝉の声より早く、この時期に聞こえてきた。調べると、早い地域では6月下旬に羽化するのだという。特に俳句の世界では、キリギリスを始めとする、いわゆる「鳴く虫」は秋の季語。なので、蝉より早く鳴くと混乱してしまう。しかし、それは人間が便宜上植え付けたイメージで、そうあるべきというものではない。ある程度季節はあるかもしれないが、万物は自然に生まれて、自然に去っていくもの。この時期の自然を、自然なまなざしで見つめていきたい。

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夏嵐駆け抜け未練なかりけり

「方円」2003年8月号雑詠掲載。

「夏嵐」とはその名の通り夏に吹く強い風の事。「青嵐」「南風」など、夏の風にはいろいろあるが、「夏嵐」は特別強い風を指す。この句は30代前半、「方円」に入会してから2年目の夏に詠んだ句。20年以上前の出来事で、何が起こったのか忘れてしまったが、台風のような強風吹き荒れる暑い日。私は仕事の事など、色々思い悩んでいたのだろう。そんな自分に対して、未練も後悔もなく駆け抜ける夏の強風がうらやましく感じた。そんな感情を句にしたのかもしれない。

今でもその傾向があるが、私は結構引きずってしまうタイプ。失敗したり不用意な発言をしたり、凹んでしまったら長く尾を引く。食べ物が喉を通らないほど思い悩むという訳ではないが、いつまでも覚えていたりする。覚えているのは結構なのだが、今後どうしようという振り返りや反省をしていたかと問われれば、特に若いころはノーだったかもしれない。ただただ落ち込むだけ。この頃の自分を客観的に見れば、もしかしたら厄介な存在だったのかもしれない。そう感じることが出来るようになった自分は、少し変わった。そう肯定的に考えようと思う。

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椎の香やけふ斎場に煙なし

「方円」2010年8月号雑詠掲載。

30代後半に詠んだ句。この句を詠んだ場所ははっきり覚えていないが、恐らくいつも歩く散歩道近くの山。椎の花が香る中、向こうの山に斎場が見える。後年、この斎場で両親のお骨を拾うことになるのだが、この日はその斎場から煙が上がっていなかった。命を見送る行事が、今日はない。それだけで、何とも言えない安心感を感じて詠んだ句。

今見返して気づいたが、実はこの句、用法に誤りがある。「椎の花」は夏の季語。「椎の実」なら秋の季語。なので「椎の花」なのか「椎の実」なのかはっきりさせる必要がある。上五を「椎の花」にしても、花の香りが見えないこともないが、香りを前面に押し出すには、インパクトが少し弱い。「椎の花香る斎場煙なし」だと、斎場がよりクローズアップされてしまう。結局のところ、今回紹介した表現方法がより当てはまるという事で、ボツにならずに「方円」に掲載されたのかもしれない。特に17文字しかない世界。本当に言いたいことをより簡潔に、より鮮明に表すのに、今でも四苦八苦している。

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