翡翠や日のある限り背ナの艶

「方円」2012年8月号清象集掲載。

翡翠は夏の季語。渓流などで、高いところから急降下して魚を捕らえる。ヒスイの漢字があてられている事からもわかる通り、ヒスイ色の誠に美しい鳥。句の背景は、恥ずかしながら忘れてしまったが、恐らくこの時私は初めてこの鳥の実物を見たと思われる。夏の晴れた日、川辺に翡翠を見つける。その背中の美しさは、太陽が照っているからこその輝き。そんな美しい色への感動をそのまま詠んだ句。

人には必ず「初体験」というものがある。初めて電車に乗った日、初めて山に登った日、初めて海で泳いだ日など。それらは幼少の物心ついたときに経験することが多い。その時どんな感覚だったのか、何を思ったのかは、だいたい忘れているだろう。しかし、大きな経験として、心の奥底に眠っている場合が多いだろう。ある程度大人になってからは「知識」と「理性」というものが加わり、初体験と言っても、さほど驚かない場合があるかもしれない。だからこそ、初めて美しいものを見た時の、何とも言えない感覚を大切にして、そこから想像を広げたい。
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独り言増ゆる夜なり牛蛙

「雲の峰」2024年8月号青葉集掲載。

牛蛙は北米原産のいわゆる食用蛙で、大きな声で鳴くことからこの名がつけられた。夜の沼地やため池などで、単独で不気味な鳴き声を発しているというイメージが、私の中にはある。両親を亡くし、一人暮らしを始めて久しいが、気が付けば寝床で独り言を言っている事がある。誰にも聞こえないようにブツブツ言う様が、牛蛙の低い声と重なっているように感じて詠んだ句。

とある理由で、緊急連絡先を教えてほしいという話になった。一人暮らしで、思いつく親戚は高齢。同世代のいとこもいるにはいるが、亡母の葬儀以来顔を合わせていない。例えば各種保険の受取人など、誰を選べばいいのか、答えに窮する事がある。幸い吹奏楽や俳句の世界での繋がりがあり、将来孤独という事にはならなさそうだが、親戚縁者となれば話は別。そういう付き合いがない訳ではないが、普段から積極的に繋がっておくことが大切だろう。今朝、テレビで障害を持つ方の災害時の避難についての特集番組があり、そういえば自分が万が一寝たきりになったらどうするのかと不安になったので、改めて「繋がり」を考えようと切に感じた。

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平安てふ薔薇真先に崩れをり

「雲の峰」2023年8月号課題俳句入選句。

「雲の峰」では毎月「課題俳句」と称して、特定の季語を含んだ句を2句投句する決まりになっている。この時の課題は「薔薇」。そこで、心療内科への通院帰り、中之島バラ園を訪れた。時期が早かったのか、まだまばらに咲いた状態だったが、すでに散っている花も見受けられた。散っていたのは「平安」という種類のバラ。偶然見つけただけだったが、今の世知辛い世の中を象徴しているようにも見えて詠んだ句。

この句は、特定の国や地域、思想信条を批判したり、糾弾したりという意図は全くない。ただ「平安」という名前が気になって詠んだだけ。しかし、深読みする人は、何らかの意図を感じて、「お前はどっちの味方なんだ」と責めるかもしれない。考えすぎかもしれないが、今のネット社会では、「口は禍の元」の言葉通り、またはその言葉の意味をも超越して、魔女狩り的な言葉狩り、思想狩りが横行している。ちょっとした言葉尻を捕らえられるので、おちおち喋れない。もっとも、自分の揺るがない信念があれば、何を言われようと堂々と公言すればいいのだが、それを詩歌に乗せるとなれば、話は別だ。兎角「訴え系」は誤解を生みやすい。そういう意図がないにせよ、普段から言葉のチョイス、咀嚼が重要になってくる。

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いつまでも売れぬ空家や姫女苑

2024年6月開催雲の峰・春耕かきもり句会にて主宰選を頂いた句。

姫女苑は北アメリカ原産の外来種。明治維新前後に渡来したと言われ、今では日本各地に自生する。放っておけば写真のように100センチ前後まで伸び、初夏から秋にかけて菊のような花を咲かせる。この写真は昨年の今頃の我が家の庭。手入れをしないとすぐにこの有様だ。今住んでいる町内は、空き家が目立つようになった。どの空き家も広い庭を持っている。住む人もいないので、このように姫女苑が伸び放題。咲き放題になってしまう。「管理地」「売家」の札が掛かってはいるが、庭の姫女苑を見れば、まだ買い手がついていないとすぐわかる。この家にもかつては一家団欒があったろうに。時の流れを感じて詠んだ句。

6月10日は時の記念日。天智天皇が日本で最初に漏刻を使って時を伝えたことが由来とされる。今の時間も大切にしたいが、年齢を重ねるにつれて、時間を逆回ししてみたいと思うようになってくる。普段吹奏楽団の練習場所としてお世話になっている施設に、最近「昭和の我が町の風景」と題して、日常風景や行事などの昔の写真が展示されている。当然私が生まれる前の写真が半数以上を占めるが、なぜか懐かしく感じる。今でこそバイパスも通り、駅も出来て電化されて、果ては新幹線の駅も出来ようかという場所だが、半世紀前はのどかな田園風景だった。今は駅前付近は開発が進む一方、私が住む昭和40年代分譲の住宅地は少子高齢化が進み、とうとう幼稚園が少し離れたこども園に吸収合併されるという。時の流れに乗るもの、乗れぬもの、様々な風景が、日本に点在している。

 

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賑はひの戻らぬ古都の夏薊

「方円」2020年8月号円象集掲載。

薊の花は種類が多く、開花時期も様々。夏に咲く種類は「夏薊」として夏の季語に分類されている。中3の修学旅行後の課題として最初に詠んだ季題がこの夏薊で、個人的に思い入れがある。さて今回の句は2020年、例の感染症が猛威を振るっていた頃に詠んだ句。本来観光地、修学旅行先として賑わいを見せる京都。この時は静まり返っていた。人が消えたと言えば大げさだが、本当にそう思えるような光景。この時は恐らく用事で出かけたと思われるが、外はいいお天気で、青空の元、鮮やかな色の薊の花が、静かに揺れていた。どこか寂し気。これからどうなるのだろうという不安を感じて詠んだ句。

あれから5年。京都も奈良も人で溢れ返っている。特に外国人観光客が多い。2週間に一度、大阪市内の心療内科に通院しているが、途中の京橋はもちろん、天満橋や北浜といったビジネス街まで、外国人観光客がいる。近鉄京都線には、必ず大荷物を持った外国人観光客が乗っている。私は人混みがあまり得意ではない方で、訪れた先が大盛況だと疲れてしまう。そこに住んでいる人なら、言うに及ばずといったところか。5年前、どこにも出歩けなかったときの反動なのか。むやみに出入りを制限するのは現実的ではないが、そこで生活している人もいるという事を、少し頭の隅に入れて貰いたいものだ。

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