狭庭への径を千両径と為す

 

「雲の峰」2024年1月号青葉集掲載。

千両は山地に自生するが、その実の可憐さから鉢植えとしても好まれる。似たような名前の植物に万両があるが、千両は上向きに、万両は低いところに下向きに実を付けるという違いがある。我が家と隣家のちょうど境目に千両が生えていて、この時期になると赤や黄色の実を付ける。それが裏庭に向けて列を為している姿が毎年見られる。裏庭への細い通路が千両の実で満たされている姿を「径」に見立てて詠んだ句。

今回紹介した「径」の他に、「みち」を表す漢字は数種類ある。「現代俳句表記辞典」によると、それぞれちゃんと意味の違いがあるという。

 

道:広く人の往来するところ。大小を問わない。または人の踏み行うべき「みち」の意。

路:歩くみち。大小を問わない。「道」と違って抽象的な事には用いない。

径:こみち、ほそみち

途:小さいみち。または目的に行きつく過程にも用いられる。

 

これを知っているだけで、確かに表現の幅は大きく広がる。それと同時に、日本語の表現の多様性、難しさを改めて感じる。果たしてこの句で謳われている「みち」は「径」でいいのか。私としては「細いみち」のイメージで詠んだので、恐らくこの字だろうと思って用いたが、読む人によっては違うイメージを持つかもしれない。自分が表現するだけではなく、人がどう感じるかを考えて、言葉を選ぶ必要がありそうだ。

 

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速足の師父なり稲田波多く

 

「方円」2019年11月号朝人忌特集掲載。

2011年11月12日、方円創始者であり初代主宰の中戸川朝人逝去。方円では、毎年11月号に朝人忌特集として、同人、会員から句を募り、特集記事を出していた。中戸川朝人(なかとがわ・ちょうじん)は1927年横浜生まれ。大野林火に学び、1987年「方円」創刊。主宰を務める。「巨樹巡礼」「一陽来復」などの句集を遺す。逝去の際、枕元に残された句は「棟わたる師の月光を知つてをり」だった。そんな朝人師とともに、生まれて初めて吟行に行ったのが2002年の話。北近江・菅浦から尾上の夕勝を見て、翌日渡岸寺を訪れるというルート。朝人師はとにかく足が速く、興味を持ったもの、場所までどこまでも歩く、アクティブな人だった。季節は江州米が実る秋。師の速足に、稲穂もつられて動いているように見えた光景を思い浮かべながら詠んだ句。

方円では、年間最も活躍した会員に「方円賞」を贈り、次年度から同人に推薦するという取り組みをしていた。師は生前、私の事を最も気にかけて下さった。「次の方円賞は是非コダマ君に」と、ずっと言って下さったという。ありがたい話だ。師のお陰で、俳句を20年以上続けて来られたと言っても過言ではない。訃報から13年。まだ道半ば。先輩諸氏にはまだ追いつけないが、自分なりに俳句を勉強し続けたい。

 

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冬立つや浜辺に人の住む気配

 

「方円」2015年1月号清象集掲載。

ちょうど10年前の2014年の11月、広島・元宇品公園を訪れる。いつもなら車で行くところだが、恥ずかしながらスピード違反で免停中。公共の交通機関で、全くのノープランで広島へ日帰りで行った。朝7時に出て9時に到着。海が見たくなって、元宇品公園まで行く。浜辺から見える似島が美しかった。一面浜辺だが、少し足を延ばすとホテルや居住区がある。立冬には少し早かったが、人の営みも自然の営みも、徐々に秋から冬に移りゆく景色を感じて詠んだ句。

毎年、暦の上での季節の変わり目は句作に悩む。昨日は立冬。今から詠む句は冬の句という事になる。しかし、元来俳句は早め早めに詠むもの。それに加えて、昨今の異常気象。今年は10月過ぎても百日紅が咲いていたりと、自然が色々とおかしな事になっていた。このまま暑い日が続くのかと思ったが、立冬を過ぎたらちゃんと肌寒くなったので、ひとまず安心した。しかし、今日から冬ですよと、物差しや紙芝居のように変わる訳ではない。その時その時見えた風景を描けばいいのだが、そこは季語のある俳句の世界。どう折り合いをつけるかは、毎年悩んでしまう。今朝、近所を散歩していたら、山茶花が咲いていた。とりあえず、自然界の緩やかな季節の変わり目を信じて、句作に励もうと思う。

 

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野葡萄の茎鮮やかに隅櫓

 

「方円」2008年1月号雑詠掲載。

とある山城を訪れた際の一コマ。恥ずかしながら、どこかは覚えていない。ただ、隅櫓や石垣が残っている、立派なお城であることは確かだ。隅櫓の上には、鮮やかな色をした野葡萄がたわわに実っている。その紫は茎まで及ぶ。そんな鮮やかな秋の色の後ろには、白壁の隅櫓。色のコントラストと秋の空。全てが絵になる風景を詠んだ句。

ここまで聞いて、この句の矛盾に気付かれた方もいらっしゃるのではないだろうか。茎まで紫に染まる「野葡萄」とされるこの植物は、実は洋酒山牛蒡という、野葡萄とは関係ない別種。私はこれを長年野葡萄だと思っていた。最近は、Googleレンズや「ハナノナ」など、カメラを向けたらこの草花が何なのかを教えてくれる技術が、格段に進歩した。こう見えて、植物の名をあまり知らない私は、最近になってこれは何なのか、調べるようになった。そこで判明した大きな勘違い。しかし、「洋酒山牛蒡の実」では、何となく風情がないので、この句はこの句で完成とせざるを得ない。何でもかんでも知っている物知りという人は少ない。私も知らない事ばかり。見て聞いて調べて、自分の知識にする。その集大成を俳句や文章として残す。人生はこの繰り返しと知りたいものだ。

 

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あきつ飛ぶ背ナに暴悪大笑面

(渡岸寺十一面観音)

 

「方円」2023年1月号円象集掲載。

滋賀県長浜市高月町にある古刹・渡岸寺。ここには国宝の十一面観音が安置されている。十一面観音は、その名の通り11の顔を持つ観音様で、本来の顔に加えて前3面が慈悲の顔、左3面が憤怒の顔、右3面が歯を見せてほほ笑む顔。頭頂部1面が仏面。そして後ろの1面が暴悪大笑面。大口を開けて歯を見せて大笑いしている。これは悪行を笑い飛ばして善行に導く面とされているが、その表情は異様そのものだ。外は実りの秋。田んぼに蜻蛉が飛ぶ、実に平和な風景が広がる。しかし今の世の中は何かと世知辛い。長閑な光景の中で、そんな世の中を笑い飛ばすこの顔。この対比が面白くて詠んだ句。

この顔が世間のあらゆる悪行を笑い飛ばすのだとしたら、ネット界隈で「笑ってごまかすつもりか」とか「歯を見せて笑うなど不謹慎」などと攻撃され、いわゆる「炎上」という事態になることも予想されるのが、今の世の中の恐ろしいところ。それを気にしすぎて、おちおち喋る事も出来ない。「物言へば唇寒し秋の風」を地で行くと言ったところか。この諺の本来の意味は「人の悪口を言うと後味が悪くなる」という事。今の世の中、気軽にSNSに挙げた言葉が、本人にそのつもりがなくても、人によっては悪口に思えてしまう。それを不特定多数が拾い上げて拡散し、悪口として定着してしまうという事だろう。口から発する言葉は、発する前に慎重であるべきだというのが大前提だが、必要以上に委縮するのは違うと思う。まずは己の確固たる考えを持つ事。これが大切ではないかと思う。自戒を込めて。

 

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