萩咲くや蜜柑畑のモノレール

 

「方円」2007年12月号雑詠掲載。

17年前、30代後半に詠んだ句。恥ずかしながら場所は覚えていない。山の斜面に蜜柑畑が広がり、収穫のためにモノレールを敷設している。蜜柑どころでよく見る風景。そんな光景に溶け込むように、萩の花の鮮やかな赤が映える。まだ蜜柑の収穫には早い。今は萩の花の方が目に付く。四季それぞれの光景が、どんな場所にもある。そんな事を思いながら詠んだ句。

ご承知の通り、萩は秋の季語。一方蜜柑は冬の季語。厳密に言えば、この句は季重なりという事になる。それでも当時の故・中戸川朝人主宰がこの句を採用したのは何故だろうと考えてみた。恐らく、蜜柑そのものではなく、蜜柑「畑」とした事により、萩が主役、蜜柑が脇役という位置づけを決定させたからではないか。今はそう思っている。あまり感心できる句ではないが、結局俳句とは、最もクローズアップさせるべきは何なのかを、しっかりと表現する事。これに限るという事を、改めて思い出させる句ではある。むしろあまり「季重なり」などの禁じ手を恐れすぎない方がいいのかもしれない。

 

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辻々の地蔵の笑みや秋ゆやけ

 

「雲の峰」2023年12月号青葉集掲載。

路地や田んぼの畦道に祀ってあるお地蔵様。地蔵菩薩はサンスクリット語でクシティガルバ。「クシティ」は「大地」、「ガルバ」は「胎内」。大地が全ての命を育む力を蔵するように苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされている。菩薩なのでまだ修行の身という事になるが、日本では道祖神としての性格を持ち、子どもの守り神としての側面を持ち、笑みをたたえた姿をしている事が多い。そんなお地蔵様の姿には、秋の夕焼けがよく似合う。そんなほのぼのとした風景を詠んだ句。

今たまたま見ているテレビ番組で、長年障害を持って働けなかった人のインタビューをやっていた。今の職場で働かせて貰って、今は働くことが幸せだという。その前に、サカナクションの山口一郎氏が、うつ病を抱えながら音楽と向かい合う姿を追った番組を見ていた。信頼し、わかってくれる仲間がいる事が、いかに貴重で幸せな事なのか、改めてわかった気がする。人間どんな時でも独りではない。必ず見てくれるお地蔵さんのような存在がいる。そう思って、明日も生きていこう。

 

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献杯を数多の霊に酔芙蓉

 

「雲の峰」2023年12月号青葉集掲載。

酔芙蓉とは芙蓉の園芸種。朝方は白い花を咲かせるが、午後になるに従って赤みを帯びてくる。その様子がお酒に酔ったように見えるので、この名が付いた。1年前の10月21日、大学時代の友人と伏見で飲む約束をしていたが、早く家を出て、亡父がかつて歩いた伏見街道を歩いた。京阪清水五条駅から豊国神社、家康が豊臣家と戦うきっかけになった梵鐘で知られる方広寺を経て東福寺へ。大混雑の伏見稲荷大社を素通りして、高校時代の吹奏楽部でお世話になった恩師が眠る墓地へお参りして、そこから御香宮まで歩き、京阪観月橋駅がゴール。酔芙蓉は恩師のお墓近くにあった。お墓に着いたのは3時を少し過ぎた頃だっただろうか。花は徐々に赤くなっていた。その様子が、この墓地に眠る数多の霊に献杯しているように見えて、恩師の霊と共に冥福を祈りながら詠んだ句。

同じ時期、歌手のもんたよしのり氏の訃報に接する。大動脈解離。奇しくも恩師と同じ死因。恩師も亡くなる直前まで、高校OBでもある楽器屋さんと談笑していたが、夜になって突然亡くなったという。人の命というものは、かくも儚いものなのか。当時ショックはかなり大きかった。あまり考えたくないが、人はいつ何時、どうなるか予測がつかない。だからこそ、今出来る事、やりたいことを精一杯しなければならない。鮮やかな芙蓉の花を見るたびに、今を大切にせねばと思う。

 

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赤のまま城下の民は昼餉時

 

「方円」2014年12月号清象集掲載。

「赤のまま」とはアカマンマの事。いわゆる犬蓼。タデ科の一年草で、赤い粒状の花が赤飯によく例えられる。恥ずかしながら、私はこの花をずっと実だと思っていた。この句は和歌山城を訪れた際の一コマ。和歌山城は紀州徳川家の居城で平山城。天守は少し小高いところにあり、登れば市内が一望できる。その天守の石垣の根元に、アカマンマが群生していた。訪れたのはお昼時。この可憐な赤い粒を見ると、やはりご飯が頭に浮かぶ。今頃城下の家々は昼食の支度をしているだろう。城下の絶景を見ながら、ふとそんな事を考えて詠んだ句。

最近、こういった日常の何でもない光景を、何でもなく詠むという事が出来なくなった。「こういう句は類想が多いのでは」という事を考えてしまって、どうにかして違う表現を使わねばと思いすぎた結果、何も浮かばなくなるという事がしばしば。しかし、よく考えたら、こうした日常の風景を切り取って、素直に見えている物を言葉にするのが写生句の基本。確かに無駄な言葉は省かねばならないが、あまり考えすぎると、かえって情景が浮かびにくくなる。その辺の言葉の使い方は難しいが、一度原点に返って、見えたものをそのまま描写するという視点を、もう一度思い出してみてもいいかも知れない。

 

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湖望む高さとなりぬ花芒

 

「方円」2002年12月号雑詠掲載。

1週間、ブログをお休みしていました。今週からまた宜しくお願いします。

この句は2002年秋、近江・湖北吟行で詠んだ句。これが生まれて初めて経験する吟行だった。琵琶湖の北、、つづら尾崎展望台から菅浦四足門、渡岸寺、そして尾上の夕勝を眺めるコース。つづら尾崎から眺める琵琶湖は絶景。そこに生えていたススキも、実に絵になる。岬の高いところから、ススキとセットで眺める琵琶湖の風景に感動して詠んだ句。

この時に詠んだ「とんばうに漏れなく湖の光かな」という句が主宰特選に選ばれて、少しだけ自信を持てたと同時に故・中戸川朝人主宰の「くわんおんをめぐりてまんじゆさげつたひ」という句に衝撃を受けたり、ベテラン同人が詠んだ主宰特選の「豆稲架に風の近道まわり道」という句にただただ脱帽したりと、非常に刺激の多い吟行だった。俳句とはかくも奥深いものなのかと。そこから10年近く、色々な方々の句を見て勉強し、添削指導を受け、同人の末席に入れて頂くまでになった。それでも、言葉の奥深さ、難しさに、日々悩み続ける。句作というものはそういうもの。これからも、考えて、考えて、考え続けていきたい。

 

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