湖望む高さとなりぬ花芒

 

「方円」2002年12月号雑詠掲載。

1週間、ブログをお休みしていました。今週からまた宜しくお願いします。

この句は2002年秋、近江・湖北吟行で詠んだ句。これが生まれて初めて経験する吟行だった。琵琶湖の北、、つづら尾崎展望台から菅浦四足門、渡岸寺、そして尾上の夕勝を眺めるコース。つづら尾崎から眺める琵琶湖は絶景。そこに生えていたススキも、実に絵になる。岬の高いところから、ススキとセットで眺める琵琶湖の風景に感動して詠んだ句。

この時に詠んだ「とんばうに漏れなく湖の光かな」という句が主宰特選に選ばれて、少しだけ自信を持てたと同時に故・中戸川朝人主宰の「くわんおんをめぐりてまんじゆさげつたひ」という句に衝撃を受けたり、ベテラン同人が詠んだ主宰特選の「豆稲架に風の近道まわり道」という句にただただ脱帽したりと、非常に刺激の多い吟行だった。俳句とはかくも奥深いものなのかと。そこから10年近く、色々な方々の句を見て勉強し、添削指導を受け、同人の末席に入れて頂くまでになった。それでも、言葉の奥深さ、難しさに、日々悩み続ける。句作というものはそういうもの。これからも、考えて、考えて、考え続けていきたい。

 

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慰霊碑の文字の薄れて死人花

 

「方円」2022年12月号円象集掲載。

「死人花」とは彼岸花の別称。「彼岸花」という名の通り秋の彼岸の頃に咲き、土葬をモグラやネズミなどから守るため、墓地などによく植えられていた。秋の彼岸はあの世とこの世が通じやすい時期とされていることもあり、「死人花」「幽霊花」とも呼ばれている。とある寺院の前、木陰に慰霊碑がひっそりと建っていた。何の慰霊碑か、文字が掠れているため判読できない。その周辺に、彼岸花が鮮やかに咲いている。場所が寺院で、慰霊碑の周辺に咲いているという事もあり、あえて「彼岸花」と言わずに「死人花」という表現を使い、亡くなった方がそこにいるという思いを詠んだ句。

彼岸花は、毒草ではあるが、地下茎にでんぷん質を多く含んでおり、飢饉の時はすりつぶし、水に晒して毒抜きをして、食用とした。そのため、田畑の畦道などにも植えられている。稲穂が実り、稲刈りを待つだけの田んぼの脇に、赤い集団が点在しているのは、実に壮観。関西では明日香村など、彼岸花で有名な所が多い。皆挙って写真を撮ったりするが、中には「お墓に咲いているイメージしかない」と、彼岸花をあまり好まない人も、一定数いるようだ。彼岸花に限らず、どの花もそう。必ずしも綺麗。好ましいと思っている人ばかりではない。世の中には、色々な考えを持った人がいる。自分がこう思っているなら、他人もそうだろうという思い込みは、この際捨てた方がいいのかもしれない。

 

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叱責も助言も避けて蛇穴に

 

「雲の峰」2023年12月号課題俳句「蛇穴に入る」佳作作品。

夏の間活動していた蛇は、晩秋になると穴に入って冬眠する。ちょうど今の時期、秋の彼岸頃に穴に入ると言われているが、実際はもっと遅い。この時期を過ぎても穴に入らない蛇を「穴惑」と呼び、共に秋の季語とされる。今回の課題俳句は、この「蛇穴に入る」が兼題。知識として知ってはいるが、見た事のない光景。それを2句詠んで投稿しなければならない。この頃仕事で悩んでいて、逃げたい気分になっていたこともあり、反射的にこんな句を詠んでしまった。何と言われようと、自分は時期が来たら冬眠するんだという、強い意志を詠んだ句。

10月に入った。朝晩は漸く秋らしい気候になり、確実に季節が変わっているのを実感する。環境の変化がある人もいるだろう。詳しくは言えないが、私も環境が変わり、心機一転頑張らねばならない。そのためには、耳の痛い事にも耳を傾けなければならないだろう。それよりも自分は自分の思ったことをするんだという自我は、暫くは捨てなければならないかもしれない。

 

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きちきちの姿なきまま逃げにけり

 

「方円」2021年11月号円象集掲載。

「きちきち」とは、ご存じの通りバッタの事。特にショウリョウバッタは、跳ぶときに羽根をこすり合わせ、「キチキチ」と音を立てる。この様子を表したもので、秋の季語とされる。今回の句は、恐らく幾度となく見てきて、幾度となく詠んだであろう光景。それでも詠む度に違う光景になるのが面白い。田畑や草むらなどを歩いていると、どこからともなく「キチキチ」という音がする。バッタが私の気配を察して逃げているのだが、草の色と同化して、姿が見えない。しかし確実に近くにおり、確実に飛び去っている。バッタそのものの姿ではなく、彼らが逃げる音に秋を感じて詠んだ句。

バッタもそうだが、すべからく動物は、身の危険を感じたら逃げる。あるいは威嚇したり、攻撃したりする。人間も然り。しかし、非常事態が起これば、冷静に立ち向かって解決する側面を持っているのが人間。ただ、そんな人ばかりではない。私の場合は、焦って右往左往するばかり。何とか解決して、古都の顛末を報告しようとしても、まとめる事が出来ず、要領を得ない。自然界であれば、間違いなく天敵の餌食だろう。そんな状態が、仕事中にしょっちゅう起こる。どうも宜しくない傾向だ。今日は「睡眠と運動について」という講座を受ける。曰く、ストレスに対する耐性を付けるためには、睡眠や運動習慣を改善する事。それにより心身のコンディションを整えるという事。至極当たり前の事だが、疎かになりがちだ。これらは今から簡単にできる事なので、今晩寝る前に、早速実践したい。すぐに効果はなくても、まずは続けてみよう。

 

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秋桜十三塔を囲ふかに

 

「雲の峰」2023年11月号青葉集掲載。

奈良・般若寺を訪れた際の一コマ。このお寺は春は山吹、夏は紫陽花、秋はコスモス、冬は水仙と、四季折々の花が咲く。「コスモス寺」の別名の通り、特にコスモスが有名で、シーズンになると境内全体がコスモスで埋め尽くされる。そんな時期に訪れた般若寺。満開のコスモスが、十三重石塔を囲むように咲いている景色が実に絵になった。そんな様子を素直に詠んだ句。

最近、句作の勉強と練習のために、歳時記で有名人の忌日を調べて一句残すという事をしている。それをとある場所で公開したら、難解すぎるとの批判を頂いた。本人としては自然に詠んだつもりなのだが、見る人から見ると、確かにそう見えてもおかしくない。「わかる人にだけ分かればいい」という作り手の姿勢が、「俳句は敷居が高い」という誤解を招いているとすれば、それは大いに反省すべきことではある。見たもの、聞いたものをそのまま詠むのが理想だが、それだけでは、ともすれば説明になってしまう。そうすると、かえって言いたかったこと、伝えたかったことが伝わらないというジレンマがある。謙虚で素直な心を持ちながら、伝えたいことを的確に伝えられるような言葉を選ぶ。考えすぎると難しいが、それを心掛けて句作に励みたい。

 

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