風向きに戸惑ふ煙冬岬

 

「方円」2012年3月号特別作品「La Mer」15句のうちの1句。

この年私は第24回方円賞を頂き、新たに同人として迎えられる事となった。方円賞受賞者は、その年の3月号に特別作品を寄稿する事になっていた。当時ドビュッシー生誕150年のメモリアルイヤーだったことから、彼の代表作「海」にちなんだ句を投稿した。そのうちの1句。詠んだ場所は忘れてしまったが、寒さ厳しい冬の岬。その向こうに工場の煙が見えるが、強風に煽られて、あらぬ方向へ流れている。行方の定まらない煙が、まるで風に翻弄されているように見えて詠んだ句。

特別作品を作り出したのは、東日本大震災があった2011年。特別作品に寄せたコメントとして、こんなことを書いた。

「ドビュッシーの代表作に、交響詩『海』がある。三楽章からなる管弦楽曲で、海と風、その周辺の気候を、色彩豊かに描いている。この曲を聴くたび、海には様々な顔があるのだと気づかせてくれる。2011年は、そんな海や自然の恐ろしい一面を思い知らされた一年だった。そして、怒れる自然に対する人間の無力さも。私たちは、長年海や山野と共に生き、自然を利用して生活してきたが、やはり世界の主役とはなり得ないようだ。生かされている事に感謝しなければならない。(原文一部修正)」

さらに「自然に対する畏敬の念を一句一句に込めて、心して句作に励む」などと大それたことを書いていたが、10年以上経った今でも、そんな境地には至っていない。この言葉は確かに大切な事。自分の眼で見た自然を、自分の見たままの状態で文字に起こす事が、その境地に近づく一歩かもしれない。

 

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飾焚く煙の奥に古都の景

 

「雲の峰」2024年3月号青葉集掲載。

「飾焚く」とはいわゆるとんど、左義長の事。毎年小正月に松飾りやしめ縄、書き初めなどを燃やし、この一年の無病息災を願う行事の事。どこへ出かけたか忘れてしまったが、学校の校庭付近から煙が上がっていた。この日は小正月。ちょうど左義長を行っている最中。高く上った煙の向こうに、遠く京都市街が見える。恐らくあの遠くの街でも、同じようにとんどを行っているのだろう。そんな光景に、1月も半ばを過ぎ、あっという間に春が来るという時間の経過の速さを感じて詠んだ句。

時間の経過の速さ。今日はこの日に触れない訳には行かないだろう。1月17日、おむすびの日の由来は、1995年のこの日、阪神淡路大震災の際、炊き出しとしておむすびが届けられた事とされている。あれからもう30年経ってしまった。当時大学生だった私が鮮明に覚えているのは、避難場所になっている学校の体育館の中継中、「おい!お前ら何撮っとんねん!」と取材クルーに食って掛かる男性が映り、すぐに中継が止められた事。未曽有の災害に、誰もがどうしていいかわからない状態だった。それから30年もの間、自然は容赦なく人間を襲い続け、人は様々な事を学んだ。この経験を、確かに伝えなければならない。それが今を生きる人に課せられた課題だ。そう考えて生きていこうと思う。

 

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落葉道山頂にまた日の射せり

 

「方円」2011年3月号雑詠掲載。

1月14日はタロ・ジロの日。1957年、第一次南極観測隊と共に南極に連れられた15頭の樺太犬は、翌1958年までの1年間昭和基地で過ごしたが、トラブルにより隊員と一緒に帰還できず、やむなく首輪をつけたまま基地に残された。翌1959年のこの日、第三次南極観測隊のヘリが基地周辺を旋回したところ、タロとジロの兄弟の生存が確認される。この話は、映画「南極物語」でも取り上げられた。日本中に驚きと感動をもたらしたこの日は、のちに「タロ・ジロの日」または、生きる事への希望と愛を忘れないという思いから、「愛と希望と勇気の日」と定められた。今日紹介する句は、それを意識してという訳ではない。山へよくハイキングに出掛けるが、この時期の山道は落葉が敷き詰められ、上を見ると裸木ばかりで、実に寂しい山道が続く。冬晴れの時はいいが、雪雲が出たりすると、一層寂しさが増す。そんな中で登山を続けて、山頂に着くと、眼前に絶景が広がる。そこで計ったように晴れて来ると、自分がこの山に登った事に対するご褒美を与えられているような気分になる。そんな感動を詠んだ句。

月並みな事しか言えないが、生きるとは辛く厳しい事もあろう。私もつい最近まで、ずっと心が晴れない事があった。やるせない思いを句にした事もあったが、今お世話になっている「雲の峰」の主宰は「あまり暗い内容を前面に押し出しすぎない方がいい」と説く。なので今は、出来るだけネガティブな言葉は使わないようにしている。今日紹介した句は14年前に詠んだ句だが、確かに暗く沈んでいる感じではない。句作はこうあるべき。今後も明るく詠んでいきたい。

 

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石仏の笑み絶やさざる寒の内

 

「雲の峰」2024年3月号青葉集掲載。

寒の入り(1月6日頃)から立春前日(2月3日)までの約30日を寒と呼び、その期間内を「寒の内」と呼ぶ。この時期が一年で最も寒い時期とされる。そんな中で見た、道端の石仏。お地蔵さんの場合が多い。お寺に本尊として祀られている仏と違って、どことなく柔和な顔をしているように見える。見方によっては、笑みさえ湛えているようにも見える。建物の中で見る仏と、路地で見る仏とは、見え方が違うのかもしれないが、路地の仏は、どんな気候でもその柔和な表情を変えることがない。また、「耐えている」という表情でもない。ただ笑ってそこにいるという雰囲気。自分もいかなる時でもそうありたいものだと思って詠んだ句。

人間は会話をする生き物。暑ければ暑いと言うし、寒ければ寒いと言う。至極当たり前の事。しかし、何も言わず、表情も変えない人もいる。随分前に亡くなった母方の祖母は、長い入院生活の中、体を拭こうとしたらひどい床ずれで、見るからに痛々しかった。しかし本人はそんな事を一言も言わなかったと聞いている。人間は会話をする生き物の反面、あえて会話をしない生き物でもある。本心をあまり言わない。辛くても表に出さないという側面を持つ。私は路地のお地蔵様のように出来上がった人ではないので、言いたい事は考えなしに言おうとしてしまう。しかし、「言うべきこと」と「言わざること」のバランスをきちんと考えないと、社会から孤立してしまうという事も、十分考えなければならない。

 

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七草粥先づちちははに供へけり

 

「雲の峰」2024年3月号青葉集掲載。

1月7日は七草粥の日。皆さんご存じの通り、「芹、薺、御形、繁縷、仏の座、菘、蘿蔔」の7種類の野草を刻んでお粥に入れる。万病に効くとされ、平安時代からこの習慣が続けられているという。年末年始の暴飲暴食のあとの朝食。実にお腹に優しい食べ物だ。毎年一品お惣菜をおかずとして食べていたが、今年は純粋に七草粥だけを食べた。この句を詠んだのは1年前。両親を亡くしてから3度目の七草粥の日。毎朝仏壇にご飯をお供えするが、この日は七草粥。この世にいない人たちばかりだが、少しでも季節感を味わってもらいたいという思いで、毎年供えている。そんな正月休み明けの朝のひと時を素直に詠んだ句。

「若菜野」という季語がある。春の七草を摘む山野の事を指し、新年の季語とされる。かつては、自宅周辺に若菜野があって、そこで摘んだ七草を使って、お粥もきちんとお米から作っていた。野草なので、あくを抜いたり、お粥を作ったりと、普段の朝食より手間がかかっていたのかもしれない。今にして思えば、そんな手間をかけて、七草粥を作ってくれた母親に感謝せねばならない。今は申し訳ないが、レトルトとフリーズドライで済ませている。それでも、どんな形であれ、こういった習慣は続けていきたいものだ。

 

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