梅探る病める心と向き合うて

 

「方円」2023年4月号円象集掲載。

2023年2月、ADHD・ASDとの診断を受けた頃に詠んだ句。場所は恐らく自宅から車で行ける枚方・山田池公園の梅林か。2月上旬から梅が開きだす。診断を受けて、すっきりした気持ちと不安な気持ちが入り混じったような不思議な感覚。そんな中で梅を見に出かけたが、この時はまだ蕾が多かった。今の自分の気持ちを見透かされたような気がして詠んだ句。

何度か書いたかもしれないが、今お世話になっている「雲の峰」の朝妻力主宰は、季語に対してネガティブな事を書いてしまうのは宜しくないと説く。例えば「立春」という季語に対して、寂れた農村の寂しさを詠むのではなく、春が来たという喜び、明るい気持ちを詠んだ方がいいという。歳時記を見ていると、確かに徹頭徹尾暗い気持ちを詠んだ句は少ない(ないことはないが)。なので、「探梅」に対して「病める心」というのは、ちょっと重苦しいかもしれない。こと句作に関しては思い悩まず、あくまで前向きな気持ちを詠んでいきたいものだ。

 

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探梅や健康靴の履き具合

 

かきもり句会2024年2月主宰選。

2月4日は2と4の語呂合わせで西の日。この日に西の方へ向かうと、幸運に巡り合うとも言われている。いささか強引ではあるが、今回紹介する句で詠まれている「探梅」の場所は、我が家から西へ向かった枚方・山田池公園梅林。よく行くスーパーで偶然見かけた、靴メーカーとフィットネスクラブのコラボによるウォーキングシューズを履いて出かけてみた。足にいい具合に馴染んだその靴は、梅林の地をしっかり踏みしめていた。早春のまだ寒い中、徐々にほころんで来た梅を、しっかりした足取りで眺めながら詠んだ句。

色々あって、このところ気分が沈む時がある。ネットで「西の日」を調べてみたら、前述の「西へ向かうと幸せに巡り合える」という言葉が目についた。普段から西へ出向いてはいるが、意識的に西に向いているわけではない。今日に限って、幸せになるために、絶対西へ行こうなどとは思いすぎない方がいいのかもしれない。他者から与えられる幸せより、自分の意識を変えた上で掴む幸せの方が価値がある。そう思って、前向きに過ごしたいものだ。

 

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寒鴉届かぬ声の断続す

 

「方円」2010年3月号雑詠掲載。

「寒鴉」という季語は好きでよく使う。その名の通り冬の鴉のこと。枯れ木の枝や電線などで動かずにじっとして、時々嗄れた声を発する様は、いかにも荒涼として寂しい。いつも歩く散歩道、刈り終えた田畑が広がる風景の中に、いかにも「寒鴉」という季語がぴったりの鴉が一羽佇んでいる。その嗄れて途切れ途切れに続く声は、冬の寂しさを助長させる。しかし、確かに鳴いている。その声は遠くに届かずとも、自分の存在を示しているようにも思えて、生きる者のしぶとさ、強さを思わせる。そんな強かな生を詠んだ句。

「多勢に無勢」という言葉がある。世の中というものは、確かに大多数の意見がまかり通って、少数の声はかき消されることがしばしば。そんな風潮が「私の声など届かなくても」という、諦めに似た感覚を覚えることがよくある。しかし、自分の意見、主張は、確かに持っていなければならない。それが確固たるものでなくても、主張するということは、自分を見失わないということ。黙って従うだけなら楽なのは間違いないが、自分をしっかり持たねばならない。最近特にそう思うようになった。

 

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幾曲がりして果つるなり冬田道

 

「方円」2003年3月号雑詠掲載。

方円に入会し、本格的に俳句を始めた最初期の句。当時30代前半。田畑が広がる田舎の風景を素直に詠んでいる。眼前に広がる畦道や農道はさほど整備されておらず、昔開いた田んぼのままのフォルムを残している。そのため不規則に曲がり、やがては細くなって果てる。そんな光景をそのまま詠んだ句。「冬田道」という季語が効いている。

とある場所で、「俳句に見る言葉の『削ぎ方』『選び方』」と題して、15分ほどミニ講義をしてきた。本来そういう立場ではないが、これでも俳句を20年以上続けた身。何かお役に立てればと、お話をしてきた。普段から最も適切な、最も伝わりやすい言葉をチョイスする癖付けをすれば、俳句のみならず、あらゆる場面で役に立つというようなことを述べた訳だが、果たして昔に比べてそれが出来ているだろうか。難しく考えすぎている部分があるように思う。30代前半に詠んだような、純粋な気持ちというものを、再度思い出して、句作に励みたい。

 

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杭の如川に鷺立つ寒九かな

 

「雲の峰」2024年3月号青葉集掲載。

「寒九」とは、寒の入りから九日目という事。この日に降る雨は豊作の前兆だと言われている。2024年の寒九はいいお天気だった。所用で京都・三条京阪へ。駅を降りてすぐ西側に、鴨川が流れている。三条大橋を渡って振り返ってみると、流れの中にじっと佇む鷺がいた。「青鷺」「白鷺」なら夏の季語だが、単純に「鷺」だけなら季語にならない。これが不思議なところなのだが、とにかく鷺が、杭のように川に突っ立っていた。もともと鷺とはそういう鳥だが、この寒い中、微動だにしない鷺の姿を詠んだ句。

先程、PCの電源を入れたら、キーボードが全く反応しなかった。数回やり直して、漸く立ち上がった。中のデータが見えなくなるかもしれないと、大いに焦った。また、ずっと通っていた心療内科から、突然休診を告げられた。驚いて色々ネットで調べて、「患者を受け入れる」旨お知らせをしていた別の心療内科を予約したが、今後どうなるかはまだわからない。普段と違う事が起こったら、途端にパニックになってしまう。そんな経験をした方は多いだろう。理想は「何が起きても泰然自若。落ち着いて対処法を考える」ということだが、なかなかそうも行かないようだ。

 

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