梅七分大日像は印結ぶ

 

「方円」2005年4月号雑詠掲載。

今から20年前に詠んだ句。場所は恥ずかしながら忘れてしまったが、真言宗系のお寺の境内か周辺の梅林と思われる。梅が満開とは言わないが花の色、香りが目立つようになった季節。本尊の大日如来は静かに印を結んで、世の平安を祈る。お寺にはありふれた光景だが、ギスギスした今の世の中でこそ鑑賞したい句。そう言えば大げさかもしれないが、そんな意味で選んだ。

調べたところ、大日如来とは密教では中心的な存在で宇宙そのもの。宇宙を動かすエネルギーでもあり、身の回りすべてに存在するという。よく見かける印の結び方は金剛界の大日如来が結ぶ「知拳印」というもので、大日如来の知恵を表すという。私の勝手なイメージとしては、縦に突き立てた左手の親指を右手に持って、さらに右手の親指を上に突き立てる、いわば「イイネ」を縦に並べた印だと思っていたが、実際は「左手を握りしめて人差し指だけを立て、その人差し指を右手で覆うように握り、この時右手の人差し指と親指で左手の人差し指の頭を押さえる」というのが正しい印の結び方だという。言われてみればそんな結び方だった。私たちが仏を見るとき、たいていは顔だちを見て、全体をあまり見ない事が多い。全体を細かく見ることによって、新たな発見がある。これを句作のヒントにできれば。

 

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苔纏ふ土塀の甍余寒なほ

 

「方円」2022年4月号特別作品「穏やかなれ」15句のうちの1句。

この年の1月末、方円代表の先生より切羽詰まった様子のLINEを頂く。方円4月号に特別作品を寄稿する予定だった方が辞退されたとの事。誠に申し訳ないが、急遽2月締め切りで15句送って貰いたいとの内容。それを引き受け、色々吟行へ出かけた。この句は奈良・當麻寺へ赴いた際の一コマ。このお寺は何度か訪れているが、冬の万両の他にも見どころが多い。庭園の隅に土塀があり、苔に覆われて、瓦が緑色になっている。2月のまだ寒い中、逞しく生きている苔の生命力を詠んだ句。

「余寒」という季語と「春寒」という季語がある。暦の上では立春を過ぎたら春。とはいえまだ2月。まだまだ雪も降るし寒い日が続く。「余寒」とは「残る寒さ」とも言い、寒明けの寒さを指すのに対し、「春寒」は立春を過ぎてからの寒さを指す。前者はもう既に春になっているがまだ寒いという感覚を表すのに対し、「余寒」は寒が明けても寒さが残っているという感覚を表す。そう考えれば、今のこの時期は「余寒」と言うべきか。「寒さ」をより強調するなら余寒、「春なのに寒い」ならは春寒。どういう光景を詠むかによって使い分けが必要だ。私はいまだに悩む場合が多い。ご参考に。

 

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菜の花や護岸工事の昼休み

 

「方円」2007年4月号雑詠掲載。

山の頂上から下を見た風景。場所ははっきりと覚えていないが、石清水八幡宮のそば、男山の展望台から木津川方面を見たと思われる。すぐそばに川があり、そこで護岸工事をやっている。その近くには菜の花畑があって、鮮やかな黄色が目に飛び込んでくる。今はお昼休みで作業者もいない。そんなのどかな風景を詠んだ句。

いつも歩いている散歩道で、ある時菜の花を見つけた。畑の隅に一株だけ咲いていた。寒い寒いと言っても、ちゃんと春には菜の花が咲く。早速句にしようと思ったが、なかなか思い通りにいかない。3度推敲して、まだ何とかなるのではと、現在悩んでいる最中だ。恐らく自分の中では「上手く詠まないと」という焦燥感と、「上手く詠んでやれ」という下心が交雑している状態。それが考えすぎという現象を招く。こんな時は昔詠んだ句を見直してみる。表現が若い部分はあるが、見たものをそのまま詠んでいる。基本はこの姿勢でいいのだ。そう思い直して、頭をクリアにして、もう一度詠みたい風景に戻る。今は頭のクールダウンが必要なのかもしれない。

 

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城二つ左右に望み耕せり

「雲の峰」2024年4月号青葉集掲載

2024年2月、能勢町は丸山城跡・地黄城跡を訪れた際の一コマ。丸山城跡から畑と道路を隔てて少し行くと、立派な石垣が残る地黄城跡がある。写真の丸山城跡は、見る人から見れば山城跡だとわかるが、地元の人にとっては、予備知識としてここがお城だったと知ってはいるが、ごく身近にある山という意識の方が高いのかもしれない。そこに自然とある山やお城に囲まれて、畑主さんは黙々と耕している。私たちよそ者にとっては、それ自体が絵になると感じて詠んだ句。

我が家の近所にも、実は城跡がある。中世の山城のようで、小学生時代に遠足で訪れた際は、土塁と思しき土盛りが残っていたことを覚えている。そこは山の前に小さな案内板が立っていただけ。訪れる人も少なかった。その後無残にも切り崩され、悪い大人が硫酸ピッチを不法投棄して、一部立入禁止になってしまった。その他にもお城があったらしいが、地名に名残を残すのみとなっているようだ。小さな山城の運命というものか。地元の人にとっては、ただそこにある山という意識の方が強いかもしれないが、こういうものに目を向けてもいいのではないかと、常に思う。

 

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苔むせる尊徳像や建国日

 

「方円」2009年4月号雑詠掲載。

2月11日は建国記念の日。この日は神武天皇の即位日とされ、戦前まで紀元節と呼ばれていたが、1948年に廃止。1966年に再び国民の休日に制定されたため、建国記念の日は春の季語とされる。この句で詠まれている「尊徳像」とは、昔小学校の校庭によく建てられていた二宮金次郎像の事。最近はすっかり見なくなった。二宮尊徳とは、江戸後期の農政家で、経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した人物。幼少のころに家計を支えるため働きながら学んでいた姿を、薪を背負いながら書物を読む姿として銅像や石像にして、努力・勤労のシンボルとしていた。2009年の建国記念の日、そんな像を旅先の小学校の前で見た。かなり古くて苔むしている。この像は、昔から生徒の成長を見守っていたのだろう。そこに長い歴史を感じて詠んだ句。

この像について、「歩きスマホを助長させる」という保護者の抗議があり、いつしか座って薪を横に置いて書を詠む姿に変えられたという話を聞く。まあ、ごもっともなご指摘ではある。一方、それを想像させるのは親の発想であり、子どもの自由な発想力を親が阻害するのではという声も、実際に聞いてはいないがあったかもしれない。両極端な意見ではあるが、いずれも否定できない。私は別に金次郎像が学校にあろうがなかろうが別に何も思わない。ただ、こういう意見のぶつかり合いが仮にあったとすれば、できれば子供の無限の発想力・可能性を、新芽のうちから摘み取ってしまって欲しくはないなと、ただ思うばかりだ。

 

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