​鷺佇ちて夕東風吹ける向き睨む

 

「方円」2022年5月号円象集掲載。

鷺は青鷺、白鷺なら夏の季語だが、単なる鷺なら季語にならない。青鷺は年中見かけるイメージがある。彼らは地上でじっと立ち尽くしたまま動かない。風向きをじっと睨んで、しばらくその場を動かない。風が吹いても動じない。大きな鳥ならではの堂々とした佇まいに感銘を受けて詠んだ句。

先日、何故あなたはいつもフットワークが軽いのかと聞かれた。言われてみればそうだが、聞かれるまで考えたことがなかった。少し考えて、「自分はADHDなので、障がいの特性としてじっとしていられないのかもしれません」と答えた。自分で発した言葉だが、最も腑に落ちる答えだった。落ち着きがないと言われたらマイナスだが、活動的と言われればプラスのイメージ。どう捉えるかは人によって様々だろう。普段よく「吟行」と称してウォーキングやハイキングに出かけるが、いざ句作となればその場を動かず、じっと考えることが多い。それが出来ているのであれば、落ち着いて立ち止まって、じっと考えを巡らせるという機会がもっと増えれば、もっとアイデアが浮かぶのではないか。そう考えさせられる問いかけだった。

 

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桃咲くや半旗掲げるオフイスビル

 

「雲の峰」2023年5月号青葉集掲載。

3月11日はいのちの日。2011年のこの日に起こった東日本大震災を契機に、災害時医療を考える会(Team Esteem)が提唱したもの。彼らは震災で失われた多くの命を悼み、同時に私たちが日頃から災害に備える重要性を訴えている。2023年3月11日土曜日、大阪・国立国際美術館と、隣接する大阪中之島美術館に向かう。向かいのオフィスビルの花壇には、様々な花が咲いている。大きな木に鮮やかに咲いていたのは桃の花(見間違いかもしれない)。そしてふとビルに目をやると、半旗が掲げられていた。そういえばこの日は東日本大震災が起きた日。決して忘れていたわけではないが、普段の生活の中では気にすることがなかった。この半旗が、そんな自分への戒めに見えて詠んだ句。

今年もこの日がやって来た。鎮魂と追悼の思いを形にしようと毎年思うが、なかなか難しい。意識的にそういうワードを入れようとすると、作為感が増す。今見えている何気ない光景の中に、気が付けば鎮魂の思いが込められているというものができればいいのだが、それも難しい。やはり普段から、今生きている命というものに目を向けて、その栄枯盛衰を形にするという事を考えておかなければならないだろう。今生きていることに感謝を込めて。

 

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白梅に佇ち白梅の香を纏ふ

 

「方円」2017年5月号円象集掲載。

枚方・山田池公園梅林での一コマ。ここは家から車ですぐ行けるところで、よく出かけては句作に励む。どうしても色合い的に紅梅の方が目立ってしまうが、白梅も負けじと美しい花を咲かせる。そんな白梅の前に立って、じっと眺めて一句捻ろうとする。粘り強く考えているうちに、そのうち体中が梅の香りになるのではないかと考えたときに、ふと思いついて詠んだ句。

梅に含まれる成分は、神経伝達物質の合成や脳の活性化に関わっており、その香りにはストレスを軽減し、リラックスした状態に導く効果があるという。確かに独特の心地よい香りがするが、紅梅と白梅で香りが違うという話は聞いたことがない。しかし、紅梅の前に立つと紅梅の香りを愛でて、白梅の前に立つと白梅の香りを愛でるのが人間というもの。その一方、梅林を遠くから俯瞰すると、紅梅の香りも白梅の香りも「梅の香り」と総称するようになる。同じ香りでも、視点の違いによって、違うように思えてしまう。人間の頭というものは不思議なものだ。いろいろな視点から物事を見る、柔軟な頭を持ちたい。

 

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日光てふ椿日陰に咲きにけり

 

「雲の峰」2024年5月号青葉集掲載。

所用で京都市営地下鉄竹田駅で降りる。駅には「城南宮・当駅より19分」との大きな看板。用事を済ませてから寄ってみた。ここは梅の花と椿の花の名所として知られる。まだ梅の花は咲いていなかったが、椿はちらほら咲き始めていた。その中に「日光(じっこう)」という種類の白椿があり、鮮やかに咲いていた。一部既に落ちている花もあり、今が盛りという雰囲気。これで句を考えていたのだが、過去の作品を見ていると、一年前にすでに詠んでいた。今回の句はその時のもの。確かに日陰に咲いていた。名前と場所のコントラストが気に入って詠んだであろう句。

同じ時期に城南宮に梅を見に行った記憶はあるが、いつ頃だったか忘れていた。まさか1年前の3月だったとは。人間の記憶とはそういうものだ。加えて、1年ぐらいでは、人間の感性、感覚というものは、そう大きく変わるものではないという事。今回思い知らされた。ただ、今現在の己の感性を信じて、見たものを見たまま捉える。こういう姿勢を持ち続けたい。

 

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梅一輪嵐に蘂を取られつつ

 

「方円」2020年4月号円象集掲載。

「蘂」とはおしべ、めしべの「しべ」の事。「桜蘂降る」という季語があるが、これは桜が散った後でがくに残った蘂が散って落ちる事を指す。私がこの句で表したかったのは、梅の花びら。今読み返すと、完全に用法を誤っていた。いずれにせよ、咲き始めた梅に、早速「嵐」という試練が襲ってくる様子を詠んだ句。

この句を詠んだのは2020年2月。例の感染症患者が初めて確認され、結構なニュースになっていた時期か。ここから世界的に猛威を振るうことになろうとは、この時は思いもよらなかった。花は咲いて、風雨にさらされ、耐えたものが命を繋げる。それが自然の摂理。人間社会には疫病という未知の試練がある。さらに人は知恵を持ち、人為的、心理的に他者に試練を与えるという事を覚えた。自然に咲く花とは違う試練に淘汰されてしまう人も、悲しいかな存在する。しかし、生きていかなければならない。亡母はステージ4との診断を受けてから「あっけらかんと生きよう」とよく口にしていた。それくらいの気構えが万人にあればいいのだが、そういう訳でもない。軽はずみに「耐えろ」と言わず、それぞれの方法で今を生きるぐらいの、緩やかな思いの方がいいのかもしれない。

 

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