8両編成で運行
玉里駅 発車の風景 光華号時代のヘッドマーク再現
玉里→花蓮 前面展望
告別白鐵 台鐵 玉里 - 花蓮 4677次 白鐵武士的畢業巡禮 DR2700型光華號柴油車 全程 路程景
今日はモーニングコールなし。
ホテルの部屋から向かいのビル。 少し古いオフィスビルのようです。
こんな高い場所にどうやってエアコン室外機を取り付けるのだろう。
落下したりしないのだろうか。 このような建物が多い台湾に来るといつも気になります。
10時出発。
龍山寺に来ました。
山門には春節の馬の飾りが施されていました。
きちんと拝めばちゃんとご利益があるそうです。
道教の神様もいて、ご利益もダブルだそうです。
(動 画)
昼食は、吉林路の阿美飯店 台湾料理店です。
エバーリッチ免税店
MRT 板南線 善導寺駅から台北松山空港に向かいます。
荷物は空港へバスで運んでくれているので身軽に移動できました。
忠孝復興で文湖線に乗換え。
文湖線は台湾初のMRT、「木柵線」として開業したものを延伸したものです。
フランスのVALシステムによる無人運行ゴムタイヤ式新交通システムです。
ワイパーを動かしてくれれば前が良く見えるのですが残念。
(参考写真) 以前に乗った時のもの。
空港が見えてきました。
松山機場 駅
エバー航空の飛行機 エアバスA330ー300 ハローキティジェット
チャイナエアライン 222便 羽田行き 18:15発 A330ー300 (登録番号 B18305)
東京では大雪が降っているとの情報があります。 飛べるのでしょうか。
夕食は機内食
羽田空港に向け順調に飛行しています。到着予定時刻は21;55着。
着陸に向けての降下体制に入る旨の放送がありました。
(次回に続きます。)
これから台北に向かいます。
花蓮駅
改札口
地方の駅でも自動改札が並ぶ改札口を見慣れた私には懐かしく感じる光景です。
赤いLEDの電光掲示板。
今年夏の台東(知本)電化後は、列車の運行形態が変わっていそうです。
降車専用の改札口では、電光掲示板も到着列車の時間を表示しています。
薪火相傳 荘子由来の中国の言葉。
12代同同 12世代が一堂に会す。
彰化の機関庫に左から古い順に車両が並んだ写真
左から:
1.CK124 蒸気機関車 1936年 (日本)
2.DT668 蒸気機関車 1941年 (日本)
3.R20型 ディーゼル機関車 1960年 (米国)
4.E100型 電気機関車 1974年(英国 設計 南アフリカ製造)
5.E200型 電気機関車 1975年(米国)
6.EMU100型電車 1978年(英国)
7.EMU1200型電車(EMU200型改造) 1987年 (南アフリカ)
8.E1000型電車 1996年 (動力車は南アフリカ 客車は韓国)
9.EMU400型電車 1990年 (南アフリカ)
10.DR1000型気動車 1998年 (日本)
11.EMU700型電車 2007年 (日本 量産車は台湾)
12.TEMU1000型形電車 2007年(日本)
台湾の鉄道近代化 高速化をそれぞれの車両は担って来ました。
その 「火」 は次の世代に受け継がれていくことでしょう。
改札内の一コマ
蘇奥行きの区間車 EMU500型電車
荷物車
観光列車 環島之星 の客車が留置されていました。
TEMU2000型 普悠瑪
2014年夏の台東電化を前に2013年、花蓮までの運行を開始しました。
普悠瑪(プユマ)の名前の由来は台東エリアの原住民「プユマ族」からきています。公募により選ばれました。
交通が非常に不便だった台東県の希望と夢を乗せて走る列車となることでしょう。
列車は定刻15:30分に発車しました。
この電車は空気バネを利用する車体傾斜システムにより曲線を高速で走行できます。
(振り子式による車体傾斜とは異なる。)
乗った場所とも関係があるのかも知れませんが、結構揺れる電車でした。
17:35 2時間5分の乗車で台北に到着。
以前に花蓮→台北をディーゼル自強号に乗ったことがありますがその時は3時間以上かかりました。
総統府
日本統治時代の1919年に完成した建物で、台湾総督府として利用されていました。
日本が敗戦後、中国では国共内戦が勃発、1949年台湾に中華民国の首都機能を移転しました。 以降、中華民国の総統府として利用されるようになりました。 国定古蹟として登録されています。
日本統治時代から現在に至るまで台湾の政治の中心でした。
戒厳令の時代から民主化 台湾の歴史を見て来た建物です。
本日の夕食は、小籠包の名店 鼎泰豐(ディンタイフォン)
店の前は、待ち客があふれていました。(これで40分待ちだそうです。)
私たちの団体は、そのまま中に入れます。
何度食べても美味しい。
帰国後も、翌週に新宿高島屋のお店に行ってしまいました。
ホテルに入りました。
1日目と同じ、ガーラホテルです。
ツアーの方と、夜市に行くことにしました。
その前に近くにある「行天宮」に行きました。
青い法衣を着た人から線香を頂きます。
ご本尊が商売の神様である「關聖帝君」 夜になっても参拝が絶えません。
MRT中山國小から一駅 民権西路で淡水線に乗換え 二駅目の剣潭で降りました。
雨が降ってきてしまいました。
牡蠣オムレツ「蚵仔煎」 これは私の好物です。
臭豆腐
炒米粉(焼きビーフン) と 魯肉飯(ルーローファン・・・煮込み豚肉かけご飯)
雨が強くなってきたので、タクシーを拾いホテルに帰りました。
160元(メーター140元+夜間割増料金20元)でした。
(次回に続きます。)
池上駅から、自強号で花蓮に向かいます。
弁当の売り子がいました。 日本ではあまり見かけなくなった光景です。
反対側のホームには、12:03発 台東行き 自強 208 号 が到着しました。
この列車の終点台東まではあと36分。 乗務員さんのお勤めもあと少しです。
私が乗る12:02発 自強 221号 はこの列車の到着を待って発車します。
若い車掌さんが検札に来ました。
定刻に列車は到着。
現地旅行社 台友旅行社のお力なのか、駅構内の貴賓室を使わせていただけました。
旅の荷物はそこに置いて身軽に見学に行けました。
LDK59号 蒸気機関車 (LDK50型)
日本統治時代の台湾総督府鉄道が1915年(大正4年)から762mm軌間の台東線で使用するために導入したものです。
台東線が1067mmに改軌された1982年まで使用されました。
初日に見た台北駅前のLDK58
LDK59は、台東の鯉魚山公園に静態保存されていましたが、2010年、台湾鉄路管理局の手で動態復元されました。
花連駅構内で、私たちの団体のために特別運行していただけました。
牽引されている車両も、珍しいものばかりです。
1961年製造のLDR2300型(LDR2307号) 台東線光華号として762㎜ナローゲージ世界最高速(時速70キロ)運行をした車両。
LDR2300は、台東線の改軌後、1067mm軌間で走れるよう改造され引き続き、普通列車として使用されました。
インターネット上に貴重な映像を見つけましたので、紹介します。
DR2000型 東光華號 珍奇禄像
http://nviewer.mobi/player?video_id=sm16332227
2両目 3両目も 珍らしいです。
2両の1100型 木造客車 LTPB1375(1943年製造) LTPS1102(1930年製造)
花蓮市内で静態保存されていましたが、2010年復元修理されました。
3等客車 LTPB1375 車内
3等座席・寝台合造車 LTPS1102
座席部分から寝台室が見えています。
寝台部分 定員8人
ナローゲージの寝台車。
夜行列車は、170.7キロを所要7時間をかけて走行していました。
LDR2200型(1956年号)気動車
1956年 製造
LDR2204の運転台
動画です。