台湾鐵道浪漫紀行 5日  4日目 その3 特急列車 普悠瑪 号で花蓮から台北へ  | 私の旅ブログ

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これから台北に向かいます。 

花蓮駅



改札口 

地方の駅でも自動改札が並ぶ改札口を見慣れた私には懐かしく感じる光景です。




赤いLEDの電光掲示板。



今年夏の台東(知本)電化後は、列車の運行形態が変わっていそうです。



降車専用の改札口では、電光掲示板も到着列車の時間を表示しています。



薪火相傳  荘子由来の中国の言葉。

12代同同  12世代が一堂に会す。 

彰化の機関庫に左から古い順に車両が並んだ写真

左から: 
1.CK124 蒸気機関車 1936年 (日本)
2.DT668 蒸気機関車 1941年 (日本)
3.R20型 ディーゼル機関車 1960年 (米国)
4.E100型 電気機関車 1974年(英国 設計 南アフリカ製造)
5.E200型 電気機関車 1975年(米国)
6.EMU100型電車  1978年(英国)
7.EMU1200型電車(EMU200型改造) 1987年 (南アフリカ)
8.E1000型電車  1996年 (動力車は南アフリカ 客車は韓国)
9.EMU400型電車 1990年 (南アフリカ)
10.DR1000型気動車 1998年 (日本)
11.EMU700型電車 2007年 (日本 量産車は台湾)
12.TEMU1000型形電車 2007年(日本)

台湾の鉄道近代化 高速化をそれぞれの車両は担って来ました。
その 「火」 は次の世代に受け継がれていくことでしょう。



改札内の一コマ




蘇奥行きの区間車 EMU500型電車



荷物車




観光列車 環島之星 の客車が留置されていました。
 

 

TEMU2000型  普悠瑪  

 

 
2014年夏の台東電化を前に2013年、花蓮までの運行を開始しました。

普悠瑪(プユマ)の名前の由来は台東エリアの原住民「プユマ族」からきています。公募により選ばれました。 

交通が非常に不便だった台東県の希望と夢を乗せて走る列車となることでしょう。 
 

 

 



列車は定刻15:30分に発車しました。



 

 

 

この電車は空気バネを利用する車体傾斜システムにより曲線を高速で走行できます。

(振り子式による車体傾斜とは異なる。)

乗った場所とも関係があるのかも知れませんが、結構揺れる電車でした。

 

17:35 2時間5分の乗車で台北に到着。

以前に花蓮→台北をディーゼル自強号に乗ったことがありますがその時は3時間以上かかりました。

 
 

 


総統府 

日本統治時代の1919年に完成した建物で、台湾総督府として利用されていました。
日本が敗戦後、中国では国共内戦が勃発、1949年台湾に中華民国の首都機能を移転しました。 以降、中華民国の総統府として利用されるようになりました。 国定古蹟として登録されています。

日本統治時代から現在に至るまで台湾の政治の中心でした。
戒厳令の時代から民主化 台湾の歴史を見て来た建物です。



本日の夕食は、小籠包の名店 鼎泰豐(ディンタイフォン)

店の前は、待ち客があふれていました。(これで40分待ちだそうです。)

私たちの団体は、そのまま中に入れます。

 
何度食べても美味しい。

帰国後も、翌週に新宿高島屋のお店に行ってしまいました。


ホテルに入りました。

1日目と同じ、ガーラホテルです。




ツアーの方と、夜市に行くことにしました。

その前に近くにある「行天宮」に行きました。

 



青い法衣を着た人から線香を頂きます。



ご本尊が商売の神様である「關聖帝君」 夜になっても参拝が絶えません。

 

MRT中山國小から一駅 民権西路で淡水線に乗換え 二駅目の剣潭で降りました。

雨が降ってきてしまいました。
 

 

 
 



牡蠣オムレツ「蚵仔煎」 これは私の好物です。

 

臭豆腐  

 

炒米粉(焼きビーフン) と 魯肉飯(ルーローファン・・・煮込み豚肉かけご飯) 



雨が強くなってきたので、タクシーを拾いホテルに帰りました。

160元(メーター140元+夜間割増料金20元)でした。  



        (次回に続きます。)