まちづくり、を考える

<10月1日、新湊曳山祭りにて、六角堂の前を通る町内の曳山>
今週末の講演を控え、話をするネタになるようなことを書き綴ってみようと思います。
タイトルは決めてしまったものの、内容が決まってない…そして前日に急いで講演資料をつくる、いつもそんな具合です( ̄ー ̄;
大学を卒業してすぐに、この世界に飛び込み、もう20年です。…20年ですかー!
そんな僕が言うのも変ですが、まちづくり、ってなんでしょうね?
正直、よくわかりません。あまりにも、バズワードなのです。他のことに置き換えてみると「生きるってどういうことですか?」という質問に答えるほど難しいです。
でも、1つだけ言えることは、目的化できない、ということ。さらに言うなら、手法でもない、形態でもないってことです。
よくわからないなりに、用意している答えはあります。
あくまでも現時点の暫定版ということで(〃∇〃)
まず、2つの基軸の話からスタートです。
1つめ、自分がやりたいこと(自己実現)とは何か。2つめ、世の中のためになること(社会貢献)とは何か。この2つの関係性がとっても大事です。
まちづくり委員会などに顔を出している人で、こんな言い方をしている人はいませんか?「俺は地域のためだと思っとるから、忙しいのに時間をつくって、しかもタダ働きで協力してんねん!もっと行政が本気出したらどうなんやねん!」みたいな…( ̄ー ̄;
これは、自己実現ではなく、自己犠牲の精神で参加している活動ということになります。
願わくば、自分がやりたいことと、世の中のためになることが重なっていてほしいものです。地域のためになるんだから、無理してでもイベントに参加しなきゃいけないという状況は、過酷な労働と同じです。そこに自己犠牲があったはダメです。
ボランティアのもとになっている「ボランタリー精神」と同じことです。タダで働くことではありません。
体力的には辛いけど、面白いから手伝っている活動であればOKでしょう(°∀°)b
最初はイヤだったけど、そのうち楽しくなってきた、自分のためになった、という場合も良いでしょう。
今までのしかけづくりで大事にしてきたことは、市民の皆さんのやりたいことを事業に組み入れて、皆んなで協力してカタチにすることです。有名な先生が「こうしたら上手く行く!」というプランに乗って、与えられた役割を担うだけでは、自己実現が欠けているので、だいたい長続きしませんね。
やりたいことは、責任とセットであるということを忘れないでほしいです。
成功の基準は難しいですが、観光施設に年間100万人とか、売上10億円とか、そういうレベルではないにしても、やりたいことをやって、何人かの人が心から喜んでくれた、1,000円払ってくれた、そのあたりから成功体験を積み重ねることが、いい方向性を導くことになります。
中には、社会貢献をしたい!という気持ちが先行して、何かやりたくて仕方ない、という人もいるでしょう。でもこのパターンは、僕に言わせれば、偽善者予備軍です。どこかで破綻します。皆んなのためにやっているのに、なんで文句ばっかり言われるのよ!誰のためにやってあげてると思ってんの!…こういう思考に陥りがちです。
やっぱり、誰に文句言われようが、なかなか上手くいかなくても、評価されなくても、自分が好きでやっていることなら良いじゃないか!それくらいの気持ちが必要です。この余裕が、いい結果をもたらすと思います。
これらの考えは、会社での仕事にも当てはまります。
自己犠牲で、好きでもない仕事をする必要はありません。世の中そんなに甘くないと思わないでほしいのですが、自分がワクワクするような仕事でなければ、いいものを生み出すことはできません。イヤイヤ、生活のために仕方なくやっている仕事であれば、すぐに辞めてしまったほうが良いです。
会社で働くにしても、自己実現ができない職場は、いつか本人と会社が破綻します。いい結果は待っていませんし、世の中のためになる仕事はできないと思うのです。
まちづくりは、自己実現がベースで、社会貢献にもつながっている、そんな活動や事業なんじゃないでしょうか。振り返ってみたら、それがまちづくりだった、という風に結果論で語れるもんなんじゃないかと思います。
まず、一旦ここで区切ってみます。
夢よ、ありがとう。
金融機関とのおつきあい

<夕暮れの新湊内川の風景>
今日は、金融機関の日でした(°∀°)b
つまり、お金を借りるために金融機関をはしごした日です。
今期は頑張ったおかげで、前期よりも売り上げが倍増です。
なのですが、手放しで喜んでられないんです…。その分、出て行くお金もそれなりに倍増でして、資金繰りが大変なことになってます( ̄□ ̄;)
うちの仕事はお役所関係が多くて、入金が翌年の4月とか5月あたりなのですね。だから、多少の前払い金があったとしても、ジャンジャンお金が出ていき、資金繰りが厳しい状況に陥っております…もう助けてー!!((((((ノ゚⊿゚)ノ って感じです。
ところがところが、富山県で生きていくことを宣言(いや、勝手にそう意気込んだ)して以来、他県の営業は一切やめて、同時にマンパワーも少なくなり、行けるところまでギリギリ踏ん張ってみた結果、数年の赤字が続いてしまいました(´□`。)
そんな会社にとって、金融機関は決してフレンドリーな存在ではありません。
赤字続きの会社への融資にはめちゃくちゃ厳しいです。そんなことはわかっているんですが、これでは、過去の成績が悪い会社が這い上がれなくなるシステムじゃないか、と思うんです。未来がなくても過去の実績があれば、簡単に融資はしてくれるんかい!とも思ったりヾ(。`Д´。)ノ
今月のシルバーウィーク、僕は金融機関対策のための資料をつくりまくってました。
えぇ、休み中、ず~っとこのことばかりを考え、資料づくりに没頭していました。多分、このタイミングで来年4月までの運転資金を調達できなければ、うちの会社の未来はありませんから。
世の中には、僕のような連休を過ごしている人も多いんだろうなと自分を慰めたり、Facebookが目の毒だったり(笑)カフェで頑張っているうちのスタッフからは、パワーをもらいました(`∀´)
連休明けの今日、この日は決戦の日と決めておりました。
資料を整え、朝イチから面談の予約の電話を入れ、何かをつかんでやろうと意気込んでいました。占星術によると12日周期で一番運気のよい「達成」の日でもあったのが、背中を後押ししました(≧▽≦)
結局のところ、以前からのおつきあいがあるところも含め、今日は3行と面談ができました。
プレゼン自体は、そのものがいつもの仕事の一部のようなものですから、数字的な根拠があり、原因と結果の整理、客観的な分析、今後の計画や経営ビジョン、想いや夢も含め、資料としてはなかなか上手にまとめることができたと思います。
行く先々では、冷静に丁寧に、慎重に言葉を選びながら、100%+αくらいの力を発揮できました。僕は「準備9割」というポリシーを持っていて、しっかり説得材料を準備できれば、あとは当日の運に任せても良いくらいのスタンスです。
きっとそれが奏功したんだと思います。今までの赤字も、しっかりと理由と課題を整理し、これからの経営ビジョンを明確に示し、どれくらいの確実性があるかを具体的な根拠とともにプレゼンすれば、ちゃんとわかってくれるんだと感じた日でした。担当者の方も人間です。過去よりも未来の可能性を見てほしいという思いは伝わるもんなんだと、今日、あらためて実感したのであります:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
もちろん、審査はこれからですから結果はまだわかりません。でも、確実に自分がステップアップしたのを実感できた日でした。それから金融機関との付き合い方についても、より理解を深めることができ、経営者として大事な経験をさせていただきました。
僕は、我が社の未来に責任を持っています。経営者であれば当然なのかもしれませんが、より強烈な主体性というものが、この責任感を生み出すんだと思うのです。つまり、自分がしたいことだから、何があっても自分が責任を取るという覚悟なんだと゛(`ヘ´#)
悔やまれるのはただ1つ、ストレスで歯が痛くなり、嫁の作ってくれた美味しい料理を堪能できないこと。分かりやすく、すぐに出てしまうんですね。あぁ、歯が痛い…。
今日、出会った方々に、ありがとう(°∀°)b
次のステージは上にあるんです
寄り道の途中に宝物があると思ってた。長いあいだ、そう信じて生きてきた。実際にそうだったこともある。そうね、だいたい30歳くらいまでは。
でも、人生のステージによって、それは変わるということに気づかず、長いあいだ、前に進めなかった( ̄ー ̄;
出会いの蓄積のなかで、勝手に方向づけがされ、カタチとして見えてくるもんだと思い、「必然」というものの奇跡を楽しみに待っている自分がいた。
何かを求めて、たまたまご縁のあった人や仕事と手当たり次第に付き合ってみる。でも、そういうところからは、次へのステージは見えてこない…。
今となっては「なるようにしかならぬ」というフレーズも、安楽死へと導く危険な言葉だとわかる。
僕が怖いと思ったのは、どんどん広がっているのに、上へ登っていない感じ。言い換えれば、二次元移動ですね。
それ、気付いたのが最近なんですよね。つい3年前くらいでしょうか。いや2年前かも。(´д`lll) 確かに広がっているんですよ、仕事も人脈も。二次元移動で、です。
どの人が、どの仕事が、なんていう事は、一見して、まったく方程式はないようです。しかし、以前のブログで何度も書きましたが、その判断方法は超簡単で、最初から人間に備わっている能力なのですね。
覚醒~新しい人類史がはじまったという確信③
今日という日を、今日しかできないことで埋め尽くしたい。人の時間を生きたくない、人の時間を奪いたくもない。ただ、奪うという感覚は、多くの人が持っていません。悪気はない、だから厄介なのです。
人は前へ進むだけではダメです。しかし、前に進まなければ、上へ登るパワーを得ることができない。
今日は多くのことへ感謝いたします、ありがとう。
でも、人生のステージによって、それは変わるということに気づかず、長いあいだ、前に進めなかった( ̄ー ̄;
出会いの蓄積のなかで、勝手に方向づけがされ、カタチとして見えてくるもんだと思い、「必然」というものの奇跡を楽しみに待っている自分がいた。
何かを求めて、たまたまご縁のあった人や仕事と手当たり次第に付き合ってみる。でも、そういうところからは、次へのステージは見えてこない…。
今となっては「なるようにしかならぬ」というフレーズも、安楽死へと導く危険な言葉だとわかる。
僕が怖いと思ったのは、どんどん広がっているのに、上へ登っていない感じ。言い換えれば、二次元移動ですね。
それ、気付いたのが最近なんですよね。つい3年前くらいでしょうか。いや2年前かも。(´д`lll) 確かに広がっているんですよ、仕事も人脈も。二次元移動で、です。
どの人が、どの仕事が、なんていう事は、一見して、まったく方程式はないようです。しかし、以前のブログで何度も書きましたが、その判断方法は超簡単で、最初から人間に備わっている能力なのですね。
覚醒~新しい人類史がはじまったという確信③
今日という日を、今日しかできないことで埋め尽くしたい。人の時間を生きたくない、人の時間を奪いたくもない。ただ、奪うという感覚は、多くの人が持っていません。悪気はない、だから厄介なのです。
人は前へ進むだけではダメです。しかし、前に進まなければ、上へ登るパワーを得ることができない。
今日は多くのことへ感謝いたします、ありがとう。