恥辱とカタルシス -30ページ目

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

めっちゃくちゃですねー!

こんばんは、渋谷です。

 
 
 
金原ひとみさんの「憂鬱たち」です。こないだ「蛇にピアス」を読んだ金原ひとみさん。
 
なんだか痛いお話を書く方だなあと思ったんですが、今回も痛い。痛い痛い。でも今回の痛さは痛覚に訴える痛みではなく、「あーいたたたた。こりゃ触らんほうがいいなあ」という精神的な痛さです。
 
この「憂鬱たち」は短編集なんですが、すべての話の登場人物が同じ人なんですね。若い女性「神田憂」、大学生ぐらいの男の子「ウツイ」くん、50手前のおっさん「カイズ」さん。ラインナップは
 
デリラ
ミンク
デンマ
マンボ
ピアス
ゼイリ
ジビカ
 
の7篇となっています。
 
この3人が毎度出てきて不思議な世界を繰り広げます。神田憂は毎度毎度、精神病院にかかりたいかなりの分裂女子。ウツイくんとカイズさんはその度別の役割を与えられて、税理士になったりコンビニの店員になったりタクシーの運転手になったりするんですね。
 
役割は色々ですが、ウツイくんとカイズさんはなんやかんやと神田憂の精神病院行きを邪魔します。邪魔してる訳じゃないんだけど、毎度毎度病院に行けない神田憂。
 
病院に行こうと思って家を出るのに、いつの間にかミンクのコートを買うことになっちゃったり、バーでバイトすることになって先輩カイズにパンツの上から股を舐められたり、コンビニ店員ウツイの気を引きたくてタンポンやらコンドームやら買って領収書を求めたりします。もう、何がなんだか。めちゃくちゃな神田憂の精神状態を延々描写されるこの短編連作。嫌いな人は間違いなく嫌いだろうと思います。でも私は結構好きだった。知ってはいけない世界を見せられる快感。行っちゃいけない場所を覗いてしまう快感。
 
ブラックユーモア、という言葉がぴったり合うのかなと思います。筒井康隆さんの描く、狂人の表現を思い出してしまった。暴れに暴れて「うへへへへ」って笑うあの突き抜けた狂いっぷり。あれを女性がやるとこうなるのかなって感じ。それを冷静に書く金原さん。この人、狂ってるのか冷静なのか、どっちなんだろう。
 
筒井さんって、なんかもう若干突き抜けちゃってる気がするんですよね。七瀬シリーズとか時をかける少女とかも子供の頃読んだのですが。
 
やっぱり圧巻は、短編で見せる荒唐無稽かつものすごい重みの違和感の幕の内弁当。違和感が心地よくて、自分が狂ってるのか筒井さんが狂ってるのかわからなくなるあの混沌。それを思い出してしまいました。金原ひとみさん、面白い作家さんだなあ。
 
 
 
この本の特徴として、改行がほとんどない、というところが挙げられるのかなと思います。ページをびっちり文字が埋め尽くします。そこに書き綴られた、神田憂の被害妄想と爆発する性欲。性欲ですよ性欲。私、女の人が書く性欲ってほんと好きなのよ。某エブリスタのお姉さんの大ファンなんですが、その方も女の性欲をきれいに書かれる方なんですよね。(うう、名前は出せない)
 
結局女にも性欲はある。それをないもののようにして生きていくのは嘘なんじゃないかと思うんです。「私、そんな汚らしいこと大嫌いです」とおっしゃる方を否定するつもりはありません。人それぞれに感性は違うからね。
 
でもあるんならそれをないものとするのは嘘になってしまう。あるものをあるままに表現するって美しいことだなと思う。林真理子さんが好きなのもそこなんですよね。女の性欲を隠さない。寂聴さんも好きだ。やりたいならやりたいでいいではないか。そしてそれを素直に表現する女性ってとてもチャーミングではないか。
 
まあ社会規範とか色々あるので実際は難しいですがね。神田憂は独身だからやりたい放題です。しかもほぼ妄想だ。あ、話がそれたね。
 
そういう性欲やらなんやらを、神田憂は改行なしで一気に書き連ねていきます。神田憂というか金原ひとみさんが。ページはもうまっ黒です。ひたすら半狂人の被害妄想の行ったり来たり。でも、これすごくいい効果をもたらしてるのかなと思います。
 
私よくヤフコメ見るんですよね。アホなので、ニュース読んでどう解釈していいかわからない時があって。ほかの人はどう思ってるんだろうって知りたい時、ヤフコメを見てみるんですが。
 
そこで、改行なしでみっちり書き連ねてる人って、言ってることもホント変なんですよね。変……と言うか「あ、何かを超えたのですね」みたいなしっとり伝わる恐怖。神田憂の独白も何かを超えています。これを書ける金原さんも、きっと一度は何かを超えたんだろうなあ。
 
ストーリー性も謎解きもカタルシスも何もないこの作品。面白い、これも文学って言っていいんだね。
 
 
 
 
私が一番面白かったのは「デンマ」という作品です。精神病院に行こうとしてなぜか電器店で電マを買ってしまう神田憂。もちろん目的はオナニーです。もう何がなんだかわからない。でもオナニー難民の女子は世間に溢れていることでしょう。イケメン店員を前にして「あ、使用部位は腰周りです」と言ってしまう神田憂。あっぱれ。もう笑うしかない。狂気の裏側にある失笑。こんなのもアリなんですね。
 
細々考えたら笑っちゃいけない状況です。でもまあ笑っときましょう。そういう投げやりさもあるこの「憂鬱たち」。表紙に絵画から抜け出た裸婦が多数描かれているのですが、それを見てうちの子供が言いましたとさ。
 
「ママ、こんな本読んだらいかんよ! なんか変だよ! こんな男の子がニヤッと笑うようなの、ママが読んだらいかんよ……!」
 
すまんな子よ。ママはこんなのを読む人間なのだ。「これは裸婦像っていってね、芸術の一端でね、ヨーロッパではこういうのが美しいとされていてね、決しておかしいってことはなくてね……」と説明途中にブラタモリがパリ特集を始めた。街のブロンズ像に子供も納得したらしい。
 
なんか色々、色々ですね。何があってもいいのだなと思った「憂鬱たち」。面白かった。金原ひとみさん、もっと読んでみたいと思います。
 
 
 
そんなわけで、おやすみなさい!

あー楽しかった!

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

はい、林真理子さんの「みんなの秘密」を読みましたよー。吉川英治文学賞受賞作。

 

真理子節炸裂で面白かった!あー私にとってのエンタメって、こういうのなんだなー。

 

 

 

以前読んだ真理子さんの「秘密」という短編集の中に収められていたお話も2篇入っていました。1話目の脇役が2話目の主役になり、2話目の脇役が3話目の主役になり……というリレー方式の短編集。ラインナップは

 

爪を塗る女

悔いる男

花を枯らす

母の曲

赫い雨

従姉殺し

夜歩く女

祈り

小指

夢の女

帰宅

ふたりの秘密

 

となっています。

 

この中の「夢の女」と「ふたりの秘密」が別の短編集で読んだ作品ですね。もう、本当に面白いったら。

 

ひとつの話の主役が次の話では脇役に回るので、1話目の主役が見ているものが2話目には全然違う視点で語られたりするんですよね。この話では「正しい母」であったはずの主人公が、次の話で「高慢ちきで子供を抑圧する母」という正体を暴かれたりする。そして真理子さんの真骨頂である「嫌な女」、「ずるい男」のぞくぞくするようなせめぎ合い!

 

あああー面白いっ!人間が多面体であることをまざまざと見せてくれる短編集です。それで大体が、主人公が40代の男女なんですよね。もしくはその子供だったり。この年代を切り取ったのがまた面白いんだ。

 

この短編集は1作目の初出が1996年なので、もう20年以上前ですね。ちょうど真理子さんが40代に差し掛かった頃です。今の私ぐらいの頃。昔だから子供はもう高校生だったり大学生だったりする。もう子供の手が離れて、女なら主婦としても落ち着いてくるし男は仕事人として脂がのってくる。裕福な家庭ばかりがとりあげられているので、子供たちも美しく恵まれている子ばかりです。豊かで幸せなはずの男と女。でも、一枚めくるとみんなに「秘密」があるんだよなあ。

 

共通して横たわるテーマが、「親の死」「中年の鬱」「セックス」「虚栄心」。赤裸々真理子さんは臆することなくみんなの秘密を暴いていきます。

 

美人の娘を持った中年男は、母親の死に打ちのめされてなぜか性欲復活。娼婦を買った挙句に娘の尻をジロジロ見つめてしまいには死に至る病気が発覚してしまう。

 

その娘は今で言うパパ活に精を出して、父親と同じぐらいの年齢の男に逆に惚れちゃって熱を上げてしまう。でもポイッとされちゃうけどね。

 

そのポイッとした男は昔ふしだらな従姉に欲情の挙句、夜中の神社で首を絞めて死姦しちゃおうとするような男だったんですね。首は絞めたけど怖くなって途中で逃げた。でもその従姉は翌日道端で凍死しているのが発見されちゃう。ああ、恐ろしい青春の思い出。

 

で次にその妻は……。

 

……というぐあいに話は連鎖していきます。どれもこれも「あーあーもうなにやりよん!」とつっこみたくなるような愚かしい行いばかりです。そう、社会的に考えると恐ろしい、でもみんなほんとは心の奥に持っている本当の欲望。

 

それこそが「秘密」なんですよね。「みんなの秘密」。だってほら、思い出したら人に言えないことってたんまりありますよね?過去のこともそうだけど、現在進行形でとてもじゃないけど人様に明かせないことって、誰にでも絶対ある。

 

 

 

最近の世の中ってなんかもう妙にクリーンじゃないですか。浮気は害悪でちょっとした言葉のはしっこがセクハラとかパワハラとか。そりゃ誰かを傷つけるようなことはしちゃいけません。「自分がされたら嫌なことはしない」。それは鉄則ですよね。

 

でもどんだけ清廉潔白に生きていこうとしてるんだ今の人たち。私は息苦しくって仕方ないです。立場上「いい母」を演じることを強要される場面が多くてすごいめんどい。まあ演じませんけど。ゴイゴイのロン毛パーマとキラキラの爪で参観日行きますけど。もちろん子供の幸せは一番に考えますが、だからって急に清楚系母になんてなれるわけない。

 

欲望があって当然なんだ。だって、人間だもの。でもおおっぴらにせずこっそりそれを叶える真理子さんの登場人物たち。秘密って言葉が淫靡で良いですね。いーなー秘密。それは余裕と知性がある獣たちの共有する罪、って感じですかね。やっぱり真理子さん好きだなあ。

 

そうそう、連鎖する短編は最後、「ふたりの秘密」というお話で締められます。前のお話の主人公が脇役になって、最終話の主人公は前のお話の主人公の夫です。

 

夫は妻の秘密を自分の秘密にします。それで「ふたりの秘密」。もう秘密は連鎖することがなくなります。このラストも、かっこいいし素敵だなあ。うーん、やっぱり好き。私、林真理子さんほんとに好きだなって思います。

 

けど読書メーターとか見るとあんまり評価高くないのよね。なんで?私は好き。まあそれが人の好みってやつなのかな。

 

いろんな人がいるから世の中は面白い。私は真理子さんがいる時代に生まれて良かった。もっといっぱい真理子さんの本読もっと。

 

では寝ます!

 

おやすみなさいー!

 

いやー、いろんな世界があるんやねえ。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

おすすめ頂いた、菅浩江さんの「永遠の森 博物館惑星」を読みました!私がなかなか読まないSF分野。子供の時に読んだ子供向けSFと、いっても新井素子さんぐらいまでかなあ。私のSF歴。久しぶりの世界観に、慣れるまで時間がかかりました。

 

でも慣れてみれば引き込まれました。最近の私にはなかった情緒的な感動。「バーンとなってがーんとなってあーあ!」みたいなのばっかに浸ってたから、久しぶりになんかほぐれたよ。そうそう、この本を読む前にテレビでやってた「ジョン・ウィック」を見たんですよね。キアヌ・リーブスのアクションもの。一度怒らせたらどうにもとまらない元殺し屋ジョン・ウィックが、とことん冷徹にしつこくみっちりと復讐を果たす話。いやー、キアヌ、かっこよかった!映画見ん派やけど男前は見るよ。内容も、すごく良かったです。

 

あれを見てから読み始めたから、余計になかなか入り込めなかった。だってとっても綺麗で優しい世界観。まずその世界の仕組みを理解するのに時間がかかった。この本の舞台は、ズバリ「博物館惑星」。ざっくり言うと、そこで働く脳内にパソコンをつないだ学芸員たちの日々の記録です。

 

 

この本は9篇からなる短編集です。1話目の初出は1993年。なんかまだパソコン通信の時代って感じがしますけど、いまググったらもうインターネットって概念は出来上がってた頃なんだって。主人公田代孝弘は、脳内に今で言うGoogle先生を埋め込んだ博物館学芸員です。

 

「こんな形のあれってなんだっけ」と思い浮かべるだけで、統括コンピューター「ムネーモシュネー」が「はい、こちらでしょうか」なんて具合に結果をはじき出してくれる。今は音声検索が最先端ですが、多分これ、この先主流になるんでしょうね。頭に輪っかつけて念を送ると全部パソコンにつながる、みたいな。テレビで既にそんなんやってた気がする。精度はまだまだなんでしょうが、きっとこれからこうなっていくんでしょうね。

 

先見の明、ですね。この時代になると「ああー、うんそうなるだろうね。わかるわかる」程度ですが、1993年に第1作の短編を読んだ少年少女たちは震え上がったであろう。「ええー21世紀すごいー!」

 

だってちょっと前までドラえもんは21世紀から来たって設定だったからね。北斗の拳は199X年だったし。軽く超えてもーたっちゅうの。なんだか、長生きしてしまったなあ。

 

話がそれました。そんな博物館「アフロディーテ」には日々美に関する厄介事が持ち込まれます。博物館ですので、収蔵されている品はもちろん美に関するもの。ここには物品だけでなく「動植物」「音楽」しまいには「海」まで収蔵されています。だって小惑星一つ分の巨大博物館。お人好しで仕事熱心な学芸員孝弘は、一つ一つの依頼に頭を悩ませるのです。

 

時には謎を解き時には部下の愚行に翻弄され、見ていて気の毒になるような苦労の数々。私の中で一番面白かったのは「永遠の森」という作品かな。

 

孝弘の直属の部下マシューは最新式のいわゆるOSを頭に内蔵しています。だから先輩たちにえらそーなのね。やな若造。独善的なエゴ丸出し男は自分の手柄のために結構な無理をやっちゃいます。刑事ものでもよくある「功を焦る新人」ってやつね。で、御多分に漏れず大失敗、大反省。人間ドラマです。そこに絡んでくる美術品の描写が良かった。愛憎劇と美しい植物時計。この作家さんは、ほんとにイマジネーションが豊かなんだなと思います。

 

手のひらサイズのドーム型の時計は、その時間を示して内部の景色を変えます。朝は若葉、夕方は紅葉みたいな。そんなんあったら確かに買うね。とても素敵。女性ならではの感性ですね。

 

そして9篇は独立した1話完結なのですが、少しずつ伏線が張られていて最終話「ラヴ・ソング」へと続いていきます。忙しい仕事を言い訳に、嫁をないがしろにしてきた孝弘くん。私は1話目から思ってました。事あるごとに「嫁が騒がしい」だの「相手をしてあげなきゃいけない」だの君は何を言っているんだ。

 

そんなん言ってたら嫁さん怒ってえらいことになるよ?と思っていたら案の定嫁独立宣言。でもちゃんと最終話に向けて話は集約されていき、最後には「そうなったか!」と胸を打つラストが待っていました。1冊の本を通して、ラブストーリーとしても読めた作品でした。すっきりの読後感です。

 

 

 

しかし思ったのよね、一言に「小説」といってもいろんなスタイルがあるんだなって。まあ、当然のことなんですが。

 

最近私、「色々削ぎ落とした作品」を多く読んでたんですね。説明しない作品。言葉は少ないし謎解きしない。自分で考えてねって話。だから、この「永遠の森」を読んでちょっとびっくりしたの。

 

ものすごく細かく説明するんですよ。もちろんSFだから世界観を説明してくれないとこちらもわからないから、地の説明文が多くなるのはわかるんです。でも、設定説明以外も細やかに説明する。こないだなんかで読んだのよね、片岡義男さんと江國香織さん(だったと思う)が対談をしていて。

 

「ドアを開ける」って書いたら「入って、ドアを閉めた」って描写もしたくなってしまうんだって。だから小説の中でなかなか時間が進まないんだって。私結構びっくりしたのよね。だって、ドア開けたら入って閉めるに決まってるやん。

 

それいちいち書くの?書いてたら話進まんくない?でもそういう丁寧な描写が、読む人間にリアリティを与えて読み込める小説になるっていうんですね。細部は違ったかもしれませんが、なんかすごく印象に残ったんです。

 

菅浩江さんもそういうタイプの作家さんなんだろうなあ。だからゆったりと落ち着いて読める短編に仕上がっているのかなと思いました。だってテーマが「美」だもんね。「バーンとなってがーんとなって」みたいなことしてちゃ表現出来んもんね。

 

私がなかなか手にしない分野の小説、おすすめ頂いた姉さん、ありがとうございました!綺麗なもの見て心が洗われたよ!姉さんのルーツがよくわかった。そしてまた「バーンガーンぎゃー!」みたいな小説を書く私。

 

なんか中編ぐらいで終わりそうな気がしてきた。エグいのはあんまり長くないほうがいいのかなと思いだして。短いほうがショックを与えられるような気がしたのね。「ショックを与えよう」って考えがもう「ぎゃー!」ですね笑

 

さあーひと心地ののちに再始動です!ひとり寂しく頑張りますっ。

はい、めんどい。でも好き。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

この人めんどいですねー田中慎弥さん。「共喰い」で芥川賞獲ったとき、「もらっといてやる」って言ってた人ですね。めんどいですねーついでにこじれてる。


大学受験に失敗して以来延々ニートしてたんだって。バイトすら一瞬もせずに、33歳で作家としてデビューするまでシングルで育ててくれたお母さんに食べさせてもらってたって。ちょっと聞いただけで、女からするとかなり引く経歴の持ち主です。

 

でも、人間としてこんな人ってめっちゃ興味引かれますよね。何をどうしたらそんなことになったんだ。何を考えてどういう精神で作家を目指したんだ。そのめんどさの奥にあるものが見てみたい。というわけで、三島由紀夫賞受賞作の「切れた鎖」です。




この本は短編集で、「不意の償い」「蛹」「切れた鎖」の3編が収録されています。「蛹」は川端康成文学賞受賞作です。「蛹」はさなぎと読むのですね。


「不意の償い」は同じ団地の幼馴染ふたりが自宅で初えっちしてる最中、ふたりの両親計4名が働くスーパーが火事になってるのを窓の向こうに発見しちゃうところから、色々おかしくなっていく話。


親を亡くしたふたりは結婚します。けれど男は、自分たちがセックスしてたせいで両親が死んじゃったんじゃないかみたいな、妙な罪悪感に苛まれることになるのですね。


で、ある日出勤前の嫁さんになんかムラムラして玄関でやっちゃう男。嫌がる嫁を半ば犯した形なんですが、それで嫁さんは妊娠します。めでたいことであるはずなのに、なんか罪悪感が再燃してしまった男はそこからおかしくなっていく。


狂人が見る景色を文章でまざまざと見せつけられます。多分男の中にあるのはセックスに対する罪悪感。ああ火事か。もっと燃えればいいのに。親が帰ってこなければもっとセックスできるよなーと考えた自分が許せなかった。めんどーい。もちょっとカラッとしたら?と思いますけどね。この人はとても思いつめるタイプなんでしょうね。


簡単には表現できない複雑な心理描写です。自分が無理矢理やった時の子じゃないと思いたいばかりに嫁さんの不貞を疑ったりするんだぜ。子供が生まれる段になると男は正気を取り戻します。弱い……なんて弱いのだお兄ちゃん!


でも男の人ってそーなのかもね。繊細。まあ確かに嫁が孕んだところで、自分の子って確証はないわけで。 


だからって心の傷に翻弄されすぎよー。自分の夫がこんなかったらと思ったらぞっとしますよ。もっと強くなってちゃんと稼いできてよー。そんな具合に、嫁さんの立場に立ってあんまり冷静に読めませんでした。とにかく描写が怖かった。




「蛹」はカブトムシが主人公です。土中で幼虫してる間に色々見ちゃって、成虫になっても土から出てこれなくなったカブトムシの話。


カブトムシくんは幼虫だった時に母の死骸を見てしまいます。これまたセックスした上に卵産んで死んじゃう母親に、罪悪感を覚えて「自分はそんなことはしない」と思い込んじゃうんですね。


だから地上に出られなくなっちゃったんです。母を犯したくないんですね。だからずーっと土の中にいるカブトムシくん。これって引きこもってた田中さん自身のことなのかなと思います。


セックスに対する罪悪感も、田中さん自身が抱えてるものなのかなあ。……なにがあったんだ。一読者として心配です。




「切れた鎖」は名家である女系家族の断絶の話です。これはもう複雑。短編から中編の長さなんですが、内容の濃さは超、長編です。


私なんかがざっくり説明するのもはばかられる……。重くて多岐に渡るテーマ。バラして3つぐらいの長編がかけそうな重厚さ。女系家族に受け継がれるプライドと愛憎、枯れていく故郷への哀愁、自分を棄てていく男への憎しみ、その上人種差別に出生の秘密だ!


なんていう混乱と絶望の世界。でも田中さんが

男性作家だからか、どれだけ感情にまかれても登場人物は冷静さを失いません。めちゃくちゃな最後を迎えたっていいはずなのに。そうなるんだろうと思いながら読み進めていたのに。


うーん、田中慎弥さんという作家さん、すごい人なんですね。めんどい男、という印象は変わりませんが、好きだなあと思いますこの人。


結婚相手にしたいとは思いませんが、少し離れたところから観察していたい。だってこの方はとてもとても繊細な人。こんな男の人は見たことない。他の著作も読みたいと思います。特に「共喰い」。


若者の暴力と性への衝動だって。田中さんが書くそんなのって確実にむちゃくちゃだ。読みたい。菅田将暉主演で映画化とか。読みたい。映画もいいけど本で読みたい。


またひとり好きな人を見つけてしまいました。今回は男だね。読みたいけど、続くと結構病みそうなのでちょっとインターバルをおこうと思います。それぐらい濃くて深い泥沼みたいな人だった田中慎弥さん。


次はおすすめ頂いた本を読むよ!私はあまり読まないSF分野!


新しい発見が待ってるといいな。


ではまたー。


あー、やっぱり桜庭一樹やねえ。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

はい読みましたよ、桜庭一樹さんの「傷痕」。

 

最近文庫本化されましたね。私が読んだ単行本の1刷は2012年。

 

7年も経ってから文庫になるんですね。遅くない?今疑問に思ってググってみたらだいたい普通は2,3年で文庫化するのが普通のようです。

 

7年経ってからの文庫化。どんな本なのかな。結構分厚い本なのですが、桜庭マジック全開であっという間の読了となりました。

 

 

 

テーマはマイケルジャクソンなんですね。マイケルジャクソンが日本にいましたよっていう設定です。ジャクソン5的な兄弟グループから独立して、キング・オブ・ポップとして日本のミュージックシーンの最高峰に上り詰める男。彼には名前がありません。そして彼が誰に産ませたのかわからない一人娘の名前は、なんと「傷痕」。

 

おいおい、子供に「傷痕」ってキラキラネームも甚だしいな。昔「悪魔くん論争」ってのがありましたが、それを彷彿とさせるネーミングセンスです。この傷痕の名前の由来も一切出てきません。桜庭さんって変な名前を主人公につけたがりますね。腐野花だの海野藻屑だの。でも「あ、そういう名前なのね」となんか納得させられちゃう。そしてその名前に込められた意味が、主人公の人間性に焼きごてでつけた跡のようにくっきりと残る。私、この手法をパクって、今書いてる話の主人公にとんでもない名前を付けちゃったんですよね。THE・売春婦みたいな名前を付けちゃった。いい具合に効いてきていて、パクってみるもんだなあ、と思ったりして。

 

話がそれた。このキング・オブ・ポップの約50年の人生を縦軸に、そこに強い憧れを持ったもの、憎しみを持ったもの、強い光に焼かれてしまったもの、本当の彼を愛したものなどが、それぞれの視点から彼に絡んだ自分の人生を語ります。これも桜庭さんの小説を読んで面白いなあと思う点なんですよね。

 

1冊の本の中で視点が変わる。ただ変わるだけじゃなくて、みんながひとつのものを少しずつズレた視点で見ている。これ、世界の真実なんじゃないかと思うんです。ひとつのものを見たときに、万人に同じように見えてるわけがないんですよね。その人の人間性や過去や、言ってみればその日の気分で見え方なんて変わる。

 

なのに正解はひとつしかないなんて他人を断罪しようとする。マイケルは残酷な小児性愛者だったのか、心優しい永遠のピーターパンだったのか。この作品の中ではそこにも迫ってるんですよ。でも結局、正解は出ません。出さなかったのでしょう。だって、これはマイケルの物語じゃない。桜庭さんが創作したお話なんです。私、今回改めて思ったのよね。正しい表現かどうかはわかりませんが、作家って、「神」なんだなあって。

 

私ね、今まで小説を書くときに、「わかってもらわなきゃいけない」と思ってたんですね。読者に疑問を残しちゃいけないって。ちゃんと最後まで謎解きしなきゃって。それが作者の「責任」だと思ってた。「読んでもらうんだから、わかってもらわなきゃいけない」って。

 

多分前にも書いたんだけど、桜庭さんって「わかんない人はわかんなくていいです」って思ってる感じがするんだよね。だって作家は作品の中の神だから。全部を明らかにすることなんかにはなんの意味もなくて、読み終わって「爽快だぜっ☆」ってなる必要はなくて、謎も疑問も残したまま、漂う余韻で圧倒することに意味がある。そんな表現方法もあるんだな。まあ推理モノとかでそんなことしてたら成り立ちませんけどね。時と場合によるんでしょうが、こんなやり方もあるんだなあ。そして私は、こんなやり方が好きだ。

 

いわゆる純文学ものって、「……やからなんやねん!」みたいな終わりを迎えることがありますよね。結末にたどり着いたのか?って疑問すら残ったりする。でも作者の中では結末にたどり着いたから終わってるんですよね。もしくは「このあとは御自分でお考え下さい」みたいな。さわやか三組かよ。あとはみんなで机並べて話し合うのかよ。でも、そうなんだろうね。読後に自分内会議を開いてしまうんだよね。そういう疑問提起みたいな側面も文学にはあるんでしょう。

 

この「傷痕」もそうでした。キング・オブ・ポップの娘、傷痕はキングの死後普通の子供として暮らしていく道を選びます。いわゆるパリスちゃんやね。幸せになれるのか、なれないのか。多くの人間の人生を彩り、狂わせてきたキングの娘。わかんない。読者には疑問が提起されます。そこに至るまでの終盤の盛り上がりは圧巻でした。ちょっとね、ページめくる手が震えたよ。

 

私、この人好き。桜庭一樹さん好き。だいたい好きになるの女なんだよなあ。最近はまた椎名林檎にどっぷりはまっている。女性の感性はやっぱり繊細ですね。私にもそんな感性があったらいいなあ。

 

というわけで、「傷痕」でした!

 

おやすみなさい!