あー、やっぱり桜庭一樹やねえ。
こんばんは、渋谷です。
はい読みましたよ、桜庭一樹さんの「傷痕」。
最近文庫本化されましたね。私が読んだ単行本の1刷は2012年。
7年も経ってから文庫になるんですね。遅くない?今疑問に思ってググってみたらだいたい普通は2,3年で文庫化するのが普通のようです。
7年経ってからの文庫化。どんな本なのかな。結構分厚い本なのですが、桜庭マジック全開であっという間の読了となりました。
テーマはマイケルジャクソンなんですね。マイケルジャクソンが日本にいましたよっていう設定です。ジャクソン5的な兄弟グループから独立して、キング・オブ・ポップとして日本のミュージックシーンの最高峰に上り詰める男。彼には名前がありません。そして彼が誰に産ませたのかわからない一人娘の名前は、なんと「傷痕」。
おいおい、子供に「傷痕」ってキラキラネームも甚だしいな。昔「悪魔くん論争」ってのがありましたが、それを彷彿とさせるネーミングセンスです。この傷痕の名前の由来も一切出てきません。桜庭さんって変な名前を主人公につけたがりますね。腐野花だの海野藻屑だの。でも「あ、そういう名前なのね」となんか納得させられちゃう。そしてその名前に込められた意味が、主人公の人間性に焼きごてでつけた跡のようにくっきりと残る。私、この手法をパクって、今書いてる話の主人公にとんでもない名前を付けちゃったんですよね。THE・売春婦みたいな名前を付けちゃった。いい具合に効いてきていて、パクってみるもんだなあ、と思ったりして。
話がそれた。このキング・オブ・ポップの約50年の人生を縦軸に、そこに強い憧れを持ったもの、憎しみを持ったもの、強い光に焼かれてしまったもの、本当の彼を愛したものなどが、それぞれの視点から彼に絡んだ自分の人生を語ります。これも桜庭さんの小説を読んで面白いなあと思う点なんですよね。
1冊の本の中で視点が変わる。ただ変わるだけじゃなくて、みんながひとつのものを少しずつズレた視点で見ている。これ、世界の真実なんじゃないかと思うんです。ひとつのものを見たときに、万人に同じように見えてるわけがないんですよね。その人の人間性や過去や、言ってみればその日の気分で見え方なんて変わる。
なのに正解はひとつしかないなんて他人を断罪しようとする。マイケルは残酷な小児性愛者だったのか、心優しい永遠のピーターパンだったのか。この作品の中ではそこにも迫ってるんですよ。でも結局、正解は出ません。出さなかったのでしょう。だって、これはマイケルの物語じゃない。桜庭さんが創作したお話なんです。私、今回改めて思ったのよね。正しい表現かどうかはわかりませんが、作家って、「神」なんだなあって。
私ね、今まで小説を書くときに、「わかってもらわなきゃいけない」と思ってたんですね。読者に疑問を残しちゃいけないって。ちゃんと最後まで謎解きしなきゃって。それが作者の「責任」だと思ってた。「読んでもらうんだから、わかってもらわなきゃいけない」って。
多分前にも書いたんだけど、桜庭さんって「わかんない人はわかんなくていいです」って思ってる感じがするんだよね。だって作家は作品の中の神だから。全部を明らかにすることなんかにはなんの意味もなくて、読み終わって「爽快だぜっ☆」ってなる必要はなくて、謎も疑問も残したまま、漂う余韻で圧倒することに意味がある。そんな表現方法もあるんだな。まあ推理モノとかでそんなことしてたら成り立ちませんけどね。時と場合によるんでしょうが、こんなやり方もあるんだなあ。そして私は、こんなやり方が好きだ。
いわゆる純文学ものって、「……やからなんやねん!」みたいな終わりを迎えることがありますよね。結末にたどり着いたのか?って疑問すら残ったりする。でも作者の中では結末にたどり着いたから終わってるんですよね。もしくは「このあとは御自分でお考え下さい」みたいな。さわやか三組かよ。あとはみんなで机並べて話し合うのかよ。でも、そうなんだろうね。読後に自分内会議を開いてしまうんだよね。そういう疑問提起みたいな側面も文学にはあるんでしょう。
この「傷痕」もそうでした。キング・オブ・ポップの娘、傷痕はキングの死後普通の子供として暮らしていく道を選びます。いわゆるパリスちゃんやね。幸せになれるのか、なれないのか。多くの人間の人生を彩り、狂わせてきたキングの娘。わかんない。読者には疑問が提起されます。そこに至るまでの終盤の盛り上がりは圧巻でした。ちょっとね、ページめくる手が震えたよ。
私、この人好き。桜庭一樹さん好き。だいたい好きになるの女なんだよなあ。最近はまた椎名林檎にどっぷりはまっている。女性の感性はやっぱり繊細ですね。私にもそんな感性があったらいいなあ。
というわけで、「傷痕」でした!
おやすみなさい!