恥辱とカタルシス -24ページ目

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

んー、面白かった。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

今日の今日とて読書です。今日は対談集を読みました。対談集……と言うかシンポジウムの議事録?

 

エンジン01という文化人で作る団体があるそうで、そこの作家部門の人たちのシンポジウム。この団体の話はさくらももこさんのエッセイでも読んだような気がします。今ネットで検索してみると、

 

エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議は、各分野の表現者・思考者たちが日本文化のさらなる深まりと広がりを目的に参集したボランティア集団です。 日本は既に誇るべき文化を持っていますが、新しい文化が生まれ育つ土壌がありません。 それを築くための方法論を議論し、実際に仕組みとするために行動する場です。

 

とのこと。この本で対談をされているのは私大好き林真理子さん、「新宿鮫」の大沢在昌さん、時代小説作家の山本一力さん、脚本家の中園ミホさんの4名です。

 

この講演会はボランティアで開催されているそうで、お金が絡まないからかみなさん砕けきった調子でお話を聞かせて下さってます。ほとんど楽屋か飲み屋でのよもやま話。愚痴やちょっとした悪口なんかも。面白いなあ、人気作家って言ったって、やっぱり皆さん人間なんですもんね。

 

 

 

この本の題名は「売れる小説の書き方」ですが、最後まで読んでもそのお題の答えは出ていません。むしろ作家4人の「全然本が売れないよ」「どーやったら売れるんだよ」「あの中身ないのに売れまくってる本なんなわけ?」「あんなもん絶対後世に残らないってー。誰とは名前は出さないけどさ」みたいな愚痴です。4人って言うか、大体しゃべってるの林さんと大沢さんですが。

 

「売れる小説」っていうぐらいだから、お金の話も赤裸々に描かれています。前にも書いたかもだけど、全作家の中で著作で年収300万以上稼いでる人なんか50人もいないって。年収300万以下……。独り身や結婚されている女流作家さんなら何の問題もないでしょうが、家族を養える年収とは言いがたい作家業。編集者が兼業を勧めるのも納得です。いやあ、厳しいのね。

 

でもそんな中、山本一力さんのお話はすごかった。会社潰して大借金作っちゃった山本さんは、借金返済を目的に小説を書き始めたんだそうです。それで新人賞をとって今現在大活躍をされていますが、この本が出された10年前には「まだ、借金残ってるかな」ですって。すごい男がいたもんだ。借金を小説で返そうって。しかもそれを成し遂げちゃうんだからすごい。きっと今現在2019年には返済し終わっているのでしょう。愛妻家で2人のお子さんを大切にされているという山本さん、奥様もすごい方ですねえ。私だったら耐えられたかどうかわからんわ。

 

脚本家である中園ミホさんのお話も面白かった。この方たしか最近タモリさんとの不倫を取りざたされてましたよね?お写真も綺麗な方なんですが、脚本家もプロデューサーに枕を強要されるみたいなことをふんわり言ってたぞ。おいおい。コンプラ。あと脚本家の収入の安さ。1本いくらの定額で、DVDになればある程度の上乗せがあるらしいけど大したものじゃないらしい。ちょうどこの講演会の時に放映中だったドラマの視聴率が無残なものだったらしく、この本からも中園さんの追い詰められた様子が伝わってきます。脚本家、精神的にヤバそうな仕事ですね。追い詰められて自殺しちゃった脚本家さんの話なんかも出てくる。時間に追われるし数字に追われるし、動くお金もでかいもんねえ。

 

それに対して大御所の二人はのんびりしたもんです。飲みながらみたいなリラックスした雰囲気で文壇の噂話。宮部みゆきさんはあんなに稼ぐのにバーゲンで1000円で買った服着てるとか。石田衣良さんは人間的に中身がないとか。最近の若い作家には欲がないとか。昔は銀座でひと晩に何十万遣ったもんだとか。

 

よく飲み屋で聞くような話です。作家さんも普通の人間ですね。もちろん作家志望として聞き逃せないお話も多々ありました。「自費出版には近づいてはならない」「読書を重ねた上で自分から溢れたものを書くのが作家のあるべき形」とか「小説は書きたくないのに作家になりたがるのは滑稽」とか。

 

最後の「小説を書きたくないのに~」っていうのはぱっと聞き意味が分かりませんが、要は「小説を完結まで書くというめんどくさい作業はしたくないけど、なんか書いてそれがお金になる人になりたい」なんておかしな話だろう、ということですね。うん。そうね。完結させてこそやもんな。私もほったらかしてるのがいくつかあるぞ……。もうそこをいじることは多分しないけど、これからは全部仕上げたいと思います。だってそうじゃなきゃ原稿をプリントアウトして送ることができないし。

 

小説サイトだと、「未完成でOK」みたいな賞がよくあるから「ま、いっか」になっちゃうんだよね。でもいかんね。終わらせてなんぼやな。わかりました。もう半端はしません。

 

 

 

というわけで色んなお話が聞けて面白かった「売れる小説の書き方」。

 

山本一力さんはオール讀物出身の作家さんでらして、私も6月締め切りのこの賞に応募したいと思っています。ものすごい数の応募作が集まるらしいんよ……。その中で戦える作品が書けるように、着々と準備を進めていきたいと思います。

 

もちろん本も読もう。というわけで、またー。

あっという間に読んじゃいましたよ。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

いやー、昼間書いた「対岸の彼女」、ちょっとしっくりこなくて。

 

次はがっつりくるやつを読もう!と思って手にしたのが川上未映子さんの「ヘヴン」です。芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞受賞作だって。どっちもよくわからない賞ですが、ほら、私の好きな田中慎弥さんがこの作品ほめてたし。デビュー作読んで面白かったし。

 

読んでがっつり川上未映子、読みごたえが半端なかったです!

 

 

 

この作品はいじめをテーマにしたものなんですね。中2。いじめとかしたいお年頃なのかなあ。中2のいじめとか非行とかってなんか年代ですよね。中1でも中3でもない。中2、14歳ってなんかエアポケットな年代なんでしょうか。子供でも大人でもない。受験前で時間があってでも受験に向けての緊張感もあって。わかる気がする。「なんも考えず自由に子ども時代を謳歌できる最後の時」って感じ?

 

中2の「僕」は斜視なので「ロンパリ」なんてあだ名をつけられてクラスでいじめられている男の子です。同じクラスには清潔感がないためにいじめられている「コジマ」という女の子もいます。コジマが主人公の机に手紙を仕込み、二人に交流が生まれます。コジマは主人公に「私たちは仲間です」なんてメッセージを送る。いじめられっ子同士、二人は周囲に気取られることなく心を通わせていきます。この描写がとっても痛々しい。

 

いじめの描写も読むのがいやんなるぐらいきついんですけどね。主人公とコジマのお互いを唯一とする切ないやりとりが痛かった。お互いに好意を抱いているんだけど学校では目もあわせない二人。お互いに自分がいじめられているさまを見られたくないと思い、いじめられている相手を見たくないと思ってるんです。気まずい気持ちになるんでしょう。辛いわね。自分の夫がどっかでぶん殴られてると想像するとうなづける。そんな姿は見たくないし、気付かないふりをしてあげなければと思う。

 

そんな二人は「抵抗しないことこそが強さだ」という結論に至っちゃっていじめに耐え続けます。いじめられたことのない私にはよくわからない理論。でもその理論をこの作品はすごくわかりやすく鼻先に突きつけてくれた。それが衝撃でした。

 

コジマが言うには、「私がいじめっ子たちの犠牲者なんだとしたら、あの子たちはもっと大きな力によって握りつぶされている犠牲者。だからいじめを受け続けることによってあの子たちを助けている。最終的にはあの子たちも自分たちの行動のおかしさに気付く。その気づきのために耐えてあげるんだ。だから私たちがいじめられていることにも意味があるんだ。私たちは強いんだ」

 

うーん、違うよね。親の立場になって考えてみると違うよね。て言うか私はいじめられたことがないからその考え方が理解できないんだ。でも貧しさが原因で離婚してしまった両親をもつコジマは、今現在お金持ちの後妻に収まっている母親への反発、そして貧しいまま生きている父親への思慕からお風呂に入らないし服も洗わない。まあ、そういう意地の張り方なら理解できるぞ!できれば口で言ってくれた方がわかりやすいけどな!そしてそこに主人公を巻き込んじゃダメなんだよ!

 

いじめの原因であると本人が思っているところの「斜視」を直す手術をしようとする主人公に「自分のいいところを殺すつもり!?」と詰め寄っちゃうコジマ。置いてけぼりにされるような気がしたんでしょうね。コジマは久々に会ったお父さんがあんまりにも落ちぶれてたもんで、そこに同調しちゃってハンストを始めちゃってるんです。だから主人公の手術が裏切りみたいに感じられたのかもしれない。でも自分の問題は自分で解決しなきゃ!まあ14歳の少女にそこまでを要求するのは酷ですわね。そうしているととうとう起こってはいけないことが起こる。二人の仲に勘付いたクラスのいじめっ子たちが二人に公衆の面前でセックスさせようとしちゃう。あーあ、子供ってホント残酷。昆虫の羽もぐのとおんなじ感覚かね。

 

この時ハンストも極まってがりっがりになってしまっていたコジマは、いじめっ子たちに「コジマの服を脱がせろ」と言われても抵抗し続ける主人公を尻目に自分で服を脱いじゃう。泣きながら大笑いしていじめっ子たちに迫っていく。それが大人たちの目に触れ二人は救われます。とりあえず……主人公は。

 

 

 

親にいじめを打ち明け、「もう学校なんか行かなくてもいいよ」という言葉で許される主人公。何に許されるかと言えば、自分自身で自分を縛り付ける鎖からです。ほんとはなんぼでも逃げればよかったんだ。学校になんて行かなくたって全然いいんだ。私なんかいじめられてもないのに学校なんかろくに行かなかったぞ。でも今現在全然困ってない!学校に大した意味はない!いじめで自殺をした子供の話を聞くたび、そんな風な思いが胸を掠めます。

 

なんかで読んだんですが、野生動物ってちょっとでも嫌なことがあるとすぐに逃げるんですって。自然界で生きてる動物たち。だって気候が合わないとか天敵がいるとか、そんなところで我慢してなんもいいことないですよね?すぐ逃げる。そこで根性論出して我慢するのは人間だけだって。なんか、うなづいちゃったのよねえ。

 

我慢に我慢を重ねちゃった主人公とコジマ。主人公は血のつながらない母親に救われすべてを吐き出すことができましたが、最後、コジマがどうなったかは書いてないんです。多分……多分なんだろうな。だって野外で服を脱ぎ棄て大笑いしながら泣くがりっがりの裸の少女。壊れやすい思春期の少女が、その後回復する時が来ますように。長い人生を笑顔で暮らせる日が来ますように。

 

 

 

そんなわけでフルボッコに近い衝撃を与えられてしまった川上未映子さん。うーん、痛いけど好きやわあ。わたしこういうの好き。こういう本気でぶん殴ってくるみたいなの好き。

 

芥川賞受賞作の「乳と卵」も読んでみたいと思います。面白かったです。さーねよ。

 

では、おやすみなさいー!

うーん、ちょっと謎でした。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

角田光代さんの「対岸の彼女」を読みましたよ。直木賞受賞作。NHKでドラマ化もされたそうで、結構期待を持って読み始めたのですが。

 

結論から言うとイマイチ面白みがわからなかった。いわゆる「so what?」ていうね。だから何?という感想しかなかった。私の中にはこのお話に共感できる要素がなかったみたいです。そういうのはきっと誰にでもあるものだろうし、まあそれがいわゆる苦手な分野に繋がるのかもしれませんが。

 

うん、苦手って言うか、もう「だから?」だな。「それが?」とも言えるな。テーマが女同士の友情、とか女の集団の中で委縮する自分を乗り越える、みたいなやつだから私にとってはもう外界の世界の話なんですよ。こういうことに悩む人も、世の中にはおるんですねえ……。

 

 

 

主人公の小夜子ちゃんは専業主婦ですが、子供連れてどこの公園に行っても馴染むことができません。子供であるあかりちゃんは2歳。他のお友達と上手に遊べない我が子にやきもきしつつ、ママグループにもうまく入れず、でもだからって家に引きこもってるのも子育てを放棄してるような気がして居心地が悪いんだそうです。「お友達と遊ばせないと情緒が育たないんじゃないかしら」

 

行き詰った小夜子ちゃんはあかりちゃんを保育園に預けて働くことを決意します。そこで採用してくれたのが同い年の女社長、葵ちゃんが営む旅行代理店。そこのハウスクリーニング部門で働くうち、小夜子ちゃんと葵ちゃんはどんどん打ち解けていきます。一種図々しいほどにさばさばした女社長、葵ちゃん。小夜子ちゃんは葵ちゃんの下で誇りをもって働くことで、自分という人間を取り戻すことができたような気がしていたのです。ですが。

 

葵ちゃんはその昔いじめられっ子だった過去を持ち、「女の集団」というやつに翻弄された過去を持っていたんですね。ナナコちゃんというカースト欄外の子と学校外でだけこっそり付き合うという、小狡い方法で友情を温めていました。ナナコちゃんは変わり者なのでいつ校内でハブられるかわかりませんから。仲間だと思われるとまずいぞ、ということですね。だったら友達として付き合っちゃいかん。例え本人も傷ついて、よりどころを欲していたとしても。

 

家庭環境にもいろいろ問題があったナナコちゃんは、葵ちゃんに家出をけしかけます。二人でペンションの夏バイトに行って、そのまま行方をくらませちゃった。バイト代でラブホに泊まり歩いて、お金が尽きてくると疲れちゃって手をつないだままマンションの屋上から飛び降りるふたり。打撲程度で済みましたがそれは新聞沙汰となり、大人になった葵ちゃんにも醜聞としてつきまとうことになるのです。「同性愛の女子高生、倒錯愛の末の心中!」みたいにして。

 

 

 

さて奔放かつだらしない葵ちゃんの本性が垣間見てくるにつれ、小夜子ちゃんは「私が信じてたものは何だったのかしら」みたいな気分になってきます。「責任を伴った仕事をして、旦那に飼殺される生活を脱したはずだったのに。結局私何を成し遂げたのかしら」みたいな。そんなときに葵ちゃんの過去を同僚に聞かされる。するとその事件を当時ニュースで見て知っていた小夜子ちゃんは、自身の過去と重ねるのです。ハブられた自分と仲良くしてくれた予備校の友達。でも別々の大学に行ったら全然連絡をくれなくなった。電話したら「まさか、まだ大学で友達出来てないの?」って。要は間に合わせの友達だったんでしょう。それに深くショックを受けていた自分。そして葵ちゃんに、ともに飛び降り自殺をしたナナコちゃんともう付き合いがないと聞いて「やっぱり人間ってそういうもんなんだわー!」

 

……と言ったかどうかは知りませんが、まあ自分の心の傷みたいなのをいつまでたっても引っ張ってるんですよ。それで仕事も辞めちゃう。なんのこっちゃ。けどとある筋から葵ちゃんがひとりで細々と会社を続けてると聞いて、「もう一度雇ってくれ」と言いに行く小夜子ちゃん。葵ちゃんとナナコちゃんが事件以来会っていないのは、お互いの変化を目の当たりにすることを恐れたからではないか、と結論付けたようです。女同士にだって心からの友情は成立する、人を信用することはできる、って感じ?……なんなんだろう。共感できんなあ。

 

何を期待してるんだろう、と私は思いました。このお話の登場人物たち、みんな他人になんか期待してるんですよね。でもその期待が勝手に裏切られて拗ねてるだけの話みたいに感じました。誰かと一緒じゃなきゃなんにも出来んの?ひとりでするわけにはいかないの?ひとりでできないから誰かに頼りたいにしても、精神的におんぶにだっこにならんといかんの?相手に何を求めてるの?そういう過剰な期待が重くて嫌われるんじゃない?他人は他人、自分は自分でいいんじゃないの?なんか、面倒だなあ。

 

 

 

 

そんなわけで、私にはなんかあんまり響かなかった「対岸の彼女」。まさに「対岸のお話」だったな。「対岸の彼女」っていうから主人公の女性ふたりは全然別のキャラなのかと思ったら根っこは一緒という。女性の人生ドラマ、とみれば面白い部分もありましたが、イマイチ理解できなかった。鈍いのかな。まあ人付き合いを極力避けて生きてきた人間なので、理解の範疇を越えているのかも。

 

そんなわけで角田光代さんでした。元号は令和ですってね。れいわ。馴染むのにちょっと時間がかかりそうだわ。

 

ではでは、またっ!

はい、読みましたー。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

お花見行ってきました!

 

 
樹齢500年ですって。ぽつんと一軒家並みの山の上でしたが満開で人がすごかった!
 
いやー、春だね。とっても綺麗でした。
 
 
 
で、カズオ・イシグロさんの「わたしを離さないで」。カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞をとって、その後綾瀬はるかさん主演でドラマ化された作品ですね。私は見てません。でもなんとなく気になっていた作品。図書館で予約して読んでみました。うーん、圧巻でした。
 
主人公はキャシーという31歳の女の子。職業は「介護人」です。
 
彼女は特殊な施設で16歳まで育ち、その後介護人となりました。その施設がどういったものなのかはなかなか明かされず、外国にありがちな寄宿学校での子供時代が書き連ねられていきます。だから最初のうちは不穏な雰囲気は流れつついまいち要領を得ません。なんかおかしい学校だな、という感じ。
 
読み進めていくうちにこの施設の違和感があらわになっていきます。一切校外に出ることは許されず、芸術を奨励して週に一度の健康診断が義務付けられているこの学校。そこはクローンとして誕生した子供たちが、臓器提供できるようになるまで、時間を過ごすための施設だったのです……!
 
 
 
最近こういう設定ってよく見られるようになりましたが、このカズオ・イシグロさんがはしりなんでしょうかね。日本での発行が2006年となっています。食料として育てられる子供、とか。なんかどっかで読んだような気がする。しかも複数回。でもそういうのっていわゆるエンタメとして読んだ覚えがあるんですが、この「わたしを離さないで」はホラーとかそういう立ち位置じゃないんだよな。人間ドラマ。
 
「介護人」という職業は施設出身者全員が一度は通る道なのですが、それは「提供者」を介護するのが仕事。介護人は提供者(要は臓器を数回に分けて摘出されるのでしょう)の介護をしたのち、次には自分が提供者に回る運命にあります。優秀な介護人だったキャシーは長年介護者を続け、施設でともに育ったルースとトミーという、幼馴染も看取ることになります。
 
トミーとルースは若かりし頃恋人同士でした。でもトミーとキャシーも憎からず思いあっていた間柄。クローンとして生まれ、いずれ臓器を抜かれ死んでいく運命であることに反発せず、諦めの中で愛と自尊心を捨てずに誇りを持って人生を全うしようとする3人。トミーとルースの命の終わりを迎え、そこにドラマが起こる。

ルースはトミーを独占したいばかりに、親友であるキャシーを陥れていました。その告白を残し、死んでいくルース。そこでキャシーとトミーはお互いを愛していたことを確認しあい、ふたりに襲い来る提供者としての使命から逃れようとする。せっかく好き合ってたって分かったんだもん、そりゃそうだよね!

これから大立ち回りが始まると思ってました。だってこの子達可哀想だもん。トミーはもうすでに3回目の提供を終えており、次に提供したら間違いなく死んじゃいます。キャシーももうすぐ提供者に回ることが決まってる。さあ戦え!運命に抗え!ふたりでケツまくって逃げてもいい!

なんなら心中したっていい!だって君たちの身体は君たちだけのものじゃないかー!



……と、読んでる私は思ったんですがね。いやいや。とんでもない。カズオ・イシグロはそんなに薄っぺらくなかった。トミーはキャシーを介護人から外し、静かに4回目の提供に挑みます。

もちろん死んじゃうトミー。キャシーは悲しみに沈みながらも、己の運命を受け入れ、提供者として命を捧げることを決心するのです……。

いやね、可哀想だけどね。

これ、このふたりが自分の意思を貫いたらこういう余韻は残らんかったわね。「すっきりしたー!エンターテイメントってこうじゃなきゃね!」ていう作品ももちろん楽しいんですが。

愛し合うふたりが運命に巻かれていく姿。美しかった。ほんと、切なくて深夜に一気読みしました。

面白かった「わたしを離さないで」。こういう「すっきりした!」だけじゃない作品が書けるようになりたいと切に思いました。

というわけで、また近いうちに!
やればできるもんですねー。

こんばんは、渋谷です。



すばる文学賞、応募してきました!削ったり書き足したりしたら結局原稿用紙334枚になりました。まあそれが落としどころだったんでしょう。

青春ミステリー、になったのかな。サスペンスかな。ざっくり言えばエンターテイメントジャンルなんでしょう。文藝賞には枚数オーバーしたと書きましたが全然範囲内でした。でもすばる文学賞に応募したのは内容的にあまりに文藝賞向きじゃない気がしたから。

エロに暴力に犯罪に悪徳刑事。すばる文学賞すらどうなんだって感じですが、まあ私の書きたいものがそういうのなんだからしょうがない。新人賞の傾向を探り過ぎる必要はないとおっしゃっていたのは高橋源一郎さんでした。じゃーまーいっか、ということで。

手元を離れてしまえばもう何もすることはできません。今の私の精いっぱいをぶつけたので、後悔はなし。次のことを考えるのみです。



さて次は大薮春彦新人賞が4月半ば、オール讀物新人賞が6月半ばに控えています。両方短編。その後長編を応募できる賞が多数。大薮春彦新人賞は発表済の作品もアリらしいので、小説サイトに載せてる短編を書き直して送ろうと思います。非公開にしなくちゃ。大薮春彦さんの名を冠している賞ですから、エグーイ話をもっとぎゃっ!とさせてみたいと思います。楽しい。私ほんとそーゆーの好きなんですね。

それから100枚までの短編をふたつぐらい新しく書こう。あまり闇っぽくないやつ。普遍的テーマみたいなのを書いてみよう。オール讀物新人賞はたくさんの人気作家さんを排出された賞ですので、挑みかかろうと思います。

とりあえずはしばらくはインプットの時間。本読もう。あと子供と遊ぼう。一週間ぐらいは書くことは考えずに過ごしたいと思います。桜は咲くし入学準備はあるし。母の役割もせなね。ウォーキングもしまくりたい。

でもやっぱり小説書くって面白いね。今回の長編、辛い話でしたがハッピーエンドだったのですっきりと書き終えることができました。次はどうしよう。ほんとわくわくしちゃう。

では、次は読書感想文で。

またー!