おはようございます、主婦防災士のおさかおです


今日の話題

日曜日の雑談にちょっとお付き合いください。わたしはラジオをよく聴きます。先日聴いていたラジオ番組で佐賀県の鳥栖の話題が出ました。わたしにとって鳥栖の思い出と言えば「鳥栖駅のうどん」のこと。色々と思い出したので、昨日母とそのことを話しました。


わたし「この前ラジオで鳥栖のことを話題にしてたんだけどさ、鳥栖と言えばうどんだよね」

母「鳥栖駅のうどん、美味しいのよね」

わたし「わたしお母さんがあれを買いに行くのが心配で嫌で嫌で、やめて!行かないで!ってお願いしたの覚えてる?大丈夫大丈夫って笑って買いに行っちゃってさ!うどんの味より心配したことしかわたしは覚えてないよ!(笑)」

母「そんなに心配してたの(笑)でも美味しかったでしょ」

佐賀県の鳥栖駅のホームには立ち食いうどんのお店がありまして。調べてみると今もあって、人気店なんですね指差し

子どもの頃。

わたしの両親は長崎県佐世保市の出身で、毎年の夏休みには母と姉とわたしの3人で(当時父は休みが取れず東京駅までの送迎のみというのが常でした)祖母の家に泊まりがけで行きました。その際にはブルートレインさくら号によく乗りました。さくら号は寝台特急で、夕方東京駅を出発し翌日のお昼ちょっと前に佐世保駅に到着するというものでした。

それでね。

佐賀県の鳥栖駅を通るのが遅めの朝ごはんの時間(たぶん出発した翌朝の9時頃)だったんだと思います。おそらく3分停車だった鳥栖駅。そのホームにある立ち食いうどん店に朝ごはんとして母がうどんを買いに行くのです。小学生くらいのわたしは(その前の記憶は無しびっくりマーク)それが心配で心配で。姉はわくわく楽しんでいたようにわたしからは見えました。わたしの記憶では、小学校高学年になると姉も一緒に買いに行って、2人でニコニコうどんの器を持って戻ってきた光景を思い出します。

今思えば、きっと他にもそのようなお客さんはいて、うどん屋さんもさくらがホームに入ってくる時間には持ち帰り用を用意して待ち構えていたのではないでしょうか。


だから3分停車でも母は両手にうどんの白い器を持ってニコニコと戻ってくることができていたのだと思います。

ときには、列車が動き出しても母の姿が見えなくて泣き出しそうになっていると、うどん屋さんの近くのドアから列車に乗り込んでニコニコしながら座席に戻ってくる、ということもありました。少しの間わたしと姉とで待っていられるような年頃になってから、母はそれをしだしたのではないかと思います。きっと長旅の楽しみだったのでしょう。

最近、母にもラジオの楽しさをたびたび伝えていて、母もよくラジオを聴くようになったので、昨日はラジオから流れてきた話題をきっかけに思い出した鳥栖駅のうどんの話でひとしきり盛り上がったのでした指差し

わたしが少し大げさに「お母さんは楽しそうだったけどわたしは心配で心配で嫌だったんだからね」と言うと、母は「あらそう」と笑って、当時のことを懐かしんでいるように見えましたニコニコ


以上、昭和50年代の思い出話でした。お付き合いありがとうございました指差し


こちら50年近く前の家族写真です。

どなたさまもどうぞご安全に気づき



参考資料
内閣府防災情報のページより
海溝型地震の長期評価



階級3以上の長周期地震動が予測される地域についても緊急地震速報の対象に






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2024/6/2

主婦/看護師/防災士

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