本書は中学生が読める事と、先生の助言があれば小学生でも理解できる事を基準に執筆された教科書では教えないエピソードをまとめたもので、大きく分けて5つの章から成っています。



1858年のペリー来航からポツダム宣言受諾と戦艦ミズーリで降伏文書へ調印した1945年までの90年間の日米関係

 日本とアメリカ

  ・ペリーはなぜ日本に来たのか

  ・愛弟子のように何でも学んだ日本

  ・迫害された日本人の移民たち

  ・日本の人種平等案を否決したアメリカ

  ・経済封鎖で追い詰められた日本 



動乱期の幕末から戦後にかけ新しい国造りの構想を立て活躍した人々

 国づくりの設計

  ・国家という立場で考えた吉田松陰

  ・私情断ち切り廃藩置県を行った大久保利通

  ・日本国家独立のため文明を説いた福沢諭吉

  ・泊まり込みで憲法をつくりあげた伊藤博文

  ・消費者を意識した松下幸之助



人種差別や外国人に対する偏見を持たず、貢献した日本人

 勇気と友情の物語

  ・トルコ人が日本好きになった理由

  ・ロシア人からも敬慕された広瀬武夫

  ・大震災後、朝鮮人を守った警察署長

  ・インドの独立を助けようとした日本軍

  ・関東軍軍人に救われたユダヤ人

  ・インドネシア独立に戦った日本兵



日本国内の内戦と日本がかかわった対外戦争

 近代日本と戦争

  ・日本にも危機感を与えたアヘン戦争  1840~1842年

  ・不平等条約改正の端緒つかんだ日本  日清戦争

  ・驚嘆する活躍見せた日本の艦隊  第一次世界大戦

  ・非共産主義地帯をつくろうとした日本軍  シベリア出兵

  ・日本の戦いを絶賛したタイの首相

  ・日本への見方を変えたマッカーサー  朝鮮戦争



使命感を持って生きた幕末から昭和の女性達

 歴史を生きた女性たち

  ・モンゴル民族の心をひきつけた河原操子

  ・朝鮮改造計画に参画した景山英子

  ・夫を助け富士山頂で観測した野中千代子

  ・孤立化の中、国民の期待にこたえた前畑秀子

  ・家財を売り特攻隊員を世話した鳥浜トメ


など平成8年1月15日から6月1日まで、産経新聞朝刊に掲載された78の話をまとめた第一弾。




内容(「MARC」データベースより)

学校では戦後、自国に嫌悪感を持つような歴史が教えられてきた。が、自国の生存権や国益追求の権利は明確に認めるべき。同じく他者のそれも。そのような歴史観で捉え直した近現代史からの78の物語。産経新聞連載1~5月分。


教科書が教えない歴史

  藤岡 信勝、 自由主義史観研究会 /産経新聞ニュースサービス


あかべこのブログ


7月に購入し、先日やっと読み終えました。


アマゾンで沢山の方が評価しているので今回は省略です。


しばらく本を読んでいませんでしたが、集中して読めたので2時間位で読み終えました。

当時の




竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記/ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ/ハート出版


あかべこのブログ




内容紹介

1986 年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞。
中学校の教材として採択された感動秘話。

邦訳が熱望されていた名著、待望の日本語版



大戦末期のある夜、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」と
たたき起こされ、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。
欠乏する食糧、同胞が倒れゆく中、抗日パルチザンの執拗な追跡や容赦ない襲撃、
民間人の心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす。


終戦前後の朝鮮半島と日本で、
日本人引き揚げ者が味わった
壮絶な体験を赤裸々に綴る、
息もつかせぬ、愛と涙の
サバイバルストーリー



食糧・水・医薬品・武器・弾薬・の補給や増援部隊など無く、地熱で40℃もある地下壕に潜み、圧倒的な兵力で上陸した米軍に対し徹底抗戦し、2万名の将兵が戦死した硫黄島の戦い。


この硫黄島へ通信兵として派遣された川相氏は、戦闘終結後の昭和20年5月に仲間数名と共に米軍へ投降し捕虜となり、グアム・ハワイを経由し米本土サンフランシスコへ上陸、その後テキサス州のコネリー収容所へ移送され8ヶ月間の収容所生活を送ることになりました。


戦争が終わり翌21年1月に帰国となりますが、自分だけ生き残り捕虜になってしまったという負い目に加え、自宅には戦死報告が届き葬式が済んでいる事、そして何よりも家に残してきた妻や家族に会えるという嬉しさの複雑な心境で故郷へ戻りました。


しかし、地獄以上に過酷な戦場を生き残り「捕虜」という日本人にとっては最大の汚名を背負い、故郷へ戻った川相氏を待っていたのは信じられない事実でした。



内容(「BOOK」データベースより)


アメリカ軍の殲滅作戦は、どのように行なわれたのか。日本軍の戦死者20129人、米軍の死傷者28686人。南北8キロ、東西6キロにわたる島嶼で繰りひろげられた栗林兵団と米海兵隊の凄絶な肉弾戦の一端を、奇跡の生還を遂げた一日本兵がヴィヴィッドに伝える驚愕の戦闘報告。


硫黄島戦記―玉砕の島から生還した一兵士の回想/川相昌一/光人社


9/21・22にご当地キャラやご当地ヒーロー約100体が白河市に大集合します。


ご当地キャラこども夢フェスタin白河


たくさんのキャラがいますが、3段目右から3列目のメロン熊が気になって仕方ありません。

マイルドなメロン熊と凶暴なメロン熊がいるようで、凶暴なメロン熊は逮捕までされているようです。


メロン熊に会うのが楽しみです。



更新は少ないようですが、メロン熊のアメブロがありました。


恐怖のメロン熊ブログ



あかべこのブログ








1944(昭和19)年、5歳違いの弟と間違われて召集された増山義邦氏。

38歳で召集された増山氏は、日本軍守備兵力2万1千名のうち95%(2万名)が戦死した硫黄島へ派遣され、生存率5%という激戦の中を生き残りました。


1945(昭和20)年4月8日、栄養失調とアメーバ赤痢に罹り死を覚悟した増山氏は「どうせ死ぬのなら明るい南の太陽の下で、青い空気を胸いっぱい吸って倒れたい。」と思い壕から這い出て来たところで動けなくけなくなってしまい、死ぬ直前に米軍に発見され収容されました。

増山氏はグアムやハワイを経由し米本土サンフランシスコの収容所へ収容され捕虜生活を送り、その後汽車で広大なアメリカ大陸を横断し東海岸へ到着、東海岸でいくつかの捕虜収容所を転々とし、1946(昭和21)年1月に帰国となりますが、帰国の際にアメリカ兵との交流やドイツ人捕虜との収容所生活の様子、捕虜となった日本兵の様子などを詳細に綴った記録と、新聞や雑誌の切り抜きをまとめたスクラップブックを密かに持ち帰りました。


【週刊雑誌ルック 1月23日火曜日号】
『日本を破壊しよう。』

「世界の問題児・危険児日本帝国は永久にこの世から抹殺しなければならない。日本国民の抹殺だけではなく、日本が近隣諸国に危害を及ぼす手段も除かねばならない。つまり日本の産業を完全に破壊することである。」

「我々は日本から近代的な戦争道具を取り上げ、中世時代へ逆戻りさせることを望ましいと思う。戦争道具を取り上げるには、日本の商船隊、造船産業、鉄鋼産業、航空産業、電気産業、鉄道網、化学産業を破壊することを提案する。繊維産業は残す。」

「これらの産業が破壊されると日本は人口過剰になる。余剰男性人口は農業や漁業、そして養蚕に回す。この提案が実行されると日本は世界征服を考える余裕がなくなる。
   中略

今の日本は世界にとっては血を吸う害虫以外の何者でもない。世界の秩序に何ら貢献していない。

世界平和の平和のために、日本を見せしめに、世界平和のために、日本を見せしめに懲らしめよう。」



【サンフランシスコエグザミナー 8月2日】
『ハルゼー提督が東京で乗るサドル(鞍)の準備完了』
「ハルゼー提督が破壊された東京の市街を天皇陛下の馬でサドルが、ネヴァダ州のリノで6週間かけて製作。この製作のスポンサーであるリノ商工会議所によると、このサドルは予定がどんなに早くなっても東京の同提督に送り届けられるという。」



【ニューヨークタイムズ 9月10日】

『東条英機大将以下、軍人や政治家など戦争犯罪人40名の逮捕命令』


【ワシントンポスト 9月18日】

『東京に歓楽街を作り、5千人の職業婦人を連合軍兵士の慰安にあてる計画が、政府と某実業家の間で協議中』

『深尾須磨子女子が日本婦女に対し、外国人に接する際の服装、態度についてアドバイス』


【タイムスヘラルド・ニューポートニュース 9月21日】

『マッカーサー元帥が9月27日に天皇と会見予定』


【ニューヨークタイムズ 10月25日】

「来年1946年の食糧として435万トンの食糧輸入を、日本政府は連合国総司令部に要請。この食糧の補給で1日1人当たり2160キロカロリーを確保できるという。」


【タイムスヘラルド・ニューポートニュース 1945年10月5日】

「政治犯の釈放を10月10日までに終了するように命令」


【フィラデルフィアインクァイアリー 10月19日】

「選挙に出る政党として社会党や共産党などの名前が見える」


【ニューヨークタイムズ 10月21日】

「総選挙を来年初頭に予定。選挙に向けて6政党が準備中」


以上のように、スクラップブックには戦争終盤の日本国内の情勢、日本=悪を強調するアメリカの論調、アメリカ側の戦果、連合国軍による戦後処理、終戦直後の日本国内の様子を伝える記事があり、他にもオレゴン州で風船爆弾 の不発弾に触れ民間人6人が爆死した事故の記事もありました。


本書は、帰国して15年後にこの世を去った増山氏に代わり、米国籍の息子K・マイク・マスヤマ氏が父の残した記録や生前に聞いた証言をまとめた1冊。




内容(「BOOK」データベースより)

玉砕の島・硫黄島で、ひとりの日本人兵士が捕虜となった。アメリカ各地の収容所を転々とするなか、39歳の彼は何を見たのか。亡き父が残した詳細な手記や、ひそかに持ち帰った新聞記事、家族だけに語った貴重なエピソードなどをもとに、知られざる「硫黄島のあと」が、いま明かされる。

硫黄島 日本人捕虜の見たアメリカ―〈アフター・イオウジマ〉の長い旅/K.マイク・マスヤマ/ハート出版

あかべこのブログ



改造した九三式魚雷に人間が乗り込み、操縦士もろとも敵艦へ突っ込む特攻兵器「回天」


「回天」は潜水艦へ搭載され、敵艦を発見すると操縦士が乗り込み母艦から発進。

発進後は一旦海面まで上昇し潜望鏡で目標の位置・速力・進行方向を確認し、敵艦と「回天」の未来位置が重なるように射角を設定し、発進から命中までの時間を予測し発進。

ストップウォッチで時間を計測しながら突入し、命中までの予測時間を過ぎても命中しなかった場合は潜望鏡を上げもう一度索敵を行い再突入するという方法がとられました。


「回天」は1.5トンもの爆薬を搭載し、命中すれば戦艦や正規空母をも1発で撃沈できる事から海軍首脳部から絶大な期待を寄せられ、若い搭乗員達は敵艦撃沈を目標に厳しい訓練に耐え出撃していきました。本書著者の横田氏もその中の1人で大戦果を期待され3度出撃しますが、満足な整備をする事ができない「回天」の故障と敵の爆雷攻撃による母艦の損傷で3度の帰還を強いられました。


敵艦へ突入できず帰還した搭乗員達を多くの人達はあたたかく迎えてくれましたが、なかには「盛大に送り出したにもかかわらず、おめおめと帰りおって。卑怯者め」などと冷たい目で見る将校もおり、生き残った隊員達は先に突入し散っていった先輩や戦友に対し「自分だけ生き残ってしまい申し訳ない」という気持ちや、「大戦果を期待され出撃したにもかかわらず生き残ってしまった」、「早く敵艦に突入し死にたい」という気持ちで次の出撃を待っていました。


2度の帰還を経験し、3度目の出撃で敵艦へ突入した久家(くげ)稔 海軍少尉は、同じ出撃隊で「回天」の故障のため出撃できなかった横田氏をはじめ3人の戦友を思い基地隊員へ宛てメッセージを残しました。



基地隊員の皆様へお願い


「艇の故障でまた3人が帰ります。一緒にと思い仲良くしてきた6人のうち私達3人だけが先にゆくことはとても淋しいかぎりです。

 みなさんお願いします。園田・横田・野村、皆初めてではないのです。2度目、3度目の帰還です、生きて戻ったからと言って、冷たい目で見ないでください。園田は故障で出られないと分かった時、士官室で泣いておりました。園田の気持ちは、私には分かりすぎるくらい分かるのです。

 この3人だけは、すぐまた出撃させてください。最後には、ちゃんとした魚雷に乗って、ぶつかるために、涙をのんで帰るのですから、どうか温かく迎えてください。お願いします。

 先にゆく私に、この事だけがただひとつの心配事なのです。」


これから死に向かう久家少尉が生き残ってしまった自分達を心配してくれていた。

これを知った横田氏は、「生きて帰ってどんな目で見られてもいい。卑怯者と言われてもいい。経験の無い者には我々の気持ちが分かるはずが無い。何も言わず帰り完備された魚雷で敵艦へ突入し仇をとる。」と新たな決意で帰還しましたが、3度目の帰還後は出撃する事無く終戦を迎えました。


戦果をあげて死ぬ事だけを目標にし、帰還のたびに肩身の狭い思いをした特攻兵器「回天」搭乗員の手記。




内容(「BOOK」データベースより)

内蔵された高炸薬もろとも突入、敵艦を屠る人間魚雷「回天」―鋼鉄の棺の中に己れの青春を封じ込め、生還ゼロパーセントの攻撃に三たび出撃、空しく帰投した不屈の男が、祖国の栄光をひたすらに信じて不条理の渦中に身を投じた僚友たちの知られざる奮戦と苦悩の日々を赤裸々に描いた感動のノンフィクション。


あ丶回天特攻隊―かえらざる青春の記録 /横田 寛 /光人社

あかべこのブログ




昭和10年、予科練習生に採用され横須賀海軍航空隊に入隊した本書著者の高橋氏。

飛行機搭乗員の基礎教育を受け昭和13年に予科練を卒業し霞ヶ浦海軍航空隊水上機班へ配属。

水上偵察機パイロットとして1年間の飛行訓練後、重巡「熊野」への乗り組みが命じられ、敵艦と「熊野」の中間を飛び観測機を使い敵味方の距離と方向を測定し報告をする魚雷戦観測員へ配置となりました。

その後重巡「利根」へ配属となり、北部仏印進駐、真珠湾攻撃、ウェーキ島攻略戦、ビスマルク諸島攻略作戦、ポートダーウィン攻撃作戦、ジャワ島攻略戦、セイロン島空襲など多くの作戦に参加。


昭和18年、アフリカ大陸とマダガスカル島の間のモザンビーク海峡方面での作戦を終え、シンガポール・ペナン島の軍港に繋留されている潜水艦「伊三七潜」に搭載された水上偵察機要員となり、「伊三七潜」によるインド洋での通商破壊に合わせアフリカ沿岸の偵察飛行に従事し、アフリカ大陸から400㎞沖のマダガスカル島のディエゴ・スアレス(現在のアンツィラナナ)やアフリカ東岸(現在のケニア共和国)のモンバサの強行偵察を行いました。
インド洋では日本軍と共にドイツの「Uボート」も通商破壊活動を行っており、ペナン島の軍港に繋留されていた「Uボート」の乗員との交流もあったようです。


昭和19年8月、横須賀海軍航空隊に配属となり、第二次世界大戦中最大の大きさを誇る潜水艦「伊400型潜水艦」 に搭載される特殊攻撃機「晴嵐」の操縦士となり、試験飛行や魚雷発射試験などを行います。


「晴嵐」はフロートを外し、主翼・水平尾翼・垂直尾翼を折りたたみ潜水艦の飛行機格納筒へ収納されているため、発進するには母艦が浮上し無防備状態で発進作業をしなければならず、敵に発見され易く非常に危険が伴いました。

そのため発進時の作業時間を短縮し発見される危険を少なくするように、ピン1本の差込で主翼を固定できるようにし、暖機運転を省くために前もって温めておいたエンジンオイルを注入できるようにするなどの工夫がされていました。

更に搭乗員・整備員の訓練を行い、20分以上かかっていた発進作業を10数分で3機発進できるようになったといいいます。


高橋氏は第631海軍航空隊に配属となりパナマ運河への特別攻撃が計画されますが、戦局の悪化でパナマ運河攻撃は中止、その後計画されたウルシー泊地への特別攻撃も終戦により中止となり内地へ帰還できました。


日米開戦前から終戦まで多くの作戦に参加し、2度の特攻作戦を免れた水上偵察機搭乗員の手記。


内容(「BOOK」データベースより)


海底空母「伊400潜」に乗り組んだ特殊攻撃機1番機操縦士の驚愕の真相。第6期予科練習生160名、戦死者124名―14歳で海軍に入り、厳しい“海軍少年航空兵”教育に耐え抜き、“ゲタバキ機”を駆って戦いつづけた不屈の男の太平洋海空戦記。



神龍特別攻撃隊―潜水空母搭載「晴嵐」操縦員の手記/高橋一雄/光人社

あかべこのブログ





中條高徳氏と渡部昇一氏の対談をまとめた「子々孫々に語りつぎたい日本の歴史」 の第2弾



目次


プロローグ 一身にして三年を経た者として

第1章 明治維新以来の危機に立つ日本

第2章 何が日本人を堕落させたのか

第3章 勝者の描いた歴史に騙されるな

第4章 日本人よ、民族の誇りを取り戻せ

エピローグ 誉れ高き日本の姿を子々孫々まで語りつぎたい



本書では、国家解体三法案(外国人参政権法案、人権侵害救済法案、選択的夫婦別姓法案)と、“第3列の男”菅直人にも触れられています。


そして、中條氏は

「民族が滅びるには三つの原則があると歴史家たちは分析しています。1つは、理想(夢)を喪った民族は消えていく。2つ目は、物の価値のみに走り心の価値を見失った民族は消えて行く。3つ目は、自国の歴史を忘れた民族は消えて行く。この3原則のモデルのようにして歩んでいるのが今日の日本民族の姿でしょう。このことに1日も早く気づいて、日本を直さなくてはいけません。」
とも語っています。




子々孫々に語りつぎたい日本の歴史2/中條 高徳/渡部昇一/致知出版社

あかべこのブログ


日本の国益と清国へ朝貢外交をしていた朝鮮の独立のために戦った日露戦争

人口20万人の町で30万人が虐殺されたと中国が主張する南京虐殺の正体

アメリカの戦争犯罪を隠すため、全ての戦争責任を日本に擦り付け「平和に対する罪」という事後法を作りA級戦犯を裁いた東京裁判

言論を統制し日本の弱体化をねらったGHQの占領政策と、24名のGHQ職員がたった6日間で作った日本国憲法

中韓が言い掛かりをつけ干渉をしてくる靖国神社の存在意義

などについておじいちゃん戦争のことを教えて の中條高徳氏と、渡部昇一氏の対談をまとめた1冊。


内容紹介

ベストセラー『おじいちゃん戦争のことを教えて』の中條高徳氏と、保守論壇重鎮である渡部昇一氏が、戦後日本の歪んだ歴史観を糺すべく徹底討論した待望の書。
子々孫々にまで語りつぎたい歴史の真実の決定版である。
歴史に対する無知は国を窮地に陥れる。 本対談では、日本の国柄、戦争の歴史から、 東京裁判、憲法問題、靖国問題、謝罪外交の深層にいたるまで、 様々な面から日本の歴史の真実に迫る。
輝かしい日本の未来は、ひとりでも多くの日本人が歪んだ歴史観から脱し、祖国に誇りを持つことなしには決してつくることはできない。
本書を読んでいると、日本を心から愛する両雄の力強くも温かい声が聞こえてくるようである。



内容(「BOOK」データベースより)

いまこそ正しい歴史認識を身につけよう。





子々孫々に語りつぎたい日本の歴史/中條 高徳/ 渡部昇一/致知出版社

あかべこのブログ







先ほどアマゾンで予約をしました。


アマゾンベストセラーの上位にランクされています。


竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記/ハート出版
¥1,575
Amazon.co.jp

内容紹介

1986 年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞。
中学校の教材として採択された感動秘話。

邦訳が熱望されていた名著、待望の日本語版



大戦末期のある夜、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」と
たたき起こされ、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。
欠乏する食糧、同胞が倒れゆく中、抗日パルチザンの執拗な追跡や容赦ない襲撃、
民間人の心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす