1944(昭和19)年、5歳違いの弟と間違われて召集された増山義邦氏。

38歳で召集された増山氏は、日本軍守備兵力2万1千名のうち95%(2万名)が戦死した硫黄島へ派遣され、生存率5%という激戦の中を生き残りました。


1945(昭和20)年4月8日、栄養失調とアメーバ赤痢に罹り死を覚悟した増山氏は「どうせ死ぬのなら明るい南の太陽の下で、青い空気を胸いっぱい吸って倒れたい。」と思い壕から這い出て来たところで動けなくけなくなってしまい、死ぬ直前に米軍に発見され収容されました。

増山氏はグアムやハワイを経由し米本土サンフランシスコの収容所へ収容され捕虜生活を送り、その後汽車で広大なアメリカ大陸を横断し東海岸へ到着、東海岸でいくつかの捕虜収容所を転々とし、1946(昭和21)年1月に帰国となりますが、帰国の際にアメリカ兵との交流やドイツ人捕虜との収容所生活の様子、捕虜となった日本兵の様子などを詳細に綴った記録と、新聞や雑誌の切り抜きをまとめたスクラップブックを密かに持ち帰りました。


【週刊雑誌ルック 1月23日火曜日号】
『日本を破壊しよう。』

「世界の問題児・危険児日本帝国は永久にこの世から抹殺しなければならない。日本国民の抹殺だけではなく、日本が近隣諸国に危害を及ぼす手段も除かねばならない。つまり日本の産業を完全に破壊することである。」

「我々は日本から近代的な戦争道具を取り上げ、中世時代へ逆戻りさせることを望ましいと思う。戦争道具を取り上げるには、日本の商船隊、造船産業、鉄鋼産業、航空産業、電気産業、鉄道網、化学産業を破壊することを提案する。繊維産業は残す。」

「これらの産業が破壊されると日本は人口過剰になる。余剰男性人口は農業や漁業、そして養蚕に回す。この提案が実行されると日本は世界征服を考える余裕がなくなる。
   中略

今の日本は世界にとっては血を吸う害虫以外の何者でもない。世界の秩序に何ら貢献していない。

世界平和の平和のために、日本を見せしめに、世界平和のために、日本を見せしめに懲らしめよう。」



【サンフランシスコエグザミナー 8月2日】
『ハルゼー提督が東京で乗るサドル(鞍)の準備完了』
「ハルゼー提督が破壊された東京の市街を天皇陛下の馬でサドルが、ネヴァダ州のリノで6週間かけて製作。この製作のスポンサーであるリノ商工会議所によると、このサドルは予定がどんなに早くなっても東京の同提督に送り届けられるという。」



【ニューヨークタイムズ 9月10日】

『東条英機大将以下、軍人や政治家など戦争犯罪人40名の逮捕命令』


【ワシントンポスト 9月18日】

『東京に歓楽街を作り、5千人の職業婦人を連合軍兵士の慰安にあてる計画が、政府と某実業家の間で協議中』

『深尾須磨子女子が日本婦女に対し、外国人に接する際の服装、態度についてアドバイス』


【タイムスヘラルド・ニューポートニュース 9月21日】

『マッカーサー元帥が9月27日に天皇と会見予定』


【ニューヨークタイムズ 10月25日】

「来年1946年の食糧として435万トンの食糧輸入を、日本政府は連合国総司令部に要請。この食糧の補給で1日1人当たり2160キロカロリーを確保できるという。」


【タイムスヘラルド・ニューポートニュース 1945年10月5日】

「政治犯の釈放を10月10日までに終了するように命令」


【フィラデルフィアインクァイアリー 10月19日】

「選挙に出る政党として社会党や共産党などの名前が見える」


【ニューヨークタイムズ 10月21日】

「総選挙を来年初頭に予定。選挙に向けて6政党が準備中」


以上のように、スクラップブックには戦争終盤の日本国内の情勢、日本=悪を強調するアメリカの論調、アメリカ側の戦果、連合国軍による戦後処理、終戦直後の日本国内の様子を伝える記事があり、他にもオレゴン州で風船爆弾 の不発弾に触れ民間人6人が爆死した事故の記事もありました。


本書は、帰国して15年後にこの世を去った増山氏に代わり、米国籍の息子K・マイク・マスヤマ氏が父の残した記録や生前に聞いた証言をまとめた1冊。




内容(「BOOK」データベースより)

玉砕の島・硫黄島で、ひとりの日本人兵士が捕虜となった。アメリカ各地の収容所を転々とするなか、39歳の彼は何を見たのか。亡き父が残した詳細な手記や、ひそかに持ち帰った新聞記事、家族だけに語った貴重なエピソードなどをもとに、知られざる「硫黄島のあと」が、いま明かされる。

硫黄島 日本人捕虜の見たアメリカ―〈アフター・イオウジマ〉の長い旅/K.マイク・マスヤマ/ハート出版

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