食糧・水・医薬品・武器・弾薬・の補給や増援部隊など無く、地熱で40℃もある地下壕に潜み、圧倒的な兵力で上陸した米軍に対し徹底抗戦し、2万名の将兵が戦死した硫黄島の戦い。


この硫黄島へ通信兵として派遣された川相氏は、戦闘終結後の昭和20年5月に仲間数名と共に米軍へ投降し捕虜となり、グアム・ハワイを経由し米本土サンフランシスコへ上陸、その後テキサス州のコネリー収容所へ移送され8ヶ月間の収容所生活を送ることになりました。


戦争が終わり翌21年1月に帰国となりますが、自分だけ生き残り捕虜になってしまったという負い目に加え、自宅には戦死報告が届き葬式が済んでいる事、そして何よりも家に残してきた妻や家族に会えるという嬉しさの複雑な心境で故郷へ戻りました。


しかし、地獄以上に過酷な戦場を生き残り「捕虜」という日本人にとっては最大の汚名を背負い、故郷へ戻った川相氏を待っていたのは信じられない事実でした。



内容(「BOOK」データベースより)


アメリカ軍の殲滅作戦は、どのように行なわれたのか。日本軍の戦死者20129人、米軍の死傷者28686人。南北8キロ、東西6キロにわたる島嶼で繰りひろげられた栗林兵団と米海兵隊の凄絶な肉弾戦の一端を、奇跡の生還を遂げた一日本兵がヴィヴィッドに伝える驚愕の戦闘報告。


硫黄島戦記―玉砕の島から生還した一兵士の回想/川相昌一/光人社