百里の航空自衛隊基地見学の翌日は、陸上自衛隊・土浦駐屯地と同霞ヶ浦駐屯地を見学しました。
土浦駐屯地は、武器学校と言う武器科所属の隊員の教育訓練を行う施設でもあり、陸上自衛隊で
使用する武器は全てこの場所に有ります。
近隣する施設に大東亜戦争で活躍した予科練(海軍飛行世科練習生)の歴史を紹介する予科練平和
記念館などが有ります。
土浦駐屯地は元・帝国海軍航空隊の予科練を教育する施設で有り、今も駐屯地内の資料館の前には
この予科練の誕生に尽力を尽くした帝国海軍大将・第26・27代連合艦隊司令長官山本五十六の
像が建っております。
山本五十六は、それまでの巨大戦艦の巨大な火力で雌雄を決する海軍力の有り方に疑問を持ち、
これからの海軍兵力の要点は航空兵器の充実、及びその人材の育成だと提唱された様です。
予科練のイメージと言うと、特攻隊予備軍と言った趣きが有り、戦争の陰惨な部分をひどく感じさせ
ますが、当初の目的はエリートパイロットを育成する特別機関であり、非常に倍率の高い狭き門で
有りました。
資料館には戦争末期の特攻兵達が、肉筆でしたため、家族に贈られた遺書や辞世の句などが展示され
ており、20歳にも満たずに命を賭して戦って散った当時の少年達の思いの片鱗を見る事が出来ます。
少年兵の方達は皆さん非常に文字が上手で、文章力や表現力も豊かで、中にはイラストを描いて居る
方も居て、もしかしたらそういう上手なのが主に展示されて居るのかも解りませんが、当時の少年兵
の教育水準の高さを思い知らされます。
現代の価値基準に照らし合わせて、当時の日本人が何も解らずただ闇雲に戦火の中へ身を投じた、
その様な意見も確かに一理ではありましょうが、ここでの遺書や作文を見ると、その時代に、
その国に男として生まれた宿命、損な役回りを敢えて演じ切る(命まで投じる)彼等の人格の高さ、
義侠心、愛情、覚悟、色々なものを感じざるを得ません。
そんな事を考えながらこんだ霞ヶ浦駐屯地へ場所を変えます。
※ 海軍飛行予科練習生の皆さんは総勢約24000人、その内18564人の方達が先の
大東和戦争で亡くなって居ります。今更ながら御冥福をお祈り致します。